〇〇六 虚 兵
意識が戻ると夜叉の浄眼、異形の篭手は右腕にあった。
すでに自分の体の一部のように感じられる。着けていない時の方が重く感じるくらいだ。
浄眼の水晶が光ると、太刀の刀身も呼応して光を帯びた。
――――キィィィィィィィン――――
「これなら……!」
私はもう一度、巨大なガガンボのような切り羽虚に向かって刀を振る。
ザン! ギシャアァァァッ!
今度は手応えがあった。黒い羽虫の首元を一刀のもと切り伏せる。一瞬にして分解され跡も残らない。
仲間を斃されたからか、切り羽虚二体がいきり立って襲いかかってきた。
でも、狭い座敷の中では飛んでいる羽虫にはかえって不利になる。一太刀ずつ振り抜き怪異を鎮めた。
でもまだ家の外には大勢いる。
破られた障子から裏庭に出ると、待ち構えていたように十数体が滞空している。一斉に襲いかかってきた。
「はっ!!」
でも対抗手段を得た今なら戦える。間近に迫った羽虫は刀の背や峰で打ち据えて動きを止めたり、他の一体に飛ばしてぶつけ一度に襲いかかれる数を減らす。
キィン! ザシッ! ズンッ!
コォォォォ! ギィッ!! グギャッ!!
夜叉の浄眼を右手に帯びた私は、自分でも意外なほど冷静だった。
思考回路が過ぎるくらいクリアになっている。
次に何をすべきか、敵がどの順番で襲いかかってくるか。手玉に取るっていうのはこういうことか、余裕さえ抱けるほどだった。
「はっ、はっ……これで、ぜんぶ」
真っ黒い羽虫は全部斃した。
不思議なことに、羽虫を倒した後にはぼんやりしたオレンジ色の光の玉がいくつも浮かんでいる。
じっと見ているとほっとする、でも今は落ち着いてる場合じゃない。
おじいさまの手当てと救急車を、そう思った矢先だった。
パン パン パン
まばらな拍手の音が聞こえてきた。
「いやー、いいもの見させてもらったよ。
無事『夜叉の浄眼』に認められて、やっと虚を斃す資格を手に入れられたね。
ただ今の君は鳥で言うと、まだ卵から孵ったばかりのびしょ濡れの雛でしかない。もう少し頑張ってもらわないと」
さっきの子供? いや、この子見た目通りじゃない。
「あなたも虚なの?」
刀を向けていいかどうか分からないけど、警戒するに越したことはないわね。
「ああ、そうだよ。分類上はね。でもこんな雑兵、雑魚とは違う。
僕はこいつらを使役、管理する存在、言うなれば虚神さ。
こちらで言うとアメーバとヒトくらい違う。
それより、さ。キミの周りのオーブ、さっさと吸収してくれない? 別にそのままでもいいけど、話しをするには気が散るからね」
「オーブ?」
「そう、よく心霊スポットとかで写真撮ると丸い光が映りこむだろ? あれと似たようなものさ。さ、吸収して」
吸収? 私はぼんやり光る珠に意識を集中させる。人魂みたいに光の玉が浄眼の水晶部分に吸収された。
「そう、いいよ。そのオーブ、貯めておくと君の能力が強化される。
話を続けるね、君の力はまだ覚醒して間もない。だからたくさん戦って経験を積んでもっと強くなってほしいんだ、僕のためにね」
パチッ
少年が指を鳴らす。すると地面に、木の洞のような丸くて黒い染みがいくつもできた。今度はそこから新たな虚が現われる。。
これは、人型? ダンゴムシ? じゃない、ワラジムシみたいな笠を被ってる。
その下の顔は、サルの頭蓋骨みたいだ。
手に手に大きな鉈や刃毀れした刀を持っていた。
「紹介するね? これは虚の兵士。名前は虚蟠兵、スキャバーとも言う。ある程度知能もあるから、がんばってーー」
「自分でけしかけといて、馬鹿な事言ってんじゃないわよ!」
「ギャッ! ギャァァァァァァ!」
耳障りな叫び声が林に響く。
私は一歩踏み込み袈裟切りを見舞う。
ザンッ! ズシャッ!
二体三体と、立て続けに倒しても少年は楽しげだ。それがこちらをさらに苛つかせる。
「そのままだと疲れちゃうよーー。
大サービス! この地に祀られた妖魅を開放して力を取り込むと、今とは比べものにならないほどパワーアップできるよ」
それは、浄眼の中の夜叉姫も言っていた。
「いいかい? この土地や信仰に深く根差した旧くて強い妖怪の類のことさ。
小難しい理屈とかは必要ない! そいつと心を通い合わせて力を得るんだ!」
なんであんな子供、しかも敵に仕切られなくちゃいけないの? でも、悔しいけどあいつの提案に乗るしかない。
心当たりは、ある!
私は目的の場所、注連縄を巻いた大虎岩に向かった。
でもこんな時に限って、いや、あいつの差し金か。真っ黒い落ち武者の骸骨が私の前を阻む。
「お願いだからそこをどいて! でないと全員斃すわよ!」
――――漸く、漸くか。待ち侘びたぞ。我が依代、我が主よ。早くここへ――――
さすれば――――
「御滝様! お願い! 力を貸して!」
私は思い切り叫んだ。でも、滝の前にある、大きな虎にも似た岩は全く変化がない。
「どうして!? 御滝様応えて!」
私の願いも空しく御滝様は応えてくれない。
その時だ、私は黒い兵隊にタックルされ滝の淵に突き飛ばされた。
ドンッ! ――――ザブーーン
……あれ? 全然息苦しくない。ブレザー着たままでも普通に泳げる。
それに――――水の中でもあの子供の笑い声が聞こえる……。
「あっはっはっはっは。水浴びは気持ちいい? 早く妖魅の力を借りてよ!」
言われなくても、だ。水の中に落とされたのに私は意外に冷静だった。
――――子供の頃読んだ漫画で似たようなシーンがあったな。
主人公が水中に落ちた時お父さんに『困ったときには逆に考えるんだ』ってアドバイスもらって、水底に潜っていった。
とか思い返せるくらいには。
喚ぶべき妖魅が御滝様、それは間違いない。
でも注連縄で括られたあの岩は反応しなかった。
――――そうか、信仰の対象は岩じゃなく、この滝そのものなんだ!
――――ゴグン
『御滝様、力を貸して!』
――――いいぞ、だがまだ足りん。
――――幼き頃を思い返せ。お前は、いやあなた様は一度我と逢っている。
――――言え! 我が字を! あの岩は何に見える? どう映る! あなた様の瞳に!!
そうだ、私は溺れたときこの妖魅に助けてもらった!
真 名も思い出した!
「あなたの字は水虎!
そう、御滝水虎!!」
――――ォオ、オオオオオオオオオオオオン!!!
獣のような咆哮に呼応するように、夜叉の浄眼の手の甲の部分、今朝滝壺で拾った水晶がまばゆい光を放つ。
私の中で何かが弾けた。物質と言葉、それから思念が融け合い貌を為す。
水晶の光に照らされて、それは貌を顕した。
滝壺の奥底で私を待っていたのは――――
首筋から上に向かって太い岩杭を生やした、蹲る巨大な水の虎だった。