第240話 調子に乗った者の末路
大通りから外れた、知る人ぞ知る小さなカフェ。そのテラス席を貸し切って、俺たちは一旦休憩していた。
ここなら、読心の能力を持つヒースも落ち着くことが出来るだろう。
もともとここに来るつもりで予約していたのだ。レナちゃんという想定外の幼女もいたが、お店側はすんなりと了承。まあ、ちびっ子が一人増えたところで、大して何も変わらないか。
飲み物と軽い食べ物を頼んで一服。
総勢八名。美少女と美女が五人。美幼女が二人。冴えない男が一人。
冴えない男からすると、もう目の保養が凄い。男が羨む光景が目の前に広がっている。眼福眼福。
若干ツンデレの美女騎士。おっとりした深窓の令嬢。明るく元気な皇女。クールビューティな完璧メイド。最近ふっくらとした体形が戻り、色気ムンムンの未亡人。そして、将来有望な癒しの天使が二人。
あぁーもう。ごちそうさまです。
「この国はどうだ? ヒース、エリカ」
「すっごく良いところだね! 何と言うか、賑やか! あと、人が多い!」
「そうですね。至る所に様々な文化を取り入れていることがわかります。皇国、教国、樹国が見られました。海国、公国、帝国はほとんど見ませんでしたが、他国の文化をまとめて、昇華させている気がしました」
あぁー。それはこの国が中央にあるからな。ほとんどの国に接している分、人の往来や交易が栄え、いろいろな影響を受けている。良いことも悪いことも。
察してくれているだろうけど、帝国と公国は今まで戦争していた敵国だからね……。
「海辺に行けば、海国の影響が至る所にあるぞ。楽器とか歌とか水着とか」
サブマリン海国は海の中にある人魚の国。歌が上手な人が多いのだ。なので、音楽が発達している。水の中では音も伝わるし。
そして何より、水着のデザインが素晴らしいのだ。見た目と機能性を兼ね備えた一級品。海国の水着はとても人気がある。
「「「「 海っ!? 」」」」
海に反応した人物が四人。その内二人は幼女たち。内陸部に住む子供にとって、海は本の中のもの。見たことがある子供は少ない。夢であり憧れなのだ。
残りの二人は、純真な少女の心を持った公爵令嬢と皇女。リリアーネとヒースだ。
どちらも深窓の令嬢として、家に引きこもっていた。海など行ったことないのだろう。
「行きたいか?」
コクコク、と頷く四人。期待で輝く瞳が眩しい。
リリアーネだけは、四人の中で一番俺を知っている。熱っぽく潤んだ瞳で上目遣い。胸の前で手を合わせて可愛らしく無言のおねだりポーズ。とても可愛い。
んっ? なん……だと!? 癒しの天使たちもおねだりポーズだと!
誰が二人に教えたんだ! いや、もしかして無意識か!? 天然なのか!?
くっ! 誰にも教えられず、この年で男にお願いをするとは……将来男を惑わす魔性の女になりそうで怖いな。それはそれで可愛いけど。
海か。行くかなぁ。女性陣の水着姿を見たいし、海で遊びたいし。
レナちゃんも行きたいとなると、孤児院のちびっ子たちも誘うか。
「よし、皆で行くか!」
やったー、と喜びの声をあげる少女たち。ジャスミンは、やっぱりそうなるわよね、と若干呆れ顔。テイアさんは喜ぶ幼女二人を宥め、エリカは……表面上の変化はないな。いつもクールなすまし顔。
皆を連れて行くとなると、調整が必要になるな。
そこは何とか頑張りましょう! 全ては、女性陣の水……笑顔のために!
「エリカエリカ! 水着を用意しないと! 海だよ海!」
「姫様。落ち着いてください。ご自分が日光に弱いことをお忘れですか?」
「あっ……お忘れでした……」
シュンと項垂れるヒース。意気消沈。悲哀のオーラが漂っている。
ヒースはアルビノ。皮膚が太陽の光に弱いのだ。今日も日傘をさしていた。
「まあ、そこは旦那様に丸投げして何とかしてもらうとして」
「俺かよ!」
「はい。出来ますよね?」
「出来ますけど!」
「なら、何も問題はありませんね」
絶大なる俺への信頼で断言し、クールにニコッと微笑むエリカ。その笑顔は有無を言わせない。
ヒースのためにも何とかするつもりではありましたけど、俺を信頼しすぎじゃありません? 俺にもできないことはあるんですよ。
まあ、今回は吸血鬼用の魔道具を使えば何とかなる。一応、日光を克服したとは言え、身内に吸血鬼がいるので。
「シラン様……!」
うぅ……キラキラしたヒースの眼差しが眩しい。ヒースの中の俺の好感度が爆上がりしている気がする!
なるほど。これを見越してエリカはヒースに指摘し、俺へと丸投げしたのか。流石エリカさん。なかなかの策士!
まあ、調子に乗りかけた主人が崖から落ちていく姿を見たかっただけかもしれないが。
「それに姫様。水着を用意してもよろしいのですか?」
「なんで? 海に行くのに水着は必要でしょ?」
「では、姫様にはご用意いたしますね。私は現地でデザインの良いものを旦那様に選んでいただきますので」
「はっ!? その手があったかぁ~!」
その手があったか、じゃないですよ。だから、キラキラした瞳で見つめないで!
あ、あれっ? ジャスミンさん、リリアーネさん? 何故二人も俺を見つめているの? そんなに媚びるように見ないでよ!
テイアさんまでチラチラと視線を向けてくるのは何故ですか!?
俺が狼狽えていると、ふと、エリカの表情が目に入った。赤紫色の瞳を輝かせ、僅かに口角が上がっている。
この状況を笑ってやがる!
いや、待てよ。赤紫色?
「ヒース!」
「はい、シラン様!」
「エリカの心を読め!」
「イエッサー!」
「ちょっ!? 旦那様!? 姫様!?」
読心を止めようとするエリカだったが、残念。物理的に止めようとしても、ヒースの前では無意味なのである。
「あぁっ! シラン様に水着を選んでもらうのを心の中でとっても恥ずかしがってる! それに、とっても期待してる! お姉ちゃんも楽しみなんだね! 心の中はピンク一色だよ!」
「ちょっとヒース!? ち、違いますからね!」
真っ赤な顔で反論しても説得力皆無だぞ、エリカさん。
ほうほう。エリカも楽しみにしているのか。ならば、水着を選んで海で遊びましょう。
いやー。レアなエリカを見ることが出来た。満足満足。そして、ヒースグッジョブ!
俺とヒースはお互いにニヤッと笑ってサムズアップ。だから、背後に立つ人物に気付くことが出来なかった。
「旦那様? ヒース?」
「ひゃ、ひゃい! ど、どうしたんですか……」
「ひょわっ!? て、照れ隠ししなくても……」
裏返った俺たちの声は途中で消え去る。
ガクガクブルブルと身体が小刻みに震えているのは何故だろう。
「何か言うことは?」
無表情のエリカ。その瞳には、怒りの炎が燃えていた。
俺とヒースは同時に叫んだ。
「「 調子に乗って申し訳ございませんでしたぁ~! 」」
≪本編には関係ないショートストーリー≫
『深紅の女王の微笑み』 その4
「ごほっ……ごほっ……げほっ!」
彼女は、虚空で咳き込む。と同時に口から血が溢れ出す。どうやら、内臓が傷ついているようだ。
その傷も、呪いにも似た超回復によって癒されていく。
手の甲で口を拭う。もともと赤かった唇が血で更に赤い。
「殴り……返された? あの一瞬で?」
腹部に残る痛みからそう推測する。
自分の攻撃は音速を超えていた。必ず当たると確信した。避けられなかった。
だが、彼女は今、遥か上空にいる。
拳が届く直前、メイドのソラの拳が彼女の腹部に突き刺さっていたのだ。下から突き上げられた衝撃で、彼女の身体は上空へと舞った。
理解した。理解させられた。あのメイドは自分よりも格上であると。
「あはっ……あはは……あははははは!」
彼女は、長い犬歯を剥き出し、身体を逸らしながら盛大に哄笑する。
「いいわ……とてもいいわ! そうよ……そうでないと!」
歓喜が抑えられない。
心のどこかで侮っていた。自分より強いはずがないと。
しかし、箱を開ければ相手は格上。ようやく会えた自分と同じ化け物。
刺激的だ。嬉しいに決まっている。
スゥーッと空へと上昇してきたソラ。その顔は涼しく微笑んでいる。
「おや。生きていましたか」
「ええ。残念ながら、私は不死身なの。それとごめんなさい。貴女のことを侮っていたわ。貴女が強くて私が弱い」
「もう降参ですか?」
「そんなわけないじゃない。折角楽しく遊べるのよ! ここで止めるなんて勿体ないわ!」
「そうですか。なら遊びましょうか。ご主人様に申し出たことですし」
吸血鬼の彼女は虚空に立ち、構えた。一方、メイドのソラは自然体。
「そう言えば名乗っていなかったわね。私の名前はファナ。貴女に挑ませていただくわ」
「どこからでもどうぞ」
風が吹く。二人のスカートや髪が舞う。
高まる緊張感。込み上げる興奮と衝動。身動きすらせず、相手から目を逸らさず、睨み合う。
どちらも静謐な空気を纏い、威圧感を感じないことが逆に不気味で恐ろしい。
ソラが瞬きをした。目を閉じる瞬間を見逃さず、ファナが飛び出す。
「《緋の翼》」
背中から鮮血が噴き出した。それは美しくも禍々しい翼と化す。深紅の翼が大きく羽ばたき、彼女の身体が加速する。
さっきと似たような直線的な攻撃。ソラはまた迎撃しようとして、不意に、ファナの姿を見失った。
「下……でもない。後ろでもない……上!」
「そうよ!」
今の一瞬でソラの真下を掻い潜り、背後を上昇して、真上を取ったのだ。ファナはもう既に攻撃の動作に移っている。
ドレスから覗く脚が空気を斬り裂き、蹴りを放つ。咄嗟にソラは腕で防御をしたが、勢いに押されて地面に墜落した。
地面が揺れ、土煙が舞う。
土煙が晴れた時、穿たれて凹んだクレーターの中心で、ソラは何事もなかったかのようにスカートの土を払っていた。
少し感心したような表情を浮かべて、空を見上げた。その龍眼に映ったのは、空を埋め尽くす深紅の光。数千、数万発の血の弾丸だ。
「《血濡れた弾丸・全弾射撃》!」
全弾がソラめがけて発射された。音速を超えて迫りくる血の弾。それは最早血の壁にも思えた。
着弾する直前、ソラはカッと目を見開く。
「ハッ!」
身体から放たれた凄まじい魔力が血の弾丸を防ぎ、押し返し、更なる気合一閃で消し飛ばす。
「ふむ。少々やるようですね。次は、こちらから行きますよ」
地面を蹴りつけ、上空へと飛び上がる。その勢いを利用して、ファナへと襲い掛かった。
空中で巻き起こる超高速の近接戦闘。白銀と深紅の光が流星の如くぶつかり合う。
殴り、突き、斬り裂き、蹴る。それを躱し、避け、防御し、距離を取る。
少しでも距離が開けば、即座に相手が追撃。体勢を整える暇さえない。
「ハハハハハ! アハハハハ!」
ファナは牙を剥き出し、狂ったように笑い続ける。その身体は、顔は、全身は、血にまみれていておぞましい。しかし、それが何故か蠱惑的で艶めかしい。
「アハハハハ! アハハハハ!」
ソラの攻撃は、防御しただけで骨が折れる。砕ける。掠っただけで皮膚が裂ける。直撃など四肢が吹き飛ぶ。だがそれも、吸血鬼の特性で瞬時に再生。
それに加え、自分の攻撃は一切通用しない。直撃してもソラの肌には傷一つつかない。
圧倒的な力の差。二人の間には理不尽なくらい隔絶した差があった。
それでもなお、ファナは挑みかかり、笑い続ける。
「《真紅の爪》」
爪先に伸びた血液の爪が、ソラの頬を掠った。吸血鬼の血が、相手を溶解し侵食。
普段なら相手を灰にすることが出来るが、絶大な防御力を誇るソラの前には、薄皮を一枚斬り裂いただけだった。
ソラは背後へと滑るように飛んで距離を取った。
「ほう。私に傷を付けましたか」
頬を一撫でし、手に付着した僅かな血痕を確認して、感心したように呟いた。
傷はもう塞がっている。再生して治癒し、傷一つ残っていない。
むせかえるような錆びた鉄の臭いが、真っ赤な血霧が、空に広がった。その霧が集まり、形を作る。
「《鮮血の薔薇》」
夜空に咲き誇る赤い薔薇の花。作り出したファナは薔薇の花に囲まれ、妖艶に微笑んでいた。
ソラも彼女に微笑み返す。
「綺麗な薔薇ですね」
「でも、綺麗な薔薇には棘がある。どう? 味わってみる?」
「止めておきます。ですが、貴女は実にご主人様好みの女性です。味わわせたいのならぜひご主人様へどうぞ」
「あら、あの坊や? …………若すぎない?」
思わず素に戻って問いかけるファナ。見た目も中身も10歳未満にしか見えなかった。数百年以上生きた彼女からすると彼は赤ん坊にも等しい。
「ふふっ。ご主人様の隣にいると退屈しませんよ。すぐに貴女もわかるでしょう」
「それは魅力的ね。でも、それは後回し」
「そうですね。では、技比べといきましょう。《白銀の薔薇》」
白銀のメイドの周りに白銀の薔薇が浮遊する。薔薇に囲まれた彼女は美しい。
真紅の薔薇と白銀の薔薇。二人が片手を前に出して合図すると同時に、相手に向かって舞う。
お互いにぶつかって、幻想的な光の花弁をまき散らせながら対消滅。力は互角だ。
ファナは即座に血霧を噴き出し、追撃。
「《緋願花》」
「では、私も。《彼岸花・白雪》」
空中に咲き誇る冥界の花。赤と白の彼岸花。まるで地獄の光景。しかし、それにしては美しすぎる光景だった。
今回の技も互角。赤と白の花は萎び、儚くも美しい一生を終えた。
「《紅蓮》」
「《白蓮》」
今度は赤と白の蓮の花。僅かに回転しながらぶつかり合う。
力と力のぶつかり合い。技と技の応酬。
正々堂々と正面からの攻撃…………と見せかけて、相手を惑わし、騙し、掻い潜り、予測して、隙を突く。高度な戦略戦だった。
三度目の攻撃も互角に終わった。
「もう終わりですか?」
一切の攻撃の準備を見せないファナに、ソラは静かに問いかけた。ファナは肩をすくめる。
「まあね」
「そうですか。では、次は私から」
何の攻撃をしようとしたのだろう。ソラが虚空を踏みしめ、前に出ようとする。
「っ!?」
突然、何を感じたのか、ソラは急ブレーキ。目を凝らし、辺りを見渡して、何かに気づいた彼女は思わず目を見開く。
うふっ、ファナは妖艶に微笑み、獰猛に牙を剥き出しながら声を張り上げて荒々しく叫んだ。
「だって、もう準備は終わっているもの!」
「こ、これは……」
周囲に漂うのは微細な血の欠片。ガラス片のように尖った数ミリの血の結晶。
衝撃でもなく、貫通でもなく、ただただ相手の肌に突き刺さって侵入することに特化した攻撃だ。
あのままソラが踏み出していたら、全身にその血の結晶を浴びていたことだろう。目に突き刺さったらひとたまりもない。
今までのファナの攻撃は、全てこの技のため。空気中に小さな血の塊を浮遊させ、張り巡らせるため。相手に気づかれないように、悟られないように、静かに、さりげなく。
「《霧幻の血晶》」
血の結晶が一気にソラへと殺到した。細かな血の欠片が密集して赤い霧と化して、ソラの身体を覆い隠す。
「これならどう? …………って、そう上手くいかないわよね」
言葉の途中で、深紅の霧が吹き飛んだ。
爆風の中心から現れたのは白銀に輝く細長い巨体。
「良いわねぇ。そう来なくっちゃ」
長く伸びた犬歯を剥き出し、獰猛に笑う。
戦意を滾らせた真紅の双眸が睨む先には、全長50メートルはあるであろう、白銀の鱗を持つ龍がそびえ立っていた。
「―――第二ラウンドの始まりってところかしら!」
お読みいただきありがとうございました。




