動き出す影/3
◆◆◆
「大丈夫、レイコ?」
ミナトさんに抱き起こされ、そのままの姿勢で支えられている。
ぐったりとした体に力は入らず、私は手足を投げ出した状態でミナトさんに体を預けていた。
「惜しかったんだけどなー」
ぽりぽりと頬を掻きながら高見さんが呟いた。
それには無視を決め込んで私はこの元凶を睨み見る。
まだ相変わらずの体でふわふわと浮いているあの狐の群れを。
「レイコ? 大丈夫?」
心配そうなミナトさんに頷きだけ返す。状況は飲み込めている。
私は私の命令に逆らった管狐たちに襲われたというわけだ。
奴らがまだ好きかって漂っているところを見ると私が気を失ったのはほんの数秒だろう。
なら、
「しょうがないのよレイコ、あなたにはまだ霊力の使い方さえ教えてないんだから。だからこれは調子に乗った私の責任。ごめんね」
しおれているミナトさんに対し私は首を横に振る。
だってこれはミナトさんのせいじゃない。
いや、誰のせいでもない。
しいて言うなら私のせい。
つまり、甘かったのだ。
「ちょっと横になってて。すぐにあの子たちをしまっちゃうから」
「いいえ、私がやります」
活を入れる。
ぐい、とミナトさんの手をつかむ。
動かない体など、無理やり動かせばいい。
だって私は剣道部主将・大神麗子。
こういう極限の状態にこそ打ち勝つ練習を自らに課してきた。
なら、やってやれない事は無い。
なにより、
「れ、レイコ?」
「私が、やります」
ぴくぴくと額らへんの血管が動いているのがわかる。
つまりは青筋が浮いている。
ああ何ということだろう。つまり私が甘かった。
体中が沸騰する。
煮えたぎる、なんて言葉は生温い。
もはやこの感情を表す言葉なんてものは余計。
湧き上がる激情とともに新しい力が生まれてくる感覚。
その感覚が告げてくる。
答えは単純明快だ。
「あ、あのー、レイコ?」
「ふふ。しっかりと、調教してあげる」
要するに、躾が足りないだけの話なんだから……!
「結界、張っといて正解だったわね」
そんな、溜息のような声が聞こえた。
◆◆◆
夜の帳が落ちた頃、私たちは昨日も来たファミレスに立ち寄った。ここで夕食を取ることにしたのだ。
それと、また色々教わるために。
「でも本当、レイコには驚いたわ」
「その話はもういいじゃないですか」
「いや、でもすごいよ。退魔師やっててあんな方法で妖怪を従えた人を初めて見たから」
「……高見さんまで蒸し返さないでください。いいじゃないですか、もう」
思わず制服のスカートに手を触れる。
膝丈よりほんの少し下ろしたスカートの下に隠した専用のホルスター。
そこに管狐を入れた筒が左右の足に七本ずつの十四本。さらに腰にコルセット状に装着したホルスターに六本。
全部ミナトさんがくれた私専用の管狐ホルダー。
「でも本当に予想外だったのよ。まさか二十一匹全てを従えるなんて思ってなかったんだから。急造のホルスターだけど、不便はないかしら?」
「はい、その点は何も。後は私がうまく隠せればいいだけですから」
「うん、なら安心だ」
嬉しそうにうなずいてミナトさんは自分の筒をくるくると回す。
ミナトさん曰く私は霊力というモノをまだ扱えないからホルスターに入れて持ち歩くしかないのだという。
ミナトさんや高見さんのように本物の退魔師ならば霊力を使って筒を大量に持ち歩くことも可能らしい。現にミナトさんは数百の筒を隠し持っているのだとか。
それがちょっと悔しくて、私は真似をして胸ポケットに差していたペンをくるくると回す。
年代物の万年筆が重厚な鈍い輝きを放つ。
学生が持つにはちょっと高級すぎるけど、ミナトさん曰く特別なお祝いということらしい。
もっとも、私がこれを学業で使う機会は永遠に無いのだが。
「管憑きである私は言ってみれば管狐を操ることそのものが退魔師としての能力だからこれくらいは普通にできるのよ。でもそうじゃない一般の退魔師はできてせいぜい百ちょっと。これでもかなりすごいんだけどね。だからその点でいえばレイコは優秀すぎるくらいよ。何も知らないのにもう二桁台まで管狐を従えちゃったんだから」
「というか、力ずくで従えることがすごいと思うよ、僕は」
「だからその話はもういいじゃないですか」
冷静になって振り返ってみればちょっと恥ずかしい。
私はあの後管狐の群れに向かって文字通り素手だけで挑んでいった。
どちらか上かはっきりさせようと思ったのだ。
で、その結果ナックルファイトを経て管狐の群れは私の軍門に下ったというわけなのであった。
「いいじゃない、別に恥じることないわ。レイコの取った行動はまぁ原始的だけど、ある意味一番正しいわ。管狐もれっきとした生物なんだから、そうである以上強いものに従うのは当然よ。いえ、力の世界で生きている彼らなら弱肉強食は必然なんだから。だからレイコは正しいわ。それに、何も知らないのに一応霊体である管狐に素手で勝負して勝っちゃたんだもん。すごいじゃ済まないかもね。うん、間違いなく退魔師史上に残る武勇よ」
「……そう言えばさっきから二人ともそういうことばかり言いますよね。なんなんです、その霊力とか霊体とかって」
「うん? ああそうか、まだ説明してなかったもんね。でもなんとなくは想像できてるでしょう」
「ええ。霊力はともかく霊体なら一応。つまりは幽霊の事ですよね?」
「そうよ。ま、そうとらえてもらって構わないわ。じゃあちょっと食事が来るまでの間に少し踏み込んだ話をしようか」
いい、と目で訪ねてくるミナトさんに頷きを返す。
それに頷いてからミナトさんはドリンクバーで持ってきたコーヒーに口をつける。コーヒーカップの他にはクリームソーダの入ったコップがもう一つ。二つともミナトさんのもので、私の前にはコーヒーカップだけが、高見さんの前にはカルピスの入ったコップがある。
全部高見さんがミナトさんに持ってこさされたものだった。
でも二人ともソフトドリンクだなんてちょっとかわいい。
「じゃあちょっと核心みたいな話をしようか。
私たち生物はね、肉体と精神という二つから成り立っているの。ここでいう精神が魂、つまりは霊体を表すのよ。で、この霊体っていうのは器となる肉体がなければ形を保てない曖昧なものなの。これは水を想像してくれればわかりやすいかな。そのままだと形がないものだけど、容器に入れてあげればきちんとその形になるでしょ。それとおんなじ。
レイコ、あなたは大神麗子っていう器に入れてあげて初めて大神麗子になれるのよ。
だから霊体っていうのは肉体がなくなっちゃえばあちこちに散らばっちゃうものなんだけど、それを肉体なしで精神の力だけで固定するっていう方法があるの。
それが霊力ってわけ。霊体である精神を自由に操って使う方法よ。これは氷を想像すればいいかな。器がないと形を保てない水も凍らせてあげれば器なしで形になるでしょ。その凍らせる力が霊力ってわけ。
で、妖怪っていうのはその霊体だけで存在している生物なの。肉体はなく霊体と自身の霊力を用いてね。
肉体と同じ役割を果たせる霊力っていうのはそれだけで肉体を上回る力を持つわ。だから霊力を操れるっていうことはそれだけで肉体という器に頼らなくてはいけない生物よりも優位に立てるってことなのよ。
妖怪が私たちよりも強いのはそれが理由。
でも中には霊力が弱いものもいて、そういうものは認知されない。なんとか形だけは保てても、それを実際に目に見えるほどの強さにするのは難しいのよ。そういった存在はね、あなたのように霊力、ここでは霊感って言って霊力を感じ取る力が強いものにしか認識されないの」
「……私にも霊感があるってことですか?」
「それはちょっと違うわ。霊感っていうのは誰にでもあるものなの。私たちは肉体と精神でできているって話をしたでしょ。その精神の部分、霊体の持つ感覚だから誰もが皆持っているのよ。でも肉体という器のおかげで霊体はその役目をほとんど果たさなくていいからその感覚はほとんどの人は自覚していない、眠っている状態にある。でも初めからその感覚が強く鋭い人がいてそういう人たちが幽霊を認識できるのよ。
妖怪っていうのは霊力を使って自分の体を肉体レベルまで具現化できる者たちの事を言うの。だから妖怪は霊感が鈍い人でも普通に見ることができる。私の管狐だってソウジくんの犬神だって私たちが霊力を注いであげればちゃんとみんなが認識できるわ。でもね、私が初めてあなたに管狐を見せたとき、私はこれっぽっちも霊力を注いでいなかったの。つまり幽霊と同じ状態だったのよ」
「え?」
「ふふ、信じられない? あなたは普通に管狐を認識したわよね。それはつまりレイコが自分で霊感を使って管狐を『視た』ってことなのよ。だからこそ私はあなたに管狐を出してみてっていったの。あの時点でレイコの霊感が高いことはわかっていたから。ま、結果は予想以上だったけど。幽霊を視れるって人はけっこういるんだけど触れられる、ましてや殴れる人ってなるとそうはいないからね。ね、ソウジくん」
「むしろ僕は聞いたこともないですよ」
なんだか二人の言葉が痛いのは気のせいなんだろうか。
私としては二人がいた手前自然なことだと思っていたのにそれがすごいことだったなんて。
「でもだからこそ前途は有望よ。私たち退魔師が妖怪と戦うにはその霊力を用いなくてはいけないの。それが無意識下で使えるっていうことは素養が十分にあるってことだから。霊力を操れるようになるってだけで大変なんだから、本当は。しかも管狐をここまで操れるなんてね、もしかしたらレイコの先祖は管憑きだったのかもね」
なぜか楽しそうに笑うミナトさん。その時ちょうどよく食事が運ばれてきた。
「うん、じゃあ話の切れ目だし、食事にしようか」
「この後はどうするんですか?」
食事を終え、コーヒーを楽しみながらミナトさんに聞く。
ミナトさんは食後のデザートに頼んだチョコパフェを食べながら顔を向けた。
「そうね、この後は街の散策かな。足で稼ぐのが捜査の基本だ、なんて古臭い刑事ドラマの台詞だけどその通りだからね。見回りを兼ねて街中を歩くわ」
「なるほど、じゃあ私は街中を案内すればいいんですか?」
「そうね、それを頼みたいんだけど、あなた体は平気なの?」
「え? 大丈夫ですけど、どうしてですか?」
「うん、今日管狐を従えたでしょ。それは全てあなたが霊力を使ってやったことよ。でも霊力なんて使い慣れていない力を使ったら普通はその反動で疲労がかなりの勢いで襲ってくるはずなんだけど……」
「ない、ですね」
ミナトさんと首をかしげながら見つめあってしまう。
そう言われても困るのだ。だって疲労を感じるどころか体の調子は上がっている。
もともと夜型なのもあるけれど、別に調子は悪くない。
「本当、つくづく不思議ね、レイコって」
「そう言われても……」
「ふふ、いいんじゃない。好きよ、そういうの。それにもしかしたら先祖返りがあるのかもしれないしね」
「先祖返り?」
「そうよ。退魔師っていうのはちょっと変わっていて一度家系の中で退魔師が現れたらその家系が断絶するまでその退魔師の力を継承していくのよ。私やソウジくんのように代々家で能力を受け継いでいく家系もあるんだけど、もう先祖が退魔師であったことさえ忘れ去られてしまった家系も存在する。そういう家にはね、まれに先祖が持っていた退魔師の力を強く受け継いで顕現させる者が出るのよ。で、そうやって先祖の力を使えるようになった者のことを『先祖返り』って呼ぶわけ。だからもしかしたらレイコにもその可能性があるのかなーって思ったのよ」
「なるほど、それなら忘れ去られてわからない分可能性はありますね」
「でしょ。でも先祖返りなんて何がきっかけで起きるかわからないし、今の話は流しちゃっていいわ。それよりレイコ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
途端にミナトさんの表情が引き締まる。
それでもパフェの器を前にして口にチョコレートをつけたままだと締まらない。
「センパイ、チョコついてますよ」
「え? やだ、どこについてるの? 拭いてソウジくん」
んー、と顔を向けるミナトさんに高見さんは仕方なさそうに口を拭く。
なんだか親子みたいだ。普段はまるっきり立場が逆なのに。
「ん、んんっ。話を戻すけど、レイコに頼みたいことがあってね。何か最近幽霊とか怪談話だとかそういった話を聞かなかったかしら?」
「ええ、それなら私の学校の旧館に人魂を見たという噂が出ています」
「本当? ならそれを詳しく調べてもらいたいのよ。関係はないと思うんだけど、こうして妖怪の捜索に来た時に起き始めた噂や出来事は無視できないから」
「やっぱりそうですか。ええ、それなら大丈夫です。今朝その手の話に詳しい友人に依頼しましたから。月曜日には何かしらわかるかと思います」
「……本当に?」
「はい」
しっかりと頷く。
ケンとミノリに頼んできたから大丈夫だろう。何かしら掴んできてくれるだろうし、それよりも、あまり深くは探らないように言うべきかもしれない。
「すばらしいわ! 本当にすごすぎるくらい優秀よ、レイコ。昨日の今日でそこまで頭が回ってるなんて! ソウジくんじゃまずこうはいかないもの!」
「そこで僕を出さないで下さいよ」
「ははは、ごめんねー」
全く悪びれてないミナトさん。
うん、たまに高見さんに同情してしまう。
「さて、じゃあ噂話のほうはレイコに任せるとして、私とソウジくんはまた街中を散策してみましょうか」
「え、私は行ってはいけないんですか?」
「ううん、そうじゃないわ。でもね、やっぱりレイコは今日はもう体を休めなさい。いくら大丈夫だとは言っても疲労は確実に溜まっているはずだからね」
そう言われてしまうと逆らえない。
何よりこういうことに関してミナトさんは専門家なのだ。言うことを聞かないわけにはいかない。
「……わかりました。今日はここまでにします」
「ええ、それがいいわ。今日ゆっくり休んで明日に備えてちょうだい」
さて、と言って立ちあがる。
そうしてそのまま私たちは外へ出る。
「帰りはまた送り犬を付けるから安心していいよ」
ミナトさんがお会計をしている間に高見さんがそう言ってくれた。
「いくらなんでも今日いきなり襲われたら管狐で守りきれないだろう」
「ええ、まだ彼らを召喚をできるようになっただけですから。そういうことはよくわかりません、実際に彼らだって本当に私に従ったわけじゃないと思います」
「そうだね、実際は先輩から借り受けているっていうのが正しいと思うよ。確かに管狐たちはレイコちゃんに叩きのめされ従った。それでもきっと、まだ認めてはいないと思う」
「ええ、それはなんとなくですがわかってます。元々の主がミナトさんなら、きっと私でもそう思う」
素直にそう口にすれば、そんなもんだよと高見さんは笑った。
嘘偽ることなくあっけらかんと私に事実を伝えてくるのはなんだか新鮮だ。普通こういうときはもう少しフォローを入れるものだろう。でも、かえって高見さんのこの反応の方が本当の私の立ち位置を教えてくれるからありがたい。
そう言えばこの人は普段からこんな飄々とした感じだけれど、実際にはどれくらい強いんだろう。
「え? 僕の実力?」
「はい。高見さんはミナトさんよりも強いんですか?」
「うーん。そう言われるとこまるんだよなぁ」
とても強いとは思えない、とは口に出さないでおく。
高見さんは困ったようにぽりぽりと頬をかいた。
「なんていうのかな、手数はセンパイの方が上なんだけど、火力は僕のほうが高いんだ。だからと言って僕が優位かというとそうじゃない。キミも体験済みだからわかるだろうけれど大量の管狐に襲われたらかなり厄介だろう? そんな管狐を数百匹も操る先輩から集中砲火を受けたら火力云々の前に潔く諦めるか全力で逃げるしかない。少なくとも僕はそうする。先輩の力はまさに数の暴力という言葉の具現そのものだからね」
「ええ、それはよくわかります。正直たかだかニ十匹程度に成す術もありませんでしたから。それが百単位での隊群だなんて、考えたくもありません」
「はは、そうだね。でもその分先輩の力は管狐っていう妖だけなんだ。それに対して僕は犬神憑きの中でも特殊でね、『犬』に関連する妖怪なら何でも操れる。そういう意味では応用が利く分対応力もあるから戦術に幅が効くんだ。だからそうだね、真正面から戦うんじゃ無くて策を巡らせれば勝てるかもしれない。あとはまぁ、純粋に火力で押し切るっていう方法もなくは無いけどね。数を圧倒するような暴力で捻じ伏せる。象に蟻が勝てないのと同じだ。もっともその暴力を策で以って打ち砕くのが先輩のスタイルだからね、とてもじゃないけど実行する気にはなれないかな」
だからあくまでも可能性の話しだよ。なんて最後に高見さんは謙遜して付け加えた。
驕るでもなく、謙遜するでもなく。
ミナトさんの実力と自分の力量を冷静に分析しての言葉だとわかった。それで、彼に対しての印象が変わる。
もしかしたら高見さんは一番強い人なんじゃないだろうか。
いつもミナトさんに頭が上がらない感じだけど、もし戦ったら全く引けを取らないかもしれない。
それどころか、本当に高見さんの言う通り、策を用いれば勝ててしまうんじゃないだろうか。
「そういえば、高見さんもミナトさんとおんなじタイプの人なんですか?」
「そうだね。『犬神憑き』って呼ばれている。妖憑きと同じ妖怪に憑かれていて、けれどその在り方がまるで違う、僕たちは退魔師の中でも異端の存在なんだよ」
「え? 異端って……」
「おまたせー」
と、お会計を終えたミナトさんがやってきた。
それで会話が切られ、私の疑問は霞に消える。
「どうしたの二人とも。ちょっと良い仲になっちゃった?」
「別に、少し話していただけですよ」
「ふーん」
つまらなそうに返事をするミナトさん。
何を期待していたんだろう。
「さて、それじゃあいこうか、ソウジくん」
「はい、センパイ」
夜の街中を、店の明かりを背にして道を分かれる。
「いい、レイコ。今夜はきちんと休むのよ」
「わかっていますよ。
それじゃあお休みなさい、ミナトさん、高見さん」
手を振って帰路に着く。
ふんふんふん、と鼻を鳴らして黒犬がついてきた。
~次回~
第四話 動き出す影/4
2016/12/06(火) 18:00更新