第26話 ドッペルゲンガーの極秘訪問
国務長官が喚く姿を一人の男が屋敷の窓から見下ろしていた。
カーサスは煙草を吹かしながら国務長官の慌てぶりを肴に愉悦に浸っていた。
『アベルジャに向かう商人を探してほしい。』
賢者エレナ、もとい、ラミィから依頼された時は日も沈みかけていたので断ろうかと思った。
実際に一度は断った。
だが、ラミィはこう誘ってきた。
『国のトップが慌てふためく滑稽な姿を見たくないですか?』
ラミィは口角を上げてニタリと笑っていた。
エレナお嬢様が何かを企む顔を見るのは初めてだった……
先代からアレストラ家の従者を長く務めてきたが、衝撃的な表情だった。
本物のお嬢様も俺が見ていないところであんな顔をしているのだろうか……。
俺が見ていないお嬢様の姿があるのだろうか……。
吹かした煙がゆらゆらと灰色の空へ上っていった。
「しかし、お客さん。」
僕を呼ぶ声がして、僕は本を閉じて目線を上げた。
「金をもらってるから、アベルジャの近くまで乗せていくけど、あそこに何の用があるんですか?」
小さな木彫りの女神像を大量に運ぶ商人の疑問に僕は答えた。
「本物のトロイ鉱石を見てみたいと思いましてね。」
「お客さんは随分と変わった旅人ですな!」
商人はダミ声で笑った。
「あれはただの黒い石ですよ。実物を見てがっかりしないでくださいね。」
「僕は自分の目で見たことしか信用しないタイプなんですよ。」
商人との雑談を済ませると、僕は再び兵法の本を広げた。
占拠した山賊の説得に失敗した場合、アベルジャに駐在している騎士団の指揮を執らされるかもしれない。
被害を最小限にするために付け焼き刃の知識であろうと身につけておかなければならないと思い、エレナの部屋から持ち出した本を読んでいた。
「ところで、アベルジャまでは一日で着くんですか?」
僕は本を読みながら、再び商人に確認を取った。
「お客さんも用心深いね。山越えするから一日で到着しますよ。アッシもお客さんの要望通り二日かかる迂回路は使うつもりはないから、車酔いして商品を汚さないでくださいよ。」
商人は力一杯鞭を打った。
馬がいななきを上げて走り出した。
山賊が要望しているヴェルグ死刑囚の釈放の期限は後三日。
アルス国務長官は賢者エレナの身を案じて二日かかる迂回路を使おうとしていた。
だが、僕はエレナ・アレストラではない。
僕はラミィ・クラストリアだ。
やんごとなき身分の賢者ではなく、卑しい身分の偽物だ。
危険な近道をエレナが使えばアルス国務長官に迷惑をかけるが、僕が使う分には問題はない。
そのおかげで、僕はもう一日だけ現場を調べる猶予を手に入れることができる。
それくらいの奇策を打たないと、凡人の僕が賢者並みの活躍ができるわけがない。
後は、山越えするときに山賊に出くわさないことを祈るばかりだ。
鉱山の町、アベルジャ。
十年前、エスタニア公国の襲撃で壊滅状態となったアベルジャは鉱山の町として復活を成し遂げ、鉱山王の三男であるソーマ・コルラシアが領主として君臨している。
山賊に襲われることも、車酔いで吐いて商品を汚すこともなく無事に山越えを終えた僕は、商人と別れた後、一時間ほど山に向かって歩いた。
西の空は茜色に染まり、東の空に月が昇りだした頃、僕はアベルジャにたどり着いた。
レンガでできた簡素な造りの門が僕を出迎えてくれた。
その門には所々にヒビが入っており、トロイ鉱石で稼いでいる町の門とは思えなかった。
本来は見張りとして立っているはずの門兵も出払っており、本来は坑道の仕事が終わって帰路に着いている作業員の姿もそこにはなかった。
そのおかげで、旅人の僕は誰の目にも触れることなく町に入ることができた。
言い換えれば、それほどの緊急事態が起きているのだろうと容易に想像がつく。
簡素な茅葺き屋根と土壁でできた家が立ち並ぶ中、南側の遙か遠方に町の雰囲気と明らかに異なる屋敷が立っていた。あれがこの町の領主であるソーマ・コルラシアの屋敷なのだろう。
一方で、西側にはごつごつした岩肌の上にいくつもの松明が置かれ、白いテントを照らしていた。あそこでこの町に派遣された騎士団兵士とソーマの部下達が山賊を鎮圧するための作戦会議を行っているのだろう。
僕は星が輝いている夜空を見上げた。
まず、泊まれる場所を探そう。
賢者エレナとして来ていれば岩肌の上にあるテントに泊まれただろう。
だが、あいにく旅人のラミィとして来ているのでその手は使えない。
僕は鞄の中からロケットペンダントを取りだした。
その中に映るヴェルグ死刑囚の娘のクロエの写真を片手に一軒ずつドアを叩いた。
彼女の情報を収集するついでに一泊できないか尋ねることにした。
ドアを叩いて五軒目。
ようやく人がいる家を引き当てた。
家の中から出てきた一人の白髪の老婆が僕を怪しげな目で見上げた。
「すみません。この人のことで伺いたいのですが……」
僕はロケットペンダントの写真を白髪の老婆に見せた。
老婆の瞳孔が大きく開いた。
「アンタ、何者だい?」
老婆が僕に食いついてきた。