片鱗 ~秘めし者~/3
◇◇◇
いつの間にか陽は落ち、教室には影の帳がかけられている。
「あっという間に時間が経っちゃたわね」
ほんの少しのおしゃべりのつもりが、いつの間にか時計の針は一周してしまっている。まったくもってそんな実感は無いのだけれど、やはり楽しい時はあっという間という事だろうか。
「そろそろ帰るか」
「えぇ――」
鞄を持ったナオヤの背中。それを見て、覆わず言葉が途切れてしまう。
「レイコ……?」
「…………。うん。あのね、ナオヤ」
彼に嘘をつくつもりはないけれど、だからと言って、巻き込むつもりも無くって。
「さっき言ってた、ヤバい事ってやつか?」
口ごもってしまった私に対して、まるでわかりきってるとでも言わんばかりにナオヤは正解を口にした。
「ちょっと、なんでわかるのよ」
「レイコの事ならなんとなくはわかるぞ。どれだけ口喧嘩してきたと思ってんだよ俺たち。鶴巻ほどじゃねぇけど、それくらいはわかる」
「……そういやそうよね。ナオヤと私って顔合わす度に言い合いしてたものね。ほーんとなんでかな、どういうわけかあなたとメグミには私の心が見透かされてるんじゃないのかなって、そう思う時がけっこうあったわ。だからでしょうね、あなたに必要以上に突っかかったのって」
「鶴巻ならそうなんじゃねぇの。でも俺は違うぞ、べつにわかってたっていうよりも、なんとなくって感じだし」
「それが不思議だって話しよ。だって私、相手の事を見透かす事はあっても自分が逆になんてほとんどないのよ?」
でもそれが意外と嬉しくて心地良い事だって言うのは、秘密だ。
自分の心が口にしなくてもわかってもらえる。これはくすぐったいような不思議な気持ちで同時にすごく嬉しい事だなんて、恥ずかしくって言えやしない。
「きっと周りがちゃんとレイコの事を見てなかっただけだろ」
「――――」
さらっと自分は私の事を良く見ている的な発言をされて思考が止まる。
このバカ犬。何でこういう恥ずかしい台詞を簡単に言えるかなぁ。
……ああもう私の顔、赤くなってないわよね?
「とにかくさ、レイコが大変で何かを抱え込んでるのはわかってる。それを俺に言えないってことは、よっぽどの事だって、そう思っていいんだろ?」
ああ、この言葉だけで私の心が救われる。
本当はナオヤに隠し事はしたく無くって、それどころか頼りたいって思っている事も、それができないってことも、口にしなくてもわかってくれている。
「ほんとはね、話せる事ならあなたにだけは相談したいんだけど」
「ああ、ならしょうがねぇよ。でも、無茶する時はちゃんと言えよ」
「ええ、わかったわ。危ない時は、ナオヤも巻き込むから」
「おい、そこは頼るからとかでよくねぇか!?」
「ふふっ、だーめ。だってほら、戦闘力なら私の方が上だし?」
「うわ、なんか彼女に勝てない男とか、なんかショックだぞそれ」
「あら、私は嬉しいけどね。いいじゃない、男の子だって守られてもさ。それに――」
――もうすでに、私はあなたに守られてるんだから。
「それに?」
「なんでもないわ。あ、でもありがとうナオヤ。ちょっとうれしかったな、彼女、って言ってくれて」
「うっ……。じ、事実なんだから別に変じゃねぇだろ」
「変だとは言ってないじゃない。嬉しかったって言ってるの」
微笑むとますます苦い顔をするナオヤ。意外だ、こんなのまったく気にしないと思っていたのにナオヤの方が恥ずかしいみたい。そして逆にこの状況を私の方が楽しんでいる。
「でも、安心してねナオヤ。言った通り、相談相手はいるから」
「おう、それもわかってる」
「ならいいんだけど。ああそれと、その相手って女の人よ? 心配、しなくていいからね?」
「あーそうかよ」
「あれ? ねぇナオヤ、あなたもしかして、ほんとに嫉妬とかしてくれてたの?」
「うるせぇよ。するかそんなこと」
「ふーん、そうなんだ」
どうしよう。自分でもわかるくらいに舞い上がっている気がする。本当に意外だけれども、私自身がとてつもなく喜んでいるのだ。
でも、この後の事を考えれば許してもらえるはずだ。
だって、大変な仕事が待っているのだ、その前にこうして幸せを味わったって罰は当たらないだろう。
「とりあえず、信用はしてる。つか、お前なら万が一ってこともないだろうけどさ」
「え、万が一って、浮気ってこと?」
「ちっげえーよ! 何やってるかは知らねぇけど危ねぇことなんだろ!? 怪我とかそういうことだっての」
「ああ、そっちね」
恋人になったばかりでもうそんな心配される人間に思われていたのかと不安になってしまった。
さて、そろそろ頭のスイッチを切り替えないと、このままじゃどこまでも緩んで溶けてしまいそうだ。
「大丈夫よ。実を言うとね、その相談相手って人、なんていうかな、刑事さんみたいな人だから。うん、そんな感じ。ちょっとっていうか、けっこう違うけど、正義を行う人である事にはかわりないわ」
「なんかよけいにわからなくなったぞ。つーかほんとに大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。ほんと、その人すごい人なんだから。私けっこうその人の事尊敬してるのよ。口にした事は無いけどね」
「尊敬ね。なら大丈夫か、お前がそこまで言うんならよ」
「ええ、だから安心してちょうだい」
――――リリリリリンッ
丁度いいタイミングで、携帯が鳴る。見れば着信相手はミナトさん。
「ごめんナオヤ、ちょっと電話いいかしら? タイミング良くその人から掛かってきたみたいだから」
頷くナオヤにもう一度だけ謝ってすぐに携帯を取る。
今さらながら安心している自分に気がついた。
どうやら私はミナトさんから連絡がない事に不安を抱いていたらしい。
「もしもし、ミナトさん――」
『レイコ!? ああ良かった、出てくれた。ねぇあなた今どこにいる?』
「え、どこって学校ですけど……。ミナトさん、何かあったんですか?」
電話越しからでもわかる安堵の気配。それを受け、さっきまでの幸せな気持ちが吹っ飛んだ。
すぅっと頭が冷えていくのを感じる。
ミナトさんがあわてているという事は――非常事態だ。
『さすがレイコね、察しが良くて助かるわ。でも本当、あなたが無事で良かった』
「ミナトさん、今のは私じゃなくてミナトさんがわかりやす過ぎるんですよ? 一度合流した方がいいですよね」
疑問形で無い確認の言葉を放つ。
どうやら彼女は今、自分の状況も満足にわかっていないくらいに動揺しているらしい。
『ええそうね。合流は――、うん、あなたはそこにいてちょうだいレイコ。私の方から出向くから。きっとそのほうが早いと思うし、すれ違いにならないわ』
「ええ、わかりました。それに丁度良かったです、私の方もミナトさんに相談したい事があったので」
『そうなんだ。ならほんと、ちょうどいいかな。待ち合わせは校門にしましょう。でも校内はダメよ、特に旧館辺りは絶対に近づかないで』
「――――わかりました。それとミナトさん、一つだけ、相談してもいいですか?」
『ええ、大丈夫だけど。それって今ってことよね? 着いてからじゃなくって』
「いえ、それでも良いんですけど、その……」
思わず口ごもる。
ミナトさんの様子からしてすでに差し迫った何かを感じて、ついさっき巻き込まないって思いなおしたばかりなのに、ナオヤをこのまま帰してしまっていいのか不安になる。
でも、ミナトさんに合わせてしまったら、それこそナオヤを巻き込むのは確定してしまう気がして……。
『レイコにしては歯切れが悪い感じね。――よし、ちょっと落ちついてきたかも。不思議ね、なんか自分よりも困ってる人と話した方が落ち付けるみたい』
「それ、けっこうひどい台詞ですよ?」
『あはは、ごめんレイコ。でも、うん。少しずつ戻ってきたかも。――ねぇ、あなた今他に誰かと一緒にいるんでしょ?』
「――――驚いた。でも、本当にらしくなってきましたね、その通りです」
『よかった。ならそうねぇ、相手は一昨日の夜に一緒にいた子のどちらか……、女の子のほう?」
「さすが、と言いたい所ですけど最後だけハズレです」
『あら残念。あれでも待って……、ねぇあなたひょっとしてさ、じゃあ例の男の子とうまくいっちゃったわけ? なになに、彼氏彼女になっちゃったとか?』
「――――ッ!? な、なんでそんなことまでわかるんですか!?」
『あっは、ビンゴー。そっかそっかぁ、うん、もしかしてとは思ってたくらいだったんだけどね。良かったよレイコ、それ今日初めての吉報。若いっていいなぁ、うん。それからレイコ――おめでとう』
「あ、ありがとう、ございます……」
完全に調子を取り戻して、むしろ取り戻し過ぎてハイテンション気味のミナトさん。
なんか絶好調になりつつあって癪に障るけど、お祝いされたら素直にお礼を言うしかない。
なんだろう、緊迫した感じだったのに一瞬で切れてしまったじゃないか、ばか。
『なんとなぁく事情は読めたわ。ばっちりね!』
「いえ、絶対に誤解を含んでます。むしろ邪推しかしてませんよね今、絶対」
『あら、そんなことないわよー。ああでもそれならいっそ今いる所を動かないで貰ったほうがいいかもしれない。どうせあなた達教室にでもいるんでしょ』
「……なんだか今初めて高見さんの気持ちがわかった気がします。ミナトさんにちょっとでも隙を見せると危険です」
『あはは……。まぁソウジくんはね、付き合いも長いしさ』
「ミナトさん……?」
どうしてか急に声のトーンが沈んだ。
一瞬にして最初のミナトさんに戻ってしまった様な感じ。
『ううん、なんでもないわ。それよりレイコ、もう後十分くらいで付けると思うから其処を動かないでね。あと、念のため管狐はいつでもぶっ放せるように準備しておくのよ』
「え――」
『どうせその彼に隠し事したくないとか思ってるんでしょ? 相談事っていうのもそれ。いいわレイコ、あなたの師匠として私が許可します。彼には話しなさい。巻き込んでしまう危険性よりも、話す事で理解者を得られる心の平穏を優先するように。きっとその彼なら受け止めてくれるんでしょ? 中々いないわよ、ちゃんと理解してくれる相手なんてさ』
「――――はい、ミナト師匠。ありがとうございます」
『だから、師匠って呼ばないの。じゃあ切るわね。すぐ着くから』
切れた携帯を見つめる。
どうやら最後はいつものミナトさんに戻っていたようで少し安心する。
「――――ナオヤ、話しがあるのだけれど」
腰元の筒を一本取り出して、そう私は切り出した。
◆◆◆
「へぇ、なんだか懐かしいなぁ。まさかこの年になって学校に、しかも教室なんかに来るとは思わなかった」
ミナトさんの登場は、そんな台詞からだった。
「おまたせレイコ。うん、あなたの顔が見れて嬉しいわ」
「私もです。一昨日会ったばかりなのに、なんだかずいぶん会ってない気がしますから」
きっと外国ならここでハグでもするのだろう、でも生憎と私は日本人。会釈をするにとどめる。
「あれ、高見さんは?」
「うん、ソウジくんの事は後で話すわ」
いつもならひょっこり現れるはずの彼がいなかった。
ミナトさんの返答に、今は聞かない方がいい事なのだと直感する。
「それでレイコ、彼があなたの?」
「ええ。とりあえず自己紹介を。ナオヤ、彼女は相良湊さん。私の師匠にあたる人よ。ミナトさん、彼は犬養直也。私の――恋人です」
「わぁお。まさかあのレイコからそんな紹介を受ける日がこようとはね。煽っといて何だけど、かなり驚いてるわ」
「あー……、とりあえずよろしく、でいいんすか?」
照れているのかぽりぽりと頭を掻きながらナオヤはミナトさんに右手を差し出す。それを嬉しそうに握り締めるミナトさん。
なんだか妹の幸せを喜ぶ姉みたいな感じだ。
「それでレイコ、彼にはあなたや私の事、どこまで話したのかしら」
「さわり程度を。正直私自身どう話していいか困ってる所がありまして。まぁ時間もなかったですし。でも、私とミナトさんが連続失踪事件を調査している事と、その一環で私が旧校舎を壊した事は伝えました」
「うわ、それ随分と混乱させるような真似をしたわねあなた。なんていうか、レイコらしくないわ」
「わかってます。でも案外すんなり納得してくれましたよ。私が旧校舎を壊したあたりなんかは特に」
「ふふ、さすがは恋人ね。あなたの性質を良くわかってるじゃない」
まったく誉め言葉になっていない台詞なんてちっとも嬉しくない。
というかバカ犬、なんで私が旧校舎壊した事すんなり受け入れるのよばか。
ミナトさんとの電話を終えた後、私はそのままナオヤに隠していた事を告白した。
信じがたい話しではあるがこの世の中には妖怪が存在し悪さをしているという事。
そして連続失踪事件に関与しているであろうこと。
ひょんなきっかけで私はその専門家であるミナトさんと知り合い、弟子入りをしたという事。
そしてその調査の結果として、私が旧館を破壊したという事。
時間もなかったしだいぶ話しをすっ飛ばしての説明であったにもかかわらず、ナオヤは普段の彼からしたら考えられないほどの理解力を発揮した。
まぁもともと私が急に人魂事件に興味を持ったり不審な行動をしたりと違和感を抱いていたらしいから、それが理解の手助けをした事は確かだ。
つまり、私はナオヤから不審に思われるほどここ数日行動が突飛であったという事だ。
「じゃあ、私が記憶をいじくったってことも知ってるのかな?」
「ええ、それも説明はしてあります。でないときっと変な齟齬が生じると思いまして」
「へえ。その割にはあなた、ちっとも平気そうな顔をしているけれど?」
興味深げなミナトさんの視線を受けて、ナオヤは両手を広げた。
「そりゃまぁ自分でも変な感じはあったし、なんつーか、自分の事なのにそうじゃない様な異和感みたいなやつ。とにかく変な感覚がずっとあったから」
「わお。ねぇレイコ、あなたの彼氏って実はとんでもなく鋭い感性の持ち主とか? 間違いなく掛けた自信のある暗示がそんな良くわかんない違和感で不審に思われるとか、初めての事よ私。あなたといい彼といい、ちょっと自信がへし折れそうなくらい」
「まぁバカ犬ですから。変な野性的な感覚はあるのかと」
「おい、フォローどころか落とすのかよレイコ」
「あら、私なりに誉めたつもりだったんだけど?」
「いやそれぜってぇ誉め言葉じゃねぇから」
「あっはは、なんかいい感じね二人とも」
ころころと朗らかにミナトさんは声を上げた。
どことなく暗い様子ではあったけど、少しはマシになれただろうか。
「うんうん、なんか安心しました。というかほんとによかったわ、レイコの彼氏が犬養くんみたいな子で。お姉さんはほっとしたよ」
「お姉さんって……、まぁ私も姉の様には思ってますけど」
「あらほんと? なら嬉しいなぁ。うん、私もレイコの事は弟子っていうよりは妹って感覚の方が近いからね」
くるり、と。掌を無造作に回すミナトさん。そうすればまるで手品のようにどこからともなく筒が表れる。
「それじゃあそろそろ本題と行こうか。まずはこうして私とレイコは無事合流できたわけだけど、ここから先は暗部の領域になってくるわ。本当に悪いんだけど、犬養くんにはここで家に帰ってもらいます。あ、でも安心してね、あなたの彼女は私が責任を持ってちゃーんと守ってみせるから」
努めて明るい口調のミナトさん。けれど私とナオヤは自然と表情を引き締め背筋を正した。
「正直さ、俺がいてなんの役にもたたねぇってのはわかってるよ。たぶん、一昨日の夜もそうだったんだろ。だから帰れって言われれば帰る。でもさ」
「ええ、あなたの懸念は良くわかる。それに会ったばかりの私の事が信用できないっていうのもね。でも、信じて欲しい。約束は守るから」
「ん。なら俺は帰る。つかそれしかできねぇしな」
「ナオヤ……」
あっさりと頷いた彼に、私は言葉が出なかった。
普段はあんなに突っかかるのに、別人かと思うくらいに呑み込みが早くて素直だ。
「ありがとう犬養くん。あ、それとね、キミの護衛にはこの子たちを付けるから安心して。もう大盤振る舞いで百匹くらい憑けておくから恐いもの無しよ」
「え、いや……」
筒から飛び出した金色に輝く管狐を見てナオヤがしり込みをする。
当然だ、私だって何も知らない状態で妖怪を百匹も憑けるなんて言われたら正直恐い。
「あはは、霊体化しておくからキミの眼にだって見えないよ。だから普段通りに下校すればそれでいいわ。キミが家に着いたらこの子たちは私の所に戻ってくるからね」
「お、おう。わかった……」
若干上ずった声を上げながらもナオヤはやっぱり素直に頷いた。そのまま学校用カバンを手に持つ。
「んじゃあまたな、レイコ。明日学校で」
「あ……」
「ん? なんだよ?」
「え、えっと……。その、気を付けてね」
「それはお前の方だろ。俺は大丈夫だって。なんかそのちっこいのがめっちゃついてるらしいからな」
「ええ、それは安心して良いわ。ミナトさんの管狐、すっごく強いから」
「ああ、なら大丈夫だろ。んじゃまたな」
そう言って、今度こそナオヤは教室を出ていった。
常の彼らしくない素直さと呑み込みの良さを発揮して。
私はただただその彼らしからぬ様子に呆然と見送るしかなかった。
なんだろう、気持ちが繋がったと思ったのに、急にわからなくなってしまったかのような――
「ねぇレイコ、彼ってさ、あなた達のムードメーカーでしょ?」
「え……」
唐突に、そんな言葉を投げられた。
振り向けば、ミナトさんは柔らかく微笑んでいて。
「ええ、そうですけど……」
「やっぱりねぇ……。よかったね、良い人が恋人で。すっごく想われてるわよ、レイコは」
「え? え?」
混乱している頭をさらに掻きまわされる。
なんだ急に、いきなり何を言い出すんだこの人は。
「彼さ、きっと私の事もわかってたんじゃないかな。レイコも気がついてたと思うけど、ちょっとだけね、無理をしてるのよ今」
「ミナトさん……」
淡い微笑みを浮かべ、ミナトさんは机に腰を預ける。それから天井を見上げた。
「今の今までね、ちょっと私らしくなく動きまわってたからさ、本当は余裕が足りてないの。だからね、きっと彼にあれこれいろんな質問を投げかけられてたらイライラしちゃってたかもしれない」
――本当は答えなきゃいけないんだけどね。
そう告げたミナトさんは確かに、いつも浮かべる自信が消えてしまったかのように儚い。
「彼、きっとわからないことだらけだろうし、本当は質問もいっぱいあったと思うのよ。それに、こんな状況でいきなり帰ってくれってさ、むちゃな要求よね」
「…………」
そういえば、そうだ。
普段のミナトさんならもっと要領良く説明して、ナオヤが理解してから話しを進めていたと思う。
むしろ、説明する気がないならこの人は問答無用の処置を取る。
最初から中途半端に関わらせたりなんか絶対にしない。私の時がそうだったように。
「時間的な余裕がないっていうのもそうなんだけどさ、心の余裕っていうか、そういうのもちょっと足りなくって。でもきっと、彼はそういうところまで含めてぜーんぶ、わかってたんじゃないかな。だからあんなに素直にあっさりとこの教室を出ていった。そう思えるのよ」
ストンと、言葉が胸に落ちる。ナオヤの不可解なまでの理解の良さが、唐突に納得できたような気がした。
「わかってたから、だからあえて自分はわかったふりをした。そういう事ですか?」
「ええ、きっとね。だってほら、彼ってムードメーカーなんでしょ? きっとそういう心の機微に敏感なのよ」
「そういえばさっきもそんな事言ってましたけど、それって関係があるんですか?」
「ええ、もちろん。ムードメーカーってさ、お調子者のおバカさんってイメージあるでしょ? でも実はそうじゃないのよ。本人が自覚しているかはわからないけどね、それでもその場にいる一人一人の様子をちゃあんと気に掛けてみんなが楽しくなるように場をコントロールしてるのよ。きっと彼がいるといつも場が明るくなる。当たりでしょ?」
それはもはや確信の投げかけだった。それに素直に頷いて、今までのナオヤの様子を思い返す。
私も含めてみんながみんな、彼がいると笑顔になっていた。
ミナトさんの言う通りお調子者のイメージが強すぎて気づきもしなかったけれど、ナオヤはいつだってクラスの様子に敏感だった。
「優しくて賢いって言ったら誉めすぎかな?」
「ええ。少なくとも彼に賢いは当てはまらないですから」
「ふーん。でも優しいってところは認めるわけね」
「もちろん、事実ですから」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべられる。でもそんなこと知るもんか、私は意地で真顔を貫き通す。
きっと頬が火照ってる事はバレてないと思いたいけれど。
「さてそれじゃあレイコ。せっかく犬養くんが気を聞かせて用意してくれた時間だもの、そろそろ切り変えていきましょうか」
装ってはいない明るい言葉。それが暗くなった教室に朗らかに響く。
「ええ、そうしましょうミナトさん。そろそろ私も本当に切り変えないと」
「幸せすぎて頭が茹であがっちゃう?」
「何とでも言ってください」
「あら、拗ねちゃったかな? きっとめったに見れないレイコの一面だからつい楽しくなっちゃって」
「ふん、今日だけですから。ミナトさんに隙を晒すとどうなるか十分にわかりましたし」
「あらあら、優しくない妹だこと。まぁしょうがない、そろそろ本当に戻らないと。それが――いくら辛い事だとしてもね」
カラコロと楽しげだった声が凍える。
本当にこの人は唐突だ。
すっと引き締まった表情が浮かび、退魔師・相良湊がそこにいた。
「さて、それじゃあ簡潔に端的に行きましょうかレイコ。まずはあの戦いのあと、私たちが何をしていたかってところから何だけど」
師匠が切り変えて弟子が切り変えないなんて訳がない。
スイッチを押す様に私の意識も反転させる。
それはまるで、仮面を被るようなイメージ。
「まず佐々木先生に関してだけど、彼は事件の犯人ではなく駒の一人だったわ。だから私たちは黒幕を探す為に動いてたの」
「ええ、なんとなくですがそれはわかってました」
「さすがねレイコ。まぁでもあの先生って黒幕っていうよりは蓮っ葉の小物って感じだし当然か」
ものすごくひどい言い様だけれど、それを事実だと私自身も想ってしまうので追求はしない。
そのまま黙って次の言葉を待つ。
「だから私とソウジくんは二手に分かれて行動したってわけなんだけど。まぁ簡単に言えばさ、ソウジくん――その黒幕にやられて行方不明なのよ」
それはとても簡単で、あまりにも衝撃的な台詞だった。
~次回~
第七話 片鱗 ~秘めし者~/4
12/26(月)18:00更新