01 盗神、盗まれる
造形の精緻な白亜の神殿。
悠久を感じさせる外観には汚れひとつなく、何人たりにも犯すことを許さない荘厳さを湛えている。
水平線ではいつまでも沈まない落陽が白亜の神殿を赤く染めていた。
盗神クレフティスは玉座で船を漕いでいた。
メガネを取り、眉間を揉むがどうにも眠気は取れない。
眷属作りを不眠不休で続け、疲労がピークを迎え。
神殿の中に入って来る夕日が加減よく身体を温めていたことが眠気に拍車をかけていた。
まだ眷属作りの最中ということもあり、眠気に逆らうが、瞼が勝手に落ちていく。
どれくらいたったのか。
前方に空気のしびれを感じた。
召喚の兆候である。
異世界から転生者が召喚されたようだ。
眷属の儀を執り行うために重い瞼を持ちあげようとすると、首の根元に衝撃が走った。
転生者に殴られたのだろうか?
眼を開けてみると変わった身なりをした女が人の身体を食っていた。
まさかと思い、下を見ると、玉座しかなく、自分の身体がない。
案の定だ。
着ている服が同じなのだからその時点で気づくべきだった。
「終わったな……」
首がしゃべったのに驚いたのかわからないが、女は大きな目で見つめてくる。
もしかしたら、首を食うのが待ち遠しいのかもしれない。
口にもしゃもしゃくわえている自分の身体がそれを裏打ちしているような気がする。
権能を使って撃退しようとするが権能が使えない。
首だけなのに権能を使えなければどうにもできない。
神の身体を切ったり、たべたり、権能を無効化したり、こいつは神様キラーかなんかなのだろうか。
こんな奴は手に負えない速く助けてくれないだろうか。
気づいてるはずだと思うのだが……。
いきなり視界が変わった。
目の前一杯に床が広がる。
そのまま顔面から地面に落ちる。
こういう呼び出しかたしかできないのか、この方は。
「クレフ君、いつの間にか小さくなったね、君」
間伸びした声が聞える。
見なくても声の主はわかっている。
大神テオス様だ。
万物の母である破滅と創造の女神だ。
紫煙の匂いをこんなに強く漂わせている神はこの方しかいない。
「フー、君の所に召喚された転生者君、神殿ごとつぶしたけど逃げられちゃったよ。今ごろ下界に降りてるだろうね」
煙を吐くような息遣いと覇気のない声でいう。
「その節は……」
「顔を合わせて話さないとなんか落ち着かないな」
謝罪の言葉を遮るかと思うと、大神はクレフティスの頭をもちあげて、首から下に向かって紫煙を吹きかけた。
首から下の感覚が戻って来る。
「自分で立って」
足に力を入れるとしっかりと床を踏みしめることができる。
肩手間で神の身体を作りあげた。
相変わらず破格の権能だ。
「身体は一応作ったけど、盗られた権能が回復するかは何とも言えないね」
「盗られた?」
権能を盗られた?
身体を食われたことは覚えているが権能を盗られた覚えなどない。
どういうことだ?
「ああ、気づいてなかったのね。あれは君の存在ごと食らたんだよ。だから君は食われたん分だけ権能を損失してる」
クレフティスの脳内に衝撃が走る。
とんでもないことだ。
権能を盗られたなど。
自分は盗神としての権能の大半を失ったということだ。
単純に自分がパワーダウンするだけでは済まない。
忸怩たる思いがこみ上げてくる。
これは大問題だ。
盗まれた上に下界に逃がしたのだから。
遠くない内に混乱が起きる。
「私が見た所、君の権能は十分の一くらいだろう。つまり九割はアッチに持ってかれている」
心の中に暗雲が立ちこめる。
頭は残っているのに九割てどういうことだ。
自分は六頭身のハズだ。
見た目以上にくわれているということか。
それとも存在は体の方の比重が大きいのだろうか。
「スキルツリーを見せてもらっていいですか」
大神は半分ほど灰になった煙草を捨てて、新しい物を咥える。
新しい煙草はひとりでに燃え始めた。
スキルツリーを見せる素振りを見せない。
クレフティスがあまりの怒りに無視されているのではないかと愚考すると大神は口を開いた。
「もう君の手にあるよ」
右手を見ると羊皮紙が張り付いていた。
羊皮紙を覗く。
元もと樹形図だったスキルツリーは根元から損なわれ、小さな扇のような形になっていた。
「まあよかったじゃないか。初期スキルと中位スキルは全滅だが、最上位のスキルは半分ほど残っているのだから」
大神は煙草をくゆらせながら、どうでもよさそうに慰めの言葉を述べる。
慰めになっていない。
盗賊のスキルは初期スキルほど汎用性が高く、使い勝手のいいのだ。
逆に位が大きくなるごとに使い勝手が悪くなる。
最上位スキルともなれば、あったところで使えることなどめったない。
ない同然といっても過言ではないスキルだ。
「……」
「そう落ち込むな。今回の事は前例がない。スキルが再生する可能性もないとは確定していない。あちらで仕事をするときに再生するかも知れないだろ」
おおよそそんなことはないと確信しながらも大神の言葉にうなずく。
これ以上ごねても希望の兆しなどは見つけられそうにないのだからやめた。
クレフティスは大神がその言葉遣いとは裏腹に無慈悲な神であることを知っていた。
「もうわかってると思うけど。今の君は神として眷属を作る事が出来ないし、異界の神々と戦うこともできない。神様として責務が履行できない状態だ。じゃあ君に何ができるか。
今君にできることは一つだけだ。
君の存在を簒奪した転生者から君自身を盗みかえすこと。
それだけだ。
さあ、仕事を始めるんだ。クレフティス。私は君に期待している」
大神は盗神に残酷な要求をした。
奇跡を起こせと要求したのだ。
圧倒的な不利な状況で自分のアイデンティティーを押し通してあまつさえ勝てといった。
彼我の差は単純な権能の総量で比べれば九倍だ。
背伸びをいくらしても勝てるはずもない。
それでもこの神は同じ土俵で勝利しろという。
無慈悲意外の何者でもない。
クレフティスは眼鏡をはずして、苛立ちを込めて握り潰す。
「御意に。このクレフティス、大神の期待に必ず応えましょう」