第18話 ドッペルゲンガーとイケメン貴族
「何をしている?」
鋭く張り詰めた声が響いた。
王室へ続く通路の奥から青空のような長い髪をなびかせた男が向かってきた。端整な顔立ちに深海のような青い目をした男の燕尾服の肩には三つ星の勲章が飾られていた。
「おおっ!アルス・ベランジャ国務長官。ご機嫌麗しゅう。」
オストワルドは僕の肩を急に放して青髪の男の前にひざまずいた。その衝撃でよろけそうになる僕をジェフが肩を掴んで支えてくれた。
「危ないなぁ!」
僕は怒りを顕わにしてオストワルドを呼び止めた。しかし、オストワルドは僕のことを無視して青髪の男、アルスの前でごますりを続けていた。
「ご機嫌うるわしくはない。なぜか分かるかな?オストワルド男爵。」
「なぜでしょう?」
胸元から羊皮紙を取り出すオストワルドののっぽな身体が縦に揺れた。
アルスは抑揚のない声でしゃべり始めた。
「最近、厄介な問題を抱えていて困っているのだ。だが、その難題を片付ければ間違いなく勲章ものだ。ぜひ男爵に助力をいただきたい。」
「勲章ですか!賢者様の前で言うのも恐れ多いですが、ワタクシの明晰な頭脳をとくとご覧に入れましょう!ワタクシの生まれは商家ですが、大学はー……」
アルスは無言でオストワルドの口上を聞いていた。
「それで、その厄介な問題とは何でしょう?」
オストワルドの自慢話が終わって、アルスは大きく息を吐いた。
「最近、この王城に土地を押し売りする輩が徘徊しているらしい。」
「はへ?」
オストワルドから素っ頓狂な声が漏れた。
「城を訪れる貴族達から苦情が相次いで寄せられていてな。あの温厚で知られるマイヤー婦人も怒り心頭だ。」
アルスは静かにオストワルドの鼻先に指を突き付けた。
「オストワルド男爵。どこのどなたかご存じないかな?」
アルスの凍てつくような視線に思わず僕もたじろいだ。その視線をまともに浴びているオストワルドはすり足で後ろに下がっていく。
「あー……。申し訳ございません。アルス国務長官殿。ワタクシ、急用を思い出しましたので……」
白々しい言い訳を残すと、オストワルドは脱兎のごとく城門の方へ駆けていった。
逃げゆくオストワルドの背を見ていると、背後から声をかけられる。
「賢者エレナ様。お探ししておりました。」
振り向くとそこにはアルスが頭を下げて立っていた。
「拝金主義の成金貴族があなたにご迷惑をおかけしました。」
目頭が熱くなった。
僕の脳内で崩れ去った貴族のイメージがすぐに再構築されていった。こんな人がたくさんいれば戦争なんてすぐ終わるのにと嘆息を漏らした。
「そして、もう一つあなたに謝らなければならないのです。」
アルスはそっと顔を上げると僕の手を優しく取った。
「急遽、ガウス王に先客ができまして……一時間ほど待っていただけないでしょうか?」
僕は崩れ落ちそうになる。
呼び出しておいて待たされることになるとは思いも寄らなかった。
その様子を見ていたアルスが僕の手を力強く握った。
「本当ならあなたと……いえ、あなたに素敵な一時を過ごしてもらいたいのですが、私は資料を取りに書庫へ行かなければなりません。申し訳ないのですが、適当に時間をつぶしていただけないでしょうか?」
僕の手を握るアルスの力が強くなる。
なんで僕は男に自分の手を優しく握られているのだろう……
ひょっとして……と言う疑問を振り払い何とか言葉を見つけた。
「時間をつぶせそうな場所はどこかありますか?」
アルスはようやく僕の手を放して、あごを押さえて考え始めた。
そして、思いついたかのように人差し指を立てた。
「魔法研究所はいかがでしょう?所長があなたに会いたがっていましたよ。」
アルスの提案に僕は魔法研究所に向かうことにした。
この後、尋ねてもいないのにアルスは魔法研究所の行き方を優しく丁寧に教えてくれた。王城の入り口を出て西に向かえば良いらしい。こんな人格者が国務長官ならガウス王も安泰だろうと感心した。
「ありがとうございます!アルスさん!」
アルスにお礼を言って、僕はその場を後にした。
僕の背後からアルスの上機嫌な鼻唄がかすかに聞こえてきた。
僕の中の聡明で厳格な貴族のイメージに小さなヒビが入った。