第253話 黄金の悪魔との約束
日が一切届かない薄暗い地下。冷たい石で覆われた室内には脱出防止の強固な結界が施されている。
簡易なベッド。丸見えのトイレ。鉄格子。
ここは犯罪者を収容する地下牢獄だった。
収監されている犯罪者の視線を集めながら、俺たちは目的の牢屋へと向かう。
「着いたぞ。ここだな」
俺たちが牢屋の前に立つと、中にいた犯罪者がベッドからゆっくりと起き上がった。一つ一つの動作がとてもぎこちなくて慎重だった。
「……あ、あんた……は! ゴホッゴホッ!」
しわがれた声。抜け落ちた歯。シミが浮き出てシワシワになった肌。垂れ下がった頬。窪んだ眼。枯れ木のような手足。チリチリの白髪。
90代の今にも倒れそうな老女がそこにはいた。
「嘘……この人がケマさんなんですか? どう見てもおばあちゃん……」
連れの女性、ソノラがフードを外して言葉を失くした。
そう。この老女は高級料理店の人気ウエイトレスだったケマだ。
男性に人気だった美しさの面影は一切ない。長身でスタイルも良かったが。今となっては背中が曲がってヨボヨボだ。
テロ組織である黒翼凶団をほう助した罪でここに収監されたのだ。
ソノラに一度会いたいとお願いされ、こうして連れてきた。
「どうしておばあちゃんに?」
「どうやら、誰かから提供された悪魔召喚、いや悪魔転化の魔法陣に寿命を抜き取る術式が組み込まれていたらしい。地脈だけじゃ飽き足らず、術者の魔力や生命力さえもエネルギーに変換したってビュティが推測してた」
「じゃあ、他の人も?」
「ああ。黒翼凶団の信者たちは全員老人になった。老衰で死んだ人もいるらしい」
「そう、なんですね……」
悲しみや憐み、同情。そして、因果応報の気持ち。複雑な感情を帯びた瞳で牢屋の中の老女を見つめるソノラ。
彼女はハッと何かに気づいた。
「あ、あのっ! もう一人の女性は!? 私と同じように生贄になってた女性です! その方は大丈夫なんですか!?」
「ああ、マリアさんか。彼女は大丈夫。老人にはなってないよ。寿命を抜かれたのは魔法陣に血を捧げた人と、魔法陣の上に居た人だけ。ソノラがマリアさんを魔法陣の外に蹴飛ばしたおかげで助かったんだそうだ」
「そうですか。良かったです……」
まあ、蹴られて吹き飛んだ影響で肋骨三本が折れ、全身打撲や他の骨に罅があったんだけど、ソノラには秘密にしておこう。もう治療済みだし。
ちなみに、兄上が付きっきりで看病したらしい。早くくっつけ!
「お……まえ!」
ケマの眼がカッと見開いた。痛みが走る身体を無理やり動かし、鉄格子に掴みかかる。
「私に……! 私に力を……! 美しさをちょうだい……ゴホッゴホッ!」
ソノラのことをまだ悪魔と思っているらしい。いや、ソノラは悪魔か。
鉄格子からかぎ爪のような手が伸ばされるが、ソノラは後退って躱した。
「ど、どうしてよ! 私が、この私が手を貸してあげたでしょう? 私に力を授けなさい、この化け物!」
「ば、化け物……」
ケマの言葉にソノラはショックを受けたらしい。
そんな彼女の腰にそっと手を回して抱き寄せる。例え見た目が少し変わったとしても、ソノラはソノラだ。俺にとってはただの女の子。
「ちょうだい……ちからをちょうだい……美を! 永遠の美しさをこの私に! 美しくない私なんて私じゃない! これはきっと夢なのよ!」
「ごめんなさい。私にそんな力はありません。あったとしても、わ、私はケマさんに力はあげません!」
少し声を震わせながらも、ソノラは毅然とケマを見つめ返した。
以前のように自信を喪失していた少女はもういない。
「どうしてよ! どうしてなのよ! ゴホッゴホッ!」
「ケマさん。気づきませんか? 私はソノラです」
「ソノ……ラ……?」
呆然とソノラを見た。
顔のパーツも、肌も、胸も、腰も、足も、髪も、全てが美しく艶を放っている。まさに人外の美女。
わからなくても無理はないだろう。ソノラの面影を残しているのは顔立ちと栗色の髪くらい。
ケマの顔が憤怒で染まった。
「おまえ……おまえぇぇえええええええええ!」
奇声を上げ、必死でソノラへと掴みかかろうとするが、虚しく空気を掻きむしるだけ。ソノラには届かない。
「私の美しさを返せぇええええ! 私が貰うはずだった美しさをぉぉおおおおおお!」
ソノラは何も言い返さない。無言で髪を振り乱す老女を見つめ続ける。
黄金の黄玉の瞳に輝くのは憐憫の光。
「行きましょうか、殿下」
「もういいのか?」
「はい。少しスッキリしました。私、どうしてこんな女性に劣等感を抱いていたんでしょう? やっぱり人は中身が大事ですね」
俺たちはケマに背を向けた。
ソノラにとっては、一種の決別に近かったのかもしれない。
背後から鉄格子を叩く音と奇声が上がった気がするが、俺たちの足は止まらない。
「返せぇええええ! 私の美しさを返せぇええええええ! かえせぇえええええええええええええ!」
ソノラも俺も一度も振り返ることはなかった。
▼▼▼
暗くなった空。今日は親龍祭の五日目の夜だ。
前半戦が終了しても、王都の賑わいは変わらない。むしろさらに高まっている。
昨日の夜から今日までずっと、ソノラは自分の力の扱い方を学んでいた。まだ繊細な制御を行うことはできないが、何とか一般的な生活をおくれる程度には成長した。
圧倒的な成長速度。使い魔も俺も感心や驚きを通り越して呆れかえったほどだ。
もう無意識に魅了が溢れることはない。特訓に付き合った俺は何度魅了されたことか。縛られていなかったら危なかった。
「この辺りで誘拐されたんです」
ソノラの家の帰り道。人通りが少ない薄暗い住宅街。
少し怯えたソノラが繋いでいる俺の手をギュッと握りしめた。
「今日は大丈夫だ。俺がついてる」
「……殿下のそういうところ、ズルいと思います」
薄暗い街灯の明かりに照らされて、ソノラの美しい横顔が赤く染まっている気がした。
俺たちは静かな町を歩き続ける。
すぐにソノラが住むアパートに到着した。ここに来るのは二度目だ。
「お邪魔しまーす」
「は、はい。どうぞ」
緊張してぎこちないソノラの声。そこまでガッチガチに固くならなくてもいいのに。
整理整頓されているが、所々乱雑で生々しい生活感あふれるソノラの部屋。
この部屋に最後に居たのは働く女性コンテストに出場する直前だったのだろう。その日の夜に誘拐され、昨日は悪魔と化した影響で一日眠りにつき、今日は俺の屋敷で能力の訓練。
散らかった衣服や化粧品など、慌てて外出した感じがありありとわかる。
「み、見ちゃダメです!」
慌てて衣服をかき集めるソノラ。残念ながら一番上に乗っている下着が丸見えだぞ。
「ふぅ……これでなんとか」
隠し……片付け終わったようだ。額を拭い、一息つく。
男女二人っきりの部屋。少しの気まずさと緊張感を感じる。
「私は、殿下が好きです」
突然の告白。黄金の黄玉の瞳が不安に揺れながらも、一心に俺を見つめている。
「ああ、知ってる」
「あはは。ですよねー……。本当は一生言わないつもりでした。ド平民である私なんかが殿下のお隣にいることはできませんから」
「……」
「殿下のお気持ちもちゃんとわかってますよ」
今まで、俺はソノラの気持ちを知りながら何も言わなかった。ソノラの覚悟が決まるまで。
王族と平民の結婚。許される、というかむしろ推奨されているのだが、莫大な責任が伴う。腹黒な貴族たちとやり取りし、国民や領地を守る責任を負い、他国の貴族にも侮られないようにしないといけない。特に俺は嫌われ者。
一般人には背負いきれない重圧だ。
俺から告白したとしても、その後のソノラが耐えられたかどうかわからない。
「たぶん、私は耐えられなくて潰れちゃったと思います」
それに殿下の婚約者様たちは皆お美しいですし、と辛そうに呟いた。
平民と王侯貴族との結婚は必ずしも幸せではない。不幸になる時もある、か。
「殿下、私、こんな化け物になってしまいました……」
羽織っていた外套を脱いだ。
バサッと悪魔の黒い翼が広がる。
背中が大きく開いた服を着ていたため破れることはない。
腰の辺りから覗くのは尻尾。黄金に輝く魅了眼。
「私……私はっ!」
「約束」
「……えっ?」
悲しげに美貌を歪めるソノラの言葉を遮って、俺は一言だけ述べた。
あまりに簡潔すぎてソノラはキョトンとしている。
「約束しただろ? ほら、前にデートをした時に」
「えーっと……あっ!」
「思い出したか? 働く女性コンテストでケマよりも順位が高かったら何でも言うことを聞くって。二日目は出れなかったけど、ソノラは圧倒的な得票差で一位だったぞ」
俺は微笑みながらソノラに告げた。
「ソノラは一体何を望む?」
「私は……」
言い淀んだソノラは何度か深呼吸をして覚悟を決めた。
「私は、シラン殿下のお傍に居てもいいんでしょうか?」
「結婚は望まないのか?」
「いえ、憧れますけど、やっぱりド平民の私は煌びやかな貴族の世界には合わないかなぁって。お屋敷の皆さんにお話をお聞きしましたが、結婚とか関係なくほぼ同等に愛してくださるっておっしゃってましたし。むしろ、柵がなくて楽だとか」
あぁー、使い魔の皆はそうだろうな。基本的に自由に過ごして俺を襲う。
貴族や王族、国は関係ない。自分のしたいことをするだけ。
人外のモンスターばかりだからな。
「というか、夜が凄いから気を付けろって全員に忠告されました。殿下のほうが淫魔じゃありません?」
「あ、あはは……ノーコメント」
ジトッとしたジト目は顔を逸らして受け流す。
はぁ、という途轍もなく深いため息は聞こえない。
「私も馬鹿ですね。こんな女誑しの殿下のことがどうしようもなく好きなんですから」
次から次へとソノラの本音がこぼれ出す。
「私はまだまだ『こもれびの森』で働きたいです。孤児院の子供たちのお世話もしなければなりません。院長先生に恩返しも。常連客の皆さんとお喋りして、商店街でお買い物をして、時々フラッとやって来るどこかの大好きな王子様をもてなす……私は今の生活を失いたくありません! 平凡な日常が良い! でも、大好きな殿下と一緒に居たい!」
ソノラがこんな風に強く自分の感情をあらわにするのを初めて見た。
いつもニコニコと元気に振舞っていたから。
「……私は我儘ですね。本当に嫌な女です」
「願いはそれでいいか? 今まで通りの生活をしつつ、俺の傍にいる」
「……そんなことが許されるのでしょうか?」
「それがソノラの願いなんだろ? だったら俺は約束を果たすだけだ」
部屋の床に魔法陣が出現した。静謐な光を放つ契約の魔法陣。
どこかのテロ組織が描いた禍々しい魔法陣とは違う。
「願いを変えるなら最後のチャンスだ。これは使い魔契約の魔法陣。ソノラを使い魔として俺の配下にする。永遠にソノラを守るし、愛すると誓う」
「はい」
「基本的に自由に過ごしていい。『こもれびの森』で働いていいし、孤児院のちびっ子たちをお世話も出来る」
「はい」
「ただし、もう俺から離れられないからな。ずっと傍にいてもらう」
ソノラが顔を赤くして美しく微笑む。
「はい。覚悟の上です。私は二度シラン殿下に命を救われました。幼い頃とこの前のこと。だから、今度は私が恩返しする番です! たっぷりとサービスしますからね、お店でも、その……ベッドの上でも……」
「いやいや、ベッドの上は強制しないんだが」
「いえ、やってやります! 私、サキュバスなので!」
なんかソノラのやる気に火をつけてしまった。
頑張れ私、と燃え上がっているソノラをどうすればいいだろう?
まあ、なるようになるさ。
「さあ、契約だ」
「はい!」
指に小刀で傷をつけ、魔法陣に血を一滴たらした。
紅い光を放ち、魔法陣から鎖が飛び出した。蛇のようにしなった鎖はソノラの身体に絡みついていく。
ソノラに恐怖はない。心穏やかだ。
キィィィン、と澄んだ音が鳴り響き、鎖が消失する。契約完了だ。
俺とソノラは繋がった。心の奥深いところで通じ合っている感じがする。
ソノラの魔力が、ソノラの力が、ソノラの優しい想いが伝わってくる。
「殿下っ!」
トンっとソノラが俺の胸の中に飛び込んできた。咄嗟にギュッと抱きしめる。
「私は殿下のことが大好きです!」
契約の最後を締めくくるのは当然あれだろう。
契約の証。キス。
俺とソノラの唇はいつまでも重なり合っていた。
《第七章 黄金の悪魔の禁術 編 完》
お読みいただきありがとうございました。
今日は18時にもう一本投稿する予定です。




