遠い昔
楽しんで戴けたら嬉しいです。
「アンジー、完璧だ」
彼の名前はニック。
ワタシを造ってくれる人形師。
一週間掛かってワタシの右足が今日やっとできて、これでやっと両脚が揃って立つ事ができた。
ニックは裸のワタシを立たせると言った。
「キミに似合うドレスを買わないとね
実は眼のやり場に困ってた」
ニックは笑った。
次の日ニックはワタシに綺麗な薄いピンクのドレスを買って着せてくれて、髪を丁寧にとかして結い上げてくれた。
「素敵だよ、アンジー
何処に出しても恥ずかしく無いレディーだ」
嬉しい。
それから何人かの人がワタシを譲って欲しいと言って来たけれど、ニックは決して手放そうとはしなかった。
ニックは人形を造りながら、よくワタシに話し掛けてくれた。
だからワタシは退屈する事無く、色々な知識を得る事ができた。
ニックは美しい青年で腕のいい人形師だったから、恋人も引く手あまただったに違い無い。
なのに、ニックは生涯独身だった。
時は無情に流れて、ニックは気付けば老人になっていた。
ベッドで横になって休む日が頻繁になって、ニックはある日横たわったまま言った。
「アンジー、驚く告白をしよう
ずっとキミに恋をしていた
可笑しいだろう?
でも、事実なんだ……………………………
さようなら、アンジー…………………………
今まで有り難う………………………」
ニックは静かに眼を閉じ、涙を流して息を引き取った。
窓から見える月がとてもキレイな夜だった。
ニック、ワタシもアナタに伝えたい事があったのに…………。
哀しい。
ワタシは何年もの間、人の手を渡り歩いて一人の若者の手に行き着いた。
彼の名前はジェレミー。
ひと眼見ただけでワタシには解った。
ジェレミーはニックだ。
ジェレミーは詩人だった。
よく新作の愛の詩をワタシに聞かせてくれたものだった。
ある日、ジェレミーは言った。
総ての愛の詩はワタシに捧げられたものなのだと…………。
その言葉を聞いた時、ワタシの胸は躍った。
でも、ジェレミーも生涯独身を通し、ワタシの眼の前で老いて行き、孤独に眼をおとした。
ワタシは死に逝くジェレミーの手を握ってあげる事すらできなかった。
ワタシは深い哀しみを知った。
ワタシはまた、何年も人の手を渡り歩く事になった。
不思議な事に何度もニックに巡り逢い、何度もニックと報われる事の無い恋に落ちた。
違う名前のニックに巡り逢うけど、決して交じり合う事無く、死と云う別れを迎え、深く哀しまなければならなかった。
交じり合う事の無い恋はニックに孤独な死を繰り返させる。
孤独で死んで逝くニックを見るのは余りに辛い。
どうして愛し合っているのに、言葉すら交わす事ができないの?
死に逝く恋人の手を握ってあげる事さえできない。
それはワタシが人形だから。
耐えかねたワタシは必死で忘れようとした。
忘れる事でワタシは、触れる事のできない恋人との別れの哀しみから救われたかった…………………………。
ずっと忘れていた………………。
遠い昔、そんな事が在った。
どうして、ニックの事を今頃思い出したんだろう?
気付くと京介は人形のワタシを抱き締めていた。
いつか京介も老いて逝ってしまう。
そうしたらまた、ワタシは京介を失った深い哀しみに耐えなければならないんだ。
置いて逝かれるのは、もう嫌。
愛が深くなれば深くなるほど、哀しみも深くて辛い。
京介が言う。
「ミューズ聞いて
ミューズが笑い掛けてくれないとオレは生きている意味を失う
ミューズがここに来るまで、オレは味気無い毎日にうんざりしていたんだ
ミューズを描こうと思い着いた時、ミューズを中心に総てが色彩を帯びて輝き始めた
ミューズと過ごす時間が楽しくて………………
本当に、楽しくて楽しくて一秒だってミューズと離れていたくなかったんだ」
それはワタシも同じ。
京介と過ごす時間はいつも喜びでいっぱいで、京介と一秒だって離れていたく無い。
「ミューズが人形のままでいたいって言うなら、それでも構わないよ
でも、オレはミューズが人形のままでも愛し続ける
死ぬまでずっと…………………」
ワタシはどうすればいいの?
京介とは離れたく無い。
でも、京介の為にワタシは何もできない。
このまま人形でいたら、ニックの様に京介は一人ぼっちで死んで逝くの?
それは嫌だ。
人形のままでいたら京介の為に涙さえ流す事ができない。
死に逝く京介の手を握ることさえも。
京介はワタシから身体を離すと言った。
「ミューズ、戻って来てはくれないの?
残念だよ…………………」
京介は俯くと背中をこちらに向けて行こうとした。
待って!
京介、待って!
どうしたらいいの?
ワタシも同じなの!
京介と同じ気持ちなの!
京介が大切だから何もできない自分が許せなかった。
どうしていいか解らなくて、京介に八つ当たりしただけだった。
ごめんなさい、京介。
待って!
京介の手がドアのノブを握る。
月明かりが今までに無いくらい輝きを増して、強い光になってワタシを包んだ。
「待って、京介! 」
京介の動きが止まった。
「ごめんなさい…………………………」
京介の背中が細かく震えている。
「みゅうーずうー……………………」
「え? 」
京介がゆっくり振り返る。
振り返った顔が笑ってる。
「全く
へそを曲げるのもいいけど人形になっちゃうのは反則だよ
もう戻ってくれないかもとか思って、凄く焦ったんだからね」
「京介? 」
「こう云う態度に出たら、きっとミューズは戻ってくれるんじゃないかなーって思ったんだ
大成功! 」
京介は両手で親指を立てた。
「京介の莫迦!! 」
ワタシは京介の傍に駆け寄って京介の胸を握った両手で叩いた。
「酷いーーっ!
京介を傷付けたんだって思って、とっても心配したのに! 」
「ミューズが頑固だからだろ」
ワタシは京介を見上げて睨んだ。
そして気付いた。
「ニック…………………………」
「聞き捨てならないな
ニックって誰? 」
「京介のずっとずっと前の名前
ニックがワタシを造った
ずっとずっと昔から何度も巡り逢っては恋をして来たの
でも、ずっとずっと報われる事は無かった
そして、京介に巡り逢った」
京介はワタシの顔を見詰めて言った。
「オレは何度も生まれ変わってはミューズに恋をしてきたんだ」
それからワタシと京介はいつもの様に寝台に座って色々話した。
ニックの事や、ワタシが京介の為にできる事や、時間の事を。
「まあ、差し詰めミューズにはお料理を頑張って貰おうかな」
「京介の意地悪う」
ワタシは口を尖らせた。
「それとね、夜はミューズの膝枕で寝たいな」
「うん」
ワタシは笑って答えた。
「え、いいのお?
脚痛くなるよ」
「そうなの?
じゃあ、痛くなったら京介の頭放る」
「ええ?
それじゃ、オレが余りにも可哀想でしょ」
京介はふと俯いて言った。
「月はずっとオレたちを見ていてくれていたのかな? 」
京介とワタシは窓から見える月を暫くの間眺めた。
月を見ながら、いつか別れの時が来たら京介の手を握ってあげられる倖せに感謝しようと思った。
それから、なんだかんだと話している内に、すっかりお陽様が出ている事に気付くのは、もう暫く後のこと。
fin
最後まで読んで下さり有り難うございました。
面白かったと思って戴けたら倖せです。
ストーリーを組み立てるのは楽しくて大好きなのですが、久し振りの作業だったので、上手く行ってくれてるといいのですが。
こうして書いて、読んで下さる方がいるのは本当に倖せな事だなあとしみじみ思います。
皆様良いお年をお迎え下さい。
来年も、もし良ければ宜しくお願いします。
m(_ _)m




