第3話 ドッペルゲンガーの策略
「おはよう。」
穏やかな声に僕は目をこすった。目の前には僕とうり二つな女性が僕を覗き込んでいた。昨日起きたことは夢ではないことを改めて認識させられた。
「ああ。エレナさん。お体の具合はどうですか?」
「心配ない。迷惑をかけたな。ラミィ。」
「念のため、調べさせてもらいますよ。」
「いや、いいよ……。」
なぜか顔を赤らめ恥ずかしがるエレナの抵抗を無視して僕はエレナの脇腹をさすった。塗りつけた消毒液のおかげで固いかさぶたができていた。僕は包帯を外すとエレナの抵抗はほとんどなくなっていた。消毒液を塗りつけて再び包帯を巻き直した。
「かさぶたも固くなっていますし、これで確実に大丈夫でしょう。」
「ありがとう……。君にお礼をしたい。私のやし……いや、家に来てくれないか?」
屋敷と言いかけたところからエレナは裕福な家庭なのだろうかと気になるところではあるが、エレナの提案を断る理由もない僕は首を縦に振っていた。
エレナに連れられてやってきたのは豪華絢爛な屋敷が連なる王都の中心、貴族街だ。どの屋敷も僕が見たことがある領主の屋敷と同じくらいの立派な建物で、大通りには塵一つすら見当たらない。通りを巡回する恰幅の良い警備兵がみすぼらしい旅人の風貌である僕を一瞥するも呼び止めることはなかった。
「エレナさん。あなたはやっぱり貴族なのですか?」
「しっ!静かに!」
そう言ってエレナは僕の口を押さえる。
目の前には大きな鉄門と鉄柵が広がり、奥には白色を基調とした屋敷が立て構えていた。
「こっちだ。ついてきて。」
「正門から入らないんですか?」
僕の疑問を無視してエレナは僕の袖を引っ張って屋敷の裏側へこそこそと進んでいく。姿勢を落として植え込みの茂みに隠れながら移動していくとその屋敷の裏手に出てきた。
茂みの中でエレナが突然何かを呟いた。
すると、鉄柵の周りにある地面が階段状に盛り上がった。
「エレナさんは土の魔法使いだったのですか?」
唖然とする僕を見てエレナはウィンクする。
魔法とは人知を越えた自然を操る力のことだ。
魔法を扱えると自慢する人に会ったことはあるが、実際にその力を目の当たりにしたのはギルドでの仕事仲間とエレナが見せた分のたった二回だけだ。
ギルドでも魔法を使えると言うだけで一目を置かれ、あらゆる商人から仕事を指定される程だ。土魔法ならきっと新しいトロイ鉱脈の発掘に重宝されるだろう。
しかし、現実は残酷だ。
まず、魔法は生まれながらの才能で扱えるかが決まってくる。魔法を扱える一族の家系に生まれたとしても魔法が使えるとは限らない。逆もしかりだ。
また、人が扱える魔法の属性は一種類だけだ。水魔法の才覚を秘めた子どもに親が炎魔法の練習をさせてもいつまで経っても魔法を習得することはない。
つまり、魔法を扱うには才能と環境が必要になってくる。厳しい世界だと思う。
エレナにエスコートされ、僕は生まれて初めて土魔法で作られた階段を上った。ほどよいレンガの踏み心地で、精巧な装飾が施された手すりまでついている。只の魔法使いにそこまで高レベルなことはできないだろう。
「エレナさんは有名な大魔法使いとかですか?」
「そんなんじゃないよ。」
そう口にするエレナの表情が一瞬曇った。
下り用に再び階段を出したエレナに連れられて屋敷の裏庭に降り立った。すると、今度は屋敷の二階にある窓に向けて芝生の階段がせり上がってきた。
エレナは呆気にとられる僕の背中を急かすように押して階段を上ると、するりと窓を開けて屋敷の中に入った。
「ようこそ。私の屋敷へ。」
エレナは令嬢のような振る舞いでお辞儀をした。
その背後には天蓋付きの柔らかそうなベッドが鎮座し、金のバラが描かれた大きな洋服タンスが幾重にも立ち並んでいる。貴族が住むような清潔な屋敷に場違いな服装で佇んでいる自分にどこか気恥ずかしさを感じていた。
「僕がこんなところにいていいのでしょうか?」
僕はきょろきょろと辺りを見渡していた。
「かまわないよ。」
振り返るとエレナは笑顔で立っていた。
その張り付いた笑顔に背筋が凍った。
僕の思考はなぜか恐怖で固まっていた。
だから、気づけなかった。
彼女の左手に握られた小瓶に……
「君は今日からここに住むことになる。」
その言葉を最後に暗闇が訪れた。