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妖物語 ~金色夜叉~  作者: 飯綱 華火
3/28

奇妙な二人/1

 体から白く湯気か立ち込める。

 冬枯れた早朝の学校はまだ起き始めたばかりの寝ぼけ眼と言ったところか。

 朝練を終えてシャワーを浴びたての私はぽかぽかする体のまま教室へ向かっていた。

 うちの剣道部はもともと県内レベルでは上位に位置するの実力を持つ強豪校だ。

 たまたま私が入る前年度に強化部活に認定され施設が優遇拡大。その結果としてシャワー設備の整った広い武道館が用意された。

 よく剣道は臭いと言われるけどここまで設備が整っていれば問題なしだ。やはり女子としてはありがたく、中三の時の学校説明会でこの情報を聞かされ迷うことなくこの学校を志望した私は現金だろうか。

 選手としては恵まれた時期に入部したと思う。

 もっとも朝練に来る生徒自体は少ないんだけど。もったいない。


「お、やほー、大神さん。おはよー」


 教室に向かう途中で岡崎先生と出くわした。

 うちの学校は教室や職員室のある一号棟と実験室や音楽室などの教室のある二号棟というふうに二つの棟を持っていて、二階から伸びる渡り廊下でつながっている。

 理系全般を得意とする岡崎先生はよく実験室にこもっているため渡り廊下の辺りで朝たまにこうして出くわす時があった。


「おはようございます、岡崎先生。……その、寒くないんですか?」

「ん? 平気だよ。大学時代からずっとだからねー、もう慣れちゃった」

 

 にこやかに笑う先生は本当に寒さを感じてなさそうだった。

 岡崎先生は理系の先生だからかいつも白衣を着用していた。それだけなら何の問題もないんだけど、動きにくいからと先生はたいてい一枚着た上に白衣を羽織るという軽装なのだ。

 今年は例年よりも寒くもうカーディガンを羽織っている生徒もいる中でのその格好を見ると逆に私が寒くなってしまいそうだ。教室の中では脱いでいるけれど、今の私だってブレザーを着用しているくらいなのに。

 ちなみに、あの白衣の下には得体のしれない先生の危険な調合物が隠されているという噂もあったりする。


「大神さんは今日も朝練なのかな? 大変だねー」

「そうでもないですよ。好きなことですし、朝に体を動かすと目も覚めますから」

「そうなの? あ、でも動かしすぎて授業中寝ちゃだめだぞ」

「わかってます。そんな不覚はとりません」

「さっすが大神さん。うーん、やっぱり優等生は違うなー」


 先生と話をしているうちに教室に着いた。その時ちょうどよくチャイムが鳴る。


「はーい、おっはよー。ホームルーム始めるよー」


 後ろのドアから教室に入り席に着く。

 さぁて、一日の始まりだ。 



 ◇◇◇



「えー、で、あるからして……」


 黒板に時代年表が記されていく。

 四時間目の日本史の時間。

 日本史教師の荒巻(あらまき)硯蔵(けんぞう)先生は話ながらどんどんと黒板を埋めていき、黒板を侵食していく白い文字の群れと共に解説の大群が押し寄せる。

 この学校に勤めて一番期間が長いという先生は話し方も説明も丁寧でわかりやすいんだけど、書くのと話すのとの同時進行は授業を受けている身としては辛い。しかもお昼時の四時間目だから眠る生徒も多くて、大半の生徒が夢の中の住人になっているみたいだった。


「ここはこの時代ではとても重要なのでしっかりと覚えておいてくださいね。……まあ、寝むっちゃってる人も多いですが」


 指したところを赤チョークでラインを入れる先生はクラスの様子を見て苦笑いをした。

 なんだかそれがすごく申し訳ない気持ちになる。


「センセー!」

「ん? おやおや、どうしたんですか犬養くん」


 突然ケンが大声を上げた。その拍子に何人かの身体がびくりと動く。

 ……というか、この授業でケンが寝てないのがすごく珍しい。


「旧館って入っちゃいけないんですかっ?」

「旧館ですか。……ははぁ、なるほど」


 いきなりのバカ犬発言にも先生は何か納得したようにうなずいた。


「例の人魂が出るという噂話の事ですね。調べるために入りたい、というわけですか」

「そうっす。そうすりゃ何かわかるかもしれないじゃないすっか」

「確かに犬養くんの言うとおりですが、残念ですが入ることはできません。旧館はあの通り何年も前に封鎖されてしまいましたし、私が管理を行っていますがそれでも年に一回点検する程度。下手に生徒を入れて怪我をさせてしまうわけにはいきませんからねぇ」

「ええっ。そこを何とかお願いっすよ、センセー」

「いけませんねぇ。それに聞きましたよ、その話をしていて昨日佐々木先生に怒られたとか。また怒られてしまいますよ」


 やんわりと。それでいてしっかりと先生はケンをたしなめる。

 それに反してケンは不満顔。

 バカ犬め、先生が困っているのに。


「いやいや、あれは一方的に佐々木が……」

「ケン!」


 私は割り込むことにした。


「いいかげんにしなさい。今は授業中よ。それに幽霊なんているわけないでしょう」

「幽霊じゃねーってば、人魂だ、人魂っ」

「どっちだって同じでしょ。いるわけないわ」

「いえ、もしかしたらいるかもしれないですよ?」

「――え?」


 思いもよらない援護射撃。

 ケンを庇うように告げたのは荒巻先生だった。


「幽霊も人魂もいるかもしれません。もしかしたら、妖怪だってね」

「……先生、それはどういうことですか?」

「伝承、というのがあるでしょう? 昔話というやつです。不思議なものでね、ああいう話にはその手の話がたくさん残っているんですよ。それに、きっと人魂や妖怪がいたほうがおもしろいですよ」


 そう言って先生は「ねぇ」と微笑んだ。

 その笑い顔はいたずらをした子供のようでいてどこか怪しげで、


「ほらみろ! やっぱりいるんだよ人魂は!」


 バカ犬を増長させるにはもってこいだった。


「だからそんなわけないでしょ、バカ犬!」

「いーや、ぜってーいるね!」

「まあまあ、落ち着いて二人とも」


 思わず立ち上がってしまった私とケンの間に先生がやんわりと割って入る。


「信じる信じないはその人の自由ですよ。ふむ、でもそうですねぇせっかくですから、少し脱線して見ましょうか。お二人のおかげでみんなの目もすっかり冷めた様ですし」

「ぁ……」


 周囲を見渡せばみんなが私とケンに注目していて、いつの間にか机に突っ伏していた人たちまでもが顔を上げていた。


「集中力が切れたのなら、下手に続けるとかえって効率が悪くなります。なら、本当に実在した妖怪の話しをしましょう。これも日本史、いわゆる郷土史というやつです。時にはこういうのも悪くないでしょう」


 窓際に置かれていた予備の椅子を持ってくる荒巻先生。

 それに腰かけると教卓に両肘を突き、組んだ手の甲に顎を載せてぐるりと見回す。


「歴史とは今までの人類が辿ってきた物語であり、その記録です。けれどその記録が必ずしも正しい物とは限らない。いえ、むしろ正しくない事の方が多いのです。なぜならその記録には記した者の意図が含まれてしまうから。それ故に表裏一体にすら成りえない、様々な側面を持ち合わせる。それが歴史です。ですが通常の授業ではそんな事は教えません。教えない、だからこそたまにはそんな歴史の違う側面を見てみるのも良いでしょう。人間の「業」というものがよくわかります」


 それが先生の語り始めだった。


「この学校には先程犬養くんが言ったように今、人魂の噂が立っています。でもこれは別にこの学校に限った珍しい話じゃありません。人魂なんかで言えば良くお墓で見る事ができると言いますし、幽霊の話しもたくさん聞きますよね。時にはテレビの番組で特集を組まれたりもします。さて、ここで一つ考えてみましょう。では実際、本当にそういった物は存在するのだろうか、とね。犬養くん、キミは肯定派だったね」

「ん? こうていは? 先生、その言葉がわからねぇよ」

「ばっか。肯定、つまりいるって信じてるってことよ」


 呆れて思わず口を挟んでしまう。


「ああ、それならそうだな。俺はコーテーハだ先生」

「大神さん、フォローをありがとう。そしてあなたは逆に否定派でしたね。それはなぜですか?」

「え、なぜって……」


 大真面目な顔で聞かれて思わず言葉に詰まる。

 今までこんな話を真面目に聞かれた事もなかったし、考えた事もなかった。

 でもそう、きちんと考えるとするならば――


「それが非現実的だからです。例えば人魂が良く墓場で目撃されるのは死体から発生するガスがその原因だと言われています。また死んでしまった人の幽霊は個人を偲んでその遺族や親族が見る幻だとも考えられます。けれど、それはあくまでもそういう現象や思いこみであって真実ではありません」

「なるほど。実にあなたらしい答えだ。ただの感情的な拒否で無く、実に理論だてて考えられている。それなら、こういう考え方はできませんか? 鬼や天狗に代表されるような妖怪は、そういう人間の思い込みや感情によって歪められた実在する存在だ、とね」

「それはつまり、実在した人や物を妖怪や心霊現象に押しはめた、という事でしょうか?」

「その通り。この国にはその昔たくさんの国や世界が作られていました。今でこそ日本という一つの国ですが、初めから一つであったわけではありません。むしろ同じ言葉を話し、同じ姿形をしているのに争い、憎しみ合っていました。勉強してきましたよね、そういう時代がこの国にだってあるんです。わかりやすいのは戦国時代ですか。その他にも日本史でやりましたよね、縄文時代という遥か昔の時代の話しを。その後で稲作文化の弥生時代を取り扱いましたが、実はその二つの時代ではこの国にいたはずの二つの時代の人々の体格はかなり違っているのですよ。これは縄文人たちが弥生人たちに殺され滅ぼされたからだ、なんて説もあるくらいです」


 面白そうに目を細めて語る荒巻先生。

 口調がどこか普段よりイキイキしている様に感じられるのは、授業以上にみんなが真剣に耳を傾けているからだろうか。


「またある部族の頭領に阿弖流為(アテルイ)というとても強い男がいました。けれど彼は対立した朝廷の軍に敗れ殺されてしまいます。そして彼は悪路王(あくろおう)という『鬼』にされてしまうのです。阿弖流為は悪路王であり鬼なのだ、だから朝廷は彼を討伐したのだ、という大義名分の下にね。そこには彼が何を思い何故朝廷に挑み戦ったかは欠片も酌み取られてはいません。ただ結末として一匹の鬼が生まれ、退治されたという事実だけが残ったのです。

 ああちなみに、彼を倒したのは坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)。授業でも取り上げたから知っているでしょう。平安時代の有名な英雄ですよ」


 淡々と、何でも無いような口調でとんでもない事を告げた。

 つまり、阿弖流為という一人の人間が殺された末に悪路王という鬼にされてしまったという事か。

 確かにそれならば、悪路王として恐れられた鬼=阿弖流為という名の人間になる。

 つまり、妖怪が人間であったという事になりえてしまう。


「その表情を見る限り、聡明な大神さんには理解ができてしまったようだ。他にも何人かわかっている人たちがいますね。ええ、その通りですよ。彼が鬼とされた時点で、鬼という妖怪はこの世に実在した事になるんです。つまり、妖怪とは人間が作り上げた畏怖の対象、迫害すべき敵、という事です。そういう者たちに対し、同じ人間ではなく、妖怪、というレッテルを張り付けてみんなで追い出してしまう。きっと昔の人たちにとっては、この村八分的なシステムが便利だったんでしょう。なぜなら嫌なことや悪い事は全てその『妖怪』に押し付けてしまえばいいのですから。気持ちも楽になりますね、自分たちは同じ人間に罪をかぶせているのではない。妖怪という自分たちとはまるで違う化け物なのだから仕方ない、と思えるのですから。だからきっと各地で伝承が残っているのはそういう事なのです。そして人を模したと思われる彼らたちはきっと、そういう迫害に合った人たち、かもしれませんねぇ」


 シンと静まりかえる教室。

 気がつけば一切の音もなく、みんな何かに魅入られたように話しに耳を傾けていた。


「これはあくまでも推測です。ですが同時にありえたかもしれない『もしも』の話し。歴史の闇に葬られた事実かもしれない事なのです。ですから皆さん、歴史を学ぶ時はただそれだけを覚えるのではなく、できればその中にある別の側面にも目を向けるようにしてくださいね。そうすればきっと、歴史が面白くなりますから」


 締めるように最後の言葉が紡がれる。

 そうして漸く、まるで時が動きだしたかのように授業の終わりを告げるチャイムが乾いた音を響かせたのだった。


~次回~

第二話 奇妙な二人/2

11/07(月) 18:00更新

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