第84話 朝風呂
「し、失礼いたします、殿下」
「お、おう」
露天風呂に、身体にバスタオルを巻いた優しい橙色の瞳の美女が入ってくる。
普段は生真面目な美女の顔が恥ずかしさで真っ赤だ。
バスタオルの上からわかる、しなやかな体つき。くびれが凄い。
腰回りはどうなっているんだろう?
汗を流すために身体を洗って、もう既に肌が火照っている。
おずおずと露天風呂のお湯に足先をつけて、美女が潤んだ橙色の瞳を伏せる。
「あ、あの! 目を瞑って…いただけますか?」
「ごめん!」
俺は慌てて顔を逸らし、ギュッと目を瞑る。
ハラリとバスタオルを取る音が聞こえ、チャプンと美女がお湯に浸かる音がする。
ふぅ…と気持ちよさそうな艶めかしい声が美女の口から漏れる。
俺は目を瞑って興奮を押さえながら思う。
―――何故こうなった!?
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時は少し巻き戻る。
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日が昇る前の早朝。多分外はそれくらいの時間帯のはずだ。
俺は、時間を狂わせて何日も過ごした寝室のベッドの上で目が覚めた。
甘ったるい香りが充満する寝室。
俺の身体を枕にして、美女や美少女たちが気持ちよさそうに寝ている。
ネアが作った浴衣をはだけさせたり、そもそも服を着ていない女性たち。朝から素晴らしい光景だ。
彼女たちを丁寧に引き剥がし、シーツをかけてあげる。お腹を冷やすと大変だからな。
ベッドから静かに這い出し、大きな欠伸をしつつ服を着る。
今から何をしようか。目がバッチリ覚めてしまったから二度寝はできそうにない。気持ちよさそうに寝ている女性たちを起こすのもなんか申し訳ない。
ふむ…取り敢えず、外の空気でも吸いに行きますか。
この気配。部屋の外には近衛騎士たちが立っているな。職務、お疲れ様です。
じゃあ、俺は避難用の通路を通ってバレないように出るとするか。
えーっと、こっちが確か屋根の上に通じる通路だった気が…おぉ、合ってた合ってた。
無事に屋根の上に出ると、早朝の澄んだ空気を深く吸い込む。少し冷たい空気が気持ちいい。
空は暗い夜が明け、少しずつ白み始めている。
「ふぅ~。久しぶりの朝って感じがする。やっぱり外の空気は美味しいなぁ。んっ? 何だこの音は」
今まで気づかなかったけど、ヒュンヒュンと空気を斬り裂く音が聞こえる。結構近くだ。というか、屋敷の敷地内?
俺は屋根の上をそろりそろりと移動する。
音の正体が判明した。
「ランタナの朝稽古か。流石近衛騎士団の部隊長。動きにキレがある」
庭で近衛騎士の鎧の身を包んだランタナが、剣呑な気配を漂わせて、鋭い細剣を振るっている。
普段は温かくて優しい橙色の瞳が、今はとても冷たく鋭利だ。
仮想の敵と戦っているのだろう。動き回りながら、目にも止まらぬ速さで目の前の空間を突き刺している。手がブレて見えるほど超高速の突き。敵が攻撃される前に殺す。先手必勝の動きだ。
王族を護衛する近衛騎士団の中で、細剣を使う異端の部隊長。
普通の騎士なら剣と盾を持って護衛を行う。剣で威嚇と攻撃し、盾で守る。でも、ランタナが率いる第十部隊は違う。
敵の攻撃はほとんど部下に任せ、隊列をすり抜けてきた敵をランタナが瞬殺する。騎士たちも自分たちに合った武器を手にしている者が多い。剣と盾を持つのは半分もいないだろう。騎士団の中では異端の部隊だ。
「敵は護衛対象に近づかせる前に全て排除すればいい、か。ランタナにしては脳筋な考え方だな。でも、悪くない。俺は好きだぞ、その考え方」
細剣を振るうランタナを屋根の上から眺め続ける。
集中して、体中から汗を飛び散らせながら、美しく舞い踊るランタナの姿はとても美しい。振り向くたびに、透明感のある琥珀の瞳が煌めく。
しばらく見惚れ続けていたら、剣舞が終わってしまった。
ランタナが、ふぅっと息を吐いて汗を拭い、空を見上げる。そして、屋根の上にいる俺と目が合った。
「ヤベッ! バレた」
一瞬キョトンと琥珀の瞳を可愛らしく瞬かせたランタナ。次の瞬間にはカァっと見開いて、即座に地面を蹴って屋根の上に飛び上がる。
「殿下! 何をしていらっしゃるのですか!? こんな見晴らしのいい場所にいるなんて、暗殺者に狙ってくださいと言っているようなものです! 少し失礼します!」
「うおっ!」
俺の身体があっさりと持ち上げられ、お姫様抱っこの状態でランタナが屋根から飛び降り、即座に屋敷の中に連れて行かれた。
女性にお姫様抱っこされるなんて何度目だろう。でも、ランタナの甘い汗の香りがしてちょっと役得です。それに意外と胸がある。ランタナは着やせするタイプだったのか。
屋敷の中に入ると、即座に降ろされた。そして、怒りに燃えたランタナに睨まれ、無意識に正座をしてしまう。
「申し訳ございませんでした」
「言われる前に謝罪するとは良い心がけです。ですが、王子である殿下が簡単に謝ってはいけません」
「いや…昨日も散々土下座したんですけど。ランタナさんに土下座させられたんですけど」
「何か言いましたか?」
「何も言っておりませせん!」
理不尽だ。でも、ランタナはそれほど激怒している。
うぅ…油断していて隠密するのを忘れていた。悔やまれる。
静かにお説教をされる俺。ランタナの優しくて厳しいお言葉が心の中に響く。
「本当に気をつけてください。何度言ったらわかるのですか。これ以上言うことを聞かないのでしたら、第十部隊の全員を殿下のお屋敷に常駐させますよ。夜伽の際も同じ部屋で護衛しなければならなくなります」
「それは勘弁してください」
俺は土下座して許しを請う。
夜伽の際もメイドや執事や護衛を傍に侍らす貴族たちは多い。夜伽の時間が一番無防備になるからだ。
でも、俺はそういう趣味はない。絶対に嫌だ。
ランタナは、はぁ、と深く息を吐いた。
「でしたら、お願いします。危険なことはしないでください。我らの…くちゅん!」
くちゅん? なに今のくしゃみ。滅茶苦茶可愛かったんですけど!
ランタナはすまし顔だが、頬が真っ赤になっているのがよくわかる。
服は汗でびっしょりと濡れ、肌にピッタリと張り付いている。汗が冷えてきたのだろう。
「ランタナ? お風呂に入ったらどうだ? 風邪をひくぞ」
「ですが…」
「俺のお説教ならいつでもできるだろ?」
「………そうですね。お言葉に甘えます」
よし! お説教はひとまず終了だ。
ゆっくり立ち上がって、身体を伸ばす。
「朝風呂かぁ。俺もあとで入ろうかなぁ」
「では殿下。見張りの騎士たちを呼びますので、大人しくしていてくださいね」
「へいへーい。まあ、ランタナが俺と一緒にお風呂に入ればずっと見張れるし、お説教もできるんだけどな」
軽い冗談で言ったつもりだったんだが、何故かランタナが立ち止まって、ポンっと手を打った。
「その手がありましたか!」
「へっ?」
「時間の節約にもなりますね! では、お説教の続きはお風呂でいたしましょう!」
「はっ?」
呆然とする俺は、ランタナに腕を掴まれ、お風呂へと連れて行かれたのだった。
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話は冒頭に戻る。
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チャプチャプと身体にお湯をかける音がする。
目を瞑ったままなので、より鮮明に音を拾ってしまい、思わずランタナのあられもない姿を脳裏に思い浮かべてしまう。
波紋とお湯の動きが伝わってきて、誰かが俺の横に移動するのを感じた。
動く音とかすかに聞こえる吐息でさえも俺はビクッと反応してしまう。
「もう目を開けてもいいですよ」
ランタナの声が聞こえたので、ゆっくりと目を開けた。
真正面には誰もいない。少し離れた左隣、俺の視界の端にランタナの腕と足が見えて、そのまま硬直してしまう。顔が真正面に固定された。
「殿下は女性関係にいろいろと噂がありますが、意外と紳士なのですね?」
ランタナが、安堵と羞恥と困惑と警戒と揶揄いなど、複雑な感情が入り混じった声で問いかけてきた。
女好きで有名な俺がガン見してこなかったことが不思議だったらしい。
「うるさい。俺は手あたり次第に女性と遊んでいるわけじゃないの! ちゃんと選んで遊んでいるの!」
「臣下の立場としましては、お世継ぎ問題に困らなさそうなので安心なのですが、女の立場からすると……」
「なに? 言葉を濁さないではっきり言ってよ! はっきりと言われたほうが傷つかないから!」
「不敬罪になりそうなので止めておきます」
それを言った時点で、不敬罪を適用しようと思えば適用できるから。しないけど。
ランタナがクスクスと楽しそうに笑う。
「ふぅ~。気持ちいいですね。お説教しようかと思いましたが、そんな気分じゃなくなりました」
「それは良かった。でも、よかったのか? 俺なんかと一緒にお風呂に入って」
ランタナが急に黙ってしまった。彼女が冷静になる気配がある。
露天風呂に気まずい沈黙が漂う。
「………今、とても後悔しています。何故私は今こんなことに?」
「俺が聞きたい」
「夜勤明けだったからでしょうか? 普段ならこんなことはないのに……ブクブクブク」
猛烈に恥ずかしくなって口元までお湯に浸かったようだ。
ランタナのブクブクと口から吐く泡の音が露天風呂に響き渡った。
お読みいただきありがとうございました。
作者は、カクヨム様のほうで主に活動をしております。
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