第143話 反省
真夜中。丁度日付が変わる頃。俺は一人で寝室のベッドで寝転んでいた。場所はフェアリア皇国の『緑の城』。ただボーっと静寂に耳を傾けている。
昼のエリカ殺人未遂事件と、ヒースの誘拐&強姦未遂事件は予想通り大騒動になった。
皇族が公爵に攫われたんだから仕方がないか。それに、他国の王子である俺の使い魔まで攫ったから。
あの後は、駆けつけてきた皇国の騎士たちにウンディーネ家の親子を引き渡し、俺も大人しく城に戻った。
皇王陛下に謝罪と説明をした。皇国の宰相による事情聴取も行われた。
いや~。皇王陛下は怖かったなぁ。皇国貴族の無礼に対する謝罪と、ヒースを助け出したことへの感謝を述べられたが、オダマキに関することを説明しているときは、爽やかハンサムの皇王陛下が激怒していた。陛下って笑顔で微笑みながら怒るんだね。目が笑っていない笑顔はとても怖かったです。
俺ができることは全て終わった後は、今のように部屋でじっとして謹慎している。誰にも言われていないが、大人しくしていたほうがいいだろう。
すると、夜の静寂を破って、コンコンッと寝室のドアがノックされた。
こんな夜中に訪れるのは一体誰だろう? まあ、予想はできるけど。
「どうぞー」
「失礼いたします」
クールで美しい声が聞こえ、静かに超有能メイドが入ってきた。エリカだ。
夜なので金緑石の瞳が赤紫色に輝いている。とても綺麗だ。
霊薬によって喉の傷まで治った美しいメイドが、優雅に一礼する。
「夜分遅くに申し訳ありません、旦那様」
「いや、いいさ。ヒースの様子は?」
「先ほどお眠りに」
「そうか」
ヒースは、今回のことがショックだったようで、いつもの塔の上の部屋に引きこもってしまったのだ。近づいても大丈夫なのは家族だけ。それ以外が近づこうとすると、恐怖で泣き出して半狂乱になるらしい。
目の前で親しい人が殺されそうになり、誘拐され、強姦されそうになったら、普通の少女ならトラウマになるだろう。男嫌い、人間不信になってもおかしくない。
夢魔の力を抑えて少し怖がらせるつもりが、大変なことになってしまった。貴族に少し言い寄られて、『嫌だ、気持ち悪い』って思って欲しかっただけなのにな。俺もイルも馬鹿だった。
でも、エリカがここにいるってことは、もしかしてヒースの近くには誰もいない? 皇族は今忙しいだろうから、ヒースの傍に居られないだろう。一応イルが傍にいるから何かあれば言ってくれるだろうが、早くエリカに戻るように言わないとな。こういう時は傍を離れてはいけない。
「貴族会議はまだ続いておりますが、大体の処遇は決定したと報告がありました」
ウンディーネ公爵家の親子の処遇を決めるため、皇王陛下が皇都とその周辺にいた貴族たちを急遽呼び集め、会議を行っているのだ。今回問題を起こしたのは最上位貴族の公爵。議論は紛糾するだろう。
「それでですね、あの馬鹿親子は…」
『主様。少し不味いことになった!』
エリカの言葉を遮って、イルの声が心の中に響き渡った。
『今すぐ塔を見ろ!』
塔だと!? 俺はエリカの言葉を聞くことなく、慌てて塔がある方角の窓を開け放つ。幸い、この部屋から塔が見える。今気づいたけど。
塔の屋上。多分、監視塔として作られた塔なので、屋上に見張り台がある。そこに、白い髪の少女が一人で立っていた。立っている場所は手すりの上だ。
ふわりと身体が前のめりに倒れ、少女は空中に身を投げた。
「姫様っ!?」
エリカの甲高い叫びを聞く前に、俺は窓から飛び出した。猛スピードで空中を移動し、身投げしたヒースを優しくキャッチする。衝撃を与えないように減速し、そして、再び上昇した。
ヒースを抱きしめたまま、塔の屋上に飛び上がって、着地する。
「………どうして…死なせてくれなかったの?」
腕の中のヒースが、虚ろな蛋白石の瞳から透明な涙を流しながら、壊れそうな声で囁いた。
「死にたかったのに…もう嫌だよ…怖い…怖すぎる…」
ヒースの心の叫び。今日起きた出来事で恐怖し、生を諦めてしまったのだ。
「怖いのは人の心か?」
「……そう。もう嫌! 心が読めても、読めなくても怖い! 私はこんな力欲しくなかった!」
ヒースが泣きながら叫ぶ。
読心の力を持った人は必ず通る道だ。心に敏感な彼らは人を恐れる。それを受け入れ、乗り越えるか、もしくは心を病んで壊れるか、だ。
俺は脆くて壊れそうなヒースの身体を優しく抱きしめる。
「人は誰もが負の感情を持つ。俺だって、エリカだって。ヒースだってそうだろ?」
「…私は怖いよ…」
ギュッと服を掴んで縋りつくヒース。俺は彼女を安心させるように頭を撫でる。
「恐怖から逃れるために引きこもるのは別にいい。でも、死を選んじゃダメだ。一体どれほどの人が悲しむと思う? ヒースは死んだ後のことを考えたか? 残された人の気持ちを」
こういう自ら命を絶つ人は衝動的な行動が多い。自分一人で抱え込んで、苦しんで、耐えられなくなる。自己完結をしてしまうのだ。そして、限界を迎えたら、ある日突然思うのだ。『あぁ…死のう…』って。
「俺は悲しいぞ。ヒースに死んでほしくない。だから助けた。罵られようが、引っ掻かれようが、噛みつかれようが、俺は何度だって助けるからな」
「……なんで?」
「なんでって、エリカが死にかけた時のことを思い出せば、ヒースにもわかるんじゃないか?」
その時のことを思い出したのだろう。顔が真っ青になってブルブルと震え始める。
「嫌…死んじゃ嫌…」
「だろ? まあ、後は俺じゃなくて怖いお姉さんに説得してもらうか」
「姫様っ!?」
塔の屋上に、髪を振り乱してここまで全力疾走してきたエリカが現れ、金切り声で叫んだ。
「エリカ…」
俺はエリカのほうへと、そっとヒースの背中を押した。ヒースは泣きながら、エリカに抱きつこうと走り寄る。
「エリカ…ごめ」 パシィィインッ!
突然、小気味良い音が響き渡った。俺もヒースもわけがわからず呆然と固まる。
「えっ?」
今のシーンは、ヒースとエリカが抱きしめ合うシーンだったはずだ。感動的なシーンになるはずだった。なのに、どうしてこうなった!?
エリカも抱きしめ返すと思いきや、手を振り上げ、思いっきりヒースの頬を引っ叩いたのだ。
再び手を振り上げ、今度は逆の頬を叩く。そして、何度も何度も交互に頬を叩く。
「なんて、ことを、しようと、したん、ですかっ! 自殺、しようと、する、なんてっ!」
エリカは憤怒の形相で、言葉の合間合間でヒースの頬を叩いて叩いて叩きまくる。強烈な往復ビンタが炸裂する。
あまりの出来事と剣幕より、俺は呆然と固まってしまう。
エリカのビンタは止まらない。
「旦那様が、いなければ、死んで、いたん、ですよ!」
「痛い痛い!」
「二度と、自殺を、考えないように、きっちりと、躾、させて、いただき、ますっ!」
「痛い痛い痛い痛い! ごめんってばぁ~! 反省してるからぁ~!」
「いいえ、まだです! もっと、反省、して、ください!」
「痛いよぉ~!」
「どれだけ、私が、心配、したと、思って、いるの、ですか!? 心臓が、止まるかと、思ったんですから!」
「ごめんなしゃ~い!」
「あの時と、同じ目に、あわせてやります!」
「なんか別の怒りを感じるぅ~! 絶対あの時のことを根に持ってるよね! 私がエリカを叩いたときのこと!」
「何のことでしょう?」
「とぼけても無駄! 私は心が読めるの! あぁっ! 痛いっ!」
ヒースとエリカの二人は、似たような状況が過去にあったらしい。その前回は、ヒースがエリカの頬を叩いたみたい。ちょっと気になる。
パシン、パシンとエリカは叩き続け、ようやく手を止めた時には、エリカの手は真っ赤になり、ヒースの頬も真っ赤だった。お餅のようにぷくーっと膨らんで腫れている。
「うぅ…いふぁい…」
「止めです!」
クールな表情で、エリカはヒースの身体に足と腕を絡める。
「ぎにゃぁあああああああああ!」
星空に絶叫が響き渡った。
何と美しく華麗で見事なコブラツイストなのだろう。
あまりの痛みでヒースが涙を流し、フーフーと辛うじて息をしている。ギブアップをアピールしているが、エリカは止めようとしない。
「た、たしゅけて…」
「姫様! 反省しましたか?」
「だ、だれか…」
「は・ん・せ・い! しましたか?」
「しました! しましたから! 痛い痛い痛い! ぎゃぁぁああああ!」
「もう二度と、馬鹿な真似はしませんよね?」
「しません! しませんからぁ~! ぐぉぉおおおおおおお!」
「では、私は許しましょう。しかし、明日、ご家族にご報告させていただきます。オベイロン様もティターニア様もエフリ様もジン様もお怒りになられるでしょう。お説教を受けてください」
「………」
「返事は!?」
「エリカ。ヒースの意識がほとんどない」
あまりの痛みに耐えられなくなったヒースは、口から泡を吹き、白目をむいて意識を飛ばしていた。
俺は口から魂が抜けたのを幻視してしまった。
ピクピク痙攣しているヒースは、『エリカ怖い…死ぬより怖い…絶対死にません…もうしません…許して…』とブツブツと呟いている。
これでもう二度と自殺なんて馬鹿なことはしないだろう。
コブラツイストを解いたエリカは、ぐったりとしているヒースを優しく抱きかかえた。
「本当にバカなんですから…。申し訳ございません、旦那様。姫様を寝かせてまいります」
「俺が運ぶよ」
「ありがとうございます」
俺はヒースを抱き上げ、真下の部屋へと運ぶ。
牢屋みたいな頑丈な石造りの部屋。その部屋の豪華なベッドにヒースを優しく寝かせた。エリカがシーツを掛ける。
役目を終えたから、俺は部屋に戻ろうとしたら、ヒースが俺の手をギュッと握った。意識が戻ったらしい。復活早いな。
「シラン様…行っちゃダメ…」
「いや、でも…」
「まだ怖いの…だから今夜だけ一緒に居て」
「その怖いっていうのは、エリカのことか?」
「旦那様!?」
「まあ、それもあるけど…」
「姫様!?」
心外だ、とばかりに、エリカが素っ頓狂な声を上げる。その顔がちょっと間抜けで、俺とヒースはクスクスと笑い出す。初めて会った時よりも、エリカは俺の前でも感情を表すようになった。
蛋白石の瞳を潤ませて、上目遣いに見つめられる。
「今日だけだから…お願い」
「旦那様…姫様がお眠りになるまででいいので、お願い致します」
「はぁ…わかったよ」
美少女と美女にお願いされて、俺はあっさりと諦めた。ヒースが眠るまででいいなら大丈夫だろう。
ベッドに腰掛け、ヒースの白い手を握る。エリカも腰掛けていたのだが、ヒースによってベッドの中に引きずり込まれた。
「ひ、姫様?」
「今日はお姉ちゃんと一緒に寝るの!」
「………わかったから。もう少しそっちに行って」
「わーい」
まるで姉と妹だ。髪の色も似ていて、顔立ちもそっくり。どこから見ても姉妹にしか見えない。それに、ヒースのお姉ちゃん呼びに、エリカのため口。まさかな…。
エリカの温もりを感じたヒースは、安心して目を閉じると、ものの数分で眠ってしまった。寝顔は更に幼く見えて、幸せそうだ。良い夢を見て欲しい。
『安心せよ。悪夢は見せぬ』
夢魔のイルが囁いた。今夜は悪夢から守ってくれるらしい。
いつの間にか、エリカも眠っていた。クールな表情が崩れて、寝顔は可愛らしい。眠ったままヒースをギュッと抱きしめている。
俺は姉妹のように仲がいい二人の寝顔を眺めながら、起こさないように心の中でイルと会話をする。
『ヒースを止めようと思えば止められたよな?』
『止められたぞ。だが、いつかは繰り返す。その可能性を無くすには、これが最善策だった』
『それもそうか。エリカのおかげで、ヒースはもう馬鹿なことはしないはずだ。人の心って複雑だな…』
『まぁな』
人の心は強くて弱い。弱くて強い。心というのは、矛盾して、とても複雑なものだ。
『主様よ。今日は迷惑をかけた』
『別にいいさ。全部無事に解決したし』
『今日は疲れただろう? 主様もゆっくり休め』
『えっ? ちょっ…』
ちょっと待て、とイルを止める言葉が途中で消えた。イルが俺の精神に働きかけ、睡眠を促したのだ。意識が遠のき、夢の世界へと強制的に運ばれてしまう。
『良い夢を見るがいい。おやすみ、愛しの主様』
笑いが含んだ悪戯っぽいイルの囁き声を聞いて、ベッドに倒れ込んだと辛うじてわかった瞬間、俺の意識は完全に途切れた。
お読みいただきありがとうございました。
 




