第20話 ドッペルゲンガーの謁見
「じゃあ、お姉ちゃんは時間をつぶしにここに来てくれたんだ。」
ガイズに入れてもらった紅茶を飲みながら僕とジェフは所長室のソファーに腰をかけていた。監視塔を改装した古い部屋のためか石壁の向こうからペンを走らせる音がかすかに聞こえてくる。副所長が報告書を書いているのだろうか、紙を丸める音も聞こえてくる。
そんな中、所長は子どもらしく音を立てながら紅茶をすすっているのだから、副所長には思わず同情してしまう。
「モル所長はお元気にされていましたか?」
ジェフの言葉にモルはにこりと微笑んで紅茶カップをテーブルの上に置いた。
「うん!ジェフおじいちゃん!元気にしていたよ!」
モルは席を立ち上がると、自分のデスクへと走って行った。散らかった書類の山に顔を埋めると、一枚の紙を持って帰ってきた。
「お姉ちゃんも見てほしいんだ!新しい発明品だよ。」
モルは羊皮紙を広げた。そこには大きな風船にプロペラがついた見たこともない乗り物が描かれていた。僕が首をかしげているとモルは自慢げに語り始めた。
「トロイ鉱石に風の魔法を付与して浮かぶ乗り物、気球船だよ!空を飛んでどこにでも行けるんだ!」
目を輝かせながら喋るモルを見て、エレナが好みそうな人だと僕は思った。
何というか夢があって、常に前向きというか……。
職員達が作り出した炎の剣は戦場において実用性はあるが、取手を放すと瞬時に炎が消えることに需要があるかどうか疑問が残る。一方、この子が考え出した気球船には需要はありそうだが、蒸気機関車に代わる移動手段としての実用性はなさそうだ。
「素敵じゃないですか……。」
僕は適当にお茶を濁す。
僕の言葉にモルの目がきらきらと輝かせる。大好きな賢者様に褒められたと思っているのだろうが、褒めたのは赤の他人に過ぎない。
お互いの近況について楽しく語り合う。相手が子どもだから適当なことを言っても素直に信じてくれるので会話しやすい。ただ、適当なことを言う度に飛んでくるジェフからの叱責の視線が少々心に突き刺さる。
その時、所長室の扉がノックされた。
モルが走って向かうと緊張しているガイズと神妙な顔をしたアルス国務長官が入ってきた。その脇には山のような書類を抱えていた。
「エレナ様、王がお呼びです。至急来てください。」
「ええ!お姉ちゃんもう行っちゃうの?」
アルスは足下で残念がるモルに視線を向けると、すぐさま僕に視線を送ってくる。
初めて会った時の下心が見え隠れする邪な視線ではなく、深刻な事態が起きたかのような視線に僕とジェフは顔を見合わせた。
ジェフも僕と同じように嫌な予感を感じていたようだ。
別れを惜しむモル所長の姿が見えなくなった頃、僕はアルスの隣を、ジェフはかなり後ろに引いた位置を歩いていた。王室へ向かう道中で何人かの兵士や給仕達とすれ違ったが、彼らは皆僕たちを見ては、ヒソヒソと話をしていた。
「アルス様と既成事実を作っておくのも悪くはないのでは?」
ジェフの発案で僕はエレナに好意を寄せるアルスの隣を歩かされていた。
端から見れば国を代表する賢者と国務長官が並んで歩くまさに理想のカップルだ。先に二人が付き合っていると外堀を埋めるように噂を広めておいて、なし崩し的にエレナにアルスとの婚約を説得できれば良いとの策略だろうが、果たして賢者エレナを出し抜くことはできるのだろうか。
こうしている今もエレナがどこかで見ているかもしれない。
流石にこれで僕が怒られたらたまったものじゃないが……
あっという間に王室の前にたどり着く。物々しく立ちはだかる扉の前に立つだけで鼓動が早くなるのを感じた。
そんな僕の気を知るはずもなく、アルスは僕の方を振り返り尋ねた。
「申し訳ないですが、ジェフ殿。あなたはこちらでお待ちいただけますかな?」
まさかここから一人にされるのか……!
僕は咄嗟にジェフの方を向いたが、ジェフは小さく首を横に振った。
一人で王様に会って軽快に会話ができる自信が僕にはない。
何としてでも味方を一人でも同行させなければと頭を悩ませた。
「アルスさん。彼の同行は許してもらえないでしょうか?」
僕は上目遣いで精一杯お願いすると、アルスは明らかに動揺していた。しかし、アルスは大声で咳を払って首を横に振って答えた。
「申し訳ないですが、面会人ができる限り秘密にしてほしいと訴えておりまして……。」
「私の従者を信用できないと申しますか?」
その言葉にアルスはたじろいだ。
さすがの国務長官も自分の恋愛の相談相手を蔑ろにすることはできないだろう。たたみかけるなら今しかない。
「ジェフは口の硬い男です。賢者エレナが保証します。」
「分かりました……。ジェフ殿。他言は無用でお願いします。」
ついにアルスが折れた。
僕は初めての勝利に心から歓喜した。
そんな喜びもつかの間、アルスは王室の扉を開いた。
玉座に一人の男が座っていた。
その若々しい男は黒いあごひげをさすりながら座っていた。不遜な印象を与え、恐れ多さを感じさせる風貌はその男のカリスマがなせる業だろう。
扉が開く音にその男は顔を上げた。
その男の名はガウス・ハイランド。
城の入り口に飾られていた肖像画の男が、噂でしか聞いたことがないこの国の最高権力者が、庶民である僕の目の前に不敵な笑みを浮かべて待ち構えていた。