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妖物語 ~金色夜叉~  作者: 飯綱 華火
5/28

奇妙な二人/3

 ◆◆◆◆



 ――――薄暗い夜だった。


 午後から曇りだしていた天気は夜になっても相変わらずのようで、厚く張った雲が月を覆い隠す。

 わずかにこぼれる月影とまばらに配置された街灯の蛍光色が仄かにあたりを照らし出す。


 それはまるで霞掛かったような霧の夜。


 冬だというのに、まるで肌を舐めるように生ぬるい風が吹き抜けた。

 居残っての自主練帰り。この、どこか不気味な夜の街道を私は静かに歩く。


 コツコツコツ。響く靴音。


 連続失踪事件の影響か、最近夜に出歩く人はかなり減ったらしい。

 町にいるのは時間と暇を持て余した若者だけで、たいていの人は家に籠っている。


 コツコツコツ。夜の街中、続く靴音。


 岡崎先生も注意するように言っていたけどそれは無用な心配だったみたいだ。

 外を出歩くと言ってもそう多くはいない。ほんの少し前に通り過ぎた人のたまり場にも、たむろしていたのは数人程度。

 今私が通っているような人気のない道となれば人など全く見かけることはなく、


 コツコツコツ。ぴたりと合ったその歩調。


 連続失踪事件は何かの偶然が重なったことのようにも思える。

 そうじゃなければ手がかりなしはあまりにも異質だろう。

 むしろ気をつけるべきなのは、


 コツコツコツ。後ろ手に響く靴の音。


 ほんの少し後悔する。

 竹刀を持ってくればよかったと。だって、


 さっきからずっと、私は足音一つ立てていない――――――ッ。


「…………っ!?」


 振り返りざま、その体制から咄嗟に私は後ろに大きく跳躍をした。

 振り返った先、目の前にいたのはサラリーマン風の男だった。

 男は、本当に私のすぐ目の前にいたのだ。


「何、こいつ……!?」


 飛びのいた先で、私は大きく肩で息をする。

 振りかえった瞬間、鼻と鼻とがぶつかりあうほどに近くにいたその男は、ふらふらとどこか覚束ない足取りで近づいてくる。

 蟲が身体中を這い回ったかのような悪寒に総毛立つ。

 ひんやりと冷たいものが背を伝う。

 悲鳴を上げなかっただけたいしたものだと思いたい。

 だって振りかえるまでずっと一定の距離で私の歩調に合わせてついてきた男がいきなり目の前にいたら、普通は発狂するだろう。

 けれど、これも普段の練習のおかげなのか、私は割りかし冷静だった。


 気が狂いそうになる自分を、一歩離れたところで見ている私がいるのを自覚する。


 でももうそれも限界に近い。

 パニックになりかけの頭はうまく働かなくて、さっきからずっと震えが止まらない。

 だってこの人はどこかおかしい。

 ぱっと見普通のサラリーマンなのに佇む雰囲気に違和感を覚える、けれどどこがおかしいのは私にもわからなくて、むしろ普通の人には見えなくてそもそも人なのかもわからなくてだって普通どんな人でもぴったりとくっつくように後ろにいられたら気づくのに振り返ったらいきなり表れて顔色一つ変えないしそもそも表情がどこか能面じみてて不気味でそれなのに先っから急ににたにたにたにたにたにた嗤いだしてそれがすごく気味がわるい―――――――――


「ぁぁ……」


「――――――――ッ!?」


 走った。

 ただ走った。

 ひたすらに走った。

 何も考えずただがむしゃらに恐怖を振り払うように走った。

 鳴り響くアラーム。理性がひたすらに警告を打ち鳴らす。


 逃げろ。

 逃げろ。

 逃げろ。


 もしかしたらそれは本能だったのかもしれない。

 野生の動物のように、ただ込み上げる恐怖から逃れるために走った。

 もう何が何だかわからない。


 ただ走って。走って。走って、走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ハァ、ハァ、ハァ、」


 心臓が跳ね上がる。

 肩で息をつく間どくんどくんと心臓が暴れ狂う。

 いっそのこと抉りだしてしまえれば楽かもしれないと思えるほどの動悸。


「ハァ、ハァ、ハァ、」


 気がつけば私は知らない場所にいて、


「ぁ、ぁぁ……」


 すぐ後ろにはあの男が立っていた。


「――――――――――――ッ!!!?」


 声にならない悲鳴が夜の街を引き裂いた。


 喉から噴き出す絶叫。

 あまりの恐怖に、なにかが、私の中で反転する。


「――――」


 硬直して動けない体とは裏腹に私の心は凍てついていた。

 薄気味悪くにたにた笑う男を前に震えている私自身を、どこか冷静に観察している。

 だから恐怖は止まらないし無くならないのに、私はもう助からないんだと、()めた私が結論を下す。

 

 どういうわけか。

 私は今の状況よりも、そんな私自身のほうが怖かった。

 

「ぁぁ、ぁ……」


 ひどく掠れた声。

 じりじりと寄ってくる男に合わせ私の体がちょっとずつ後ろに下がる。

 まるで今日の練習のように、一定の間合いを保っている。

 それはちょうど一足一刀の間境(まさかい)の半歩後ろ。

 あと半歩で牙を剥く戦闘領域、制空権。

 けれど私の手には何も無く、

 徒手空拳で戦えるほど強くない。

 なんで、私はこうも冷静に状況を分析しているのか。

 ――ああ、本当に嫌になる。

 どうして私はこうも、


 間境が割れる。

 侵された制空権は崩れ去る。

 伸びる男の手に、成す術のない私。

 そして――


「――――イヌガミ!」


 犬の遠吠えが、鳴り響いた。



 ◆◆◆◆



「え……?」

 

 それはあっという間の出来事だった。

 瞬きさえする間もなく、この夜の恐怖は唐突に終わりを迎えた。

 上がる声とともに私の背後から何か黒いものが飛び掛かる。

 それは一直線に、愚直なまでにまっすぐに男へと向かっていった。


 それで、お仕舞い。


 男は。

 あんなにも怖かった男は、

 私の目の前で肉の塊となっていた。


 ――――ハッ、ハッ、ハッ、


 目の前には黒い犬。

 まるで墨絵のような犬が荒い息を吐いてたった今自分が肉の塊に変えたモノの近くに立っていた。


「大丈夫?」


 ポン、と後ろ手に音がする。

 肩を叩かれたのだと気づくまでにしばらく掛かった。


「やっぱり放心状態か。ソウジくん、あなたのせいで怖がっちゃてるじゃない」

「僕のせいですか!? それ絶対違うと思うんですけど」

「じゃあ何のせいだって言うのよ。やっぱりあなたの犬がいけないのよ。きっとこの子は犬嫌いなのね」

「……絶対にそこのアヤカシツキのせいですよ」


 耳元でやかましい。

 急に表れた若い男女二人組は私にお構いなしで何かを話している。


「ほら、しっかりして」


 女性のほうが私の目の前で手をひらひらと振っている。

 その時さらさらとブラウンに染まったロングの髪が揺れた。


「やっぱり気がつか……」

「別に犬嫌いじゃないわ」


 目の前で揺れていた手をつかむ。

 なぜか、最初に出た台詞がそれだった。


「……。くすっ、じゃあ猫嫌いとか?」

「まさか。私、動物好きなのよ」


 ようやく自分を取り戻せた気分。

 いや、戻ってきた、が正解もしれない。

 とりあえず、急に表れたこの二人は何者だろう。


「助けてくれてありがとうございます。でも、あなたたちは何ですか?」

「え……? ――――アッ、ハハハッ!」

「へ? ちょ、何笑ってるんですかミナトさんっ」


 急に笑い出した女性に、それに狼狽する男性。

 女性の方は男性に構うことなく笑い続ける。

 二人の関係はこれでよくわかった。それよりも、


「いきなり笑われると不愉快なんですけど」

「え、ああごめんなさい。あなたの質問が面白かったから。あなた、面白い子ね」

「むしろ私は面白みに欠ける、なんて言われるほうなんですが」

「そうなの? でも面白いと思うわよ。だって、何ですか、なんて聞くんだもん」

「そうですか? 思ったことを聞いただけなんですが」


 肩をすくめて返す。それに女性はさらに笑顔になった。


「ちょ、僕をおいて話を進めないで下さいよ。ていうか僕には意味分かんないんですけど」

「それはソウジくんのオツムが足りないだけよ」

「あなたがバカなだけでしょ」

「そんなっ、二人同時に言わなくても……。ていうかキミはもう少しオブラードに包んでくれてもいいんじゃないかな」

「無理よ」

「うーん、ソウジくんがバカなのがいけないんじゃないかな?」

「…………もういいです」


 ガックリとうなだれる男性。良し。これで本当に調子が戻ってきた。


「少しいじめすぎたかな?」

「初対面の女の子にバカ呼ばわりされる僕って一体……」


 地面に手をついてうなだれている姿はもはや哀れだった。

 でもその責任の半分は私にあって、


「大丈夫よソウジくん。全部ほんとの事だから」


 訂正。半分以上彼女のせいだ。


「さて。どうやらあなたも落ち着いてるみたいだし、後始末をしようかな」

「え?」

「ほら、あなたちゃんと意識があるでしょ? ということは全部覚えてるわけだ。となるとちょっと困ったことが起きちゃうのよ」

「どういうこと……?」


 咄嗟に体が警戒態勢に入る。

 さっきの影響か、体が危険に対し敏感になっている。


「ふふ、猫みたいに俊敏。いえ、本能よりも理性で動く所はオオカミか。そんなとこも面白いけど、それ、少し危険よ」

「……ッ」


 睨みつけた視線を、そのまま睨み返される。

 失敗した、と本能的に悟る。

 この人相手に本気で視線を合わせられたら敵わない。

 だって、体が、動かない。


「ごめんね、縛らせてもらったの。でもちょっとの間だから大丈夫」

「ぁ、ぇ……」


 アタマが、くらくら、して……。


「でもね、これはあなたのため。こんな状況にあってなお冷静でいられるその理性、ちょっと危険だから」

「ど、ぃう……こ、と……」


「――『わすれなさい』――」


 まるでパズル。

 できそこないのジグゾーパズルのように私自身がバラバラになる。

 足元から粉々に、まるで脆く崩れる楼閣のように、ざぁっと、私が崩れ落ちていく。

 そんなあり得ない錯覚が脳裏をよぎる。

 そ んな思考、さえもバラバラで、もう、何を考えているか、あやふや、で、


「バイバイ。目が覚めたら全部忘れてるから――――」


 プツンと。

 私の意識はそこで途絶えた。


                                    第二話 奇妙な二人/了

~次回~

第三話 黄昏色の分かれ道/1

11/25(金) 18:00更新

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