12 魔術師の激昂①
行間がキツキツで読みにくいため、行間を開けて書く書き方に変更します。
それに伴って、前の掲載分も改稿するのでよろしくお願いします。
ギルドの受付、ヴォイド・アーツは娘との買い物を楽しんでいた。
彼にとっての至福の時間。
あるいは1週間の仕事を乗り越える英気を養う時間とも呼べる。
昨日は、青の導きの面子に苦しめられ、精神的に応えていたが、可愛い娘の笑顔はそれを忘れさせてくれる。
おもちゃ屋のショウウィンドウに映る自分の顔はイベント期間の繁忙期だというのに疲れを感じさせない生気に満ちていた。
娘の力は偉大だ。
「お父さん、あそこの人形と、あそこの人形が欲しい」
娘のミデンが欲しい人形を指さして催促してくる。
必死に短い腕を伸ばして訴えかけるさまが何ともいじらしい。
「しょうがないなあ、ミデンは。ここからあそこまで買うことにするか」
アーツは棚の端から端までを指さして見せた。
ミデンはそんなアーツのしぐさに顔をほころばせ、抱き着く。
「お父さん、大好き!」
アーツの身体の底から活力がわいてくる。
これなら、一か月は不眠不休で働けそうだ。
娘の笑顔の対価としてし払うカタロンは、青の導きの預金を使わねば払えない額だが、この笑顔の前では、アーツのちっぽけな倫理観などすぐに消えていた。
アーツは堂々としたすがすがしい気分で店の扉の前に歩を進める。
途中、向うから歩いてきた男がわざとらしくアーツの方にぶつかって来た。
「……ぶ」
思わず、ぶち殺すぞ、糞野郎とののしりそうになったが、口から出そうに言葉をすんでで抑える。
ミデンには口汚い言葉は聞かせたくなかった。
「君、ぶつかって来るとはひどいじゃないか」
内心ブチ切れているが、笑顔を装って語り掛ける。
「……」
相手からの返事はない。
何かがおかしい。
当たり屋ならここで脅し文句やケンカを吹っかけてくるが、それはしないし、ただ単純にぶつかったなら謝ればいい話なのに男は何もしてこない。
不信に思い。男の身なりを上から眺めていく。
赤髪。
眼鏡。
首から下が別人のように白い、褐色の肌。
自分の腹に突き付けられた禍々しい文様を浮かべたナイフ。
視界にナイフを入れた瞬間に思わず、後ろに飛びのく。
腹にナイフを突きつけられたからではなく、そのナイフを見た瞬間に本能が飛びのけと叫んでいた。
男はアーツとの距離を奪い取ったように、動いてもないのに追随してきた。
腹にナイフを突き詰めたまま。
おそらく、それをやったのはそのナイフの仕業だろう。
常軌を逸している。
だが、アーツは不思議とは思わなった。
元冒険者のアーツはそういうものに見慣れていた。
前にいたかと思うと、背後に現れる亡霊、超常を起こす禁術に手を染めた同胞、天才の領域にある者たち。
思い出せるものだけでもそれだけ上げられる。
こういうときの鉄則は次の手を考える冷静さと、危険を感知する本能を併存させることだ。
冷静に状況を分析しようとすると
「……後ろを向け」
少し疲れた声で男は命令してきた。
厭な予感がした、自分の後ろにミデンがいるはずだ。
娘が半殺しにされている想像が頭をよぎる。
やめてくれと心が叫んだ。
後ろを振り向くと、ミデンは女に抱き上げられ、高い高いをされていた。
想像よりはるかにましだが、女は男と同じ姿をしていた。
奴の仲間だ。
ステータスの高いものなら、子供など壁に投げつけられるだけでトマトのように爆ぜさせることができる。
女の行いはミデンの首筋にナイフを突き詰めているようなものだった。
「ミデン!」
仲間が死んでいくような修羅場でも揺るがなかった冷静さが粉々に砕け散った。
娘の元に駆けだす。
が、すぐに万力のような力が肩にかかって体が動かせなくなった。
あがいて、踏ん張るがまったくもって動かない。
魔術師とは言え、アーツのレベルはマックスだ。
それが抑えられるとは、ただものではない。
最悪でも筋力はアーツのはるか上を言っている。
自分よりも上の存在だと認識すると冷静さが戻って来た。
相手に本当に殺されるとわかると娘の命より、自分の命に天秤が傾いたのだろう。
現金な自分に腹が立つ。
状況を冷静に分析する。
遠距離攻撃を主にする自分が至近を取られた上、娘の生殺与奪はあちらの手にある。
迎え撃つのは現実的ではない。
何か他に手はないのか。
まわりに助けを求めることを考えるが、すぐに不可能だと悟った。
周りの村人たちはまるで何かにとりつかれたような眼をして通り過ぎていく。
何かのスキルに掛けられていることは確かだ。
交渉して、娘だけでも開放してもらうことも考えるが、後ろの粗野そうな男が応じるとは思えない。
打つ手なしだった。
だが、絶望するにはまだ早い。
この男たちがアーツと娘を殺したりするのが目的ならすでに殺されているはずなのに、生きている。
殺されないことは確かだ。
現に娘のことで平静を失ったアーツは飛び出して、ナイフを突きつけていた男の元から脱しようとしたが肩を抑えられるだけで済んだ。
普通は殺していてもおかしくない。
男たちの目的はわからないが大人しく従順に従うことでここは乗り切れるだろう。
「さすがになんかかわいそうになって来た」
「真面目にやってくれ、まだ終わっていない」
女がつぶやくと、男が呆れたような声音で返した。声はゆるんでいるが後ろから生じる殺気はまったく緩んでいない。
男は舌打ちすると、抑えた声で素っ頓狂なことを要求してきた。
「青の導きのリーダー、ピティーの卑屈さを去勢しろ」
訳が分からない。
なんでこの男たちがピティーのことなど要求してくるのか?
こちらが疑問を浮かべていると、男が畳みかけるように吐き捨てる。
「こちらの要求にこたえなかった場合、お前の娘の命はない」
アーツの中でそんな下らない疑問は霧散して消えた。
聞くもおぞましい制裁のことが耳の中で反響する。
これは脅しではない。
これまでの男の言動がそれを辞さない冷酷な人間だと告げていた。
反故にすれば娘の命はない。
自分で自分の事を脅迫するように男の文言を反芻する。
気づけば背後の殺気は消え、アーツだけがおもちゃ屋の前で立っていた。
愛娘は男たちと共に彼の前から消えた。




