第1話 ドッペルゲンガーとの出会い
鬱蒼と茂る森の中を歩いていた。
流れ星のように降り注ぐ火の玉が一人の女性を明るく照らす。
その女性は脇腹をおさえて木にもたれかかっていた。
脇腹から溢れ出る血がスカートを赤く染め上げていた。
苦痛に呻く声を聞いて僕は女性の元へ駆け寄った。
空を流れる炎の明滅が女性の顔に大きな陰を作った。
僕は顔が見えない女性の脇腹を押さえた。
必死に……
がむしゃらに……
血が噴水のように勢いよく飛び散った。
噴き出る血に僕は思わず目を細めた。
諦めたくない……
僕は顔にへばりつく血のことを忘れて止血を続けた。
池のような血だまりに目もくれず……
火の玉の閃光が女性の顔をはっきりと映し出した。
「お……さん」
僕と同じ黒い髪は返り血ですっかり赤く染まっていた。長く垂れ下がった髪の隙間から僕と同じ茶色の瞳がこわばる僕を捉えていた。
「無能。」
その声は僕にとって聞き覚えのある声だった。
「役立たず。」
……亡くなった僕の母の声だ。
「お……さん」
いつの間にか僕は母さんからも罵倒されるようになってしまった。
「ごめんなさい……」
僕は口癖になってしまった言葉で血を流す母さんに許しを乞うていた。
「お客さん!」
大きな怒鳴り声で僕は目を覚ました。
真っ黒な帽子を被った恰幅の良い男が心配そうな顔で僕を見下ろしていた。
「お客さん。何かうなされていたみたいですけど大丈夫ですか?」
「そうか……。夢だったんだ……。よかった……。」
僕はそっと胸をなで下ろした。その様子をうかがっていた男は咳を払った。
「お客さん、終着駅のハイドランド王国の王都ハイドラトラですよ。お降りの際は忘れ物にお気をつけください。」
僕はソファーから飛び上がった。
「えっ!もう王都に着いたんですか!全然景色とか見てないのに!」
「お客さん……、困りますよ。今からこの蒸気機関車は燃料補給で車庫に入りますので、次のご乗車の機会に!」
「そんなぁ……!そこを何とか……!」
すがりついた僕を車掌は呆れた顔で見下ろしていた。
その表情に僕は慌てて辺りを見渡した。
旅路を少し贅沢にしようと選んだ最も料金の安い小さな相部屋だ。二段ベッドの上で算盤をはじいていた商人の男はすでに下車した後のようだ。そのベッドの脇に置いてある僕の鞄から魔法書や包帯が転がり落ちていた。後ろを振り向くと、その先にある車窓から沈みかけた西日が差し込んでいた。
僕はその西日で全てを察した。
「すみません……。今すぐ降ります……。」
僕は車掌に謝ると床に散らばった薬草図鑑を鞄の中にせっせと詰めた。
「お客さん。気にしないでください。」
車掌はゆっくりと腰を下ろすとソファーの下に手を伸ばした。
「よくいるんですよ。寝過ごして慌てて降りてしまってそのまま忘れ物する人。」
車掌は立ち上がると、鞄を背負い終えた僕に消毒液を手渡してくれた。
「今日はもう遅いです。市場の広場を北へと通り抜けた先に「ト・アル」って言う小さな宿屋があります。そこに泊まると良いでしょう。」
「ありがとうございます。」
「いえいえ……。案内するのも私の仕事ですから。」
僕は車掌さんに深々と頭を下げて、何度もお礼と謝罪の言葉を述べながら蒸気機関車を降りた。
レンガ造りの駅の構内にはすでに誰もいなかった。僕が降りるのを見計らって蒸気機関車が唸るように白い煙を上げた。奥に見える車庫の方にゆっくりと入っていく機関車を見送って、僕は駅を後にした。
僕は王都ハイドラトラに降り立った。
ハイドランド王国で最も大きな城下町は今も尚、繁栄を続けている。僕が生まれた頃、ハイランド王国は小さな国だったが、ここ数十年で劇的な進歩を遂げてきた。
その要因はエネルギーを生み出す魔法鉱石「トロイ」の発見だ。人間が潜在的に持っているとされる魔力を注ぎ込むことでエネルギーを生み出す鉱石―――それがトロイだ。南部のペテルゼウス山脈で採掘されてから、夜の町には常に明かりが灯り、火をおこす吹い子の仕事がなくなり、蒸気機関車が王都と町をつなぐようになる等々、たくさんの大きな変化があった。
「市場の広場から北に向かうんだよね……。」
駅前はT字路になっており、その通りを大小様々な馬車が通り過ぎていく。レンガ造りの建物が規則正しく建ち並んでおり、市場らしきものも道案内の看板も見つけることはできなかった。
僕は駅前の広場で馬の毛繕いをしている中年の男に道を尋ねた。
「あの……すみません。市場はどちらにありますか?」
「セイント市場ね。銀貨三枚で乗せていくよ。」
その男は笑顔で馬車の扉を片手で開けた。
しかし、今日の宿泊代を考えると銀貨三枚は少しもったいない。
「道を教えてくれませんか?」
男は馬車の扉を乱暴に閉めて、口を真一文字に閉めて腕組みをして空を見上げた。僕はため息をついて、鞄の中から銅貨を五枚取りだした。
「これで道を教えてくれませんか?」
男はにやりと笑って銅貨をふんだくると市場への道を話し始めた。
受けた説明の通りに道を進んでいくと、目の前に市場が広がった。
駅からは思った以上に近かった。銅貨を支払ったことが悔やまれるが、過去を振り返っても仕方がない。
夕刻時の果物売り場には値踏みする主婦で溢れかえり、装飾品を売り込む商人達がその群がりに向かって声をかけていた。
「そこの兄ちゃん!魔力増強効果のあるアクセサリー買っていきな!」
いかにもうさんくさそうな商人がかけてくる声を無視して僕は市場に足を踏み入れた。
不意に後ろから声をかけられた。
「動くな……。」
低く、くぐもった男の声だ。
肩越しに後ろを見ると、黒いフードで顔を覆った細身の男が鋭く尖ったナイフを背中に押し当てていた。
「我々についてきてもらおうか。」
物盗りと直感した。言うとおりにしたら身ぐるみを根こそぎ奪われるのは明らかだ。
「僕はただの貧乏な旅人です。何も持っていないですよ。」
「白々しい嘘をつくな。」
嘘を言ったつもりはないし、お金を持っていそうな風貌じゃないだろうと心の中で叫んだ。どうやら狙った獲物を逃がすつもりはないらしい。
「あんたたち、馬車のお通りだよ!どいた!どいた!」
僕の背後から馬車に乗った商人が非難の声に押し当てているナイフが微かに揺れるのを感じた。
僕は男の動揺を見逃さない。
左肩をかすめるように通り過ぎる馬車から垂れ下がる荷台の紐を僕は掴んだ。
「なに……!」
フードを被った男の戸惑いの声が遙か後方から聞こえた。
荷台によじ登って後ろを振り向いた。男の姿がどんどん小さくなっていくのを確認すると、ひと息ついた。
その瞬間、頬に焼ける痛みが走った。
頬に手を添えると薄く血がついていた。出血量からして頬に浅い切り傷がついたようだ。
荷台の方に視線を下ろすと、そこには短刀が深く刺さっていた。
上を見上げると、屋根伝いにこちらに向かって走ってくる影がいくつも見えた。
「嘘でしょ……」
唖然としていたその時、馬車が急に左に曲がった。
僕はその勢いのままに道に投げ出されてしまった。
慌てて体を起こした視線の先に市場の人混みに紛れて黒い影が迫り来ていた。
「逃げないと……!」
擦り傷であちこち痛む体に鞭を打ち、僕は駆けだした。
市場の人混みをかき分けて走り抜ける。ぶつかる度に聞こえる商人の野太い怒号や貴婦人の短い悲鳴を無視してとにかく走った。
後ろを振り向くと屋根伝いを走る黒い影はすでになくなり、市場をすり抜けるように疾走する黒い影と合流していた。逃がした獲物を執拗に追いかける姿に首筋から冷や汗が噴き出していた。
その恐怖を振り払うように僕は前を向いた。僕の右手から大きな馬車が迫っていた。
僕は馬車の前に飛び込んだ。
突然飛び出してきた僕に驚いた馬はその体躯を大きくかかげていなないた。
「馬鹿野郎!おらの商品に傷がついたらどうすんだ!」
「すいません!」
僕は大声で商人に謝ると勢いそのままに駆けだした。
道を右に折れるとすぐ側にあった路地裏に飛び込んだ。
物陰にしゃがんで息を潜めた。荒れた息が漏れないように手で押さえる。外に漏れ聞こえているのではないかと疑うほど心臓の音が大きくなっていた。
永遠とも思えるような時が流れた。市場の喧噪だけが辺りに響き渡る。
この路地裏に踏み込んでくる足音は聞こえてこなかった。
僕はため息を吐いてその場に倒れ込んだ。
どうやらあの馬車が僕と追跡者との間に壁を作ってくれたようだ。
一か八かで飛び込んだ決断が功を奏したらしい。
「都会は怖いなぁ……」
起き上がると僕は鞄の中身を確認した。幸いにも、落としたり盗られたりした物はなかった。
その時、消え入りそうなか細い息の音が耳に入った。
「誰かいるんですか?」
息の音が聞こえる路地裏の奥を覗き込んだ。しかし、無造作に木箱が置かれた薄暗い路地裏に人の姿は見あたらなかった。
僕は恐る恐る息の音がする方へ近づいた。
乱雑に積まれた木箱の陰を覗き込んだ。
僕は思わず息を飲んだ。
体のラインを見せるかのような窮屈な紫の服の脇腹部分から血がしたたり落ちていた。
その人の黒髪の隙間から今にも閉じてしまいそうな茶色の瞳が僕を見つめていた。
「追っ手か……」
かすれたその声に聞き覚えがあった。
……僕と同じ髪
……僕と同じ目
……僕と同じ声
僕と瓜二つの容姿。
僕のドッペルゲンガーとの遭遇であった。
作者のきらりららと申します。
初投稿になります。
拙い文章で読みにくいかもしれませんが、
気楽に読める物語を目指していきたいです。
温かい目で読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。