青年
楽しんで読んで戴けたら嬉しいです。
ワタシは年老いた人形師の仕事場に沢山の人形たちと一緒に置かれていた。
周りの人形たちよりもワタシは大きくて、人形師とあまり変わらない大きさで、他の人形たちとは違って球体関節で好きなポーズを取ることができた。
ワタシが年老いた人形師に作られたかは解らない。
ワタシは人形、沢山の事は記憶できない。
この仕事場の小さな窓から夜になると月が見える時がある。
それだけが、たった一つの外からの情報。
或る日、年老いた人形師は酷い咳をして血を吐いて倒れ、朱い服を着た二、三人の男たちに連れて行かれた。
それから、何日も彼は仕事場に現れる事無く、埃が積もるほど長い時が流れた。
或る日、男が二人訪れた。
一人は人形師が居た頃に何度か見た事があった。
もう一人は髪がボサボサの若い青年である。
青年は人形たちを一人ずつ見て回り、ワタシの前に来ると、じっとワタシの顔を見詰めた。
澄んだキレイな眼をしていた。
ボサボサの髪をしていても、美しい目鼻立ちは隠し切れない。
ワタシの胸がツンと痛んだ。
青年は、そっとワタシの脇に手を差し入れると静かに持ち上げ、雑多な部屋の少し広くなった場所に置いた。
そしてワタシが着ているドレスに付いた埃を軽く手で落として言った。
「これにするよ」
「ああ、大事にしてやってくれ」
「解った」
青年はワタシを両手でお姫様の様に抱き抱えると仕事場を出た。
細い廊下を、ワタシを抱き抱えたまま歩いて、外へ出た。
光がそこいらじゅうを支配していて建物がいっぱい。
ワタシは外の世界に眼を奪われた。
青年は四つの黒い車輪を付けた小さな部屋にワタシを入れて座らせた。
タンと云う音がしてドアが閉じた。
彼は部屋の反対側のドアを開けて入って来た。
そして前の椅子に座る男に何か言った。
部屋が動き出して、とても早く外の世界が流れ始めた。
小さな部屋が沢山動いている。
とても驚いたけど、ワタシは人形なので総ての状況において無表情。
やがて建物は減って、緑が溢れた。
少しして一軒の建物の前で止まった。
ワタシは小さな部屋から降ろされて、建物の中に運ばれた。
青年はワタシをお姫様の様に抱き抱えたまま、すぐ横のドアを開いた。
広い部屋が開けた。
凄く大きな窓と、中くらいの窓が二つ在って人形師の仕事場とは比べ物にならないくらい光に溢れていた。
入口の傍に寝台が一つ。
後は沢山の絵がそこいらじゅうに立て掛けてあって、描きかけの大きなカンバスが中央に立て掛けてあったので、青年がとても絵を描くのが好きなのは直ぐに解った。
青年はワタシを抱いたまま部屋を一回り見渡し、一番大きな窓に立て掛けてあった絵を片付けてワタシを置くと、絵を描く道具を持って、ワタシを振り返りもせず出掛けてしまった。
陽の光が消えて、部屋が暗く沈んでしまい、月明かりがワタシの影を左から右へと移動させた頃、青年はフラフラと帰って来た。
青年は部屋の照明も点けず寝台に腰掛け、タバコを一本吸うと寝台に横たわり眠ってしまった。
朝陽が昇って随分な時が経った頃、青年は眼を覚まして起き上がり、タバコを一本吸うと部屋を出て、暫くするとずぶ濡れの素っ裸で部屋に戻って来た。
レディーの前で戴けない格好と思ったけど青年はお構い無しに、タオルで身体を拭くと身支度をして、絵を描く道具を持ち出掛けてしまった。
青年の日常は、いつもこんな感じで、お昼近くに起きて絵描き道具を持って出掛け、夜中に酔っぱらって帰って来て、タバコを一本吸って寝台で眠る。
月明かりがワタシを照らす部屋で、ワタシは一日に一度だけでいいからワタシを見て欲しいと思った。
月明かりが少しずつ弱り始めた次の日のお昼頃、青年は起きたけど今日は出掛けなかった。
夕べ持って帰った小さな袋から何かを取り出して食べると青年は大きなカンバスの前に立って黒い棒で真剣な顔をして描き始めた。
その真剣な横顔はとでも美しくてワタシはいつまでも見ていたいと思った。
でも青年は少し描いただけでカンバスをぐしゃぐしゃに塗り潰すと出掛けてしまった。
その日の夜中、青年は酷く酔って帰って、タバコも吸わずに眠ってしまった。
ワタシはそっと彼に触れたいと思った。
青年は今日も昼頃起きると絵を描く道具を持って出掛けて行った。
取り残されたワタシはとても退屈だった。
雑多に置かれたあの絵たちをワタシは見てみたい。
青年がどんな絵を描いているのか知りたい。
手足が動けばいいのに……………………。
夜中、青年が帰って来ると嬉しい。
でも、出掛けると淋しい。
寝台に横たわる青年の寝顔を見られたらいいのに。
そしたら青年が出掛けた後、寝顔を思い浮かべて淋しさを紛らわせられるのに。
青年は月明かりが少しずつ強くなった次のお昼に起きると寝台に座ったまま、ぐしゃぐしゃに塗り潰したカンバスをいつまでも見詰めていた。
ノロノロと立ち上がると着替えて部屋を出て行った。
暫くして何かを持って帰って来るとカンバスの前に立ち、その持って帰って来た物で塗り潰した処を消し始めた。
それからまた黒い棒を持って、真剣な顔をして描き始めた。
けれど青年は暫く描いていたが、突然絵描き道具が載った小さなテーブルからナイフを握るとカンバスを切り裂いてしまった。
青年はその場に座り込み、床に手をついて項垂れたまま、いつまでもそうしていた。
人はこんな時、どうやって人を癒すのだろう?
ワタシにそれができればいいのに。
ワタシは哀しかった。
ずっと項垂れていた青年はおもむろに顔を上げて何気なくワタシを見た。
それから暫くワタシを見詰めた。
ワタシは恥ずかしくなった。
青年は立ち上がると、ワタシを見詰めたままワタシに近付いて来た。
そして息がかかるほど顔を近付けて、指先でワタシの頬に触れた。
ワタシは恥ずかしくて顔が爆発しそうだった。
青年は急に思い立った様にスケッチブックを持って来ると、とても真剣な表情でワタシをスケッチし始めた。
何枚も何枚も…………………。
ワタシはその間恥ずかしかったけれど、青年に気付いて貰えたのが嬉しくて仕方なかった。
次の日の朝、青年は出掛けたかと思うと、真っ白なカンバスを三枚と紙の袋を持って帰って来た。
持って帰ったものを壁際の床に置くとワタシのドレスを脱がし始めた。
「キャーーーーーッ
エッチ、何するの!! 」
と叫びたかったけど、できる筈も無く、訴える術も無く、やっぱり無表情なワタシ。
青年は裸のワタシを来た時と同じ様に抱えて部屋を出ると、廊下の奥の湿った部屋に立たせて、ワタシの身体を柔らかな塊で丁寧に洗い始めた。
ワタシ、そんなに穢かったのかしら?
それからタオルでキレイに水気を拭くとドレスじゃ無くて、紙の袋から取り出したもっと軽くて薄い服を優しく着せてくれた。
とっても恥ずかしかった。
結っていた髪を下ろして櫛で丁寧にとかしてくれて、そっと整えてくれる。
少しくすぐったかったけどワタシはとても心地よくて、嬉しかった。
そしてポーズを取って立たされると、スケッチブックにワタシを描き始めた。
沢山のポーズを取らされて、ポーズが変わる度に、ワタシは青年の真剣な眼差しに晒されて嬉しくもあったけど、やっぱり恥ずかしかった。
青年は両手で包む様にしてカップを持って、煙のほわほわでる何かを飲みながら椅子に腰掛けワタシを見詰めた。
何を飲んでいるのだろう?
どんな感じがするの?
青年が突然言った。
「オレは京介、キミは………………? 」
京介…………………………って言うのね。
京介は笑って横を向いた。
「って、何言ってんだろうなオレ…………………
人形が話す訳無いのに…………………………」
笑って覗いた両端の歯が少し出ていて、それがとても可愛い。
京介はなんて可愛く笑うのだろう!
もっと笑顔見せて。
もっと話し掛けて。
でも京介はカップを床に置くとまた、スケッチブックを持って描き始めた。
スケッチは夜中まで続いた。
京介はスケッチブックを閉じると、ワタシをじっと見詰めて言った。
「さっきから、ずっと考えていたんだけど、キミの名前、ミューズってどうだろう?
ミューズは音楽家や詩人にインスピレーションを与える女神の名前だけど、響きがいいし、キミはオレにインスピレーションをくれた女神だから………………………………………」
ワタシに名前を付けてくれたの?
ミューズ………………………………。
嬉しくて胸が弾けそうになる。
女神って何か解らないけど、京介にはいい物みたいだから、何にでもなる。
京介は立ち上がるとワタシに背を向けて言った。
「って、人形に話し掛けて莫迦かオレは………………
今日のオレ、どうかしてるわ
寝よ……………………」
京介は照明を消すと寝台に横たわった。
暫くして京介は上半身を起こした。
「お休み、ミューズ
今日は有り難う」
京介はそう言うと横になり、直ぐに寝息を立て始めた。
ワタシは沢山京介に話しかけられて、胸が膨らんで息苦しいくらいだった。
息はしてないけど…………………………。
読んで下さり有り難うございます。
今回、マンガの小説化では無くて、一から書きました。
もっと短い予定だったのですが、二万五千字。
結構な長さになりました。
楽しんで戴けたら嬉しいです。