〇〇七 流 獣
「どうしたのかな? まさか、溺れた、なんてないよね?」
――――バ シャーーーーン!
滝の淵から轟音と共に水柱を上げた。私は宙返りして着地する。
その様子に虚蟠兵、スキャバーたちは狼狽えてるけど、黒衣の少年は目を輝かせていた。
私は今、御滝水虎を従えていた。
常に水飛沫を纏った蒼白い巨大な虎。顔を上げて私を見るので、喉元を撫でる。
「グルルルルル」
嬉しそうに喉を鳴らす。
「うん、上出来だよ。で? 次はどうするのかな?」
私は少年の挑発には乗らず、太刀を持った右手、『夜叉の浄眼』を前に突き出す。
「顕現、流獣御滝水虎。
…………妖具化!!!」
瞬間、御滝水虎は紺碧の宝珠になって、浄眼に吸い込まれた。
少年が邪悪な笑みを浮かべて見守る中、それはさらに変貌を遂げる。
***
「なんだ? なんで涼子さんの自転車がこんなところにあるんだ?
それもスタンドで立てられてない。急いで石段を登ってったってことだよな」
今朝方涼子に話しかけられていた同級生、岳臣遊介は、訝りながらも自分のマウンテンバイクを涼子の自宅『流厳舎』の敷地内に停めた。念のためにと二重に鍵をかける。
担任教師、現代国語の宮部先生からは
『彼女のおじいさんから電話がかかってから、鞄も持たずに早退した。バッグとプリントを届けてほしい』
と、半ば強引に押しつけられてしまった。
人のいい彼は嫌な顔一つせず、自宅とは反対側の涼子の自宅まで来た。
「こんなところに置いとくわけにもいかないから、持っていこう」
岳臣は籐の籠に涼子のバッグを入れ、自転車の車輪を石段の右の縁石に乗せそろそろと押していく。
「何段あるんだ? これ、十分くらいで着くかな……」
***
「うんうん、やっぱり僕が見込んだだけのことはあるよ。
アドバイスしたのを差し引いても、妖魅を早くも手懐けてる!
いいよ、早くその性能を僕に見せてよ!」
夜叉姫は、右端の足軽みたいなワラジムシの兵士虚蟠兵に刀を振るった。
ザンッ!
抜き胴で斬る虚の硬度や剛性は、人体とは違った組成で、遥かに硬いんだろう。
だけど、今の夜叉姫にとってのそれは、包丁で大根を切るよりはるかに容易い。
ザシュッ ズガッ ドンッ
ほんの三呼吸で雑兵を黒い錆に変えた。
パチン
少年はまた指を高く鳴らす。
地面に直径1,5m程の黒い洞ができた。身の丈2,3m程の虚兵が新手として加わる。
その姿は骸骨の甲冑武者を錆びた鉄で作った、粗悪なジャンクアートのようだった。
両腕は黒い骨とムカデを組み合わせたように、無数の足がうねっている。
がらんどうの双眸でこちらを見据えてきた。手にした同じく錆びた大剣を振り回している。当たればかなりのダメ―ジだ。
夜叉姫の視覚にデータが喚起される。
【種族】:中級虚兵・大
【名前】:五尺腕、センチピード・ブラッキウム
【特徴】:地面にまで伸びる長いリーチと一尺三寸(40cm)程の手。
攻撃力、リーチ、耐久力が高いが動きは緩慢。
これは夜叉姫自身のものか、それとも御滝水虎のものなのか。どちらにせよ情報は使うに限るわね。
ギィィィィィィン!
私は、工事現場の鉄骨のような長大な剣を刀でいなし、懐に潜り込む。
右足を数回斬りつけると、バランスを崩して立て膝をつく。そこを衝いて首を落とした。
ザシュッ!!
大きな頭がごろりと転がる。一体仕留めるのに10秒もかからない。
それでもあのディクスンとかいう子供は、自分たちの優位を疑わないみたい。
サーカスでも観覧しているようなはしゃぎっぷりだ。
「やっぱりすごいよ夜叉姫は!
妖魅を従えるだけでなく、その妖魅を武器に変えるだなんて!」
私が今持っている刀は、太刀に酷似しているけど、刀身の長さは1m、厚さは4cm程だ。
そしてなにより人間には造れない。
刃は切っ先から鍔近くまで蒼い。
そう、御滝水虎が武器としてこの世に顕現し、この世ならざるものにこそ威力を発揮する。
その字は『瀑布刀』。ただの水じゃない、絶えることなく落ちる滝の力を持つ刀だ。
私は雑事をこなすように、残りの虚兵を切り伏せた。
瀑布刀の切っ先を、にやけたままの魔少年に向けた。一切の感情を込めずに尋ねる。
「どうする? このまま続ける? それとも――――」
***
「はあ、はあ、はあ、はあ……ふう、やっと着いた。あーー、自転車なんか押して石段上がって来るんじゃなかった。
なんだろ、山の中の家なのに、いがらっぽいっていうか空気が悪いな。
それに、改修工事でもやってるのか? さっきからガンとかギィンとか変な音がする。
……まあいいや、涼子さんにバッグ届けたら帰って図書館行こう」
***
「んっ、んーー、確かに今の状態でも戦ってみたいんだけどね。
今度会った時、『まさかこれほどとは、成長したな』とかやりたいけど.
――――話は変わるけど、この国って滅びかけ、っていうかもう先がないんじゃない?」
何の事? 問いかける前に、眼前の少年は誰に聞かせるつもりもなさそうに話を続ける。
「人口は減る一方、企業は社員を使い潰して、学校でも陰湿な迫害差別、敵意に満ちた暴力が蔓延してる。
それをイジメだなんて、ヌルい一言で片付けてさ。
それをマスコミはオブラートにくるんで広めて、自分たちのことを顧みることも、未来を見据えることもしない。
政治家も民衆も『誰かがどうにかしてくれる』とも、思いもしないで日々を生きてる。
自分じゃ動かないくせに、誰かがヘマしたら水に落ちた狗みたいに叩きまくるしさ。
相当に此岸が抱えている闇は深いよ。そう遠くなく、間違いなく亡ぶね。
こういう時、トリックスター、旧態依然とした歪な秩序を破壊して、真の安定を生み出す存在が顕れる」
「……あなたがそうだって言うの?」
こんな化け物を率いて、おじいさまを手に掛けた連中が何を言うのか。
「まさか、僕は遊び場と遊び相手、っていうか玩具が欲しいだけさ。
僕の仲間は君のお父さんを探してるみたいだし。
――――なんて言ったっけ? ミタキ、ミタキ――――」
「おとうさ――――父を知ってる、いや、探してるの!?」
なぜこの子供がお父さんを? 例え化け物相手でも、お父さんの情報は喉から手が出るほど欲しかった。
「僕は関わってない。オモチャの匂いがしない案件だしね」
ニヤニヤとした笑みを絶やさない。人の神経を逆撫でして楽しんでいるんだ。
「話しが逸れたね。こっちも色々仕事とかあってさ。
新製品の試作品、それの性能をチェックしておかないと。
それと、君の現段階でのスペック確認、ポテンシャルを見極めて相応しい器か確かめておく。頼まれたことは、面倒でもやっておかないとね。
これは僕にしかできないことなんだよ」
一体何を、と問う間もなかった。見た目は小学2年生くらいの少年は滝近くの岸に近づき、手を水辺にかざす。
「今の君が水の妖魅を使役しているなら、こちらも水に強いのを喚ばせてもらうよ。
さて、どんなのが出てくるかな?」
白い小さな手から、煤とも錆ともつかないモノが煙のように噴き出して、滝壺に降り注がれる。
清澄な滝は、瞬時にどす黒く濁っていった。
私は反射的に彼に向かって跳躍する。
「このっ、ふざけるな!
御滝水虎の住処を、お父さんたちとの思い出の場所を穢して何が仕事だ!」
ギュィィィィン!!
私が放った瀑布刀の一撃は、ディクスンには届かなかった。
水の中から飛び出た鎌状の肢、それに唐竹割りを止められたのだ。
なおも力を込めて鎌を押し切ろうとする私を、少年は冷ややかな眼で見詰める。
「うん、いいよその感じ。剥きだしの怒りや憎しみは僕らの糧だ。
改めて紹介するよ、彼は虚兵士、上級種。
字を虚水黽騎……。うーーん、センスないな。
面倒だから簡単に……アクア・ストライダー、ストライダーでいいや。
今の君と……実力はこっちの方が上かな。
じゃあがんばってねーー」
――――ザァァァァァァアアアアアッ!!