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妖物語 ~金色夜叉~  作者: 飯綱 華火
25/28

片鱗 ~秘めし者~/6

 ◆◆◆


 背後で奏でられる頼もしい戦闘音を聞きながら、相良湊は真っ直ぐに愛弟子へと視線を向ける。

 身体から妖気を立ち昇らせ、視線はまるで焦点の合わない虚ろ。

 けれどその口元は獰猛に牙を剥き低くうなりを上げる。

 まるで鉤爪のように五指を開き腰を丸めた前傾の姿勢はまるで飛び掛かる寸前の獣だ。


「まったく、妹弟子は頼もしくなったっていうのに兄弟子のあなたがそんな様子でどうするのよ」


 困った子だ、とばかりに大袈裟に溜息をついて見せる。

 いつもならここでうろたえた声が返ってくるがそんな気配は微塵もない。

 虚ろな瞳がミナトを見据え赤く染まった眼が妖しく光る。


「妖気によって『憑依』状態に陥るとか、あとでたっぷりとしごき直してあげるから覚悟しなさいね」


 拒絶の意志表示なのか、ニヤリと嗜虐的に口元を吊り上げたミナト目掛けてソウジが飛びかかる。

 まるで普段の鬱憤を晴らすかのような突貫。けれどそれに怯むミナトではもちろんない。


 ――――パチンッ。


 もはや言葉もいらないとばかりに指を鳴らす。

 その号令に従って管狐が飛びかかるソウジの頭上から圧し掛かる。濁流のような金色の猛襲にソウジが大慌てで後方へと避難する。

 まさに獣その物といった様な身のこなし。

 普段の彼からは考えもつかないような俊敏さと柔軟性。

 大きく飛び退いた彼はそのまま四肢を床に付け四つん這いで牙を剥く。


「さて、そろそろ真面目にぶっ飛ばさないと危険ね」


 物騒な言葉を吐きながら、それでもミナトはほっと胸を撫で下ろす。

 『憑依』の状態ではあるが、それが『酩酊』状態でよかった。

 これが本当に『憑依』状態で完全に犬神が暴走していたのなら、ミナトはソウジを『処分』しなければいけなかった。


 憑き物筋、と呼ばれる退魔師が忌み嫌われるのは何もその身に妖を宿しているからだけでない。むしろそんなのは副次的な後付けだろう。

 もちろん妖との共依存の関係は退魔師の悲願である『共存』へと繋がる為の重要なカギである。

 もしもこれを全ての妖で人為的に起こす事が可能であれば、妖に取り憑かれた人間を救う手立てになり得る。

 それこそ古の救済者のような御伽噺に縋る必要もなくなるほどに。

 けれど、その方法論へと至る道は未だ見つかっていない。

 だからこそ、彼ら憑き物筋は、その末路をこそ恐れられていた。


 憑き物筋の最後は悲惨だ。

 彼らは歳を取り弱り果てた末に共依存の妖にその身を喰われ生涯を終える。

 無論その前に次の代へと力が移譲されるケースがほとんどだ。けれど、特に退魔師の場合は妖との戦闘中にその命に危険が迫った際に自らを守ろうとする共依存の妖によって喰われ力の一部とされてしまう事がある。

 自食作用と呼ばれる細胞が極度の飢餓状態に陥った時に自らの一部を栄養とする事で生命維持を図る機能が生物には備わっているが、それと同じ事が共依存の妖によって引き起こされるのである。

 つまり、自らの内に宿る妖によって喰われる末路こそが、憑き物筋が退魔師から忌み嫌われる要因であり、

 今ソウジの中ではそれに似た様な作用が起きているのであった。


「妖気の海に浸し続けられて自身を抑えられなくなった妖の暴走。それが憑き物筋の末路である『共喰い』に似た作用を引き起こす。もっともただ妖気に酔っぱらって自我を失っているだけだからそれを冷ましてやれば元には戻るけど」


 妖が喰らうのは器である身体でなく霊力の源たる魂その物だ。喰らわれ穢れてしまえばもう元には戻らない。

 退魔師であり憑き物筋であるソウジならばその霊核の耐性は非常に高く持ちこたえる事はできる。

 けれど、持ちこたえられなくなればそれまでだ。


「黒幕もわかりかけてきたっていうのにね、これが終わったらソウジくんには後方支援に回ってもらって直接戦闘はしばらくお休みってところか」


 管狐が走る。何十匹という管狐の猛攻が容赦なくソウジを襲い、犬その物と化したソウジがその敏捷性でアクロバティックに回避を続ける。

 その様を、ミナトはいっそ冷酷とも言える眼差しで見つめる。

 高見操示としての側面は消え、今は犬神の――犬その物の野生の本能が剥き出しとなっている。

 けれどその実態は野生からは程遠い。

 妖気の酩酊によって理性を失った一匹の獣。


「猛犬、智犬の類は脅威だけれど駄犬はそうじゃないからね。ただ欲に任せて襲ってくるだけの能しかないんじゃ、その動きさえ押さえてあげればこんなものね」


 縦横無尽に駆け回っていたソウジの動きが止まる。

 否、止められた。

 管狐の猛攻の隙間を縫う様にして動いていたソウジはしかし、その実ミナトによって巧みにその動きを誘導されていた。

 そして、逃げ場がないほどの管狐によって包囲される。


「――チェックメイト。そろそろ寝る時間よ、ソウジくん」


 ソウジを囲う金色の檻ができ上っていた。



 ◆◆◆



 いったいどれくらい斬り結んだろうか。

 降魔の利剣を手に、蛆虫の如く湧いて出る餓鬼を斬り伏せながら、ふとそんなこと考えた。

 レイコの周囲には筒から飛び出した七匹の管狐がその身を守るかのように浮遊し、物量で押しつぶそうとする餓鬼の侵入を妨げる。

 そうしているうちにレイコの剣線は一匹、もう一匹と斬り裂いて行く。

 金色の流線がレイコを囲み、切り捨てられた餓鬼が淡い光を放ってその存在を散らす。


 その事実に気が付いたのはいつだっただろうか。


 レイコが斬り捨てた餓鬼は妖気の霧に変質することなく、淡い紫の光を放って消えていく。

 故に、命がけの戦場のそのただ中にありながら、まるで舞い踊るかのように剣を振るうレイコの姿はどこか神々しい輝きをその身に纏っていた。


「――――レイコ!」

「――――」


 戦闘に没頭している私にミナトさんの鋭い声が届く。

 それでようやく、我に返った。


「どうやら無事の様ね」


 ほっとした様子で駆け寄ってくる彼女の背後には金色の檻。


「高見さんは大丈夫なんですか?」

「ええ、もう大丈夫よ。あとは時間をかけて『酩酊』を冷ましてやればもとのソウジくんに戻るわ」

「なら、あと少しですね」

「え?」


 私とミナトさんを遠巻きに餓鬼達が囲む。

 ミナトさんが合流した事で本能的に命の危機を感じ取っているのだろう。

 数えるのが嫌になるほどいた餓鬼達はその数を大きく減らしている。

 もはやただ数がいるだけの烏合の衆。命の危機を感じさせるような脅威はない。


「レイコ……、これ、どういうこと?」

「どう、とは?」


 唖然とした様子のミナトさんに首を傾げる。


「ああ、数の事ですか? 私にもよくわからないんですが、どうやら私が斬り裂いた餓鬼達は妖の霧に戻らないようなんです。斬った後に霧散して消えていくみたいな」

「消えていった? 鬼たちが?」

「ええ、だからどんどん倒せたんですよ」

「そう……」


 何か考え込むように腕を組み(おとがい)に指を当てる。けれどすぐに諦めたようにふっと力を抜いた。


「ミナトさん?」

「……今考えるべき事じゃないわね。それよりも、せっかくレイコがここまで頑張ってくれたんだもの。あと少し、こうなったら倒し切りましょう」

「はい、師匠」


 ぐっと力強く剣を握り直し、餓鬼を見据える。

 けれど、そんな私たちの眼前でそれは起こった。



 ――――轟っ!



 突如、突風のような強風がわき上がり体育館の中心で渦を巻く。

 竜巻の様な下から上へと舞い上がる紫の風。

 妖気を孕んだそれはたった今まで私とミナトさんを取り囲んでいた餓鬼達からもたらされた代物。


「ミナトさん――!?」

「これは……?」


 霧が入りこまない様に口を抑えながらミナトさんが目を見開く。

 餓鬼達の身体が見る見るうちに霧へと溶けていき吸い込まれていく。

 何が起こったのかもわからない、それはあっという間の出来事で、私とミナトさんが見守る中、妖気を孕んだ風は徐々にその勢いを一点に集中させ一つの球体へと変化する。

 そうして、



「■■■■■■――――ッ!!」



 大気を劈く様な轟音。

 まるで上から押しつぶされそうなほどに激しい重低音。

 無数の感情を一つに塗り固めた(くら)い咆哮が鳴り響く。

 先程までの餓鬼どもなんか比べ物にならないくらいの存在感と威圧感を以って、大鬼が現れた。



 目の前の光景を唖然とした様子で見上げる。

 全身がまるで煮えたぎる溶岩のように赤々と輝き、フーフーと獰猛な唸りと共に蠢動する筋肉はまるで噴火寸前の火山を思わせた。


 赤色に煌々と燃える大鬼。


 今まで散々切り捨てられた同胞の恨みとでもいう様に深い怨嗟を宿す瞳。

 黒々とした針のような髪に額からは二本の角が覗く。

 みっしりと詰め込まれた筋肉に固く握りしめられた拳を生やした剛腕の太さは悠に人一人分の幅はある。

 筋肉というよりも巌の塊のような巨躯は三メートルはあるだろうか。

 まさに、化け物、そう呼ぶに相応しい存在。


「さがりなさい、レイコ――」


 驚愕から一転。

 突然の脅威に対し私を庇うために前に出るミナトさん、その先を私は制す。


「さがるのはミナトさんの方です。後ろで支援をお願いします」


 すっと、自分でもどうかしてるんじゃないかっていうくらい冷静に。

 私は牙を剥く大鬼の目の前に立つ。


「レイコ? あなた何考えて――」

「それは私の台詞ですよ、らしくない。だってミナトさん、高見さんを抑えつけるので力の大半を使っちゃってますよね?」


 彼女が背後に従える金色の檻を見る。

 私を守ってくれた渦潮の陣。あれと同じくらいかそれ以上の量の管狐を動員し高見さんを抑えつけている。

 つまり高見さんはそこまでしないといけないほどの実力者で、ミナトさんは戦力の大半を失っているのと同義だ。


「あなた、気づいていたの……?」

「むしろ気づかないと思われていた方がショックです。まぁそんな訳ですので、あとは私に任せてください」


 大鬼を前にしているのに、まるでそんなものがいないような態度を取る。

 自分でも不思議なのだけれども、

 きっと命の危機に直面しているだろうとわかる場面にいるにもかかわらず、

 私はこれっぽっちも脅威を感じないのだ。

 もしかしたら、これが恐怖で感覚が麻痺をする、というやつなのだろうか。


「レイコ、なんだかあなた、変よ……」

「ええ、自分でもわかっています」


 恐る恐る、といった様なミナトさんの言葉に同意する。

 私だってわかっているのだ、この状態が異常だという事に。

 でも、本当に恐くないんだからしょうがない。

 だったらここは、開き直って戦ってしまうのが良いだろう。


「私自身戸惑ってはいるんですよ。でも、まったくこの鬼から脅威を感じないんです。いえ、鬼では私には敵わない、そんな予感めいた感覚すら抱いてしまっていて――」


 把握しきれていない感情そのままを口にする。

 言葉にして気がついた。


 そうだ、鬼では私には敵わない。


 そんな確信めいた感情が私を支配する。

 だからこそ、今、私はここまで落ちついていられるのだ。


「レイコ、自分が今何を言っているのかわかってる?」

「ええ、もちろん。そこまで自分を見失ってはいませんから。だからこれは私の正直な感情です。ですから――」


 筒をホルスターに仕舞う。

 事此処に至って管狐の力は余分。

 代わりにギュッと、降魔の利剣を握る。

 私には、この一振りさえあれば良い。


「――ミナトさんは、ちゃんと高見さんを守っていてくださいね」


 言うやいなや私は地を蹴った。

 構えも何も無い。右手に握った剣を身体で隠し、滑る様な足捌きで鬼へと肉薄する。

 瞳は大鬼を見据え、けれど意識は内へ。

 深く、深く。

 私は己の中、深奥へと沈んでいく。


「■■■■■――ッ!!」


 唐突な開戦に大鬼が吼える。

 雄叫びをあげ胸を反り、全身で以って私を威嚇する。

 けれどそんなもの、蟲の叫びにも等しい瑣末事。

 むしろ私は速度を上げて、その間合いへと踏み込んだ。


「■■■■■――ッ!!」


 唸る剛腕。

 合わせるように右下から左上。

 斬り上げた剣線が銀色の軌跡を描き、迫りくる腕を跳ね飛ばす。


「■■■■■――ッ!?」


 血飛沫の代わりに紫の霧煙を噴き上げて宙を舞う右腕。

 一息で斬り捨てたそれに意識を当てず、私はさらに一歩、大きく間合いを侵食する。

 次いで狙うはその根元、巨体を支える二本の脚。

 大きく振り抜いた先の一撃とは一転して地を這う様に滑らせる銀線。

 けれど、狙いを悟ったのか赤き大鬼は飛び跳ねる様にして後ろに大きく後退する事で回避する。


 ――――ブゥオン!


 空ぶった一撃は大きな唸りを上げて空気切る。


「…………」


 一丁前に危機感というものはあるらしい。

 あれで二本脚を斬り落としていれば後は達磨と同じ。どう料理するのも私の自由だったのに残念だ。

 大きく間合いを話した赤鬼が背を怒らせてまるで飛び掛かる寸前の獣のように牙を剥く。

 間合いの開きで戦端は一度立ち切れた。

 微かな小休止に呼吸を整える。

 どうせ鬼がやるのは意味のない威嚇だ。

 だってそうだろう、いったいどこの世界に蟲に威嚇されて怯む狼がいるというのか。


「――――」


 片手直剣の様な作りの剣は両手で握る様にはできていない。

 普段の剣道での正眼を捨て、身体を右真半身に、切っ先をやや下げた構えを取る。

 長く、長く。

 吸って、吐く。

 空気は細く、ゆっくりと。

 全身に沁み込ませるように、やがてそれは丹田へと集約する。


 一瞬が永遠に。

 永遠を一瞬に。


「■■■■■――ッ!!」

「――――しっ!!」


 鬼が吼えるのと私が踏み出すのとは同時だった。

 轟音から一転、全身の筋肉を爆発させたかのような突進と共に鬼の左腕が唸りを上げる。

 対する私は半身のまま右足を一歩、滑らせるようにして直進する。


 ――間合いの掌握。


「■■■■■――ッ!!」


 雄叫びと共に迫りくる左拳は先程の一撃を遥かに超える速度を放つ。

 まるで一つの巨大な岩壁の様なそれが空気を撃ち抜いて迫る。

 下げた切っ先を跳ねる様にして切り上げる。同時に、左足を一歩前へ。

 体が入れ替わり、斬り上げた剣先が鬼の拳を外へ逸らす。


 ――動作の掌握。


「しっ――――」


 僅かに拳を逸らしてやる事によって赤鬼は大きくバランスを崩す。

 そうして、私の目の前に無防備に晒された胴体。

 まるでひっくり返された亀だ。

 どんなに厚く固い甲羅でも、裏返してやれば柔らかい肉が現れる。


「■■■■■■■■■――ッ!!??」


 一際長い叫びは絶叫。

 無防備に晒された胴体を、すり抜ける様にして袈裟に撫で斬る。

 斬り終わりと同時に一歩。

 身体を反転させ、どっと斃れ伏す鬼を見据え剣を構える。

 残心。


 ――命の掌握。


 確かな手ごたえと、動く事のない赤い大鬼。

 一瞬の間の後、鬼の身体は塵となって溶け消えた。



 ◇◇◇



「――――レイコ」


 その声に、ハッと我に返った。


「みなと、さん……?」


 斬り伏せた鬼は塵となって掻き消えた。

 その残滓を目の当たりにする。

 体育館の上部に取り付けられた窓から微かに月光が降り注ぐ。

 それが、鬼の残滓に当たって淡く輝いた。


 ――――なんて、幻想的な光景。


「………………ミナトさん。私は……」


 まるで憑き物が落ちたかのような放心状態。

 途中から何かが乗り移ったかのように私は私じゃなくって、


「レイコ――」


 ミナトさんが、私を抱きしめた。


「ぁ……」

「ありがとうレイコ。そしてお疲れさま。あなたのお陰で、私たちは生き延びたわ」」


 ぎゅっと。きつく、きつく。

 温かなミナトさんの体温が、じわりと私に浸透する。

 まるで浸み込むようにしてひろがるそれに、漸く私は自分を取り戻す。


「おわった、んですよね……?」

「ええ、今日の怪異はもうお終い。これも全部、あなたのお陰なんだから」

「――――――よかった」


 あらためて口にしてもらって、まるで張り詰めた何かが切れたかのようにどっと疲れが押し寄せてきた。

 身体中が悲鳴を上げる。その痛みと、今にも倒れ込みそうなほどの眠気。


 私の身体はこんなにも憑かれている。


「さぁ、そろそろ帰りましょうレイコ。ソウジくんも無事取り戻せたし、今夜はこれでお終いよ」

「はい、師匠」

「もう、だから師匠は止めなさいって言ってるでしょ」


 照れたように唇を尖らせるミナトさん。

 本当、あれだけ凛々しかったのに途端にこんな子供っぽくなるなんて反則級の可愛さだ。きっと私が男だったら惚れている。

 ぽんぽんと優しく背中を押されながら、促されるるままに体育館を後にする。

 背後では、高見さんを捕えた黄金の檻が、月光に淡く輝いていた。



 ◇◇◇



 ――深夜。


 崩れるようにベッドに倒れ込んだ。

 あの後ミナトさんが私を送ってくれて、何か言葉をかけてくれたけれどよく覚えていなかった。

 なんだかあの体育館での戦いがもうずっと昔の事のようだ。

 途中からまるで夢見心地のような、いえ、まるで自分が自分でなかったの様な感覚。

 なのに、あの時の私は確かに、私自身であったのだと、そう確信を持って言える自分がいる。


「………………」


 私は、いったい、なんなんだろうか。

 なんだか急に自分自身がわからなくなってしまったみたいだ。

 だって私はあんな技を知らない。


 ――――最後の技を思い出す。


 一歩で間合いを掌握し、二歩で動きを掌握し、三歩で命を掌握する。

 それはまるで無駄のない技術。

 私が学んできたのは剣道なのに、あれではまるで――剣術のよう。

 たった一度も使った事のない技が、今の今まで知りもしなかった技が、どういう訳か身体に染みついていたかのように繰り出せた。


「………………」


 私はいったい、どうしてしまったんだろうか。

 私にいったい、何が起こったのだろうか。


「……………………」


 急に私は、自分自身が恐くなった。


 私は、いったい、なに……?


「――――っ」


 携帯を取る。迷うことなくスクロール。

 表示するのは犬養直也。

 私の、恋人。


『――――おう、おつかれ』


 コール音はほとんど鳴らなかった。

 もう深夜なのに、突然の連絡なのに、

 まるでずっと、私の事を待っていてくれたかのように、


「…………なんで」

『ん? どうしたよレイコ?』

「……なんで、こんなに早いの?」


 零れた言葉の震えを抑えられない。


『…………あー、うん。なんか、眠れなくてよ』

「――――うそつき」


 だめだ、涙が出る。


『なぁレイコ』


 私の気持ちなんか無視する様な呑気な声。

 なのにどうしてこんなに、


「……なによ」

『おかえり』

「――――――――、ただいま」


 あぁ、私は、彼の元に帰ってこれたんだ。

 もう溢れる涙を抑える事はできなかった。




 あれから、だいぶ長い事ナオヤと話していた。

 そのどれもが全部とりとめのない事で、くだらない会話。

 でもそれが何よりも、今の私にとっては大切だった。


「ねぇ、ナオヤ」


 ふとした会話の終わりに。

 私はどうしても聞きたかった事を口にする。


「本当はさ、私の事、待っててくれたんでしょ」

『…………』


 ふわりと沈黙が降りる。

 言おうかどうか迷ってる、それはなんて優しい沈黙。


「ほら、正直に教えてよ」

『…………そうだよ』

「え、なに?」

『だから、そうだってのっ。レイコを待ってた。お前一人を危険な所に置いてきたってのに、俺だけ寝れるかよ』


 ちょっとだけ拗ねる様な言葉は気恥ずかしさを纏っていて。

 でも最後の言葉で私の顔は真っ赤に染まった。


「あ、あなた本当に言葉を選ばないわね」

『なんだよ急に。言えって言ったから言ったんだろうが』

「だから、そうじゃなくて……。ああもう、言葉が真っ直ぐ過ぎるってこと! そこまでハッキリ言われたら私の方が恥ずかしくなるじゃない」

『言えって言ったのはレイコのほうだろ。言ってる俺の方が恥ずかしいっての』

「…………」

『…………』


 お互いに恥ずかしくなって黙りこむ。

 本当、電話越しで良かった。

 だってそうでもなきゃあまりの恥ずかしさでどうしていたかわからない。

 正直今だって嬉しさに舞い上がっているっていうのに、ナオヤを前にしてしまったらどうなるかわかったもんじゃない。


「ありがと」

『――――え?』

「だから、ありがとう。嬉しかった、待っていてくれて」


 面と向かってじゃないから、だから素直に感謝を口にしようと、そう決めた。


「正直に言うとね、ちょっと今夜は大変すぎて。

 それに、ちょっとだけ、最後にほんのちょっとだけなんだけど、精神的に参っちゃって。

 そう思ったらさ、ナオヤの声が聞きたくなって、それを自覚しちゃったらもういてもたってもいられなくて。

 だからね、ほんと、すぐに出てくれた時は驚いた。でも、それ以上にすっごく嬉しかった」

『……俺もさ、レイコの声聞けて、安心した。正直すげー不安だったから』

「うん。心配してくれてありがとね。それと、不安にさせてごめんなさい」


 素直に言葉が零れ出た。

 どうやら私は面と向かってじゃないほうが素直に気持ちを語れるらしい。

 ほんと、我ながら呆れるくらいに可愛くない性格だ。

 でも、だからこそ素直になれる時にはなっておくべきなのだろう。


「今ね、あなたがいてくれて本当に良かったって思ってる。

 今日ナオヤと教室にいる時にミナトさんから電話があったでしょ。あの時にね、言われたのよ。

 巻き込んでしまう事よりも、話すことで得られる心の平穏を選びなさいって。

 正直あの時は意味なんてわかってなかった。でも、今ならすごくよくわかる。

 だって私、ナオヤが本当の私の事を知っていてくれるから、それだけでこんなにも気持ちが軽くなるんだって知ったから」


 そう、こんなにも今心が穏やかでいられるのは、あの時のミナトさんの助言が在ったから。


『……なんかよくわかんねぇけど、レイコが良かったんならそれでいいさ。俺に何が出来るってわけでもないけどよ』

「うん。でもね、それでもいいの。ただ私の事を知って、理解して、それでも傍にいてくれる。それが嬉しいのよ」

『なんだよ、なら別にそんなの今までとおんなじだろ。あのなレイコ、俺だけじゃない。鶴巻だって鷲崎だって、それに京介も、いつだって俺たちはお前の味方だぞ』

「――――。うん、それも知ってる。でもね、その中でも一番の味方はナオヤだって、そう思っても、いいわよね?」

『あたりまえだろ』


 迷いなく一片のためらいもなく断言される言葉に胸を打たれる。

 なんだか、今日一日の苦労が、全て消し飛んだ気がした。


「…………ねぇナオヤ、ありがとね、待っていてくれて」

『おう。つーか二回目だぞそれ』

「いいじゃない、お礼くらい何度だって言わせなさいよ。ほんとに、感謝してるんだから」

『そうかよ。なら好きにしろって。俺はレイコが無事ならそれでいいんだ』

「…………なんか、ちょっと悔しい」

『ん? なにがよ?』

「なんか、私ばっかりがあんたの事好きみたい。今私、ナオヤの言葉の一つ一つが嬉しくてたまらないの」

『…………』

「ちょっと、黙らないでよ」

『いやいや! 無理だからそれっ。すっげぇ恥ずかしいぞ今の』

「うるさいわね、私だって自覚してるわよ。電話だから、顔見てないから言えてるの」


 ――じゃないと、顔が真っ赤にゆであがってるのがバレてしまうから。


「でもね、本当に嬉しかったの。実はさ、さっきまで本当に命がけだったから。だからね、電話でも、声が聞けてすごく嬉しかった。ほっとしたのよ」

『――――。ん、なら次はそばにいるから』

「え?」

『次はさ、しっかりそばにいる。こうやって電話越しじゃなくって、ちゃんとレイコの隣に』

「ナオヤ……」

『まぁ邪魔にならないようにはするつもりだけどよ。わりぃな、そんな事くらいしかできなくて』

「……何言ってるのよ、十分過ぎるわよ、ばか」


 ああもう、本当にだめだ。

 彼氏彼女の恋人同士。

 今までの関係性がちょっと変わっただけで、私はこうも弱くなる。

 どうしようもないほど、ナオヤの言葉が心に響く。

 本当に、一体全体私はどうしたというのだろうか。

 でも、そんな事が些細に思えるほどに、今この時が心地良い。


「ねぇナオヤ」

『ん?』

「明日からまた、支えてくれる?」

『おう。なにができるかわかんねぇけどな。やれる限りの事はするぞ。だから何でも言え』

「ええ、ありがとう」


 普段通りの、当たり前のような言葉に救われる。

 もう変わってしまった日常で、変わる事のない『普段通り』を与えてくれる彼に感謝する。

 ミナトさんの言う通り、ナオヤに話して本当に良かった。


「それじゃあ、そろそろ寝るね」

『はいよ。じゃあ、また明日な』

「ええ、また明日。それから、本当にありがとねナオヤ。おやすみなさい」

『おう。おやすみ』


 彼の言葉の残滓が耳朶に残る。

 今日起こったたくさんの出来事が、今の会話で温かな物へと変わっていく。

 振り返ってみればとてつもなく長い一日で、めまぐるしく濃厚な時間。

 それでも最後にこうして好きな人との会話で終われたのだから、それだけで今日という一日は最高だったといえるだろう。


 電気を消して布団に潜り込む。

 そうすればたちまち襲いかかってくる睡魔の群れに私は成す術もなく蹂躙される。

 いい加減疲労の溜まりきったこの身体は、ブレーカーが落ちる寸前だったようだ。

 沈むように眠りに落ちる。

 きっと、今夜は良い夢が見れるだろう――。



                                                                   第七話 片鱗~秘めし者~/了


今年最後の更新となります。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

宜しければ来年もまたよろしくお願いいたします。


                   飯綱 華火


~次回~

第八話 鬼と呼ばれた者/1

2017/01/01(日)18:00更新

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