第93話 死者の大行進
「ちっ! クソがぁ!」
まだ《死者の大行進》が出現する直前、危険な夜道を走る馬車の中に、口汚い男の罵り声が響き渡った。
激しく揺れる馬車の中で横になっている大柄な男。二メートルを超える長身で、筋肉が盛り上がり、鋼のような肉体を持つ筋骨隆々な大男。
ローザの街の冒険者ギルドでシャルに絡んでシランに撃退された男だ。
あの後から身体が言うことを聞かない。手も足も自分の思い通りに動かない。身体を起こすことも歩くこともできない。
医者に診てもらっても、高い金を払って治癒魔法をかけてもらっても、一切改善がみられなかった。
男はただ横になっていることすらできない。無力だ。
「俺様は…《龍殺し》の末裔だぞ! クソッ!」
力任せに床を殴ろうとするが、それすらできない。腕が勝手に別方向に動く。
思い通りに動くのは口だけ。口を動かし、汚い言葉を吐き出す。
強さこそが全て。力こそ全て。《龍殺し》の末裔の自分こそ最強。頑丈な肉体を活かして好き放題に殺し、女を犯し、生きてきた。
敵国のドラゴニア王国など弱者。そう思い続けて来た男は、何もできずに横になっている自分に猛烈に腹を立てる。
「アイツ…今度会ったらぶっ殺してやる! 目の前でアイツの女を犯して、壊して、殺してやる!」
男は怒りで顔をゆがめ、咆哮する。
思い浮かべるのはギルド内で邪魔をしてきた女を侍らせたいけ好かない男。シランのことだ。
アイツさえ邪魔しなければ。自分がこうなったのは全てアイツのせいだ。
男は怒りと憎しみを募らせる。
現在は、自国のヴァルヴォッセ帝国で一刻も早く治療を受けるため、御者に大金を払い、危険な夜道を走らせているのだ。
「覚えてろぉぉおおおおおおお!」
体が自由に動かない男は、ただ吠えることしかできない。
ガタガタと激しく揺れる馬車。罵倒の叫びを上げる男を乗せて、暗い夜道を走り続ける。
突然、近くに膨大な魔力が吹き荒れ、馬が嘶き、馬車が急停止した。
寝ていた男は激しく床を転がり、身体を打ち付ける。龍の血を浴びて鉄すらも砕く頑丈な身体を手に入れた龍殺しの末裔の男には一切痛みはない。しかし、虫が刺したような不快感を感じ、何もできない苛立ちと屈辱感が湧き上がる。
「ちっ! どうなってやがる! クソがぁ!」
男はうつ伏せになったまま寝返りもできない。そのままの体勢で口汚く罵る。
禍々しくて冷たい魔力がどんどん増していく。
馬と御者の甲高い断末魔の悲鳴が聞こえた。濃密な鉄臭い血の匂いが漂う。
周囲を這いずり回る音と、ぐちゃっと何かが落ちる身の毛もよだつ音がする。
バキバキと馬車が壊れていく。
馬車を囲う大勢の人型の気配。
「誰だ! 出てきやがれ!」
体が動かない男は、大声を上げるしかない。
ヌメッとした何かに足を掴まれ、壊れかけた馬車から乱暴に引きずり出された。
臭い。強烈な腐臭がする。
「な、なんだ!? 不死者ごときが俺様に触れるな!」
目だけで周囲を確認し、自分が不死者に引きずり出されてことに気づいた。振り払おうとするが、男の身体は動かない。
『クカカ…。強イ。良イ男ダ』
全身の毛が逆立つ声が降ってきて、男の顔を化け物が覗き込む。
ボロボロのフードを被った人型の化け物。身の毛もよだつ漆黒の闇が人の形をし、真っ白な骨がその闇に浮かんでいるように見える。白い骨の片手には、大きな杖を持っている。
白くて硬い骨が男の顔を掴んで持ち上げた。頭蓋骨の眼窩に燃える赤い炎が、男をじっくりと観察する。
「何だと!? リッチだとっ!?」
『クカカ…。我ニ従エ。我ガ僕トナリ、殺シ尽クセ!』
骨の顔がニタリと笑った気がした。顎関節がカタカタと鳴る。炎の瞳がより一層激しく燃え上がる。
「止めろぉぉぉおおおおおおおお!」
骨の手から闇が噴き出し、男の身体と心が侵食されていく。
言いようのない痛みと快感。身体が灰色になり、朽ちていく。
「俺は…俺様は…《龍殺し》の末裔だぞぉぉおおおおお!」
『クカカ…クカカカカ! 殺セ! 殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ! 全テヲ殺シ尽クセ! クカカカカ!』
《龍殺し》の末裔が最期に見たのは眼窩に揺れる炎の瞳。聞こえたのは歯がカチカチと鳴る気味の悪い笑い声。
それっきり、男の意識は永遠の闇に呑みこまれた。
新たな死体が、死者の大行進の隊列に加わる。
▼▼▼
《ジャスミン視点》
町の外に戦闘態勢を整えた大勢の人が集まっている。大体二千人くらい。
剣や槍、弓、杖などを構え、全員が緊張感と殺気を漂わせている。好戦的な興奮も感じる。
緊急事態だというのに、私をジロジロと欲深い視線で眺める男が多いこと多いこと。慣れてはいるけど本当に嫌になる。《神龍の紫水晶》の称号を与えられたのは光栄だけれど、私はシランさえ見てくれればそれでいい。いえ、シランしか見て欲しくない。
はぁ…帰ったらシランに甘えよう。これくらいは許されるはず。折角二人きりで沢山愛し合うつもりだったのに…。
魔物風情が邪魔するとは良い度胸じゃない! 覚悟しなさい!
私は近衛騎士団の騎士服と鎧を着て、不安を押し殺し、迫りくる魔物たちを怒りに燃える瞳で睨みつけた。
恐怖もある。不安もある。逃げ出したいと思う。死ぬのは嫌だ。
でも、公爵令嬢として、近衛騎士団として、国民と愛しい人を守るために私はここに立っている。
目を瞑って胸に手を置く。最近の私のお気に入りの仕草。こうすると、シランと繋がっている感覚がある。まるで優しく抱きしめられているみたい。
―――よしっ! 私ならやれる!
数百メートル先を何万もの不死者モンスターが行進をしている。
地面を這うゾンビやスケルトン、ミイラ、グール。宙を漂うレイス。軍勢の奥には、動く死鎧や首無しの騎士、生命を刈り取る死神など、凶悪な魔物の姿も見える。
明らかに国を揺るがす一大事。小国なら滅ぶレベル。街を守れる可能性はとても低い。
でも、私たちは立ち向かう。
私たちは風下。風上からの腐臭と死臭漂ってきて鼻が曲がりそう。とても臭い。
全員の準備が整った。号令と共に後衛の魔法使いの即席部隊が一斉に魔法を放った。
あらゆる属性の攻撃が弧を描き、魔物の大群の中に着弾する。轟音と衝撃が響き渡り、地面が揺れる。
次々に魔物がやられて消えていく。身体が残らない。魔物たちはどうやら召喚された魔物のようね。これなら死体に気を遣わなくて済むし、召喚術を使った魔物を討伐すれば全て消え去るはず。
あら? 動いている死体の魔物の死体ってどういうこと? ……今はどうでもいいわね。
魔法攻撃が一段落し、私たち人間が雄叫びを上げて魔物に向かって駆け出していく。
その中で飛びぬけて先頭を駆け抜けるのが、私たち近衛騎士団。
普通なら、最強の戦力は最後まで取っておくのが最善の策ね。でも、今回は違う。魔物の数が多すぎた。最強の騎士の力を持って、戦う国民、街で怯える国民、そして、シランを守るために一体でも多くの魔物を倒す、それが私たちの役目。戦力を遊ばせておく余裕はない。
騎士の中でも飛びぬけて素早さが速い私は、風を身体に纏って先頭を駆け抜ける。そして、両手剣を抜いて、全力で横薙ぎに斬りつける。
剣から真空の刃が飛び出した、刃は数十体の魔物を斬り裂き、身体が上下に吹き飛ばされて消滅していく。
よし! 風の魔法は不死者の弱点ではないけれど、十分にやれる!
今の私の前には誰もいない。だから、全力で斬りつける。
剣を振って振って振りまくって、風の刃を飛ばして魔物を斬っていく。目の前の魔物が瞬く間に消えていく。でも、次から次に、大軍勢がやってくる。
私は不死者の大行進を燃える紫の瞳で睨みつけた。
「かかってきなさい!」
そして、大行進の中に飛び込んだ。
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