第2話 ドッペルゲンガーとの一夜
「大丈夫ですか!」
僕は慌てて脇腹を押さえるけが人に近づいた。そのけが人は僕の動きに合わせるように後ずさりして距離を取った。荒い息を吐きながら僕を睨み付けていた。
明らかに警戒され、敵意を向けられていた。
しかし、僕には心当たりがあった。
「僕はラミィ。ラミィ・クラストリアです。あの黒いフードの仲間じゃありません。」
黒いフードと言う単語が出た瞬間、けが人は首をかしげた。僕は説明をさらに続けた。
「あの黒いフードに人たちはあなたを追っていたのですね。間違えられて危ないところでしたよ。」
僕の言葉にけが人の目が緩んだ。
「私とよく似ているね。迷惑をかけたみたいだ。」
息絶え絶えだけれど、やはり僕の声によく似ている。
「とりあえず止血をしますので、ゆっくり息を吐いてください。」
僕は鞄の中から包帯と薬草を煮詰めた消毒液を取りだした。
「君は医者か、それとも薬師か?」
「医者でも薬師でもないです。けど、心得はあります。」
「無免許か……いっ……!」
消毒液を染みこませた綿を傷口に当てるとそのけが人は苦悶の声を漏らした。脇腹の傷口を綿で押さえて包帯をゆっくりと巻いていった。
「傷は浅いので、しばらく安静にしていれば治ると思います。」
「ありがとう。」
小さく感謝の言葉を呟いたけが人の顔はなぜか赤らんでいた。
ぼくはけが人のおでこに手を当てた。
熱はないようだが、そのけが人の顔はますます赤くなっていった。
「大丈夫ですか?他に具合の悪いところはないですか?」
「ああ……。大丈夫だ……。」
そう言うと、けが人は徐ろに立ち上がり、ふらふらと歩き始めた。
思わず僕はけが人の腕を掴んだ。掴んだその腕は僕よりか細く華奢だった。
「どこに行くんですか?」
「どこに行こうと君には関係ないだろう?」
「安静にしてくださいと言いましたよね。」
お世辞にも衛生上よろしくない路地裏に長時間いたのであれば、怪我が悪化して膿ができる可能性がある。無免許でもそれくらいの知見は持ち合わせている。
「それに黒いフードの奴らがまだうろついているかもしれない。僕に任せてください。」
僕は路地裏を出ると、布を求めて走り出した。
「ようこそ。お客さん。一泊につき銀貨五枚だよ。」
宿屋ト・アルに僕はたどり着いた。シックな感じのお洒落な宿屋で、カウンターの奥に見えるバーではちょび髭を生やしたおじさんが料理を振る舞っていた。目の前にいる女将さんもおっとりとした微笑みは僕の気持ちを和やかにしてくれた。
まさに都会の喧噪を忘れさせるオアシスと言える宿屋だった。お薦めしてくれた車掌さんのセンスに僕は感服していた。
僕はカウンターに銀貨を置くと、女将さんはカギを渡してくれた。
「二階の201号室だよ。その荷物はフロントで預かろうか?」
女将さんは僕が肩に担いでいる麻袋を指さした。
「いいえ。大丈夫です。」
「そうかい。じゃあ、ごゆっくり。」
ギシギシときしむ木の階段を上り、廊下の奥にある201号室の扉を開けた。
「もう顔を出しても良いよ。」
肩に担いだ麻袋を下ろして、結び目をほどいた。
すると、中からけが人が出てきた。
「自分はターバンを巻いて変装してさらに人を麻袋に詰めるとかよく思いつくよね。」
「やばい人たちから逃げる時によく使っていた手口ですよ。」
「やばい人?山賊とか?」
「ギルドから出た報酬金を山分けした後に報酬金を独り占めしようと夜襲を仕掛ける冒険者とかですよ。」
けが人からなぜか憐れみの目を向けられていた。
報酬金の話で揉めるなんてならず者に近いグレーな人たちが集うギルドでは良くある話だ。恐らくこの人はそうした世界とは無縁な所の出自なのだろうと推察した。
「それより、あなたの名前を教えてくれませんか?」
僕の質問にけが人はしばらく黙り込んだ。
けが人の険しい表情を見るに、あの黒いフードの仲間とまだ疑っているのだろう。
僕が無性に哀しい気持ちになる中、けが人はようやく口を開いた。
「私はエレナ。」
「エレナさんですね。きれいな女性の……名前……ですね。」
嫌な冷や汗が背筋を伝った。
「ひょっとして……女性ですか?」
エレナはこくりと頷いた。
あまりにも自分とそっくりな容姿のせいで性別のことにまで気が回らなかったのは言い訳だろうか。
細い体で女っぽいと屈強な体つきの戦士に指摘されたことを思い出す。
そして、気づいてしまった。
僕は部屋を一つしか取っていない。
「もう一部屋取ってきますね!」
慌てて部屋を出ようとした。すると、エレナが僕の袖を掴んだ。
「怪しまれるからかまわない。気にしないでくれ。」
確かに理屈として正しいのだが、互いの貞操としては良くないだろう。意を決して部屋を出て行こうとするが、袖を引っ張るエレナの力が強くなっていた。
「君は変な気を起こさないと信じている。」
僕の戸惑いの目とエレナの凜とした目が合った。エレナの瞳に映る自分の姿と自分とよく似たエレナの姿を互いに見るとよこしまな気持ちが冷めていくのを感じた。
いかに端麗な女性とはいえ、自分と姿形がそっくりな女性に手を出す気概はどうやら僕にはなかったようだ。
「あなたはけが人ですので、ベッドを使ってください。僕はそこのソファーで寝ていますので。」
「ありがとう、感謝する。」
エレナはそう言うとベッドの上に横たわった。
そして、僕はソファーの上で本を読み始めた。
時を刻む音と本をめくる音が響き渡る静かなひとときが訪れた。
「なぁ、何を読んでいるんだ?」
「けが人は早く寝てください。治るものも治りませんよ。」
僕の素っ気ない態度にエレナは毛布にくるまりながら僕の横に座った。
「眠れないんだ。いいだろう?ふむ……薬草の本か……。」
エレナが僕の肩越しに本を覗き込んできた。吐息が聞こえるほど近くまで顔を寄せてきたが、不思議と感じるところはなかった。
「君の実家は医者?それとも治癒術士かい?」
「ただの農家ですよ。なんの変哲もない小麦を栽培していました。」
「農家がどうしてこんな本を持っている?農家には無用の長物じゃない?」
エレナのどこか上からの物言いに気づけば僕は声を荒げていた。
「僕の両親は高齢で腰痛に悩まされていました。だから、治す方法がないものかと町の図書館から本を借りていました。」
「親か……」
エレナは何かを思い出したかのように押し黙っていた。
「君の親はどんな人?」
エレナが顔を近づけて問いかけてきた。赤の他人の親に興味を示したことに少し違和感を覚えながらも、親の顔を思い浮かべながら話した。
「普通の農家の父母ですよ。僕が怪我をした時、母は医者を呼んだ方が良いんじゃないかとか言っていつも慌てふためくんです。それを見た父は大丈夫だと言ってなだめすかしていましたね。父は僕のことを頼りないと言って無駄に心配してくるのです。」
両親のことを語っている僕をエレナは黙って見つめていた。その眼差しはどこか羨望の情に満ちていた。
「そうか……。それで、ご両親は息災か?」
「三年前に亡くなりました。エスタニア公国の進軍でした。」
あの夜は今でも昨日のことのように覚えている。
僕の故郷はジュナード領と呼ばれていて、ハイドランド王国の西にあるこれと言った名物もない小さな町だった。
しかし、ハイドランド王国と戦争を繰り返すエスタニア公国によって町は一夜にして消え去った。
あの日、鼠がベッドの下を駆け回る音で僕は目を覚ました。
窓を覗くと遠くに鎧を身に纏った集団を照らす松明の灯火が見えた。慌てて両親を起こしに向かったその時、強い衝撃が足下を震わせた。
僕は無我夢中で走った。
流れ星のように降り注ぐ火の玉が逃げ惑う僕の頭上を通り越していく。
丘の上まで必死になって逃げ、ようやく僕は後ろを振り返った。
紅く揺らめく炎とエスタニア公国の旗が僕の故郷を包んでいた。
エスタニア公国の兵士達の昂ぶる雄叫びと僕の隣人だったかもしれない町の人の絶望の慟哭が辺りにこだましていた。
その光景に恍惚となっていた自分に抱いた嫌悪感は今でも忘れることはない。
「すまない……。」
エレナはばつが悪そうにして目を伏せた。
「気にしないでください。」
「君のことを心から心配してくれる親がいなくなったんだぞ!」
一層声を荒げるエレナに僕はため息をついていた。
「三年間、僕はギルドで依頼をこなしながら両親を探して続けました。」
そう呟くと、今までの思い出が瞬時に脳裏を駆け巡った。
嫌な思い出ばかりだった。
「いつまで夢を見ているんだ。」
そうあざ笑った冒険者と喧嘩になって返り討ちに遭って路地裏に投げ捨てられたこともあった。
「親の元に行けるんだ。幸せだろう?」
そう言って商人達に囮として捨てられたこともあった。
「おぉ。主よ……。」
両親の無事を祈る僕の背後から、牧師から憐れみの目を向けられたこともあった。
そんな生活を続けていたある日のことだった。
一通の赤い紙が王国から届いた。
今でも栞の代わりに使っているその紙をエレナに見せると、エレナは言葉を失っていた。
「半年前、ハイドランド王国からその赤紙が届きました。」
赤い紙には黒い文字で大きく「紛争安否不明者捜索打ち切り通知」と書かれていた。
「戦争ですからね……。行方不明者の捜索にいたずらに予算をつぎ込むわけにもいかないのも理解しています。僕の両親はひょっとしたらどこかで生きているかもと期待していましたが、王国は安否不明として死んだものと判断しました。」
ぼくは放心しているエレナから栞代わりに使っている赤紙を抜き取って、本に挟み込んだ。
「僕が王都に来たのは仕事を求めてです。薬草の知識があるので薬草鑑定士としてギルドに申し込もうと思います。
いつまでも死亡と判定された親の幻影を追い続けるわけにはいきませんから……。」
「君はそれでいいのか?悔しくないのか?」
突然、エレナは僕の肩を力強く掴んだ。
僕はエレナの方に向き直った。
自分とうり二つなエレナが僕に向けてきた目は義憤に満ちていた。
その目はかつて赤紙が届いた時、世界を創造したと信仰されている女神の偶像を睨み付けた僕自身そのものであった。
希望を捨てなかったあの時の僕が希望を捨ててしまった今の僕を睨み付けていた。
僕は思わず目をそらした。
そして、エレナの脇腹をつついた。エレナは苦痛に顔を歪めた。
「興奮すると怪我に触りますよ。」
エレナの肩を掴んでベッドへ誘導する。
「今日はもう寝ましょう。」
エレナと顔をあわせたくないその一心で僕は明かりを消した。
「はぐらかさないでくれ。君はそれで本当に納得しているのか?」
月明かりすらない暗闇の中、エレナの言葉が空しく響き渡った。
「たぶん戦争ってそういうものです。戦争の当事者である貴族様の意向で僕たち下々の命は簡単に吹き飛んでしまいます。でも、戦争はおかしいと騒いでも戦争が止まることはありません。僕たちは死なないように生きなければならない。それが戦争の姿だと思います。」
僕の詭弁に近い言葉を最後にエレナからの返事はなかった。
なぜか分からないが、呼吸が荒い。
今日は眠れそうにもなかった。