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妖物語 ~金色夜叉~  作者: 飯綱 華火
2/28

怪事件と噂話/2

「犬養、この問いに答えろ」


 その声には棘。既に抑えきれないのだろう苛立ちが零れ出る。

 これで本日六度目の御指名。


「――――、です」

「…………正解だ」


 すっくと自信たっぷりに立ちあがったケンに、先生は苦渋をいっぱいに浮かべて言葉を絞った。


「なら次っ、鷲崎! この問いに――」


 ガッガッ! ともはや黒板を削りかねない勢いで呪いの言葉(数式)が刻まれていく。

 問題が用意されてからの指名ではなく、指名してからの問題提起は性質が悪い。けれどミノリはむしろいっそ清々しいほど堂々と胸を張った。


「はい。――――、です」

「…………よし」


 まったく。ちょっと大袈裟すぎよ、ばか。

 くすくすと笑みを零して席に着くミノリを務めて冷静に眺めながら内心はヒヤヒヤだ。けれど表面を覆った仮面(ペルソナ)同様に脳は冷静に事務をこなす。

 悔しそうに顔を歪ませながら黒板に八つ当たりするかのような先生のその筆跡を追う。

 粉雪を零しながら刻んでいく文字はまるで呪いのよう。

 一文字一文字から滲みでる怨念はそのまま呪詛となって私たちへと降りかかる。けれど、


「――――」


 高速思考。分割操作。

 右手に(ペン)を左手に(ケイタイ)を。――いや、手にしているのは魔法の杖に魔道書か。

 刻まれる呪文、その一字一句で取捨選択(サキをよむ)


 ――――呪いの完成、その直前で魔法を唱える。


 左手の(ケイタイ)――打ち終わった解答を一斉送信。


「犬養ッ、ならこれは――」


 佐々木vsケン

 »»» 先読みした解答(マホウ)が呪いを打ち消す。


「――――、です」

「…………ちっ」


 見たことも無いほどの大真面目な顔でケンが七度目の勝利。

 それにもはや隠す事の無いあからさまな舌打ちが零れる。

 苛立ちを誤魔化す様にバサバサと教科書を捲る佐々木先生。


「次、山田! 教科書五十四ページの第四問を――」

「――――、です」

「…………ッ」


 後方支援もぬかりなし。後ろでメグミがほっと一息。

 わかりきってますというような山田くんの返答。それにぴくっと眉が吊り上がり青筋が浮かぶ。

 小馬鹿にした様な先読み返答に先生の理性もそろそろ限界かもしれない。

 これで血管でも切れて脳梗塞で御臨終。なんて結果になったら私たちは殺人犯になるかもしれない。まぁ、そうしたらスケープゴートは山田くんで。


「次――」


 ――おっと、思考が途切れた。示された問題は板書の上に。

 視線が泳ぎ――瞬間解答。

 右手が導き、左手が送信。一瞬遅れて魔法を展開。


「――――、です」


 私の送信(マホウ)よりも一瞬早くに兎塚くんの魔法が放たれ、先生はまたしても渋面に歪む。

「――――」

「(あ・り・が・と)」


 視線を合わせ、口だけ動かす。

 一瞬の交錯。

 真面目な鉄面皮に浮かぶ笑みは刹那の瞬き。

 けれど私も兎塚くんも手は忙しく動き回る。

 …………剣道で強靭な鍛えた手首に感謝。じゃなきゃとっくに腱鞘炎だ。

 ちらりと視線を投げれば残り時間(バトル・パート)は後わずか。

 結局、終了の(ゴング)が鳴るまで教室には先生の苦悶と生徒の秘かな嘲笑で満たされた。



 ◇◇◇



「ハハハッ! 見たかよ佐々木のあの顔! サイコーだぜ!」


 怒りで顔を真っ赤にした佐々木先生が教室を出るとケンが大声で笑った。

 それを合図にクラス中に歓声が上がる。それはまるで勝利を祝う勝鬨(かちどき)のよう。


「ほんとほんと。なんか久々にスーッとした感じだったよね」

「う、うん。でもちょっと先生かわいそうだったね」

「そんなことないわ。別に私たちは何もしてないでしょ」

「そうだぜ! たんに俺らが頭良すぎただけじゃんかよ!」


 ケンがニカッと笑う。それにあちこちから同意の声が上がった。


「でもさ、レイコも兎塚くんもよくあんなこと思いついたよね」

「私は関係ないわ。全部兎塚くんよ」


 私は肩をすくめた。もっとも、苦労は半々なんだけれど。

 兎塚くんの考えた作戦をあえて名付けるならば『優秀(エクセレンス・)生徒(プロトコル)』。

 あの後怒りの治まらない佐々木先生が私たち、特に数学の苦手な生徒を中心に問題攻めをするのは容易に読めた。そう言った陰険さでは校内で一番じゃないかと噂されるほどの先生なのだ。だからこそ、そこを突く。


「佐々木のやりそうなことは見当がつくからな、なら大神一人があいつをコケにするよりはみんなでやったほうがおもしろいだろ」


 兎塚くんが満足そうに眼鏡を上げながらやってきた。


「ああ、サイコーだったぜ。さすが京介!」

「俺だけじゃない、大神がいたからだ」


 律儀に訂正する戸塚くんに私は肩をすくめる。


「兎塚くんも間違いよ、みんながいたから、でしょ?」


 この作戦のトリック自体はいたって単純。

 先生が板書する問題を私と兎塚くんが瞬時に解いてそれを指名が来る前に一斉送信。

 あとは自分で解きましたって顔で平然と答えればそれで完璧。


 今の世の中便利なもので別々に送らなくてもグループ化すればやりとりはみんなで共有できる。

 あとはクラスで既に作られたグループで無く今回用に新しくグループを作ってしまえば良いだけだ。

 何か問いただされた時はそのグループを削除してしまえば証拠は残らない。

 最初は成功するのかどうかという不安で満たされていた教室も、最初にご指名を受けたケンが堂々と答えた事で安心を得たようだった。

 佐々木は驚いて苦虫をかみつぶしたような顔になり、けれどケンを咎めるだけの証拠(モノ)がない先生は引き下がるしかなかった。見てるこっちは冷や汗ものだったけど。


「メグミ―っ! メグミもありがとねーっ」

「ひゃあっ!?」


 突然抱きついたミノリの奇行にメグミは飛び上って驚いた。

 びくびくと小動物のように震えるメグミを、けれどミノリはしっかりと抱きしめて離そうとしない。


「こら、メグミが恐がってるでしょ」

「えぇー、そんなことないってばー」


 ぐずるミノリを強引に引き剥がす。メグミに抱きついて良いのは私だけの特権なんだから、まったく。


「いやー、でも鶴巻にも何度も助けられたなぁー」

「だよねー。レイコと兎塚くんにも感謝だけどメグミ達にも感謝だし!」

「ひゃっ、ふぁっ!? み、ミノリちゃ……」


 一瞬にして私の腕から消えたメグミがミノリの腕の中で頬ずりされている。

 可愛らしく悲鳴を上げるもののその表情は嬉しそうで、悔しいけれどここはミノリに譲ることにした。


「ああ、鶴巻さんたちの協力がなかったらきつかったな。いくら俺と大神でもカバーしきれなかったと思う」

「ほ、ほんと? や、役に立てたならよかったな」


 兎塚くんの台詞にメグミは小さくはにかんだ。

 佐々木先生は板書だけでなく教科書からも不意打ちのように出題してきた。

 けれどそうなることも予め予測済みで、前もって兎塚くんが選抜した数人に出そうな範囲を振り分けて指示が出ていた。

 メグミ以下指示を受けた数人がその問題を担当。予め解答を用意しておいてくれて、それを授業中に送信。問題を出された時にはすでに答えは配布済みというわけだ。


 対策は効果覿面(バッチリ)。あとは結果が示す通りの大成功(大勝利)。


 問題を答えられなかった生徒を罵倒してストレスを発散しようとしていた先生は、逆に次々と生徒に問題を解かれていくことになり、その結果、逆にストレスを溜めに溜めてた先生は最後に顔を真っ赤に染めて教室を出ていく羽目になった(敵前逃亡)、というわけだ。


「それにしても最低よ、生徒で憂さ晴らしをしようだなんて」

「まぁいいじゃねえか。みんなで一発かましてやったんだからよ」

「……はぁ。あんたがそういうならいいけど。でも気づいてた? あんたが一番先生の標的になってたのよ」


 呑気な馬鹿犬の言葉にどっと疲れが押し寄せてきて思わずため息。なのにケンはけろっとしていて、


「あ、やっぱそうなのか。なんか俺ばっかり当たると思ってたんだよなー」

「思ってたって、あなたねぇ……」

「でもそこはレイコのナイスフォローがあったんでしょ?」

「おう! 助かったぜ。サンキューな、大神」

「ふ、ふん。あんたで先生に憂さ晴らしされちゃ意味ないもの」

「あれ、レイコもしかして照れてる?」

「なっ!? そんなわけないでしょッ!」


 手を振り上げるとミノリは笑いながら逃げて行った。

 追いかけようとする私の間に割って入る様に鳴り響くチャイム。一瞬の停止。ミノリはニヤリと口角を上げ、私はぎゅっと、振り上げた拳強く握り、そのまま下げた。


「じゃ、またなー」


 バラバラとみんなも席に戻っていく。

 ニヤニヤと笑っているミノリは後で殴るとして、私も仕方なしに席に戻る。悔しいけれどこうなってしまっては仕方がない。

 さて、昼休みまでの三時間。今度もしっかり優秀な生徒を演じよう。



 ◇◇◇



 四時間目終了のチャイムが鳴る。

 一日の折り返し地点にクラスのみんなのほっとした溜息とガヤガヤとしたいつもの喧騒が教室に広がる。


 昼休み。お昼時。


 私はいつものようにメグミとミノリといっしょにお弁当を囲んだ。

 私は振り返ってメグミの正面に、ミノリは隣の男子学生のイスを拝借。ちょこんと、可愛らしいお弁当が三つ並ぶ。

 それはいつも通りの、何一つ変化のない、平凡な風景。


「……珍しいわね、もしかして全員クラスにいるんじゃない?」


 軽く首を巡らせてみるだけで、視界に入る人数はいつもの倍、みんながみんな教室に残って昼食を食べていた。

 この学校は無駄に設備が充実しているところがあって、食堂のラウンジの広さに購買部に設けられた簡易カフェテラスなんかもそのうちの一つだ。だからこそ大抵は半数が教室の外に出ているのに、


「本当だね。レイちゃんの言う通りみんな戻ってきてるよ」


 よくよく見てみれば購買組や学食組もわざわざ教室に持ってきているほどだった。

 菓子パンやオニギリの購買組はいいとしても、学食組はわざわざテイクアウトまでする張りきりよう。

 なんでそこまでして教室に戻ってくるんだろう。


「ま、これもレイコと兎塚のお陰なんじゃないの?」

「私と兎塚くん?」


 意味がわからず眉根を寄せて首を傾げる。ミノリはクイッと首を動かして教室中央のグループを指した。



「ねぇねぇっ、今日の数学の時間、なんか楽しかったよね」

「うんうん。授業中にずーっと携帯震えっぱなしでさ」

「ばかっ、そこはサイレントモードでしょ。もしそれでバレてたらヤバかったじゃない!」

「でもバレなかったからいいじゃん。それになんかこう、団結感っていうの? そんなやつがあってさー」

「そうそう。みーんなで佐々木の奴をやっつけたって感じ!」

「アイツ普段から陰険だからさー、授業終わった後の顔見た? 思わず、やった! って気になったよ」

「ねっ! でも本当大神さんと兎塚くんはすごかったよねー」

「本当だよ! だって佐々木が黒板に問題書き終わった次の瞬間には携帯震えててさー」

「うんっ、二人同時に同じ答えが送られてきてね。あ、これでいつ指されても大丈夫だって思ったけどさー」

「同時にすごっ、てね。正直すごいっていうか恐いっていうか」

「うんうん。きっとあの二人、未来が見えてるんだよ!」

「はははっ、なんかありえそーでこわーい!」



 聞こえてきたのは女子の談笑。

 それはさっきの数学の時間の出来事で、なんか最後はとんでもない妄想になっていた。

 未来なんて読めないってば。……たぶん。


「ね。ようはさ、あの数学の授業でな―んか団結力っていうか一体感っていうか、そういうモノができちゃったみたいだよ」

「う、うん。わたしもちょっと、楽しかった」


 ミノリの言葉に控えめに、けれど頬を崩してメグミも頷く。

 私としてはいっぱいいっぱいだったっていうのが正直な感想だ。

 だってさっきの女の事たちが言ってたように、それこそ未来を読み解く勢いで先生の板書から問題の取捨選択とそこから出てくる膨大な数の解答の選別を繰り返してたのだから。

 それはもう脳が溶けるんじゃないかっていうくらいの思考速度で、正直に言えば次の授業はへとへとだったのだ。


「でもさー、佐々木の奴もほんっとに陰険だよね。何もあそこまでしなくていいじゃんって話じゃない?」

「うん。それに、授業前のも……ひどかったな」

「本当だよ! ってかメグミあんたあの時大丈夫だったの? なんかすっごい睨まれてたじゃん」

「あ、それはすぐにレイちゃんが助けてくれたから平気だったよ」

「ははっ、なるほどねー。でも本当レイコがいて助かったよ。あれ、うちのクラス以外がやられてたら佐々木に負けてたっしょ、絶対。あの陰険教師め」

「…………」


 とりあえず話には加わらないで黙ってお弁当を口に運ぶ。

 全面的にはミノリの言う通りだと私も思うし普段からあまりいい噂の聞かない先生だけど、だからこそ逆にここまで嫌われていると憐れに思えてくる。

 まぁ、その先生のメンツを潰した張本人は私と兎塚くんなわけで、廊下側を見ればどうやら考えていた事は同じらしい。

 クラスの様子に苦笑い気味の彼と目が合って、私たちはいっしょに肩をすくめた。

 ちなみに、哀れには思ってもこれっぽっちも悪い事をしたとは思っていないというのは、たぶん彼も同じだろう。


「――――」


 そしてチラリと一瞥。視線をクラスの中央に。

 いつの間にか女子グループに交ってケンが先生の話題で楽しそうに笑っていた。それはきっとあの数学の№1指名者があのバカ犬だったからだろう。

 本当に、楽しそうに盛り上がっている。


「レイちゃん? どうかしたの?」

「……別に、何でもないけれど、急になに?」

「レイコ、それウソでしょ。ケンの事思いっきり睨んでるようだったけど」

「そんなわけないじゃない。だれがそんな、」

「いやいや、アンタ目が据わってるって」

「そうかしら?」


 とりあえず視線を剥がす。強引に。


「あ、そうだメグミ」


 ふと思い出してメグミに声をかける。

 ちょうどいいので話題も転換。これ以上話しを続けたらきっと私自身が大変な事になった気がする。


「なに、レイちゃん?」


 それにメグミは箸の先をくわえたまま小さく首をかしげた。


「メグミ、それ可愛いけど、可愛すぎだけど! でも箸をくわえたままは良くないわ。……あなた朝何か私に言いかけてなかった?」

「え……あ、うん」


 思い出したようにメグミはポン、と手を叩いた。

 そのままなにやらカバンを漁る。サルベージされたのは大きめの袋。


「あのね、昨日わたしまたお菓子作ったの」

「え――――」


 息を呑み、鼓動が大きく高鳴る。

 小さく柔らかいメグミの手に包まれた袋を開ければきれいにラッピングの施された包みが現れて、目の前に置かれたそれはまさに宝箱。

 可愛らしいリボンに閉ざされたその封をシュルッと外し、溢れ出た黄金色の光からは鼻腔をくすぐる甘い誘惑。

 金に煌めく硬貨の代わりに様々な形のお菓子が顔をのぞかせる!


「クッキーを焼いたんだ」

「メグミっ!」


 こらえきれず私は叫んでいた。


「あなたサイコーよ! もう、本当なんていい人なの!」

「ふぁっ!? れ、レイちゃん?」


 ぎゅうぅ、とメグミを抱きしめると驚いたメグミがバタバタと腕の中で身をよじった。


「ん? どうしたんだよ大神、鶴巻なんか抱きしめて」

「どうしたじゃないわよケン! メグミがお菓子を作ってきてくれたのよ!」

「ほんとかっ」


 途端にみんな集まってくる。


「ふあっ、ふあぁぁ」 

「ほらレイコ、いいかげん離さないとメグミが困ってるって」

「へ……あ。ご、ごめんメグミ」


 ミノリの言葉で私はあわててメグミを離した。私の胸に埋もれていたメグミはちょっと顔を赤らめながらうなずいた。


「だ、大丈夫だよレイちゃん。ちょっとびっくりしちゃった。あ、みんなの分もお菓子あるから」

「マジかっ。イヤッホォー!」


 メグミがお菓子の袋を大きく開けて机に置くとみんながいっせいにそれに群がった。

 それに合わせてクラスの注目がここに。

 一手に集まった視線と人だかりは人気者の芸能人を思わせる。この場合は人気洋菓子店か。

 まぁ、これは当然だと思う。たまにメグミが作ってきてくれるお菓子はみんなに人気でその美味しさは折り紙つき。むしろ久留米長近辺にあるお菓子屋さんなんて眼じゃないというのがもっぱらの噂だ。

 だから超が付くほどの人気店よろしくすぐになくなって……って、しまった! 完全に出遅れた。目の前には長蛇の列が。



【クラスルールその一・メグミのお菓子はみんなで並んで平等に(クラス委員長作成)】



「――――」


 それはまさにほんの一瞬の早技。

 メグミの正面にいた私ではなくわざわざメグミの後ろ側から列を作って待つ構えの私の宿敵たち(クラスメイト)。

 すでに決した敗北の予感にさぁっと血の気が引いて行く。

 私もしかして、食べれない……?


「レイちゃん」


 余りの絶望感に卒倒しかけたとき、クイッと小さな力が、けれど確かな強さで私の袖を引っ張った。


「はいこれ、レイちゃんの」

「メグミ?」


 机で隠す様に差し出されたのはきれいにラッピングされた小さな袋。


「レイちゃんの分だよ。特別」


 囁くような小声。ペロッと小さく下を出したメグミの顔がそこに。


「特別って……いいの?」

「うん。だっていつもレイちゃんわたしの作るお菓子喜んで食べてくれるんだもん」


 微笑むメグミの笑顔は天使のようで。


「メグミっ!」

「ふぁっ!」


 私はもう一度ぎゅうぅっとメグミを抱きしめたのだった。


「お、なんだよそれ。俺にもちょうだい」

「ダメッ。絶対にだめよ。ってかなんにもないんだからこっち来ないでよばかッ。ケンにあげるなんてもったいなさすぎるわ」

「えー、ちょっとくらいいいじゃんかよー」


 バカ犬からお菓子を隠しつつ一口食べる。

 うん! やっぱりメグミは天才だ!

 おいしい、というかわりに笑顔を向ければメグミも嬉しそうに微笑んだ。

 柔らかな日差しの射す教室で。ほのかにただよう甘い香り。

 楽しく平穏な、午後のひと時だった。



 ◇◇◇



「おつかれさまー」


 授業を終え、部活も終えた一日の終わり。

 もうすっかり暗くなってしまった学校の中をミノリと歩く。


 昼間騒がしかった学校も今は部活終わりで、帰宅を急ぐ生徒の声による昼の喧騒とはまた違う側面を見せている。

 どの部活動も終了時間はほとんど同じ。

 別の部の友達と合流する者や自転車にまたがって校門を去っていく生徒、校門で親の迎えを待つ生徒などがひしめいていた。

 連続失踪事件のせいで部活時間が短くなってはいたけれど、それでも十一月になったばかりの初冬のこの季節は日暮れが早い。

 じわじわと勢力を増してきた寒風に私は襟元を寄せた。


「ねえレイコ、ちょっと行ってみない? 旧館に」

「何バカなこと言ってるのよ、行ったところで何も出ないわよ」

「ええー、そうかなー」

「あたりまえでしょ。それよりも早く帰らないと神様にさらわれるんじゃない? あんたが失踪したら岡崎先生泣くわよ」

「はははっ、確かに弥生ちゃんならそうかもね。もしくは授業全部すっぽかして探して回るとか」

「ありえそうね。だからほら、寄り道なんてしないで、さっさと帰りましょう」


 たわいもない会話はそこいら中で響いている。

 私たち剣道部が活動する武道館の裏手には大きな林があって、その中にミノリの言っていた旧館がある。

 もう使われなくなってずいぶんになるというそこは、夜の林の中をひっそりと、忘れ去られた様に佇んでいた。

 静寂のみが漂うそこは囲む木々によって昼間でも薄暗い。

 遠目からでは何があるのかわからないほどの暗闇は不気味の一言に尽きる。

 正直に言って、武道館の裏手にあんなものがあってもいい心地がしない。


「あ。そうだレイコ、フルールに寄ってかない? なんかあそこのアイスが食べたくなったんだけど」


 私の尖り始めた空気から避けるように、ミノリは気にもしていない様な顔でそう言った。さっきの私の言葉すら歯牙にもかけてないらしい。


「この季節にアイスって……。ま、でもたまには寒い日にっていうのもいいかもしれないけど」

「でしょっ。あたし二段重ねにするんだっ」


 言うが早いかミノリは校門へと駆け出した。

 すでに行く気でいるらしい。はぁ、と息を零して後を追う私の足取りも自然と速くなる。

 なんだかんだ言っても部活後の甘いものの誘惑にはさからえない。結局、自分で言った言葉を自分で覆しているのだ、私も。


「ほらほらレイコ早くー」


 ぶんぶんと手を振るミノリの元へと駆けていく。


 宵闇の中、帰り道。


 空の月は雲で隠され、まばらな星が頼りなく瞬いている。

 暗い夜道に警告するように、どこか遠く、犬の遠吠えが鳴る。

 ミノリの後を追いながら、途中ですれ違う友達と挨拶を交わす。

 「また明日」という声はあちこちで鳴り、暗い夜道に掻き消える。

 追いついたメグミの背中を捕まえて、交わす言葉は他愛無く。

 それはほんの数分後には記憶の彼方に埋まっていく、些細で何もない、ただの会話。

 けれど、それは家に帰るまで確かに続く、学校という世界の日常。

 あたりまえの、ふだん通りの、いつもの風景。

 だから――――



 こうして、私――大神(おおがみ)麗子(れいこ)にとって最後となる普通の日常は、あくまで普通のまま幕を閉じたのだった。



                                                                       第一話 怪事件と噂話/了


~次回~

第二話 奇妙な二人/2

10/31(月) 18:00更新

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