第345話 猫被りの姫 後編
後編です。
「おほほほほ。お見苦しい姿をお見せいたしましたわ。どこかの精霊が悪戯をしてきたようです。申し訳ございません」
「精霊が悪戯?」
「はい。精霊が悪戯しましたの」
「素ではなくて?」
「精霊の悪戯ですわ」
「その精霊はどんな姿をしているんだ?」
「猫ですわ。猫の姿の精霊ですの」
「そうか。猫の姿の精霊か」
「はい、そうですの」
「世界樹の巫女だからか?」
「はい。巫女ですからよく精霊に悪戯されますの」
有無を言わせぬニコニコ笑顔を浮かべるアイル殿下と微笑み合う。
ふーん。精霊の悪戯か。猫の姿の精霊が悪戯したせいなのか。ふーん。
今回はそういうことにしておいてやろう。
「父上が行けとおっしゃるなら俺は行きますけど」
「ふーむ……まあ、熱烈なお誘いだ。シランが行くのは確定だな。あとは他の人員が悩みどころ……」
「ほ、本当でござるか!? 陛下! シラン殿は確定でござるかっ!?」
「「 お、おぉう…… 」」
テーブルに乗り上がるほど身を乗り出したアイル殿下に、俺と父上はそろってのけ反った。
慌てるのはアイル殿下の隣に座る大使殿だ。
一国の国王を前にしてその態度は失礼過ぎる。
「ひ、姫様! 至急猫を被ってください! 剥がれています!」
あ、そっち? そっちですか? 言動よりも姫に猫を被らせる方が大切ですか。そうですか。
「にゃん! これでよろしいですか?」
「はい。それでいいです」
「おほほほほ。またわたくしに精霊が悪戯してきましたの。申し訳ございません」
「すいませんすいません。ウチの姫様が大変申し訳ございません」
「お、おう。気にしていないぞ。うん、全く」
父上をドン引きさせるアイル殿下……いろんな意味ですごい。
陰謀溢れる伏魔殿で過ごす父上をドン引きさせる人間はそう多くないぞ。
「一つ疑問に思ったんだが、《神樹祭》の儀式魔法に使う触媒は何なのだ? 大規模な浄化を行うにはそれ相応の触媒が必要だと思うのだが。ああ、秘密なら言わなくてよいぞ。ふと興味が湧いただけだ」
この状況で話題を変えるとは流石父上。動揺してもすぐに平静になる。
確かに興味深い疑問だ。
浄化の力が強い触媒で、儀式魔法に使える代物は多くはない。
思いついたいくつかの中で一番入手可能な物から推測するに、一角獣のアイテムだろうか。
「世界樹の果実ですわ!」
おっと。推測が外れた。
世界樹の果実。伝説級のアイテムだった。
「なんと! 世界樹の果実とな!」
「はい。太古の昔、ご先祖様が世界樹ユグドラシル様から直接賜った世界樹の果実を触媒にしますの。世界樹の果実は傷むことも腐ることも朽ちることもありませんから」
「なるほど。あらゆる傷や呪いを治癒すると言われる世界樹の果実なら触媒に相応しいな」
「はい。そうなのです……が……」
うっとりと恋する乙女のような陶酔した顔で述べていた『世界樹狂い』アイル殿下の顔が突如曇った。
不穏な空気が流れ出す。
「それを……それを……ユグドラシル様から賜った国の宝を! 神聖な果実を! あんの愚妹はぁぁああああああああ! 置いてあったから食べた? お腹が減っていたから? 美味しかった? 味なんか訊いてねぇでござるよぉぉぉおおおおおおおお! たった一つしかない貴重な代物を食べるなんて……食べるなんて! 羨ましいぃぃいいいいい、じゃなくて、許されないでござるぅぅぅううううううう!」
怒髪天を衝いたアイル殿下は、あまりの怒りに俺たちが見えていない様子。
ダンダンと床を踏み抜く勢いで地団太を踏み、キーっと喚き散らす。
「たった一つでござるよ? 国に一つしかない国宝でござるよ? それを食べてしまうなんて馬鹿でござるか? 馬鹿でござるよねっ!? 切腹ものの大罪でござる! 切腹じゃ~! 切腹じゃ~! 食べるのならば、保存用、観賞用、匂いを嗅ぐ用に頬ずり用など、大量のストックを最低3つずつ用意してから、それでもなお食べるかどうか1000年くらい悩みに悩み抜いて考え抜いてから食べるべきでござる! 家に帰ったらあの愚妹がぶら下げている二つの贅肉を鷲掴み、引き千切って、腹を掻っ捌いてやるでござる! 首も刎ね飛ばしてやるでござるよぉぉおおおおお! 覚悟しておけ、アイラァァァアアアアアアアアアア! うがぁぁああああああああ!」
叫ぶアイル殿下の怒りは収まらない。
ちなみに、彼女の隣で必死に大使殿が謝っている。すいませんすいません、ウチの姫様が本当にすいません、と。
「長老たちも長老たちでござるよ! ユグドラシル様を探してきてねよろしく? 謝り倒して新しい世界樹の果実を貰ってこい? ついでに《魔物の大行進》について知っていないか訊いてこい? アホか! アホでござるか! 耄碌爺どもめぇぇええええ! ユグドラシル様の御前で全員で土下座し、元凶の愚妹を処刑し、七日七晩一睡もせずに謝り倒して、ようやく許しを頂けるかどうかの瀬戸際なのに! 普通はこっちから全員で出向かなければならない状況でござるよ! なのに……なのに拙者一人だけとは……。くっ! こうなったらどんな手を使ってでもユグドラシル様を樹国にお招きしなくては! いささか無礼でござるが、謝罪するにはこうするしか方法が……!」
なるほどなるほど。では、まとめてみよう。
・《神樹祭》には世界樹の果実を触媒に使う。
・しかし、アイル殿下の妹さんが食べてしまった。
・長老たちが『《魔物の大行進》のこと』、『賜った世界樹の果実を食べてしまったことへの謝罪』、『新たな果実を頂けないかの具申』の三つのことをアイル殿下に頼んで送り出した。
・『世界樹狂い』としては全てが不敬。世界樹様を何とかお招きして関係者全員を御前に並べて謝罪させようとしている。
こんな感じかな?
って、世界樹の果実がないの!? 儀式できないじゃん!
大丈夫なのか、それは。
「フゥーッ! フゥーッ! フゥーッ!」
「ひ、姫様!」
「なんでござるかっ!? 拙者の怒りは収まることはないでござるよ!」
「素が! 素が出ております! 猫を御被りください!」
「……にゃん! これで大丈夫でござ……にゃんにゃん! よし、これで拙者は……にゃんにゃんにゃんっ!」
可愛いポーズと共に猫になりきるアイル殿下。
こうやって猫を被っていたのか。ただ、今回はあまりの怒りと興奮で上手く被れないようだ。何度も何度も猫の真似をする。
「コホン! あー! あー! わたくしはー! ゴホンゴホン! せっしゃ……にゃん! にゃおぉ~ん! わたくしはーわたくしはー。わたくしはアイル・イルミンスールですの。よし!」
えーっと、チューニングが終わったようだ。
見て見ぬふりをしていた俺と父上を褒めて欲しい……。
「大変長らくお待たせいたしましたわ。全ては精霊の悪戯ですの。全て見聞きしたことは全て精霊の悪戯。よろしいですか? 出来れば忘れてくださると助かりますわ」
「あ、ハイ!」
「う、うむ。了解した」
俺と父上はスッと目を逸らしながらこう返事するしかなかった。
有無を言わせぬアイル殿下の笑顔を見つめ返すことが出来ない。彼女の背後からゴゴゴッと空間が震える音が聞こえる気がする。
「すいませんすいません。ウチの姫様が本当にすいません」
大使殿が不憫だ。本当に同情する。
あとで胃薬を送っておこう。
「あのー? 世界樹の果実、無くなっちゃったんですよね?」
「な、何故それをー!?」
「いや、はっきり言ってたし……」
「爺や、拙者、言っていたでござるか?」
「……猫が剥がれております。何度目ですか?」
「にゃおぅ……爺や、わたくし、はっきりと述べていましたか?」
「はい。はっきりと」
「そうでしたか。ならば仕方がありませんね。実はそうですの。このままでは儀式が執り行えません」
それは困る。儀式が執り行えずに樹国が滅びてしまっては大変困る。
ならば――
「もしよければ、俺の伝手を使って世界樹の果実を手に入れましょうか?」
「シラン、できるのか?」
「はい。それなりの代償を支払えば」
ケレナにも譲れないものがあるらしく、世界樹由来のアイテムを自由に加工して使用することはいいらしい。でも、未加工の世界樹の果実そのものを他人に譲ることはNGなんだとさ。
故に、世界樹の果実を譲り渡すにはケレナの許可が必要なのである。
あの変態世界樹様はどんなプレイを要求してくるのやら……。
今は考えるのは止めておこう。
「シ、シラン殿!? それは真でござるか!? 本当に手に入れることが!? 拙者が飲んでしまったジュース以外にも世界樹の果実が存在するのでござるか!?」
「たぶん。ほぼ確実に」
俺が頷くと、プルプルと震えたアイル殿下が爆発的に歓声を上げて抱きついてきた。
「おっほぉぉおおおおおおおおおおおおおっ! 感謝するでござる! 感謝するでござるぅぅぅううううううう! シラン殿は素晴らしい御仁でござる! あ、拙者の身体を好きにしてもいいでござるよ! 世界樹の果実を頂けるのなら、拙者はシラン殿の嫁にでも愛人にでも犬にでもなろうぞ! 抱くだけ抱いて飽きたらポイっと捨ててくれても構わぬ! ちなみに拙者はピチピチの処女でござる!」
「あ、結構でーす」
「遠慮なさらず! ほれほれ! チラッチラッ! なんなら愚妹も付けるでござるよ。姉妹丼! 男なら一度は夢見る姉妹丼でござるよ! 愚妹も生娘でござるし、何より褐色ロリ巨乳! 希少なあの褐色ロリ巨乳でござる! どうでござる? 興味が湧いたでござろう?」
「いや全く。大使殿! この姫様をどうにかしてくださーい」
ここは大使殿のお力添えいただいて……。
「姫様! その調子で押し倒してください! 接吻でもいいです接吻でも! ささ、ブチューッと! 盛大に熱烈に濃厚に! なに恥ずかしがっているのですか! 初めてだから? そんなことはどうでもいいので素早く既成事実を作るのです!」
「あ、あの、大使殿……?」
「え? シラン殿下は姉妹二人とも娶りたいと? どうぞどうぞ。喜ばしいですな! いやー実にめでたい! やっとあの【変人の双子姫】に春が! 我が国自慢の【双葉の姫君】を娶ってくださる懐の広い御方はシラン殿下しかいらっしゃらないと常々思っておりました。ええ、思っておりましたとも! よっ! お似合いのカップル!」
思いっきり早口でまくしたてられ、反論する隙も無い。
さっきまでペコペコ謝っていた人とは別人のようだ。
俺は最後の頼みの綱である父上に助けを求める。
「ちょっと! 父上助けて!」
「息子よ。健闘を祈る!」
「逃げんなクソ親父! 戻ってこーい!」
そそくさと逃げ出す一国の国王。
困っている息子を見捨てるなぁああああ!
「おほぉぉぉおおおおおお! シラン殿ぉぉぉおおおおお!」
「あ、ちなみに【双葉の姫君】の返品は受け付けませんので悪しからず」
「悪しからずじゃねぇええええええええええええ!」
猫を被ることをすっかり忘れた王女に抱きつかれ、盛大に煽って既成事実を作ろうとする大使。必死で抵抗する俺。
何とか逃げ出すことができたのは、騒動が始まってから20分も経過した後であった。
▼▼▼
ヨロヨロになって父上の執務室に戻ったら、何やら逃走犯が真剣な顔をして語り出した。
「シラン、お前はとことん妙な……ゴホン。癖のある……ではなく、実に個性豊かな美しい女性に好かれるんだな」
「……言いたいことがあるのならはっきりおっしゃったらどうです?」
「では言うが、普段お前のことを羨ましいと少し、ほんの少し、極僅かに思っていたんだが、今日あの姫を目の当たりにし、今までのシランの女性たちを思い出してみたら、微塵も羨ましいと思わなくなったわ! 頑張れ! 父は応援しているぞ! 気を強く持て!」
「うるさい変態親父! つーか、みんな俺にはもったいないくらい可愛い女性たちだっつーの!」
「うん。性癖は人それぞれだよな」
「父上にだけは言われたくない……」
「てなわけで、息子よ。どんまい! 諦めろ!」
「諦めるって何を!?」
「父親からの手遅れなアドバイスを贈ってやろう。既成事実には気を付けろよ!」
「どーもありがとうございます! できれば役に立つアドバイスが欲しかったですけどね! 襲われないよう気を付けますよ!」
ニヤリとサムズアップをする父上に近くにあったクッションを投げつけ、俺は足音荒く執務室を退出した。
その時の俺は、シャツの襟に付けられたキスマークと胸ポケットに入れられた簪に全く気付いていないのだった。
お読みいただきありがとうございました。
 




