〇六三 拝 謁
「ああ、でかした、岳臣!! いくぞ!! 虚神!!
夜叉戦舞『潮』!!!」
ザシュッ! ズシッ! ザンッ! バシュッ!
彩月は素早く虚神テリベスティアの懐に入った。
巨躯の虚兵の周囲を、残像ができるくらい高速で動いて、連続で斬りつける。全身が黒い虚兵は為すすべなく斬り刻まれた。
「妖魅顕現、幽獣、『虱蝣漣』」
百々花ちゃんが文言を唱えると、足元に羽虫とも何ともつかない白い虫妖の群体が顕れた。
体長20cmくらいの蟲の群れはそのまま足場になる。百々花ちゃんがテリベスティアに駆け寄る。
「そうはいくか! させないよ!」
さっき殴られたディクスンが、百々花ちゃんに飛びかかった。
「はっ!」
ザシュッ!
「ぐっ!!」
すかさず彩月が苦無を投げた。魔少年の肩に刺さる。魔少年はのけぞった。
「百々花、その虚神は核になっている鵼の宝珠を、正確に打ち抜かないと斃せない! よく狙え!」
「解ってる、夜叉の浄眼、開眼!!」
文言を唱えた瞬間。百々花ちゃんの両眼の間が輝いた。瞳に色が無くなって、代わりに顔の中央に『瞳』が一つ出現した。
いわゆる感覚器官としてじゃなく、白いラインが何本も走ってる。
同時に私、いや夜叉の浄眼が嵌っている右手の甲が音叉のように響く。
あの子の『夜叉の浄眼』は手じゃなく眉間にあるんだ。
百々花ちゃんが構えている銃の砲身が、電磁気を纏ったのかオレンジ色に輝いた。機銃を構えて叫ぶ。
「砲術、『サーマルショット』!!」
海面、そしてこのあたり一帯が白く輝いた。
轟音と共に、巨大な虚兵の上半身は吹き飛ばされた。肩から上が丸く抉られている、すごい破壊力だ。
残った虚神の身体は会場に浮かんだまま黒い雷が放たれだした。行き場を喪った雷気が身体に籠り膨れ上がる。
バチッ、 バチバチバチバチ!
「退くぞ!」
彩月は百々花ちゃんを抱えてその場を退避する。
ド ォ ン!!
一際大きな水柱が立った。虚兵の躰が四散爆発したんだ。
「ぐっ、ぐはあっ!!」ディクスン・ドゥ―ガルも爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。
「はあ、はあ、はあ。ようやく斃せましたね、おめでとうございます、涼子さん」
不意に目の前の風景がずれて見えた。そこから声が聞こえる。
「ああ、付喪神を着たままでした。今脱ぎますね」
すぐ近くに大きな布の塊が顕れる。モスグリーン、というか、文字通りのくすんだ緑色だ。
布の中から足が突き出た。と、岳臣君が姿を現す。白い虫妖の上におっかなびっくり立った。
「援護ご苦労、岳臣」
「いえ、夜叉姫さん。それにありがとう、百々花さん。この付喪神のおかげで助かった」
「ううん、援護ありがとう」
岳臣君が羽織っているのは、向こうの風景が透けて見える古びたマントだった。
――――全く、女の子相手だと、年下でも『さん』付けで呼ぶんだから。
「付喪神避役外套。
避役と同じように、周りの風景に溶け込んで姿を消せる。
岳臣さんは、鬼力がないから、あの子供に察知されずに、うまく近づけた」
海の上が眩く輝く。テリベスティアがいた辺りに、緑と白が渦巻いている宝珠が浮かび上がった。
「おお、ようやく鵼を取り戻せた。百々花、お前が受け取ってくれ」
「いいの?」
「ああ、今回ので濡女と牛鬼が手に入った。戦力バランスを考えると百々花、お前が持ってるのがいいだろ。とりあえず預けておく」
『ちょっと、彩月?』
「いいだろ、鵼に限らず妖魅の宝珠は、お互いシェアできるようにしといた方が今後有利になる」
『そりゃそうだけど……』
百々花ちゃんは、虱蝣漣の上を歩いて鵺の宝珠を手に取る。
「よし、取る物も取ったし、旅館に帰ろう」
いつの間にかジェットスキーの付喪神も近くに来ていた。
***
「夜叉姫様! それに涼子さま! お疲れ様です!」
「ああ、岳臣もおつかれ。まあ、涼子さまたちになにかあったら、ただじゃ済まさなかったけど」
岩浜に猫妖魅三人がいた。五徳猫と猫又が岳臣君を労う。まあ少しは評価が上がったのかな。
それにしても、岩浜が粉々だ。自衛隊が演習に使ってもこうはならないだろう。
「だいぶ派手に壊したニャ。下手したら誰か観光客か、地元の人間が通報したかもしれんニャ。さっさと旅館に戻って宴会の続きニャ。
濡女、それに牛鬼。私ほどじゃないけど、強力な妖魅が二体も契約できた。
この後飲む酒はさぞかしうまいだろうニャー――――」
「――――なに和気藹々としてる!? まだ終わりじゃないよ!!」
甲高い叫び声が聞こえた。振り向くとディクスン・ドゥーガルが海から上がって来た。
黒いノースリーブのロングパーカーは海水でぐしゃぐしゃだ。さっきまでの余裕は全くない。
「お前、爆発に巻き込まれたんじゃなかったのか!?」
「そんなわけないだろう!? 勝ち逃げなんて許さない! さあミタキリョウコ、再戦だ! 今度は僕が直接戦ってやる!!」
魔少年の身体の輪郭が不明瞭になった。両肩から薄く広い何かが伸びて拡がった。
「牛鬼だけじゃない! お前が契約している妖魅の宝珠、それも全部僕がもらう!!」
「そうはいかぬ。ドゥーガル、お前の敗けだ。ここは潔く退け」
どこからか低くくぐもった声が聞こえてきた。
見ると、空中に白い糸の塊が浮いてきた。その中から黒いローブの男が現れる。
「誰!? あの気配は虚神!?」
さっきまでの威勢と裏腹に、ドゥーガルが冷や汗を流し出した。絞り出すようにつぶやく。
「……ヴェーレン……!」
***
ヴェーレンと呼ばれた虚神らしき男は、両手をかざした。不意に強い光に照らされる。私は思わず目を閉じた。
「ここ、どこ?」
不意に意識が、身体全体にいきわたった感覚があった。
彩月が主導権を私に返したみたい。さっきまでの脱力感が無くなって、身体が嘘みたいに軽く感じる。鬼力が回復したんだ。
今まで夜の海にいたからか、今いる空間が眩しく感じる。
「お初にお目にかかる。
夜叉姫、いえ三滝涼子様。ご尊顔を拝悦し恐悦至極。
申し遅れました。儂は虚兵、それに虚神を暫時取りまとめている者。
名をヴェーレン・リー・ヴァンと申します。今後お見知りおきを。
近いうちにご挨拶を、と思ってはいましたが、何分仕事、諸事が詰まっていましてな。延び延びになってしまいました。汗顔の至りです」
何もないぼんやりとした白い空間。周囲には海や陸の区別も全くない。ただ地面らしき平面に自分たちがいる。分かるのはそれくらいだった。
目の前のローブの男は慇懃に頭を下げてくる。
その様子は、言葉通り敵軍に交渉に来た軍師のようだった。私に敵対する者の言葉とも思えない、どちらかと言えば、協力者のような言い方に違和感を覚える。
今この場にいるのは5人。私と岳臣君、百々花ちゃん。それからこの奇妙な空間を創り出して私たちを取り込んだ、ヴェーレン。
それに正体を顕そうとして、ヴェーレンに取り押さえられた魔少年ドゥーガル・ディクスン。彼は太い帯状の糸で右腕を縛られていた。
その戒めを解こうと左手で引きちぎろうとするけど、粘性の高い糸はびくともしない。
「くっ、なんだよヴェーレン! ミタキリョウコは僕がやる! お前は引っ込んでろよ!!」
魔少年は悪戯が見つかっても堪えない子供のようにわめいている。
「黙れ、この豎子が」
静かな、けれども有無を言わさない口調にディクスンは怯んだ。
「ひっ」と小さく息を洩らす。
「貴様の役目はあくまで斥候とオーブ、虚霧の収集。
それと新たな夜叉姫の『ゴリョウ』の覚醒が発動するか確認して報告する、それのみだ。
何も言われんことをいいことに、増長しおってからに。
少々大目に見ていたのは、その姫の成長を促すためだ。決して貴様の子守りをさせるためではない。
貴重な戦力、切り羽虚や虚蟠兵、舟蟲兵、五尺腕、それに虚水黽騎。
虚兵を使い潰すに飽き足らず、せっかくの鵼まで奪い返されおって。
これ以上失態を重ねるようなら……!」
ヴェーレンは節足動物、例えるなら一番良く似ているのはアシナガグモか。腕を無遠慮に伸ばす。魔少年の細い腕をつかんだ。
「折檻以外にない!」
ボ ギン
「…… かはっ!」
白い空間に鈍い音が響く。ヴェーレンが仲間の腕を、花でも摘むように折ったのだ。私は思わず顔をしかめる。
「これは失礼、内輪の話です。どうぞご容赦を。
本題に入りましょう。あなた様は御身に宿る御霊、『御霊将門』をご存知か?」
「ごりょう……まさかど……?」
相手が言うことを鸚鵡返しに口にした。初めて聞く名前。
もちろん将門というのは知ってる。
平将門、日本史でも普通に出てくる武士社会の蜂起に一役買った人物だ。確か当時の朝廷に反旗を翻して討たれたって。
でも、私が変身した時のあの状態がそんな呼ばれ方してるなんて知らなかった。
それともう一人の私とも言える、夜叉姫こと彩月。
思えば虚神が人と妖魅に仇なす存在で、夜叉姫はそれらを倒す存在。それくらいしか知らない。
無言をどうとったのか、ヴェーレンは言葉を続ける。
「知りえる範囲でも構いません、お教え下さればこちらもあなたの知りたいことを、できる範囲で言いましょう。
例えばあなたの父上、三滝渓介の消息など」
心臓が跳ねた。なぜそれをと聞く間も惜しい。
「お父さん、父は生きてる、いやどこにいるの!?」
「息災ですよ、とても。ですが、あなたの知っていることを教えていただかないことには」
老科学者のような痩身の男は、ローブの中から不自然に長い両腕を出し、肩をすくめる。
「なんとも言いようがありませんな。ここはひとつ情報交換と参りましょう」
「御霊なんて知らないわよ、それより父の居場所はどこ?」
「おや、交渉不成立ですか。いや、息災というのは居場所が分かる、というわけではないのですよ」
「……どういうこと?」
「こちらに居場所を悟らせない。というので無事、息災だということまでは分かるのですが……。
なにしろいた痕跡を消して回っているのですよ。捜そうとするたび煙のように消えてしまう。
まるで……そう煙々羅のように」
私たちは無言で相手の話を聞いていた。
「いいでしょう、そちらもお疲れの様子だ。話はまた今度にしましょう」
ヴェーレンは岳臣君を見やる。岳臣君は怯みかけたけど、両手を握りしめて何とか見返した。
「美しい姫君だ。ゆめ疎かにしないことですな。
さあ、ドゥーガル、行くぞ。
ではまた会いまみえる時を楽しみにしていますよ、では」
黒いローブの男と魔少年は、白い空間に溶け込むように消えていった。
気がつくとまた元の浜辺に戻っていた。猫又達とだいぶ離れた砂浜に、私と岳臣君、百々花ちゃんは立っていた。
三人とも辺りを見回す。身体とかに特に異常はないみたい。
「なぜやつらが私のお父さんを?」
「三滝渓介さん……涼子さんのお父さんで民俗学者ですよね。なんであいつらが……」
「そう、私が聞きたいこともそれ。
三滝涼子、あなたの父親の居場所を知りたい。虚神には言えないことでも、私には言えるでしょう?」
「そんな……ほんとに知らないの」
百々花ちゃんはまだ機銃を持ったままだ。
「隠すと、ためにならないし、私は三滝渓介に会って知りたい事がある。でないと私が困る」
私が言葉に詰まっていると、百々花ちゃんはさらに続けた。
「どうしても教えてくれないなら、三滝涼子、あなたと戦ってでも聞きだす」




