第12話 ドッペルゲンガーの反省
目の前に真っ白な天蓋が広がった。
そう言えば、あの後僕は気を失ったんだっけ……
柔らかいベッドに体を沈めて耽っていると、見知った顔が僕を覗き込んだ。
「どうしてあなたがいるんですか?エレナさん?」
僕の古着を身に纏って、僕と姿形そっくりな賢者エレナがにんまりとほほえみを浮かべて僕を見つめていた。
「もちろん!私の家だからね!」
答えになっていない返事を聞いて僕は体を起こした。
「それは冗談で、ラミィがちゃんとアタシの代わりができるか今まで観察させてもらっていたのよ。」
陽気に答えるエレナの傍らでジェフが飲み物の準備をしていた。
「お目覚めになりましたかな?ラミィ様。ココアでも飲んで一息ついてください。」
ジェフから手渡されたココアをすすると、肩の力がすっと抜けて開放感に包まれる。
「ジェフ。アタシの分はないのかい?」
「エレナお嬢様。アタシではなくワタクシですよ。」
「いいだろ?アタシの家なんだから。」
「日頃の口癖は気をつけておかないと肝心な時に出てしまいますよ。」
二人のほのぼのとした会話を聞いていて僕はなぜか疎外感を感じていた。
長い主従関係の二人が和気藹々としているのは至極当然のことだが、どこか納得がいかない。
蒸気機関車が動かなくなるという一大事をジェフと二人で解決したという経験程度では二人の絆に遠く及ばないと言うことだろう。
当たり前のことなのに何を嫉妬しているのだろうか?
僕はココアをすすった。
「ちゃんと見ていたぜ。ラミィ。バシッと解決した姿はいかにも賢者様って感じ!」
エレナがピースサインをして僕に微笑みかける。
ココアを飲んで頭がすっきりした僕は頭に浮かんだ疑問をエレナにぶつけた。
「……と言うか、エレナさんはそのしゃべり方が素なんですね。」
「今さらその話をするんだ……。アタシは外では賢者様だもん。貴族とか王族との付き合いになると、体裁とか、威厳とか……とにかく煩わしいのよ。」
「まさかとは思いますが、賢者としての付き合いが嫌になって僕に押しつけたいとか思ってないですよね?」
僕の指摘にエレナの目が窓の外に反れた。僕とジェフが呆れた眼差しでエレナを見つめると、
「そんなことあるわけないじゃん!戦争を止める目的のためなのは変わらないよ!」
とエレナは首を横に激しく振って否定した。
「でもさ!ラミィ!思った以上にアタシに成りすませているよ。」
一見すると僕を褒めているように聞こえる台詞だが、単に僕をおだてているに過ぎない。
「あなたが答えをくれたおかげです。」
しらけきった僕の視線に気づいてエレナは頬を掻いた。
「小石が宙に浮かんで配管にぶつかるなんてあり得ないでしょう。賢者様が得意とする土魔法でも使わない限りは……」
「ばれていたか……。」
エレナは小さくため息をついた。
「でも、アタシが答えにたどり着いたのはラミィ、君のおかげだよ。」
心当たりがない僕はジェフの顔を見ると、ジェフと目が合った。ジェフも心当たりがないようで首をかしげていた。
「車掌に蒸気機関車を案内してもらっていたよね?あの会話で蒸気機関車の仕組みが分かったから答えにたどり着けたのよ。」
「それは僕のおかげではなくて、車掌さんのおかげですよね?」
僕の反論にエレナは首を横に振った。
「もしもアタシだったら、車掌に話しかけられることはなかった。あの場で佇んで、自分一人で思考して、自分一人で正解を導いていただろうね。」
専門外のことでも自分一人で解決できると言い張る胆力はさすが賢者だと僕は感服する。
それと同時に、僕は良くないことを思う。
一度決めたことを反故にする……
やってはいけないと分かっていながらも僕は無意識のうちにそれを声に出していた。
「僕にあなたの代わりは務まりません。」
エレナの部屋にしばらくの沈黙が訪れる。
「どうして?」
エレナが口火を切った。僕は今朝の出来事を振り返りながら喋った。
「見ていたなら分かるでしょう?あの時、僕はパニックになっていました。」
「僕の間違った指示のせいで魔法研究所の職員の方が一人倒れてしまいました。」
「僕が早く気づかなかったせいで多くの乗客が楽しい旅行を断念する羽目になりました。」
次から次へと僕のふがいないところが出てくる。
何一つ賢者らしいことはしていない。
二人とも僕の至らなかった点をただ黙って聞いていた。
僕が話し終えると、エレナはベッドに腰掛けて僕の方へと近寄った。
そして、僕の頬を引っ張った。
「何するんですか!」
頬がひりひりする。
「一人で気負いすぎ。」
エレナがにこりと微笑む。その微笑みに僕の心臓の鼓動は早くなっていた。
自分と同じ顔をした女性に心を揺さぶられる僕は相当精神が参っているのかもしれない。
「君はアタシじゃない。できないことがあるなら周りに助けを求めても構わない。」
「助けを求めても良いんですか?」
思いがけない言葉に僕はエレナに聞き直していた。
「お嬢様。失礼ですが、それは賢者でないと正体を明かすことになりませんか?」
ジェフの言い分はもっともだ。
しかし、エレナは首を横に振った。
「君なら分かると思うけど、皆が賢者に依存しすぎだと思うよね。」
僕は静かに頷く。その過度な依存のせいで倒れてしまったのだから良く理解できる。
「でも、それじゃあいつまで経っても国は発展しないと思う。アタシだって永遠に生き続けて助言することはできないからね。」
「でも、国の要人である賢者様がいなくなったと噂が広がったら、国中に混乱が起こるんじゃないですか?」
僕の指摘にジェフが頷く。
エレナが心配していなくても、賢者不在で心配する人が大勢いるのは確かだ。
「正体を明かす人を決めるのは君に任せるよ。君には賢者なんかいなくても国はやっていけることを証明してもらいたいんだ。」
エレナの情熱を帯びた眼差しに僕は思わずたじろいだ。
「それに!初めてのことで失敗するのは当たり前よ!賢者と呼ばれるアタシでもそれは例外じゃない。」
「まさか……。賢者様でも失敗するんですか?」
「初めてエストニア公国と戦争に軍師として参加した時、王国騎士団の兵士が258人亡くなったよ。アタシの判断ミスで……」
悄然とした様子の賢者が話す失敗談に僕は戦慄する。
王国の知恵袋である賢者は王国の政治に助言をする。言い換えれば、王国の戦争にも意見しないといけない。
……兵士の生死を分かつ決断を求められる可能性がある。
黙り込んで考え出した僕を見てエレナが提案した。
「アタシに成り代わるのを断っても良いよ。」