第170話 花を売る幼女
夜の歓楽街は賑わっている。特に娼館が存在する色街のエリアは。あちこちで街娼の姿があり、店や宿に客を誘おうとしている。
そんなお酒と香水が漂うエリアを、俺は二人の美女を連れて歩いていた。真面目そうな金髪の美女とおっとりしている銀髪の美女。二人の頭にはピコピコ動く狼耳。お尻の辺りにはユラユラ揺れる尻尾。人化した日蝕狼と月蝕狼だ。美しい二人は周囲の視線を集めている。
男たちは欲深い視線を、女性たちは嫉妬の視線を向ける。でも、連れているのが俺だと気づくと、誰も話しかけようとはしない。
「今日くらいは屋敷で大人しくしても良かったのです」
生真面目な日蝕狼が、はぁ、とため息をつきながら言った。
確かにそうしてもよかったが、世間的には俺は夜遊び王子だからな。女遊びを繰り返しているように見せないといけないんだ。
「今日は娼館には寄らないから。見回りだけ」
「それなら許しますが」
「気を付けないと婚約者ちゃんたちに愛想尽かされるよー」
「う、うぐっ!? そ、それは困る……」
実家に帰る、とか言い出されたらどうしよう。迎えに行って土下座とか? あの親バ……ごほんごほん、子煩悩の公爵たちの前で? 絶対に嫌! 殺されてしまう! エリカとヒースのところも親バ……子煩悩だからなぁ。何をされるか……。
「月蝕狼。それは違うと思います。彼女たちは愛想を尽かしたりしません。ですが、あまり心配させてしまったら、ご主人様を監禁するかもしれません」
「なるほどー」
「あ、あり得る。そっちのほうがあり得る」
青筋を浮かべた笑顔のジャスミンを筆頭に、ニコニコ笑顔のリリアーネ、クールビューティなエリカ、エリカに従ったヒースが、俺をグルグル巻きにしてガチャリと部屋の鍵をかける。そんな光景が簡単に想像できる。使い魔たちもノリノリで彼女たちの味方に付きそう。
「もちろん私は女の味方。そのほうが面白そー」
「私もです。ご主人様は私たちを心配させすぎです。偶にはしっかりと反省してください」
「は、はいです。ごめんなさい」
こ、怖い。日蝕狼のお説教口調が怖いです。真面目な彼女は厳しいのです。
思わず背筋をピシッと伸ばしてしまった。条件反射というやつだろうか。
冷や汗をダラダラと流していると、五人ほどの男たちが、ゲヘヘ、と厭らしい笑みを浮かべながら近づいてきた。俺たちの周囲を取り囲む。余所から来た冒険者のようだ。
「おうおう。えらい別嬪さんを連れてるじゃねぇか」
「お姉さんたち、こんな冴えない坊主じゃなくて俺たちと一緒に来ない?」
「お金あるから何でも奢るぞ」
「人数多い方が満足するだろう? 子犬ちゃんたち」
「俺たち、とっても強いぞ」
イラッとした俺が行動するよりも早く、日蝕狼と月蝕狼は動いていた。鋭い犬歯を剥き出しにし、物凄く低い声で冷たく言い放つ。
「「 あ゛ぁっ? 」」
彼女たちの身体から、獰猛で荒々しい純粋な殺気が迸った。
男たちが一瞬で白目をむいて気絶する。地面に倒れた男たちは、口から泡を吹き、ピクピクと痙攣している。服には獣の爪で斬り裂かれた跡もある。
周囲の人が数歩後退った。
何事もなかったかのように日蝕狼と月蝕狼がニコッと微笑む。
「ご主人様、行きましょう」
「夜のお散歩だー」
更に周囲の人が数歩後退った気がする。
ウチの使い魔たちが申し訳ございません。可愛いでしょ?
俺たちは夜の街を歩き続ける。
ふと、二人が立ち止まって、狼耳をピクピク動かす。ある方向を見つめたかと思うと、どこかへと引っ張られる。一体どうしたのだろう。
「こっちです」
「急いでー」
連れて行かれたのは賑やかな場所から少し外れた小道。治安が悪い一画。暗くて人はまばら。ガラが悪い男や、妖しい女性がひっそりと闇の中に立っている。
二人の男が壁際に詰め寄っていた。酔っぱらったのか、何かの薬の効果なのか、興奮した様子で大声を上げている。
「きゃひゃひゃ! おいおい! こんなのが花を売ってやがる! 蕾か? 蕾だろうなっ! 当たり前かぁ! きゃひゃひゃ!」
「いくらだ? 嬢ちゃん。いくらでも払うぞ」
「相変わらずロリコンだなぁ、オメェはよぉ! 俺にはその良さが全くわかんねぇ! コイツはまだ赤ん坊だろうが!」
どうやら男たちは花売りの少女に話しかけていたようだ。花売りは身体を売る隠語の一つだ。
男たちの隙間からチラッと見えたのは、五歳くらいの本当に小さな女の子だった。猫耳がペタンと垂れて、身体を小さく丸めてブルブル震えていた。月のような青みがかった銀色の瞳からはポロポロと大粒の涙が零れ落ちている。
「あれはセレネちゃん……?」
気付いたときには勝手に体が動いていた。間に割り込み、セレネちゃんを背中に庇い、男たちを睨みつける。
足元には萎れた花が散らばっていた。
「……にぃにぃ」
「もう大丈夫だからな」
「割り込みはいけないなぁ。順番は守ってくれないと」
「兄ちゃん。俺のツレが先なんだよ。痛い目にあいたくなかったらそこを退け」
俺は無言で男たちを威圧していく。怒気、殺気、魔力をぶつける。最初は余裕そうに威圧を返してきた男たちだったが、すぐに冷や汗を流し始めて、身体が震え、顔が青くなり、口から泡を吹き、白目をむいて、真後ろにバッターンと倒れて動かなくなった。ピクピク痙攣している。
こんな幼い子に手を出そうとするなんて、インポッシブルでも飲ませてやろうか?
男が気を失ったことを確認して、俺は怯えていたセレネちゃんを抱きかかえる。
「悪い人たちはお兄ちゃんがやっつけたからな!」
「……こわかったぁ~! うわぁ~ん!」
セレネちゃんが大声を上げて泣きはじめる。とても怖い経験だったろう。間に合ってよかった。
日蝕狼と月蝕狼も泣きじゃくるセレネちゃんの頭や背中を優しく撫でる。二人が気づいてくれたから助けることが出来た。本当にありがとう。
「セレネちゃん。お母さんは?」
「ひっく……ママは、ひっく……一人で、おしごと……ぐすっ」
しゃっくりを上げながら、何とか説明してくれた。
涙で濡れた月長石の瞳をゴシゴシ拭っている。
「セレネも、ぐすっ、ママのお手伝いがしたくて……ぐすっ」
足元に散らばる萎れた花はそういうことか。セレネちゃんが一人で家を飛び出し、花を売っていたのだろう。それで、男たちは別の意味に捉えたと。
こんな暗くて治安が悪い場所に入り込むなんて、攫われなくて本当によかった。
「今日は遅いから帰ろうな? 家に案内してくれる?」
「うん! でも……今日はレナのところ。ママが迎えに来る」
レナ? レナって孤児院のレナちゃん?
今日一日預けていたのかな、それともまさか……と考えたその時、背後から疲れきった男の声が聞こえてきた。
「ようやく見つけました。探しましたよ、セレネさん」
お読みいただきありがとうございました。
誤字報告ありがとうございました。(2020/5/9)




