第16話 ドッペルゲンガーの来城
次の日の朝、僕はまた椅子から転がり落ちて目を覚ました。
夜はすっかり明け、窓の外で小鳥がさえずっていた。
昨日の部屋着のまま部屋を出ると、昨日まで部屋の前で待機していたナターシャの姿はなかった。
幸い道順は覚えていたためリビングまでたどり着くことができた。
リビングの扉を開ける。
そこには、従者達がすでにいた。
いや、冷たすぎるだろ……
確かに、主ではない僕を待つ必要がないのは分かる。
だからと言って、起こしに来てくれても良いのではと心の中で愚痴った。
ジェフは僕が来るのを待ってくれていたようだが、カーサスはすでに食べ終えて部屋の隅で煙草を吹かしているし、セラはパンをわしづかみで頬張っている。ナターシャに至っては僕に一切顔をあわせてくれない。
誰も何も言ってくれないので、僕は空いている席に座りこっそりと朝食を食べ始めた。
僕がパンを一口入れたその時、ナターシャがテーブルを強く叩いた。
「やっぱり納得できないわ!」
そう言ってナターシャが僕をキッと睨み付ける。
今日初めて合わせた顔がいつもの可愛らしい顔ではなく、鬼のような形相であることが無性に悲しかった。
「アンタが!なんでお嬢様の席に座っているのよ!」
ナターシャが叫びながら頭をかきむしりテーブルの上に突っ伏した。
空いていた席がそこしかなかったからだけど……?
僕が彼女の豹変ぶりに戸惑っていると、ナターシャは徐ろに立ち上がった。
「やっぱり……私、お嬢様を探してくる!」
そして、食べかけのままリビングの扉に駆けていった。
すぐに諦めて帰ってくるに違いないし、朝ご飯を楽しもうとゆったりと腰掛けていたが、残った三人の従者が一斉に僕の方を凝視してくる。
三人の目がナターシャを止めてこいと訴えていた。
僕は無言の圧力と多数決に負けてナターシャの後を追いかけることにした。
昨晩と同じく、玄関前でナターシャを捕まえることができた。
女性ものの靴は履きにくく、どうしてもそこで時間がかかってしまう。
「触るな!近寄るな!気色悪い!」
涙声で罵詈雑言をナターシャから浴びせられるのが毎朝の定番になるかと思うと憂鬱になる。
彼女を諫めようとしたとき、大きなチャイムの音が鳴り響いた。
ナターシャがふてくされてお客さんを迎えに行こうとしないので、仕方がなく僕が玄関を出る。玄関を出た先にあるバラの庭園を抜けると、大きな鉄門の前に鎧を着た男が二人、馬車と共に待っていた。鎧の肩部分には太陽に浮かぶ獅子の紋章、ハイドランド王国の紋章が描かれていた。
二人の男の内の背が高い方が仰々しく叫んだ。
「エレナ・アレストラ殿!先日のシャロン号運休の件でガウス王がお呼びである!直ちに王城へお越しいただきたく、我らがはせ参じた!」
僕は再びジェフを連れて馬車に揺られていた。
向かっているのは昨日の駅とは真逆の方向、貴族街のさらに北に位置する王城だ。
「ついにこの時が来ましたな。」
ジェフはどこか楽しそうに僕を見つめる。
「昨日の勉強ははかどりましたかな?」
「知っていたんですか?」
「ええ。セラとの会話が随分と弾んでいたようで……。」
昨晩の話を盗み聞きしていたのかと僕は呆れてしまう。
「僕に法律の勉強は早かったようです。」
「まだ始まったばかりです。しかし、今日の件は大丈夫でしょう。」
ジェフの自信溢れる言葉に僕は首をかしげた。
「昨日の蒸気機関車の件ですよ。恐らく王はトロイに何か不具合が起きたのではないか危惧されて、賢者を呼んだのでしょう。ですから、あなたは昨日の出来事をそのまま話せばよろしいだけです。後は王の世間話に適当に相づちを打てばおしまいです。」
王様……ガウス・ハイランド王。田舎者の僕でもその名前は聞いたことがある有名人だ。
そんな有名人に急に会うとなって緊張しないわけがない。
まだ、馬車に乗ってほんの少ししか経っていないのに、僕の心臓の鼓動は早くなっていた。
突然、馬車が急に止まった。
「何かあったんですか?」
僕は思わず手綱を握る二人の兵士に話しかけた。二人の兵士は互いを見つめ合って頷くと、僕の方に振り向いた。
「賢者様。申し訳ございませんが、しばらく姿勢を低くして外から姿を見られないようにしてください。」
兵士達の言葉に僕たちは馬車の中でしゃがんだ。
外で何が起きているのは分からないが、大勢の人の声が聞こえる。
魔法反対だとか、トロイの研究を止めろとか、そんな言葉だけが聞こえてくる。
「すみません!通してください!」
手綱を握った兵士二人の怒号が聞こえる。興奮した馬がいななく声とそれを宥める二人の兵士の焦る声が聞こえる。
「城門開けろ!」
「おい!そこの奴!勝手に城の中に入ろうとするな!」
野太い兵士達の声に混じって城門を開こうときしむ歯車の音がする。
「城門を閉めろ!」
ガリガリと大きな音を立てた後、重い城門が閉じられる音がする。
「お二方、もう顔を上げても良いですよ。王城に到着しました。」
兵士の穏やかな声に僕は恐る恐る頭を上げた。
噴水の奥に一際大きな白い壁に青い屋根の王城がそびえ立っていた。獅子を象った旗が道に沿って幾重にも並び、風に揺られて激しくはためいていた。
「先ほどの騒ぎは一体なんですかな?」
ジェフが兵士達に尋ねる。兵士達は困った顔をして答えた。
「マリア教の信者達の抗議活動です。俺たち無宗教にはさっぱり分かりませんが、宗教の原始回帰を目指せとかトロイを捨てろとか訴えている奴らです。教皇の世代交代で最近は活動が盛んになっているから注意するよう団長からも言われています。」
もう一方の背の高い兵士はお手上げのポーズを取って鼻で笑っておどけていた。
「賢者様って神様とか信じていたりするんですか?」
兵士の質問に僕は思わず戸惑ってしまう。
行方不明者の捜索を打ち切る赤紙が王国から届いた日、僕は確かに神様を恨んだ。
それは神様というものを信じていることになるのだろうか……?
「分かりません……。」
僕は当たり障りのない答えを二人に返した。その言葉に兵士達は特に反応することはなかった。
僕はここまで送ってくれた兵士達にお礼の言葉を言うと、足早に馬車を降り立った。