第72話 キャンプ
キャンプ場の夜。俺たちの他にも行商人や冒険者がテントを張っている。あちこちで焚火の炎が揺れ、冒険者たちが周囲の暗い森を警戒している。
俺たちの場所はキャンプ場の端っこの端。誰にも迷惑がかからないように隅っこに場所を取った。
最初は、近衛騎士たちが広い場所を陣取ろうとしたけど、俺が止めた。端の方が落ち着く。
というか、騎士たちが周りの人を追い払おうとし始めたのには驚いた。
何故そこまでするんだろうと思ったら、俺、王子だった。すっかり忘れていたけど、俺、国の中でも重要人物に位置する王子という地位だったわ。
最近、孤児院のちびっ子たちのおもちゃにされ、カツアゲもされたから王子っていう感覚がしないんだよなぁ。俺、王子なのに……。
そんなわけで、俺は野営の準備をし終わって、まったりしている。
「殿下……これは何ですか……?」
優しい橙色の瞳のランタナが俺たちの野営を見て固まっている。
ゴシゴシと何度も目を擦っている。
そんなに若いのにドライアイか? 大変だな。
ランタナは頭を叩いたり、頬を抓ったりし始めた。
近衛騎士団第十部隊部隊長様は夢か現実かわからないのか?
「なにって野営だけど」
「これが野営ですかっ!? ちょっとしたリゾート地になっているではありませんかっ!?」
ランタナの叫びに、他の近衛騎士たちも、うんうん、と頷いている。
そうかなぁ? ログハウスがいくつか建ってたり、外用のキッチンがあったり、ハンモックがあったり、キャンプファイヤーがあったり、他にもトイレやお風呂の建物があるだけだぞ?
至って普通の野営じゃないか。これくらいで近衛騎士とあろうものが動揺してはいけないぞ。
この俺の、王子の余裕を見るがいい!
俺は胸の上に小型化した使い魔を乗せ、ハンモックに揺られながら指をさす。
「えっとね、あっちの少し小さめのログハウスは騎士たち用の寝床ね。中は広くなっているから全員入ると思う。部屋割りは任せた。あと、あの建物はトイレね。ちゃんと男女別れているから。それと…」
「ちょっと待って! ちょっと待ってください殿下!」
頭が痛そうなランタナが眉間に皺を寄せ、手で頭を押さえている。
折角の美人さんなのに勿体ない。それとも女の子の日で頭痛がするのだろうか? 生理痛に効く薬を持ってるけどいるかな?
眉間の皺を手でモミモミと揉んで伸ばし、頭の中を整理したランタナが、冷静さを取り戻して質問してきた。
「殿下……まさかとは思いますが、全て魔道具ですか…?」
「そうだけど。それがどうかしたか?」
「………いえ、なんでもありません。私の中の常識が崩壊しただけです」
なんかランタナが顔をしかめている。胃の辺りをしきりに撫でている。今度は胃が痛いのか?
近衛騎士団の部隊長ってストレスがかかりそうだからなぁ。今度胃薬でも……いや、生理痛の薬もあげたら薬だらけになりそうだな。ドライアイもあったな。全部一度に治る世界樹の果実のジュースでもあげようかな。
俺は、どこか遠くを見つめて現実逃避をしている騎士たちに言う。
「まあ、好きに使ってくれ。んで、あのちょっと湯気が出ている建物がお風呂ね。サウナとかいろいろあるから」
「お風呂があるんですかっ!?」
ランタナが凄い形相で迫ってきた。他の女性の近衛騎士たちも詰め寄ってくる。
女性陣の鼻息が荒い。目を見開いており、少し血走っていてちょっと怖い。
俺は思わずのけ反って頷く。
「あ、ああ。備え付けのアメニティも好きに使っていい。魔物にはわからない香りのシャンプーとかだから気にしなくていい。化粧水とかも常備してあるはずだ。洗濯も乾燥もできるから服も自由にどうぞ」
「殿下は神ですか…!」
何故かランタナを始めとする女性たちから尊敬と感謝の眼差しで見つめたれる。慣れない視線でちょっと居心地が悪い。恥ずかしい。
やっぱり女性は身だしなみが気になるらしい。普通の野営はお風呂に入るなんてできないし、よくて身体を拭くくらいだ。お風呂だけでここまで喜ばれるとは思わなかった。
「野営すると決まり、汗臭さなど諦めていたのですが、まさかお風呂に入れるとは! シラン殿下! 感謝します!」
「お、おう!」
女性陣からのキラキラと輝く感謝の眼差し。
止めて! その眼差し止めて! 恥ずかしいから! 本当に恥ずかしいから! 拝むのを止めて!
他にも魔道具があるから、騎士団の女性のために父上に進言して買い取ってもらおうかな…。
拝んでいる女性たちを必死に止めながら、真剣に考え始める俺でした。
その後、湯上りで火照って少しエロい雰囲気の女性騎士たちに涙を流さんばかりにお礼を言われた。時間を忘れそうなくらい気持ちよかったらしい。
アメニティも絶賛され、帰ったらプレゼントするね、と約束したら涙を流して感謝され、再び拝まれた。
だから本当に止めてくれ! 身体がむず痒いから! 拝むのを止めて!
必死で彼女たちをなだめる俺の声が、夜のキャンプ地に響き渡っていた。
▼▼▼
少女は一人、苦しみに悶えていた。
自分の身体すら見えない完全なる闇の中。自分の感覚を頼りに、懸命に手を動かし、お腹を押さえて、湧き上がる力の奔流を抑え込む。
心や体の奥底から沸々と湧き上がる殺意の波動。全てを滅ぼす荒々しい負の力。
少女は自我を飲み込まれまいと抗い、今にも外へと飛び出して暴れ出しそうな力に苛まれ、蝕まれる。
自分の身に抑え込む反動で、死ぬほどの激痛が襲ってくる。しかし、少女は死ぬことはない。死ぬことはできない。
時間すらわからないこの世界で、少女は一人でずっと耐えてきた。
「……大丈夫……大丈夫……大丈夫……大丈夫……大丈夫……」
少女はひたすら自分に言い聞かせる。それ以外の力や感情は、全て封印に回している。自分の力の全てを、植え付けられた厄災の封印に注ぐ。
しかし、気が遠くなるほど封じていた彼女の心は摩耗し、身体にも限界が訪れている。封印から漏れ出た禍々しい黒い瘴気が現実世界へと堕ちていく。
少女は苦悶し、這い出そうとする力を抑え込む。瘴気が徐々に少女の身体へと戻っていき、完全に封印された。
一瞬だけ、ほんの一瞬、刹那の時間だけ、少女はホッと安堵し、気を緩めてしまった。
封印されていた力は、そのわずかな隙を見逃さない。
荒れ狂う力が爆発し、少女の身体の内側から焼き、外へと飛び出して行く。
「あぁっ…あ゛ぁぁああああああああああ! あ゛ぁぁあああああああ!」
少女の絶叫が虚無の世界に響き渡る。
封印していた力の一部が、現実世界に堕ちていくのを感じる。
しかし、少女はそれを気にする余裕はなかった。
全身を灼熱の炎で焼かれ、引き裂かれ、バラバラになってしまいそうな痛みが襲ってくる。
常人だったら、あまりの痛みで死んでいるだろう。
それでも、少女は死なない。死ねない。耐え続ける。
厄災は、彼女の自我を乗っ取ろうと襲ってくる。少女は自我を強く持ち、それに抗う。
発狂し、精神が崩壊しそうな激痛の中、少女は歯を食いしばり、暴れる力を抑え込んでいく。
『………諦メロ……………我ニ従エ……』
「………嫌! それだけは……嫌…! 私はマだやレる!」
『フフッ…ソノ威勢…何時マデ保テルカナ?』
「耐えてミせるんダから!」
心の底から誘う甘い声に、少女は必死に耐え、気丈に振舞う。
激痛に襲われながらも、湧き上がる力を抑え込む。
溢れ出していた力を何とか食い止めた。
「……大丈夫……大丈夫……大丈ブ……まダ大丈夫だかラ…」
少女は一人で唱え続ける。それを嘲笑う笑い声が心の中に響き渡る。
彼女はまだ気づかない。自分の心が蝕まれ始めていることに。封印に罅が入っていることに。
少女は一人、苦しみ続ける。たった一人の暗黒の世界に赤い双眸を燃やしながら。
――――少女の限界は近い。
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