第334話 不調の原因
お待たせしました!
ローザの街から戻ってきて1週間ほどが経過した。
疲労が抜けてリフレッシュした開放感や、また仕事が始まるという絶望感。
そんな複雑な感情もようやく鎮まった頃、屋敷には別の感情で覆われていた。
誰もが心配して不安がっている。特に娘のセレネちゃんは元気がない。
――原因は、テイアさんの不調。
屋敷に帰って来てからというもの、テイアさんはほとんど部屋に籠りっぱなしだ。
熱、倦怠感、過呼吸。自傷行為も目にした。
部屋からは苦悶する呻き声や辛そうな荒い息遣いが聞こえてくる。
ケレナやインピュア、ビュティといった病気や治癒魔法が得意な使い魔たちに診察してもらったが、彼女たちは安静にして経過を待つしかないと言うばかり。
これといった治療法はないらしい。
こういう時、何もできない自分に腹が立つ。テイアさんはあんなにも苦しんでいるのに。
屋敷からは笑い声が消えた。
「にぃに、ママだいじょーぶかなぁ?」
膝の上に座ったセレネちゃんが俺を見上げて問いかけてきた。頭の上の猫耳はペタンと垂れ下がり、尻尾もシュンと不安そうに揺れている。
「大丈夫。大丈夫に決まってる」
俺は半ば自分に言い聞かせるようにセレネちゃんの頭を撫でた。
「……ほんとに?」
「本当の本当だ」
テイアさんのためにもセレネちゃんのためにも、俺に出来ることなら何でもやってやる。
セレネちゃんは、にぱぁーっと笑った。
「にぃに! ママのことお願いね!」
「おう! にぃにに任せとけ!」
元気になったセレネちゃんは俺の胸元にグリグリと顔を押し付けた。上機嫌に足や耳、尻尾を動かし、鼻歌も歌い出す。
この子をがっかりさせるわけにはいかない。
俺は決意を新たにセレネちゃんの頭を撫で続けるのだった。
「セレネちゃーん! 遊びましょー」
「はーい!」
ヒースを筆頭とした女性陣が最近セレネちゃんの相手をしてくれている。特に末っ子のヒースはセレネちゃんを妹のように可愛がっていた。
今日は特に元気なセレネちゃんに少し驚きつつ、一瞬だけ不安そうな視線を俺に向ける。
彼女たちもテイアさんの不調がとても心配なのだ。
「今日は何するー?」
「おえかき! ママにお花の絵をかいてあげりゅの!」
「それいいね!」
女性陣とセレネちゃんが部屋を出て行った。
一人になった俺が向かう先はケレナのところだ。
「ケレナ。テイアさんのお見舞いに行ってもいいか?」
「……あまりお勧めしませんが」
渋々許可を出してくれる。ただし、ケレナが立ち会うことが条件。
ケレナを連れてテイアさんの部屋へと足を運び、コンコンとノックをする。すると、か細い声で応答があった。
『……はい』
「テイアさん、シランだけど。今、入ってもいいかな?」
『……どうぞ』
ゆっくりとドアを開ける。
清潔で生活感あふれる部屋。セレネちゃんが描いた絵が額縁に入れられて飾られている。漂うのはムワッとする香水のような甘い香り。ちょっときついけど、何故か惹きつけられてずっと嗅いでいたいと思ってしまう。
テイアさんはベッドに座っていた。今起き上がったばかりのようだ。パジャマが若干はだけている。
「具合はどうだ?」
「まずまずと言ったところでしょうか。熱っぽさと倦怠感はあります」
過呼吸も自傷行為もない。小康状態かな。
言葉通り、テイアさんの顔は火照って赤く、瞳は潤んでいる。
「吐き気とかはないんだよな?」
「はい。食欲もあるので。こんな状態でもお腹は空くんですね」
お腹を撫でる仕草に色気を感じるのは何故だろう。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「あの、セレネはどうですか? 元気にしてますか?」
「ちょっと元気がないかな。テイアさんを心配してるよ。今日もさっき――」
テイアさんのために絵を描こうとしている、と言いかけてやめた。サプライズにしようと思ったのだ。そのほうがテイアさんが喜ぶかなと。
しかし、テイアさんは別の意味に取ってしまったようだ。
「あの子がどうかしたんですか!? 泣いたりして皆さんを困らせたんじゃ……」
「いやいや、違うよ! まあ、泣きそうではあったけど。テイアさんのためにセレネちゃんがいろいろと……」
「ああ、そういうことですね……安心しました」
さすが母親。素早く察してくれて助かる。
何をしているのか言っていないからギリギリセーフだろう。
「っ!?」
ホッと安堵したテイアさんの身体がユラユラと揺れ、ボーっと虚ろな瞳になったかと思うと、急にぐらりと倒れ込んだ。全身の毛が逆立っている。
「テイアさん!? しっかりして!」
慌てて抱きしめて意識を確認。
テイアさんはまるで別人の表情をしていた。
ギラギラと光る日長石の瞳。強張った頬。吊り上がった口角。垂れそうな涎。
何かに憑りつかれたみたい。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
息が荒い。次第に早くなって過呼吸になる。俺を掴む力が強く、指が痛いくらいに食い込む。
「フゥー! フゥー! フゥー!」
「テイアさん!」
「っ!? くっ!」
俺の呼びかけにハッと我に返ったテイアさんは、何の躊躇もなく自分の腕に喰らいついた。歯が食い込んで彼女の綺麗な肌に血が伝う。
「ご主人様! 今すぐ部屋の外へ!」
「わ、わかった! ケレナ頼んだ!」
テイアさんが自傷行為に陥った隙に、俺は部屋の外に飛び出した。
中途半端な知識を持つ俺よりもケレナの指示に従った方が良い。このために彼女が付き添っていたのだ。
部屋の外の壁にもたれかかってケレナを待つ。
ケレナが出てきたのは数分後のことだったが、俺には途轍もなく長く感じた。
「ケレナ。テイアさんの様子は?」
「……ひとまず落ち着きました。しばらくご主人様は面会禁止です」
それも仕方がないか。俺と面会すると発作が起きるようだから……。
これまでも毎回面会したときに……
ん?
……ん?
…………んん?
何故俺と面会すると発作が起きるんだ?
セレネちゃんや女性陣がお見舞いに行った時に発作が起きたという話は聞いていない。みんな報告するのは、少しお喋りして笑ってた、という話だけだ。
――じゃあ、何故俺だけ?
その時、俺の脳裏にある記憶が蘇った。
テイアさんが体調を崩す前日の夜の会話。彼女が過去とけじめをつけたあの夜。抱きしめ、首を噛んだ荒療治の記憶。
「なあケレナ。テイアさんのは精神的な病気なのか? その、トラウマによるものとか」
「えっと、精神的な要素も原因の一つと言いますか……」
「……おい。俺に何を隠している?」
歯切れの悪い回答に俺は察した。
テイアさんを診断した彼女たちは体調不良の原因を知っている。知っていて俺には何も教えない。
彼女たちの言う通り、安静にしていれば治るというのは間違いないのだろう。
だが、俺が知りたいのは原因と病名だ。
近くの空き部屋にケレナを連れ込み、壁ドン。
今すぐ吐け、と睨みを利かせて足を踏む。
「おっほぉーっ! と、突然のご褒美でしゅか、ご主人しゃまぁ~!」
「テイアさんの体調不良の原因はなんだ? とっくに知ってるんだろ? 教えろ」
「つ、冷たい眼差し! ありがとうございましゅっ! おほぉぉおおおおお!」
「おいコラ。質問に答えろ。ご主人様の命令に従えない家畜はただの動物だ。愛でる価値もない」
そう突き放すように言って足を踏むのをやめると、恍惚な18禁アヘ顔を晒していたケレナがサァーっと青ざめて、涙を流しながら縋りついてきた。
「申し訳ございません! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 私はご主人様のペットです。家畜です。所有物です! どうか! 放逐だけはどうかご勘弁を!」
「誰が放逐するなんて言った? 勝手に決めつけるな。あとでお仕置きな」
ビシッとデコピンをしてあげると、それはそれは嬉しそうに、そして気持ちよさそうに喘いだ。
「で、ケレナ?」
「はい!」
「正座。報告」
「御意!」
俺の短い命令に即座に従う変態。綺麗なジャンピング正座をきめる。
……痛くないのだろうか? あ、痛みで恍惚としている。
ドン引き。もう手遅れだな。わかっていたけど。
正座してビックンビックン悶えるケレナは涎を垂らしながら報告してくれる。
「テイア様は現在――発情期です!」
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