怪事件と噂話/1
「ねぇ知ってる、あの噂――」
深と冷えた冬特有の独特の空気は、からっとした明るさを含んでいた。
凍えた外気の中、そこはもうもうと立ち込める湯気で煙っていく。
火傷しそうなほどのお湯いっぱいを惜しげも無く使い湧き起こした蒸気はそれだけで肌を心地良く潤していく。
朝の稽古を終えたシャワー室の中で、鷲崎実が話しかけてきた。
「噂?」
「そう。名付けて『さ迷う人魂!』 なんかワクワクしない?」
目を光輝かせ見てくる彼女の声はシャワー室のなかでエコーのように反響する。ぽわんぽわんと耳朶を揺さぶる声とその興味津々な眼差しに、私はうんざりと溜息を零した。
「ワクワクってねぇ……、そんな怪談話なんてどーせデマでしょ。それよりメグミにはしないでよ、その話。あの子、ものすごい怖がりなんだから」
「わかってるってば……冷たっ!?」
言葉とは裏腹な、まったくわかってなさそうなミノリに冷水のシャワーをかけてやる。くいくいっと蛇口を捻れば鉄砲水だ。
女の子にしては発育に欠ける、けれどその代わりのようにまるでカモシカの如く引き締まった体がビクンッと跳ねる。あっついほどのシャワー中、急に浴びた冷水にミノリは脱兎の如く飛び退いた。
「何するのよレイコっ!?」
「メグミを怖がらせようとした罰よ。ちょうど良かったでしょ、目、覚めたんじゃない?」
シャワーを止めて軽く頭を振る。長い黒髪を撫でつけるようにして背中に流し払うと飛び散った水滴が蛍光灯の光に反射してキラキラと輝いた。
立ちこめる湯気の中を輝く雫。光と水のコントラスト。
練習で疲労した筋肉が徐々に和らいで解されていく様なさっぱりとした爽快感は何度味わっても変わらない至福の一時だ。やっぱり稽古の後のシャワーは気持ちがいい。
「なに一人で爽やかに決めちゃってんのさレイコーっ!」
なのに、ミノリが馬鹿みたいにグルングルンとノズルを振りまわして台無しだ。そこからまき散らされるシャワーがビシャビシャと辺りを汚していく。
「――まったく」
ダンスステップ様な軽快な足捌きで冷水を回避する。濡れ切ったタイルで足を滑らせるようなへまをやらかすほど私は甘い訓練を自分に施してきたつもりはない。故にそのまま、目当ての物を素早く手に取り、唐竹割りの要領で、一閃。
「あたっ!?」
ゴンっ、と快音がシャワー室に木霊して、ミノリ沈黙。
「ほら、バカやってないでさっさと教室に行くわよ」
頭を押さえてに蹲るミノリを残しタオルを巻いてシャワー室を後にする。
「ぼうりょくはんたーい!」
何かの抗議デモの様なその声は微かに涙声。ちょっとシャワーのノズルで叩くのはやりすぎだったかもしれない。
「愛の鞭よ」――パタン、と私は扉を閉めた。
◇◇◇
「なあ! 幽霊が出るってよ!」
朝独特の喧騒が学校を支配していた。
今日もまた一日がここから始まるという高揚と、始まってしまうという気だるさ。それらがないまぜになって、けれど友人の顔を見ればそれは彼方へと消えて雑談が口を突く。
そんな特有のざわめきでひしめく教室に入った私を迎えたのは「おはよう」の挨拶ではなく躾のなっていないバカ犬の顔と声だった。
目の前、鼻先わずか五センチほどの至近距離。
バカ犬――もとい犬養直也は私の顔を見ておもしろそうだろ、と笑う。それに私はピクリと片方の眉を吊り上げた。
「あれ、なんか機嫌悪くないか、大神?」
「いいえ、悪くないわ。それよりそこどいてくれないかしら? 邪魔よ、バカ犬」
少し目を細めて殺気を飛ばして犬を石に。メドゥーサも裸足で逃げ出す(という悪評の)私の一睨みは確実にバカ犬をその場に固めた。本当ならこのまま止めとばかりに竹刀で叩き砕いて二度と甦らないようにしてやるのに、肝心の得物が手元にないのが残念だ。
「おはよう、レイちゃん」
席に着くとやわらかい声がかけられた。
さっきの一部始終を見ていたのかその声は仄かに揺れる微苦笑。ふわっと思わず天に上ってしまいそうな癒しの美声に和みながら席に着く。
朗らかな笑みが私を迎えた。
「おはよう、メグミ」
私の後ろの席に座っていた鶴巻恵はふにゃっと微笑んだ。
「今日も朝練だったの? あいかわらずレイちゃんは朝から大変だね」
のんびりとした口調のメグミは内気な性格でいつものんびりおっとりとしている。常に何かしら動きまわっている私とは対象的な性格のこの幼馴染は、私の心のオアシスのような存在だった。
「朝練は大変じゃないのよ、自主性だから。それよりも朝からバカ犬の顔を見るほうが疲れるわ」
「ふふ。あいかわらず毒舌だね。でもわたしは犬養くん、楽しい人だなって思うよ」
「まぁね、あれでもクラス一番のムードメーカーだもの。それは認める。でも度を過ぎるところが問題なのよ」
はぁ、と溜息がこぼれる。それにメグミは「幸福が逃げってちゃうよ」と言った。
「あ、そうだ。レイちゃんあのね……」
――――キーンコーンカーンコーン……
間延びした音が学校全体に木霊する。
メグミが何かを言いかけたとき、ホームルームを告げるチャイムが鳴った。
「やほー、おっはよー」
どこか抜けた声とともに担任の岡崎弥生先生が入ってきた。
彼女は教師になりたての先生で、小柄な体格とお気楽な性格のためか先生というよりは女子大生と言った雰囲気だ。理系の先生であるため常に纏っている白衣も貫禄ではなく女子大生っぽさを増すだけになってしまっている。
「さぁて、出席でも取ろうかな」
「もうみんないるよ、弥生ちゃん」
トントン、と名簿がリズミカルに音を立てる。上がった声に先生は眼を瞬かせた。
「んー? ん、んー。本当だ、じゃあ出席はいらないか。サンキュー、鷲崎さん」
ミノリの言葉に、先生はそれを確認してから名簿を閉じた。先生は『弥生ちゃん』と呼ばれることに何も感じてないらしい。むしろ逆にそのほうが親近感を持てると喜んでいる姿はそのまま教育実習生のよう。もう一年近くいっしょにいてまったく教自然としない先生も珍しい。
「じゃあ連絡事項に移ろうかな。ちょっと大事な話だからみんなよく聞いてね」
岡崎先生は教壇の上に両手をおいてずい、と体を前に乗り出した。
「朝から嫌な話になるんだけど、みんなは今この久留米町で起きている連続失踪事件って知っているかな? 現代の神隠しって呼ばれてるからもしかしたらそっちのほうが有名かもしれないけど。もし知らなかったら後で大神さんに聞いてね」
最後の言葉に顔をしかめつついつものことなので聞き流す。でも先生の言葉にざわざわと騒ぎ出すみんなを見ると知らない人はいなそうだ。不安げなメグミの気配が背中越しからも伝わってきた。
――――現代の神隠し。
それは私たちの住む町、久留米町で起きている事件の呼び名だ。
事件そのものは岡崎先生が言った通りの連続失踪、つまり連続して人がいなくなるというもの。
変な言い方をすれば失踪自体はそう珍しくない。
私たち学生がたまにする家出だってそれが長期間かつ行き先が両親に知られていなければそれだけで失踪になるくらいだ。
だからただの失踪だったらここまで騒ぎにはならなかったと思う。
でも問題はこの事件が未だ何一つつかめていないことにあるのだろう。
失踪というものは総じて発見されにくい。
失踪かどうか判断が難しいからだ。私たちの様な年頃だったら親との喧嘩で家から逃げ出すなんて当たり前の事だし、それを一々大袈裟に通報する親も稀だろう。
それが明るみに出るとすれば、警察に伝えざるを得なくなるくらいに連絡がつかなくなった時だ。
だからこそ、発見が遅れた。
この事件は久留米町内で行方不明届が多発したことで露呈したのだ。
そして事件が明るみに出たときには失踪者はすでに十名近くに上っていた。
初動が遅れた捜査はそれだけで難しくなるのにさらに最後の目撃情報はすべて曖昧で、失踪者の行方は不明。
関連性も判然とせず、原因も分からずじまい。当初は関連性がないため同一事件とは思われなかったらしい。
それ故に公表が遅れたと警察の偉い人が頭を下げていたのをテレビで見た。
けれど、捜査の遅れだけが原因じゃないと私は思っている。なぜなら公表されたにも関わらず関連する情報が皆無なのだ。
そんな事はありえないと言っていいだろう。
これは大袈裟でも何でもない。むしろ、そう楽観視することこそが早計だ。
だって情報化社会と呼べるこの現代において人一人が行方不明になって何の手がかりもないなんて、それはもはや異常事態にほかならない。
だからこそ、神隠し、と呼ばれてももはや何の違和感も感じない。
だって、当たり前のように情報が飛び交うこの世の中で、人知れずに姿を消してしまうなんて、それはもはや神隠しと呼ぶ以外にないからだ。
「それでその失踪事件なんだけど、昨日また失踪と断定された人が出ました」
ざわっ、と教室が声に揺れた。たしか、これで二十人に達したはずだ。
ここまで来ると人ごとではなくなってくる。もっとも、実感がないだけで本当は始めから他人事ではないんだけど、身近に起こらないからこそ余計に現実感が薄い。囁く声は面白半分といったところなんだろう。
「はいはい静かに。――で、学校の生徒でそういう人はいないんだけど、それでも十分に注意しましょうってことが今朝の職員再度言われました。そしてその対策なんだけどね、だから部活をやっている人には特によく聞いてほしいんだけど、部活動の時間が短くなります。これはもうしょうがない事だと諦めてね。学校側としても生徒の安全が第一優先だから。それと、帰宅時はなるべく一人で帰らないようすること。じゃないと神様にさらわれちゃうから」
最後の台詞は本気かどうかわからない。茶目っけかウィンクも付けたそんな先生の言葉に失笑が漏れ「はーい」と気の抜けた返事が返る。けれどその言葉でほんの少しだけクラスの雰囲気が明るくなったのは私の勘違いじゃないだろう。
面白半分程度の認識でも、確実にクラスの雰囲気は重くなっていたのだ。
「あ、そうそう」
一転して明るい声が響く。
「それからもう一つ。最近風邪が流行ってるみたいだからみんな手洗いうがいを良くすること! 早退とか欠席が増えてきてるからね、うちのクラスはみんな元気にいきましょうー」
これで朝のホームルームは終わった。「今日も頑張ってねー」と岡崎先生のいつもの決まり文句を言って出ていくと途端にガヤガヤとクラスが騒ぎ出す。
一時間目の始まるわずか五分の間。
「やっぱり幽霊なんじゃね?」
バカ犬がバカなことを言ってきた。
「何バカなことを言ってるのよ」
溜息をつきつつ答える。本当は無視しようと思ったんだけど、餌を欲しがる犬みたいに私の方にやって来た。
「だから幽霊だって。朝も言ったろ、旧館の幽霊!」
「……? 何よそれ?」
「あれ、言ってなかったけ?」
無言で頷く。正確には言わなかったんじゃなくて私が無視したんだけど。
「だから旧館の人魂。今朝シャワー室であたしも言ったでしょ」
話に釣られてミノリもやってきた。クラスのにぎやか担当ツートップはなぜか私の所に集まる事が多い。
「ケンが言ってるのって旧館の噂話でしょ? あれって幽霊じゃなくて人魂だって」
「ん? どっちでもいっしょじゃね? 俺違いなんてわかんねー」
「あ、それあたしもかも」
「んでよ、大神」
「違いってなに?」
見事な共同作業。あまりにも息の合った二人の様子がなんとなく面白くなくて、悟られないように溜息で誤魔化す。いつもより強めの半眼で睨みつつ、しかたなく私は頭の片隅から辞書を引っ張り出す。
【幽霊】――死んだ人の魂。死者が成仏し得ないで、この世に姿を現したもの。亡者。
【人魂】――夜間に浮遊する青白い火の玉。古来、死人のからだから離れた魂といわれる。
(広辞苑より)
「ま、要するに身体としての輪郭を持つのが幽霊で、魂だけの形のない光の玉が人魂ね」
てきとーに纏めると二人は感心したように頷いた。や、ここまで素直に頷かれると日頃の調教の賜物のように思えちゃうんだけど……、私の言葉を全部鵜呑みにされても困るんだけどな。
「ほらっ、あたしので正解じゃんケン。やっぱ人魂だって」
「みたいだなー」
何やら二人で勝手に納得し合っている様子。それに私は唇を尖らせた。
ちなみにケンとはバカ犬――もとい犬養直也のあだ名だ。でも犬でもバカ犬でも犬であることに変わりはない。
「で、だから何なのよそれ」
「ま、あくまでも噂なんだけどねー」
そう前置きしてからミノリは話し出した。
「ほら、武道館の裏手の林の中に今は使ってない旧館があるでしょ。何でもさ、夜になるとそこに人魂が出るんだって。見たって言う人もけっこーいてさ、その人たちによると旧館の廊下あたりでボウッとした黄色い光がゆらゆら動いてるんだって」
「ほ、ほんと?」
私の後ろでメグミがぶるっと小さくふるえた。
純真無垢なメグミは人魂が旧館の中を漂っている姿を想像してしまったのか瞳を恐怖に濡らす。それを見てケンとミノリがニヤッと笑うのがわかった。
「そうそう本当! こう、夜な夜な旧館の中をさ迷う人魂がゆらゆらぁ~」
「え、えぇぇ……」
「きっとさみしがって学校のやつらを仲間にしようとしてんだぜ。お前も仲間になれ~」
「や、やだよぉ~」
二人はわざと暗い声でメグミに近づいていく。それに本気でメグミは怖がった。
「いいかげんにしなさい二人! メグミが……」
「ふん。どこまでもマヌケな奴らだ」
注意をしかけたとき、前から冷たい声がかかった。
「そろいもそろって何を話しているかと思いきや、幽霊だと? ハン、バカバカしい。これだからマヌケな奴らは」
盛大な溜息とともに表れたのは数学教師の佐々木剛志。小馬鹿にしきったように冷めた視線で私たちを一瞥すると先生はこっちに近づいてきた。
「幽霊なんて非科学的なものを信じているとは、やはりバカはバカだな」
ひょろひょろと無駄に高い身長の上から先生は私たちを見る。本人の性格を露わした様な真っ黒な黒髪が少し掛かったノンフレームの眼鏡の奥から冷たい瞳が見下した。
「低俗な奴らはこれだから始末に負えん。くだらない噂に振り回され騒ぎ立てる。そんなどこの誰が吹聴したかもわからん噂がそんなに楽しいか、低脳め」
「ああっ!? 今なんっつったよ!」
「黙れ、間抜けどもが口を叩くな。大方、情報の発信元は貴様らなんじゃないのか? 動機はそうだな、アホな貴様らが少しでも注目を浴びる為、とかな」
「そ、そんなわかないでしょ!」
「どうだか。それにお前もお前だ。いちいちくだらないことで怯えるんじゃない、グズが」
「…………」
侮蔑しきった冷たい瞳に見降ろされ、メグミが悲しそうに俯く。
私の理性はそこまでが限界だった。
「グズ、マヌケ。仮にも教師である先生がそんな言葉を使ってもいいんですか?」
「あ?」
「そうでしょう? ここは学業の他に社会の礼節を学ぶ場でもある。そして教師とはそれを教え示す、いわば見本のような立場。そんな人が自ら率先してそんな言葉を使うのはおかしくないですか?」
「……大神。貴様教師である私に意見する気か?」
「もちろん。だって今の先生はとてもじゃないけど教師とは思えませんから。教職とは生徒を教え導く見本として立つべき聖職です。仮にもその肩書きを持つのなら、振舞うべき場というものを弁えるべきです。ああそれと、そもそも教師でありたいというのなら、まずその傲慢さ、直してもらえません?」
イスに上体を預け胸を逸らす。腕を組んだままの姿勢で私も悪評高い睨みで先生を見据える。
こういう人に対してわざわざこちらが下手に出る必要はない。喧嘩は真っ向勝負が私の流儀だ。
私の大切な友人たちに喧嘩を売ったんだ。すでに教師生徒の枠組みを越えている。遠慮容赦一切無しで叩き伏せてやろう。
「大神ぃ……」
ピクピクと青筋が浮かぶ。
聞いた話によれば佐々木先生は有名大学のエリート出の人で家柄も良いらしい。だからこういう状況には慣れていない。なら怒らせてしまえばこっちの勝ち。あとはどうとでも手玉に取ってやれる。
私に口で勝てると思うなよ。
「先生、授業を始めませんか」
と。
ピリピリとした空気を切り裂くように唐突に声がかかった。あまりのタイミングの良さに声のした廊下側の席を振り返ると、薄く笑みを張り付けた男子生徒が先生に見えない角度で私に携帯電話を振っていた。
ブー、ブー、ブー。
タイミング良く携帯のバイブが振動する。
ディスプレイを見れば送信名は兎塚京介。横槍は我が高随一のキレ者からだった。
『大神だけじゃ意味はない。どうせやるならみんなで』
「――――」
思考が止まり眉根が寄る。兎塚くんが何を言いたいのか、その真意の程がわからない。
私ではなく、みんなでって……。
「とっくに授業時間です。先生の口癖ですよね、時間を守らない奴はクズだって。なら、始めましょうよ」
軽く皮肉って兎塚くんはクイッと眼鏡を指で上げた。
佐々木先生のかけるそれとは違い、彼のはより聡明に兎塚京介という人物を魅せる武器だ。
そして、その手で隠された口元。
先生からは死角となるそこに、教師を馬鹿にしきった笑みが浮かぶ。
その笑みを見て、唐突にその意味を理解した。
だって私が逆の立場でも隠すだろう。
あれは徹底的に敵を叩き潰す時に、そして仕留める罠を思いついた策士の表情だ。
――――ふふん。了解よ、兎塚くん。
アイコンタクトで頷く。
表面上はあくまでも冷静に。けれど、その心には笑みが浮かぶ。
よくよく周囲を窺えば、クラス全員が佐々木先生に敵意を持った事は確定だ。
ならつまり、そういう事だ。
「ふん」
一度私を睨んでから教壇に戻っていく。その隙に私はケンとミノリに耳打ちする。
「すぐに席に戻って。それでみんなに携帯を見るように伝えて」
薄く笑みを浮かべるとそれだけで二人は何か悟ったのか、うなずいて席に戻って行った。こういう面白い事に対する直感力は二人のほうが一日の長がある。
兎塚くんを見れば彼もこっそりみんなに何か言っている。彼の真意は読めた。だから後はみんなに伝われば準備完了。それと、協力者だ。
「――メグミ」
「?」
私と兎塚くんとの妖しいアイコンタクト(やりとり)を見守っていたメグミが首を傾げる。その顔にそっと唇を近づけて耳打ち。兎塚くんは俯いて何やら手元を操作中。
「え、レイちゃんそれって……」
息を呑んむメグミの手元でタイミング良く震える携帯。
そこに記されたのは情報部より運ばれた司令官からの作戦通知書。
口元に手を当てて眼を見開いたメグミに笑みを返す。
教室の端々で驚きを堪えて息を呑む音が微かに鳴り響く。
それはまるで戦闘準備の合図。
兎塚くんの指示がクラス内を駆け巡る。
クラスの様子が変わっていくのが肌に伝わる。
空気の変化。
携帯を眼にした者から順にその表情が切り変わる。
携帯の画面には新たに作られたクラスのグループが表示される。そこには兎塚くんからの指示と、それに対する了解の返事がすでにいくつも連なっている。
みんなすでにやる気は十分。この際どっちが低脳かはっきりさせるのも一興だ。
生徒と教師という立場には絶対の壁がある。
そんなもの必要ないと私たちに親しみを籠めて接してくる岡崎先生の様な人もいれば、その壁を絶対的な力と勘違いする佐々木先生のような輩もいる。
そう、それはまるで圧政を敷く領主と縛り付けられる市民の構図。
成績評価という学生にとっての絶対の弱点を握るからこそ錯覚する傲慢。
けれど覚えておくべきだ。なぜならすでに歴史がそれを証明している。
あまりにも傲慢に、苛烈な締め付けは時に大きな反乱を引き起こすのだと。
だから、今度は私たちが立ち上がる番。
彼の言ったみんなで、というのはそういう事だ。
そして、やるのなら堂々真っ向勝負で叩き潰す。
これは私の流儀で、彼のそれをよくわかっているらしい。
静かに深呼吸し、教科書を開き、ペンを構える。
――――さぁ、反撃開始だ。




