第6話
「うっす。昨日は悪かったな」
「おはよう。宇木くん」
眠そうな表情をしながらも私達に気が付いた宇木くんは欠伸をしながら挨拶をしてくる。
笑顔で挨拶を返すけど私のはらわたの中はきっと煮えくり返っているだろう。
……覚えていろよ。新しい手帳の1ページ目でひどい目に合わせてやる。
何を隠そう。私が手帳を落とす原因を作ったのはこの男なのだ。
なかなかいい設定が浮かび上がって新作に手を付けようとはやる気持ちを抑えながら廊下を歩いていた時に友人達とバカ騒ぎながら部活へと向かうこの男とぶつかってカバンを落としてしまった。
ひっくり返った中身を慌てて回収したものの、帰宅時間の廊下は部活や帰宅で急ぐ生徒ばかり、足で手帳を蹴り飛ばしても気づかない生徒はいると思う。
実際、私自身も急いでいたし、手帳を蹴ってしまった生徒を責める事など出来ない……ただ、この男は違う。
この男が後ろ向きで歩いていなければ私に気が付いただろうし、ぶつかった後も悪いの一言で済ませようとしたのだ。ただ、さすがにぶつかった女子生徒をそのままにはできない人間も軽音部にはいたため、首根っこを捕まれて手伝いをするように言われていた。
その時には文句を言っていたわけだけど、首根っこを捕まれた時にわずかに表情が緩んでいたのを私は見逃さなかったし、私が今までこの男に持っていたドMのイメージは確証に変わった……これは筆が進みそうだ。先に思いついた設定とドM宇木くん受け設定の2作を頭に思い浮かべて足取り軽く帰った後に起きたあの絶望を私は忘れない。
……コノウラミハラサズデオクベキカ。
「宇木くん、どうかした?」
「いや、なんか背筋がゾクッとした気がするんだけど、気のせいだったみたいだ」
……おっと、どうやら少しおかしなものが漏れてしまったようだ。
さすがドMの宇木くんです。危険察知能力は人並み以上にあるようで私の中から少しだけ溢れてしまった乙女心を察したようです。
教室内を見回しているけど、どこから向けられているかを察知できないのは……いや、きっと、ドMな宇木くんは気が付いたら自ら飛び込んで行くに違いない。覚えておこう。
「そう言えば、昨日って何かあったの?」
「いや、軽音部のメンバーと部室行く時に浅見にぶつかってさ。カバンの中をぶちまけちまったんだよ。なんかなくなった物ってなかったか?」
スズは宇木くんが私に謝った事に何かあったと思ったようです。
宇木くんは気まずそうに視線をそらした後、無くした物がないかと確認してくる。
……まさか、あの手帳は軽音部の手に? いや、あれが軽音部にわたっているなら、こんな事を聞くわけがない。拾って持ち主を見つけようとする可能性もあるとしてもこんな不用意な質問をぶつけるとは思えない。
「大丈夫。何もなくなってないよ」
「そっか?」
「そんな事を聞くなんて何かあった? あの後に廊下で何か拾ったとか?」
一応、軽音部の誰かが拾っている可能性も考慮して問題ないと告げて反応をうかがってみる。
ただ、宇木くんの反応は特に何も考えていなさそうであり、あまり役に立たなさそう。少し踏み込んでみよう。
「いや、何も、何か無くしていたら悪いなって思っただけだ」
「そう? 心配してくれてありがと」
「おう」
ふむ。どうやら本当に何も考えていなかったようだ。心配してくれた事にお礼を言うと宇木くんは二ッと笑った後に登校してきた友人達のところに行ってしまう。
……役に立たない。
手帳の手がかりが何もなかった事にどこか残念な気もするけど、あの手帳が人目に触れていない事にどこか安心する。
「羽美、何かなくなったの?」
「へ? 何もなくなってないよ」
「言いたくないなら良いけど、もし大切なものだったら相談してね。私に言えなかったら、新見くんのところに行ってみるとか?」
私の様子にスズは何か違和感を覚えたようです。その様子は少しだけ寂しそうで申し訳ない気持ちになるんだけどさすがにあの手帳をスズに見せるわけにはいかない。
だけど……新見くんか? 確か、友達と何でも屋みたいな怪しい動きをしているんだよね? 何度かいろいろと主にネタとしてお世話にはなったけどあの人、私の本能が危険(ドS)だと言っているんだよね。
いつもは人当たり良い態度をしているけど、あれは本性を隠すための仮面だ。下手に弱みを見せるような事をするのは良くない。ただ、守秘義務は守ってくれていると言う噂も聞いている。
……どうするべきかな?