第99話 動く屍(リビングデッド)
《ジャスミン視点》
皇子リッチの命令により、二メートルを超える灰色の大男が足を一歩踏み出した。筋肉が盛り上がり、鋼のような肉体。筋骨隆々で大柄。手には、あちこち真新しい血が付着しボロボロに朽ちた大剣を握っている。
私たちの魔法が直撃したはずなのに、効いた様子は見られない。弱点の聖属性や火属性の攻撃も喰らったはずなのに。
でも、どこかで見た覚えがある顔。一体どこで見たのだろう?
フェンリルの獣人のシャルさんが、鋭い牙を剥き出して唸り、チャキッと爪を尖らせる。
「動く屍…ですか。真新しい死体から作られる高位不死者。その強さは死体のスペックで変わります」
「じゃあ、召喚されたわけじゃないのね。でも、魔法が効いていないってことは」
「魔法耐性が強い人の死体かぁ。あの身体からすると近接戦闘も強そう」
思わずため息をつきそうになる。本当にもう! なんで旅行に来たのに、こんな目に遭わないといけないのよ!
「折角温泉旅行に来たのに、どうしてこんな目に遭わないといけないの!」
あら。アルスさんも私と同じみたいね。仲良くなれそう。
動く屍がゆっくりと歩き、顔を正面に向けたまま顎を90度横に傾ける。気持ち悪い。普通の人間では不可能な首の動き。絶対に首の骨が折れている。
『グギ…グギャギャ…殺ス…死ネ…殺ス殺ス殺ス殺ス殺スッ! グギャギャッ!』
動く屍が地面を蹴り、爆発的な加速をして迫ってきた。狂った笑い声を上げ、汚い涎をまき散らしている。ボロボロの大剣を振りかぶった。
私は爆風で大剣の軌道を逸らしつつ、男の身体に剣で斬りつける。
キィィイイインッと金属同士がぶつかる甲高い音が響き渡った。手がビリビリと痺れる。
シャルさんやアルスさんの援護を受けながら、バックステップで男から距離を取る。
「今のは……って、剣が刃こぼれしてる!?」
両手剣の刃が砕け散っていた。ボロボロになっている。
近衛騎士団に入隊したときにシランからプレゼントされた剣だったのに!
怒りに燃える瞳で動く屍を睨む。あの男の身体はまるで硬い金属みたい。剣が直撃したのに、薄っすらと掠り傷がついているだけ。
荒々しく男が剣を振ってくるので、私は避け続ける。大剣が巻き起こす風が鬱陶しい。
『グギャッ! グギャギャッ!』
唾を飛ばすのをどうにかしてほしい。瞳も別々の動きでグルングルン動いている。気持ち悪い。
死んでいるはずなのに、この動く屍の瞳はとても傲慢だ。
突然、シャルさんが大声を上げる。
「あぁっ!? 思い出しました! この人、Bランク冒険者です! 自称《龍殺し》の末裔です!」
なるほど。道理で見たことがあると思ったわ。シャルさんに絡んでぶっ倒れた人ね。あの時は、シランがかっこよくてちょっとキュンとしてしまったわ。シランのバカ。
「えぇっ!? 《龍殺し》の末裔!? あたし、こんな人見たことないけど」
動く屍の攻撃を避けながら、驚きの声を上げたアルスさんにチラリと視線を向ける。一体どういう意味?
極大の炎の魔法を放ちながら、アルスさんが照れたように頭を掻く。
「実は、あたしも《龍殺し》の末裔なんだよね…。あたしが見たことないし、攻撃であちこち傷ついているところを見ると、この人は《龍殺し》の血脈の末端の末端の末端ね」
血脈の末端の末端の末端でこれだけ頑丈なの!? 血が薄まってこれ? ふざけた一族ね!
シャルさんと一緒に攻撃するけど、男の身体には薄い傷がつくだけ。全然攻撃が効かない。
『クカカ…ドウダッ! 我ガ下僕ハ! クカカカカ!』
高みの見物をしている皇子リッチがカタカタと骨の音を響かせ高笑いする。
私たちからすると、とてもありがたい。皇子リッチまで相手にしている余裕はないから。でも、とてもうざい!
「《龍殺し》の末裔なら、この魔法耐性も納得かな。ジャスミンさん、シャルさん、アイツをぶっ飛ばすから、ちょっと時間ちょうだい。力を溜める」
「オーケー。このまま避け続ければいいだけね」
「了解です!」
杖を持った魔法使いのアルスさんの身体から、赤い灼熱のオーラが放たれ始める。
膨大な魔力が吹き荒れ、周囲の温度が上がっていく。陽炎が揺らぎだした。
なんなのよ、この馬鹿げた力は!? 今はとても頼もしいけど!
『動ク屍ヨ! アノ女ヲ狙エ! 殺スノダ!』
『グギャ…グギャギャッ!』
皇子リッチが慌てて命令し、灰色の大男がアルスさんに狙いを定めた。
「行かせないわよ!」
「させません!」
私は爆風で吹き飛ばし、シャルさんは魔力で紡いだ爪撃を飛ばす。動く屍が大きく弾き飛ばされた。
攻撃は効かないけれど、足止めくらいならできるんだから!
アルスさんの力はドンドン増している。尋常じゃない力が身体に溜まっている。
彼女の紅榴石の瞳が縦長になっている気がする。肌に赤いものが光っているような…。あれは鱗?
『クカ…役立タズメッ! コウナッタラ我ガ…!』
「行かせないって言ってるでしょうが! 《爆風》!」
『ウガァッ!』
爆風が皇子リッチを直撃する。身体は骨だから軽いみたい。動く屍よりも大きく吹っ飛んでいった。
今度は灰色の巨体が猛然と迫って、私の前に立ちふさがる。大剣が空気を斬り裂いて振り下ろされた。
咄嗟に、大剣に剣を当てて滑らせるように剣筋を逸らせる。剣圧で私の短い髪が舞う。
ピシッと剣から嫌な音が聞こえた。ごめん。もう少しだけ頑張って…。
「ジャスミン様! しゃがんで!」
しゃがんだ私の頭上を黒い影が飛び越える。シャルさんは動く屍の懐に潜り込むと、獣の拳で鳩尾を殴りつけた。轟音が鳴り響く。
獣人の速度と力で放たれた一撃だ。頑丈な動く屍の身体がくの字に折れ曲がる。
そして、シャルさんは大きく息を吸い込むと、至近距離で巨大な咆哮を放った。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
「きゃぁっ!?」
《獣の咆哮》だ。何度か聞こえていた《獣の咆哮》はシャルさんのものだったらしい。物凄い威力。
咆哮の衝撃波で動く屍が空中に舞い上げられる。いかに頑丈な身体を持っていても、空中では何もできない。
「二人とも、ナイス!」
背後からアルスさんの声がした。私たちの間を赤い影が駆け抜ける。
宙を飛ぶ動く屍の真下にたどり着いたアルスさんは、縦長になった紅榴石の瞳を燃やし、全身の赤いオーラを鱗が浮かぶ右腕に集める。腕が灼熱の深紅に光り輝いた。
「《屠龍の炎牙》!」
腕から放たれた赤い閃光が動く屍を貫く。あれだけ頑丈だった身体をあっさりと貫通し、圧倒的な熱量で燃やし尽くす。
《龍殺し》の末裔の動く屍は、空中で深紅に輝くと、花火のように爆発した。夜が一瞬だけ赤く染まる。灰すらも燃え尽きた。
アルスさんが元の姿に戻って、ふぅ、と息を吐いた。
動く屍は無事に倒せた、でも、まだ皇子リッチがいる。警戒して周囲を探るけど、姿が見えない。どこへ行ったの?
『クカカ…油断…シタナ?』
私の背後から皇子リッチの不気味な声が聞こえた。ハッと振り返ると、影の中から出現する皇子リッチの姿が…。
眼窩に燃える炎が私を見つめて、白い骨で顔を掴まれる。皇子リッチが顎関節をカタカタと鳴らし、ニヤリと微笑んだ。
『我ガ下僕ト…ナルガイイ!』
ドロッとした闇が溢れて、私の身体と心を侵食し始める。体と心に激痛が走る。
「あぁぁぁぁあああああああああああ!?」
私の絶叫が戦場に響き渡った。
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