第92話 それぞれの役割
屋敷の中は異様な緊張に包まれている。
ローザの街の外からは、冷たくて禍々しい魔力が膨れ上がっている。
不死者系の魔物の大量発生、所謂《死者の大行進》が引き起こされたらしい。
俺は勝手にどこかに行かないようにと近衛騎士たちに囲まれながら、目を瞑って魔物の捕捉をし続ける。
数はどんどん膨れ上がるばかり。軽くもう二万は超えている。余程強い魔物だったらしい。
巨大な魔力の塊が二つある。一つは超デカい。街など軽く吹き飛ばせるだろう。でも、何故かその魔力の塊は動こうとしない。力を貯めているのだろうか?
不死者系の魔物で召喚を操るのはリッチが有名だ。これほど強くて召喚した魔物を統率できるとなると、支配種である王種や皇帝種が出現したのだろう。
実に厄介だ。冒険者ギルドのランクで言うとSに相当する。街が簡単に壊滅し、小国なら滅んでもおかしくない災害級の魔物だ。そんな魔物が突然現れるなんて。
「避難すると逆に危険ですね。このままこのお屋敷に留まります」
近衛騎士団第十部隊部隊長のランタナがテキパキと指示をしている。
近衛騎士たちは膨大な魔力が迫っている絶望的な状況なのに、一切顔色を変えない。流石王国最強の騎士団だ。
リリアーネは俺の隣に座り、緊張感すら漂わせていない。優雅に座っている。
一方ジャスミンはずっとソワソワしており、俺が目を開けたら紫水晶の瞳がじっと見つめていた。
その時、町中に魔法で拡声されたアナウンスが流れる。
『緊急! 緊急! 東南方向約一キロ地点に《死者の大行進》が発生! 到達予想は約三十分』
三十分か。それは、何もしなかったらに街に侵入する時間だ。一キロ地点ならもう既に軍勢が見え始めているだろう。
不死者系の魔物は動きが遅いから三十分も時間がある。他の魔物だったらもっと短かったはずだ。でも、三十分は長いようで短い。一刻の猶予もない。
『緊急防衛レベル5を発令します。これは訓練ではありません』
アナウンスが繰り返される。町中に緊迫した声が響き渡る。
緊急防衛レベル5は、戦争で攻め込まれるのと同じ状況と一緒ということだ。戦える者は戦い、戦えない人は避難場所に集まる。ただ生き延びるために最善の行動をしろ、ということだ。
「我々、近衛騎士団も部隊を分け、防衛に加わります」
ランタナが真面目な顔で指示を出す。
近衛騎士は俺の護衛だ。何よりも俺を最優先に守らなければならない。俺の周囲から人を少なくするのは危険だ。
でも、前線が崩壊し、街の中に魔物がなだれ込んで来たら、俺を護衛している意味がなくなる。
最強の騎士たちが前線に立ち、魔物を食い止める。
賛否両論はあると思うが、俺は最善の策だと思う。
「隊長。私も復帰します」
覚悟を決めたジャスミンがソファから立ちあがった。
ジャスミンは近衛騎士団に所属している。戦力としても申し分ない。
「しかし、ジャスミン様はシラン殿下の婚約者として我々の護衛対象です」
「そう言っている場合ではありません! 私は公爵家の娘です。国民を守る義務があります。近衛騎士に復帰できなくても参加します!」
紫水晶の瞳を燃やしたジャスミンの決意は変わらない。正義感が強いし、頑固なところもある。説得するだけ無駄だろう。
悩んだランタナが渋々頷いた。
「わかりました。復帰を認めます」
「ありがとうございます。シラン、私頑張るから」
ジャスミンが俺に軽くキスをして、服を着替え、装備を整えるために即座に部屋を出て行く。
俺にも一言言わせてくれよ。このばか。
「私にも出来ることはありませんか?」
「申し訳ございません。お気持ちだけお受け取りします」
リリアーネも申し出たが、ランタナに優しく断られた。
まあ、そうだろう。魔物との戦闘はしたことないだろうし、リリアーネの戦い方は集団戦闘に向いていない。暗殺術だからな。不死者系の魔物には効き辛い。
シュンと落ち込んだリリアーネを抱き寄せる。
「なら、リリアーネには俺の相手をしてもらおうかな?」
「シラン様?」
「シラン殿下。それはどういう意味ですか?」
「どういう意味ってそのままだ。んじゃ、俺たちは寝室に籠るから。よろしく~」
俺はリリアーネを連れて立ちあがり、寝室へと向かう。
周囲の近衛騎士たちが、一瞬だけ顔をしかめた。
そりゃそうだろう。こんな緊急事態なのに婚約者と寝室に籠るんだから。
そんな夜遊び王子の俺にもランタナは表情を全く変えず、ただ小さく頷いた。
「わかりました。我々は寝室のドアの前で護衛をしております。何かあればご連絡を。ごゆっくりお休みください」
「へーい。あと、門を開け、この屋敷の敷地に避難してきた市民を受け入れろ。寝室に近づかなければ屋敷内に入れてもいい。食料なんかも気にせず使え。俺のメイドたちに言って任せれば何とかしてくれる」
「ですが……いえ、わかりました」
「頼んだぞ~」
俺はリリアーネの腰を抱いて、寝室へ行く。
近衛騎士たちは寝室のドアの前に立って警護する。
寝室に入ってすぐ、リリアーネをベッドに座らせると、使い魔を呼び出す。
「しゅーごー!」
俺の身体から光が飛び出し、使い魔たちが顕現する。
「状況はわかってると思う。緋彩、ネア。リリアーネの護衛を頼む」
「「はーい」」
二人とも大変返事がよろしい。
「ねえ、何かあったら燃やしていい? 燃やしていいよね?」
「ボクは糸で細切れにしていいよね? いいよね?」
「本当に何かあったらな!」
二人はまた、はーい、という素直な返事をする。返事だけはいいんだから。
俺は他の使い魔たちに視線を向ける。
「ハイドは街を頼む。どさくさに紛れて馬鹿なことをする奴らを捕まえろ」
「かしこまりました」
「ソラ、ピュア、インピュア、日蝕狼、月蝕狼、神楽。今回は《パンドラ》として出る。俺はソラと一緒に背後の元凶を叩く。他の皆は防衛の前線に加わってくれ。何があってもジャスミンだけは守ってくれ」
「かしこまりました」
ソラが代表して恭しく一礼した。
楽しげにクスクスと笑う九尾の狐の獣人姿の神楽が、鉄扇を広げて口元を隠す。
「こここ。過剰すぎではないかのぅ? あれくらい妾たちの誰か一人で十分じゃろうに」
「過剰すぎるくらいがいいの! 頼んだからな!」
「あの女子は主様に好かれておるのぅ。ちと嫉妬してしまいそうじゃ」
「終わったら可愛がってあげるから。泣き叫んでも止めてあげない」
「そ、それは勘弁してたもう…。主様に愛されるのは嬉しいんじゃが、妾が死んでしまう」
モフモフの尻尾がビクビクしてるけど、残念。もう決定しました。たっぷりと可愛がってあげます。
「ケレナは戦闘で負傷した人の治療を頼む」
「わかりました。ですがご主人様…終わったらこの厭らしい雌ブタにご褒美を…」
「そうだな。頑張ったらご主人様としてご褒美をあげないとな」
「ご褒美のために頑張ります! お尻ペンペン…緊縛…鞭打ち…首輪をつけてお散歩…あへぇ~♡ どれも気持ちよさそう♡」
想像してビクビクし始めた変態のことを全員が視界に入れないようにする。
使い魔たちは俺とケレナの二人きりの時はなるべく近づかない。巻き込まれるから。
俺とケレナは二人きりの時に何をしているのかは秘密である。
今、屋敷でメイドとして働く使い魔にも念話で頼み込む。全員が快く了承してくれた。頼もしい使い魔たちだ。
最後に、蒼玉の瞳のリリアーネに声をかける。
「リリアーネはここで緋彩とネアの二人と一緒にいてくれ。口裏合わせも頼む」
「…………はい。わかりました」
「そんな顔をしないでくれ。リリアーネにはリリアーネしかできない仕事があるんだから」
何もできなくて悔しそうなリリアーネの顔を手で包み込む。
「帰ってきたら笑顔でおかえりと言ってキスしてくれ」
「…………キスだけでいいのですか?」
リリアーネに悪戯っぽい笑顔が浮かぶ。自分にしかできない仕事が見つかったようだ。
俺はそんなリリアーネに軽くキスをした。
「じゃあ、リリアーネのお任せコースで。その代わり、疲れた俺をたっぷりと癒してくれよ?」
「はい!」
元気になったリリアーネに再び軽くキスをして、名残惜しいけどゆっくり離れる。
《パンドラ》のメンバーは一瞬で着替え、口元だけ見える仮面と、白いローブ姿になる。
俺は皆と視線を合わせて頷き合う。
「さてと。コソコソと仕事を行いますか!」
お読みいただきありがとうございました。




