第194話 堕魂化
赤と白銀の光が消えた。髑髏・呪魂がいた場所には、巨大な黒い骨が横たわっているだけだった。体内を構成していた顔が浮き出るねっとりとした闇は存在しない。ただの骨と化した。
動く気配はない。
「……倒したの?」
「たぶん。念のため、浄化してみましょう」
疲れきった体に鞭打って、聖属性の光で骨を攻撃する。しかし、骨は何も反応しない。どうやら倒したようだ。
赤い龍人の姿のアルスが、はぁ~、と大きく疲労と安堵の息を吐いて、膝から崩れ落ちた。四つ這いになっている。魔力や体力を大幅に消耗したのだろう。
「ふぅ~。強かった……二度と戦いたくない」
それは同意する。あんな化け物は出来れば一生出会いたくなかった。聖属性にも炎属性にも耐性があり、物理も魔法もほとんど効かない不死者モンスター。悪夢だった。
地上に現れたら甚大な被害が起きていただろう。ダンジョン内でよかった。
身体から熱を放つアルスが赤く輝いた。シュルシュルと龍の尻尾と角が縮み、鱗が消えていく。龍化が解けるようだ。無事に元の姿に戻る。
「あ゛ぁー」
女性が出してはいけない疲れきった声だな。おっさんみたい。乙女なんだから、男の俺の前では止めましょうよ。
元の人間の姿に戻ったアルス。しかし、変化はそれだけではなかった。
「えっ?」
俺の目の前で、ポロポロとアルスの服が崩れて、灰も残らず消えていく。龍化していた時に放っていた熱量に服が耐えられなかったのだろう。あっという間に、アルスは生まれたままの姿になった。
丁度俺からお尻が丸見えだ。乙女の秘密の場所と、右のお尻に浮かぶグリフォンのタトゥーが全て……。
「えっ? あれっ服が……きゃぁっ!?」
アルスは小さく悲鳴を上げ、咄嗟にしゃがみ込み、腕で胸を隠しているのだろう。俺からは彼女の綺麗な背中とわずかに見えるお尻しか見えない。
しっかりと記憶に刻み付けた俺は、上着を脱いで、彼女に放り投げた。そして、後ろを向く。
慌てて羽織る衣擦れの音がした。シュバッとテント型の魔道具が展開する音がして、アルスの気配が消えた。中に着替えに行ったらしい。
しばらくすると、服を着たアルスが出てきた。顔は真っ赤。貸した上着を投げ返してくる。
「……ねえ? 見たよね?」
「……」
「無言は肯定とみなす。あぁ……二回も見られるなんて……。お嫁に行けない……。お願いだから忘れて!」
忘れてって言われても、鮮烈な光景だったから忘れることはできません。もう記憶してしまいました。永久保存です。
羞恥で紅榴石の瞳が潤んでいる。俺をビシッと指さした。
「取引しましょう!」
「取引、ですか?」
「そう。ずっと指摘しようと思ってたんだけど、貴方、仮面が割れてるよ」
「っ!?」
仮面を触ると、確かに右側の上部が割れていた。右目が露出している。
割れているということは、認識阻害や声の変化も……。
「バッチリ地声を聞かせてもらったから! 目の色もね!」
「……いつからですか?」
「えーっと、貴方が壁に叩きつけられた後、かな? 腕がちょん切れてた時」
あぁー。あの時か。何かが割れる音がしてたな。骨じゃなくて仮面が割れたのか。
アルスに背を向けて、一瞬で予備の仮面をつけ、再び振り向く。あまりの早業にアルスが目を見開いて驚いていた。
「取引よ! あたしは貴方の情報を忘れる。貴方はあたしの裸を忘れる。どう?」
「……いいでしょう。私は何も見ていません」
「取引成立!」
まあ、忘れることはできないけどね! 誰にも言わないと約束しよう。
俺たちの間にぎこちない空気が流れる。その空気を破ったのは、クルクルと鳴るお腹の音だった。
ハッとお腹を押さえるアルス。お腹が減ったらしい。
「……何か持ってない? お腹減っちゃった」
上目遣いで可愛らしくおねだりをする。胸の前で両手を合わせるポーズ付き。
ぐはっと心の中で吐血した俺は、無言でクッキーが入った袋を取り出した。顔を輝かせ、嬉しそうに受け取ったアルスは、すぐにポリポリと食べ始める。小動物の食事シーンみたいで可愛い。ほのぼのする。
「美味しい。ありがと。身体が頑丈なのはいいけど、燃費が悪くてね。すぐお腹が空いちゃうの」
だから大食いなのか。納得した。普段でもエネルギーの消費が激しいのに、今回は龍化までしたんだ。消費量は相当なものだろう。
少し休憩して、俺たちは髑髏・呪魂の遺骨に近づいた。とても大きい。全長は50メートルはある。
骨からは今なお禍々しい強大な力を感じる。骨の芯まで力が染み込んでいる。錬金術の触媒として使えるかもしれない。
「骨が消えない。ということは、やっぱりダンジョンのモンスターじゃなかったんだ」
「あれがお目当ての『髑髏の心臓』です」
「どれどれ?」
俺が指差した先にある肋骨に守られたいた白い塊。直径20センチくらいの球に近い多面体だ。見た目や触り心地は水晶に近い。透明ではなく、白く濁っている。
髑髏の心臓をアルスに渡した。両手で大事そうに持ち、泣き笑いを浮かべた。
「これでフウロが助かる……よかった……」
「アルストリアさんの呪いはどうするのですか?」
「あたしの呪い? ううん、もうどうでもいいの。これを持ってわかった。あたしの呪いはこれでは解呪できない。何となくわかるの。というか、これはフウロに使うつもりだったし」
そっか。アルスの身体を蝕んでいるのは、もっと強力な呪いなのか。
一時的に髑髏の心臓を俺の異空間に仕舞った。俺が持っているのが一番安全だとアルスが判断したのだ。少しは信頼してくれたようでちょっと嬉しい。
「あとは、この骨を仕舞って、地上に戻るだけ……」
『上様! 逃げテ!』
その時、頭に金切り声が響き渡った。同時に、身体の毛が逆立ち、強烈な死の気配が俺を襲う。
ニュクスの言葉を聞いたときには、身体が無意識に動いていた。アルスの身体を抱きしめ、背後に飛ぶ。壁際で油断なく空間を睨む。
「えっ? なになに? どうしたの?」
訳がわからず、キョトンとしたアルス。でも、彼女も何故俺が警戒しているのかすぐにわかったはずだ。
『……ユルサヌ』
ゾワリと背筋が凍る憎しみの声。死の意思が直接伝わってくる。
腕の中でアルスがブルブルと震え始めた。恐怖で歯がガチガチとぶつかり合っている。
髑髏・呪魂の骨から黒い靄が溢れ出した。靄が凝縮し、どす黒い液体のようにブクブクと膨れ上がる。吐き気を催す気持ち悪さ。醜悪な液体だ。
「うわ……気持ち悪い」
髑髏・呪魂は倒した。なのに憎悪、殺意、怨恨など、あらゆる負の感情で死に抗っているらしい。
何という執念深さ。
『ユルサヌ!』
世界そのものを呪う呪詛の言葉。それだけで俺たちも呪われてしまいそうだ。
攻撃するなら今がチャンスだ。今を逃せば、取り返しがつかないことになると本能が教えてくれる。
膨れ上がる黒い塊に攻撃しようとした瞬間、めまいに似た症状が俺とアルスを襲い、空間の歪みに巻き込まれた。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
ドン、と背中とお腹の辺りに衝撃が走った。背中は固い。お腹は少し柔らかい。俺は地面に寝転び、アルスが馬乗りになっていた。周囲に俺たちの荷物が散乱している。
ここは……ダンジョンの外か?
「あっ、ごめん」
アルスは、状況は全然理解できていないけど、俺の上に乗っていることだけはわかったらしい。周りをキョロキョロ見渡しながら、取り敢えず退いてくれた。
小屋から、ギルドの監視員が飛び出してくる。
「お帰りなさいませ」
「あ、ああ」
本当にダンジョンの外らしい。景色も来たときに見た光景そのものだ。
ダンジョンによって外に排出された? そんなことがあり得るのか?
俺とアルスがダンジョンから追い出されたということは、もしかして、アイツも?
ふと、頭上に強大な魔力を感じた。
「おいおい。嘘だろ……!?」
「なんで? なんであの気持ち悪いやつも外に!?」
俺たちは呆然と夜空を見上げる。
「なんなんだよあれは!」
素に戻って声を荒げる俺に答えたのは、顕現したニュクスだった。夜のような黒髪を揺らし、黒曜石の瞳で空を見上げ、静かに告げた。
「あれは堕魂デス。髑髏が堕魂しまシタ」
「堕魂……だと!?」
俺たちの頭上で、形容し難いおぞましい闇が夜空を埋め尽くしていた。
お読みいただきありがとうございました。
 




