第13話 ドッペルゲンガーの私怨
「アタシに成り代わるのを断っても良いよ。」
エレナの提案に僕は喫驚した。
「エレナお嬢様。よろしいのですか?」
ジェフが慌てた様子でエレナに尋ねていた。
「私には無理強いをさせることはできないよ。ジェフ。」
エレナの手が僕の手と重なり合う。
「ラミィがどうしたいか今ここで決めて。」
賢者の偽物という重責から逃げても良い……。
僕の判断で人が一喜一憂する様を見なくてもいい……。
甘い誘惑に僕の心が揺れ動く。
「でも、アタシとしては君がアタシの代わりをしてくれたら嬉しい。君は一度引き受けようと思ったのだから、アタシも期待しても良いよね?」
エレナの言葉に僕は彼女の目的を思い出していた。
戦争を長引かせている黒幕の正体を暴いて、戦争を終結させる。
それが彼女の、賢者の目的だ。
なぜ僕は彼女の目的に賛同して賢者になりすましたのか?
その答えに気づいた僕はつくづく賢者とはほど遠い人間だと実感した。
「エレナさん。いくつか質問しても良いですか?」
エレナは静かに頷いた。
「戦争を長引かせる、戦争が続いてほしいと望む黒幕がいるのは確かですか?」
「賢者である私はそう推測している。」
エレナの淀みのない言葉を聞いて本当に黒幕はいるのだろうと僕は確信する。
次の質問だ。
「もし黒幕が捕まった場合、その黒幕はどうなりますか?」
「……その黒幕次第ね。」
エレナは言葉を選ぶように慎重に語り始めた。
「まず……黒幕が所属する国の法律で裁きを受けることになる。ハイドランド王国の場合、国家反逆罪で死罪になるだろう。エスタニア公国でも……基本は同じだろう。」
エレナは更に言葉を続ける。
「しかし、黒幕が国家の要職に就いていた場合……例えば、その黒幕がいなくなることで国政が混乱するような場合、国家の安寧を優先した方法で処罰されることになる。」
エレナが黒幕として疑っているのは貴族などの上流階級の人間ということだろう。
「それは……黒幕が罪に問われず生き続ける可能性があると言うことですか?」
僕の指摘にエレナは無言で首を縦に振った。
「もちろん、無罪放免にさせるつもりはない。賢者として糾弾していくつもり。」
「僕がその黒幕に裁きを与えても良いですか?」
僕が賢者に成り代わることを協力した理由……それは許せないと言うただの私怨だ。
戦争が当たり前の時代に生きていて、戦争で大事な人が死んでしまうのは仕方がないと僕は諦めていた。疫病と同じようなものと思っていた。
ギルドに腐るほどいる元戦争孤児や元奴隷を見ている内に、戦争だから仕方がないと僕の身に降りかかった出来事を受け入れるようになった。
しかし、戦争に黒幕がいるとジェフから聞かされたあの時、僕はその黒幕が許せなかった。
仕方がないと言い訳して両親や故郷の仲間を探すのを諦めた僕自身よりもその黒幕が許せなかった。
戦争だからと諦めてばかりだった自分を棚に上げて、戦争を長引かせている黒幕のことを許せなくなっていた。随分と賢者らしからぬ身勝手な話だ。
それでも……僕はその黒幕に一矢報いたいと思った。
「駄目。私刑は認められない。」
エレナからの返答はいかにも賢者らしい模範解答だった。
「それに戦争に関わった奴が憎いというのならアタシも同罪よ。国を守るためという名目はあるけれど、戦争に関わっているのは事実だしね。」
反論の余地もない正論だった。
「アタシを裁いてからにして。」
エレナは立ち上がって僕の方を振り向くと、何の抵抗もできませんと言わんばかりに両腕を広げてみせた。エレナの行動にジェフは固唾をのんで僕たちの行く末を見守っていた。
「冗談ですよ……。賢者様の前で犯罪をする宣言なんてしませんよ」
僕は深いため息を吐いた。
裁けるわけがない。
エレナの意見は絶対的に正しいのだから……。
僕はどうやら僕自身が抱え込んでいる歪んだ私怨を認めざるを得ないようだ。
「ばれなければ犯罪じゃないという言い訳はアタシに通用しないからね。」
エレナは僕の思考を見透かしたかのように釘を刺した。
「それで、ラミィの質問はもう終わりかな?」
「はい。僕の答えは……」
僕の答えを聞いたエレナは静かに頷くと窓の桟に足をかけた。
出て行く間際エレナは僕の方を振り向くと、にかりと笑ってその場を後にした。
「よろしかったのですかな?」
エレナを見送った僕の後ろからジェフが声をかける。
僕は振り向いて笑顔で答えた。
「もう少し頑張ってみることにします。」
「まさか、お嬢様が忠告されたように私刑を考えているわけではないでしょうな?」
「とんでもない。この国のためだよ。」
エレナより先に戦争の黒幕を見つけ出す。
何の力も持たない僕の意地だった。
愚か者は正論では動かないんだよ……
僕は心の中で呟いた。