第32話 ドッペルゲンガーの欺き
「おい!どういうつもりだ!」
王都では見られない満天の星空を僕は見上げていた。
背後から怒気のこもった声に振り返ると、そこには仏頂面をしたカーサスの姿があった。
「アレストラ家に賠償金を払う金なんてないぞ!分かっているんだろうな?」
カーサスは声を荒げたが、その声を聞きつけて人が来る気配はなかった。
「僕を任命した王様にも責任があるんじゃないですか?」
「国王が責任を取ると思っているのか?」
カーサスは深いため息をついて首を横に振った。
「事件を解決するアテはあるんだろうな?」
カーサスが僕を威圧するように詰め寄り、低い声で詰問した。
「ありません。」
「おいっ……!」
カーサスが僕を掴みかかる前に僕はカーサスの口を押さえた。
もちろん、カーサスの焦りも理解できる。
坑道が崩壊した場合、坑道の持ち主のソーマがアレストラ家に損害賠償を求めてくるだろう。
国家の基盤を支えるエネルギー資源の賠償金など、一貴族が到底払える金額ではない。
……そうなったらガウス国王に全責任を押しつけてやろう。
国王に任命責任と兵士を派遣しなかった落ち度は認められるはずだ。
楽観的な思考の僕にカーサスは未だに苛立っていた。
「今日一日、僕はただ岩肌を眺めていたわけではないですよ。」
僕は今日の昼頃に発見したことをカーサスに語った。
「三つ目の入り口だと!」
「カーサスさん!声が大きいです!」
カーサスは慌てて自分の口を押さえた。
「この坑道に三つ目の入り口があるのは本当なんだな?」
声を落としたカーサスに僕は頷いた。
「今日一日で現場の鉱山を確認したので間違いありません。確かに坑道への入り口は三つありました。長剣を持った山賊と思われる見張りが一人だけ立っていたので間違いありません。」
サボっていた兵士と別れた後、僕はもう一つの坑道の入り口を見つけた。
それは二つの入り口とはちょうど真反対、テントの設営位置から死角になる位置にあった。
カーサスは頭を掻くと、何かを思い出したかのように手を叩いた。
「さっきの見取り図に入り口は二つしか書かれていなかったぞ。どういうことだ?」
「あれは一月前に書かれたものです。その後に開拓されたのであれば来年に報告すれば良い。追加で報告する必要はないでしょう。」
王国への報告義務は一年に一回のみだ。
報告後すぐに新しい坑道を開拓したのなら、その分は来年に報告すれば良い。
「だとしたら、兵士達に報告した方が良いんじゃないか?二つの入り口を見張っていても、三つ目の入り口から簡単に逃げられてしまうぞ。」
カーサスの至極当然な指摘に僕は首を横に振った。
「決して状況が好転したわけじゃない。人質を救う算段も爆発を止める算段も山賊を捕まえる算段もないんだろう?兵士に協力を要請するのが筋だろう?」
カーサスの言い分にも一理ある。
僕は腕組みをして思いついた疑問をカーサスにぶつけてみた。
「兵士達はどうして三つ目の入り口を知らないのでしょうか?」
カーサスは顎をさすりゆっくりと答えた。
「この坑道周辺は領主の私有地だ。私有地に王国の兵士が無断で立ち入ることはできないだろう。」
カーサスの言葉に僕はエレナの部屋で呼んだ法律の本を思い出していた。
公権力とも言える王国の兵士が貴族の私有地に入るには許可が必要だ。庶民の私有地には侵入しても良いのかと憤ったのを覚えている。
「では、ここの領主、ソーマに仕える執事は知らなかったのでしょうか?」
次に思い浮かぶ当然の疑問だ。
ソーマに仕えている従者なら主の仕事を把握していても良さそうなものだ。
しかし、僕の意に反しカーサスは首を横に振った。
「従者だからと言って、領主の全てを把握しているわけじゃない。現に俺たちもエレナ様の居所を知らないだろう?」
カーサスの指摘に僕は頷く。
「従者でも自分の仕事を手伝わせる領主もいれば、屋敷内だけの身の回りの仕事しか任せないという領主もいる。アベルジャの領主も執事達に家事しかさせていなかったかもしれないぞ。」
「じゃあ、ソーマは僕とは真逆のタイプだったんですね。」
「ああ……。こんな辺境の地まで従者を呼び寄せる奴もあんまりいないだろうな……」
カーサスが恨めしそうに僕を睨み付けてきたので、思わず視線をそらす。
「と……取りあえず……センガス兵士長に相談してみましょうか。」
話題を切り替えると、僕はテントに戻っていった。
テントの中はいつの間にか従者のマンス達も戻っていた。
賢者である僕がテントに入っただけで皆の視線が僕に向けられる。
後ろから付いてきたカーサスに目配せをしてカーサスと別れると、僕は周りの好奇の視線を無視して、兵士長センガスの所へ一気に歩み寄った。
「センガス兵士長、少しお話が……」
センガスに耳打ちすると何かあると感じてくれたのか何も言わずに僕の後を付いてきてくれた。
センガスを連れてテントの外を出てしばらく歩いたところで立ち止まった。
辺りには誰もいない。大きな岩がまばらに転がっている場所だった。
炭鉱から吹き下ろす冷たい風に外套を羽織り損ねてしまったことを後悔してしまう。
立ち止まった僕の背中を見てセンガスは訝しげに尋ねた。
「このようなところまで連れて来て、一体どうしましたかな?」
「明朝、食事を運びますよね?」
センガスは静かに頷いた。
「その時に私も坑道内部に潜入する。」
「どうしてですか?」
センガスのつばを飲み込む音が聞こえる。
僕はセンガスの方に向き直った。
「百人の人質を一斉に五分で移動させるのは無理です。だから、あらかじめ作業員達に指示を出しておきたい。」
練習もなしに集団移動させるなど不可能な話だ。
ならば、あらかじめ人質に指示を出しておけば逃げ出せる可能性が少しでも上がるはずだ。
「お言葉ですが……賊は同伴者として私を指定しております。」
「センガス兵士長はあそこの入り口から食事を運ぶのですよね?」
僕はテントの向かい側にある坑道への入り口を指さした。
「ええ。そうです。」
「私はもう一つの入り口から内部に潜入します。」
「賢者様。坑道の二つの入り口には見張りが立っております。どうされるおつもりですか?」
兵士長の声が重くのしかかる。
一歩間違えれば、作業員達が犠牲になりかねない危険な道だ。
慎重にならざるを得ないのは重々承知だ。
だからと言って、何もしないわけにはいかない。
もちろん僕みたいな非力な人間が真正面から向かって山賊をひねり潰せるはずもない。
取るべき作戦はただ一つだけだ。
「あなたの部下だけに協力を依頼したい。騒ぎを起こして見張りの目を陽動してもらいたい。」
「しかし、坑道を出るときはどうされますか?」
「食事を届けているあなたに合図を送ります。できる限り交渉をして時間を引き延ばして欲しいのです。最終日ですから交渉を粘ったとしても不自然ではないでしょう。」
センガスは深く頷くと、テントの方へ踵を返した。
その後を追って僕もテントの方へ歩いて行った。
三人の足音が重なっていることに気づく者はいなかった。