〇五三 火 箭
すぐさま、ねこ妖魅ふたりと、岳臣君に声をかける。
「聞いての通りよ、三人共、できる限りここを離れて!」
「はい! 涼子さま、火車様、お気をつけて!!」
「ほら、岳臣。足手まといはこっちに来なさい!!」
「…………」
三人が退避したのを確認してから、妖具化した火車、火葬弓を握り直す。
弓の持ち手の下部分、直径10cm程の木製の車輪が回りだした。
弓の両端、末弭と本弭にひとりでに深紅の弦が張られる。
火葬弓を番えると数本の炎が弦から燃え盛る。炎そのものが矢になるんだ。
「はっ!!」
気合いを込めて火の矢を放った。
ヒュン ヒュヒュン!
牛鬼の胴体や小山のような腹部に、何本も矢が刺さる。
ザン ザシュッ ドスッ!
「やった!!」
猫又が歓声を上げた。矢が刺さった部分の毛がめらめら燃え出す。
だけど、牛鬼はそもそも矢が放たれた時から微動だにしていない。矢が刺さっても動じた様子がない。
ぶ ふぅぅぅぅっ!
鼻を鳴らして、軽く身震いしただけで炎の矢は掻き消えた。悠然とこちらを見下ろす。
「こんなものではあるまい、火車? まさか、手を抜いているわけではあるまいな」
『……まさか、久しぶりに火を放つのだ。肩慣らしというか小手調べだ。
これからが本番じゃ。涼子、これは私だけでなく、お前の鬼力もだいぶ使うがいいな?』
私は無言でうなずく。何か秘策というか奥の手があるらしい。
『では行くぞ!!
妖魅顕現! 叢原火! 釣瓶火! 不知火! 松明丸!』
火葬弓から聲が響くと暗がりから突如炎の塊が三つ。うち一体は蒼いアメーバみたいに不定形に蠢く焔だ。赤い炎の中には、顔が見え隠れして揺らめいている。
それに、松の木と皮でできた燃え盛る烏天狗が現われた。
『我が眷属の一部、火の妖魅を喚んだ! これらを妖具化して番えるがよいぞ』
「火の妖魅を矢に!? でもそんなことしたら――――!!」
『心配いらん! 矢として撃ったらしばらく此岸には来れんが、数分したらまだ喚べる!
言うなれば待機時間だ!!』
「………………わかった」
火車の言うまま、浄眼の光で火の眷属たちを照らす。瞬時に火葬弓に集まり、細く鋭く伸びた。
さっきより、太く長い焔で牛鬼に狙いを定める。
「――――むぅっ!」
妖魅でできた火矢と黒い弓を前に、さしもの牛鬼も警戒しだした。その巨体に似合わない俊敏な動きで距離を置く。
ザッ ズザザザザザザザ!
蜘蛛のような八本肢、それに大きな腹部を芋虫のように蠕動させて、波打ち際まで距離を取った。
「『弓術、『送り火』!!』」
私と火車が異口同音に叫ぶ。叢原火と釣瓶火の矢がそれぞれ放物線を描いて撃ち込まれる。
ビュッ!! ゴォオオッ!!
「――――ヴォォォォオオオオオオオーーーーン!!!」
巨大な妖魅が、大型ダンプがドリフトするように海の中を移動する。波飛沫が高く上がった。
いったんは躱された妖具化の矢は弧を描いて軌道を変えた。牛鬼を追って海上を飛ぶ。
ギュン! ギュァァァァァァン!!
当たる! そう確信した時牛鬼は反撃に転じた。
八本の足で牛の胴体、胸部分を持ち上げて、焔の妖魅の矢を二本、身体で圧し潰した。
ドジュゥゥゥゥゥウウウウ!!!
辺りに肉を焼くような、焦げ臭い匂いが広がる。
だがその隙を逃さず、もう二本の矢を撃ち込む。松明丸が妖具化した矢は牛鬼の頭上ではじけた。
バァアアアアン!!!
「グゥォォォォオオオオッ!!!」
大量の熾火が牛鬼に降り注ぐ。巨躯の妖魅の背中は山火事のように燃え出した。
さしもの牛鬼も火を嫌って海に逃げ込んだ。だけど、妖魅が妖具化した焔は海水だけでは容易に消えない。
「オオオオオオオーーーーッッッッ!!! ぬ、濡れ女!!!」
「おう!!」
下半身が蛇の女妖魅が海から現れた。
腕を横に薙ぐと、そこから波が発生する。妖魅の焔は妖魅の放つ波で消されてしまった。牛鬼は荒い息を吐いた。
「……どうした? それだけか!!!」
『……無論、違う。……』
「……なんだと?」
ごうっ!!!
「きゃあああああっ!!」「うぉぉおおおおおっ!!」
訝る牛鬼と濡れ女に、アメーバのように不規則に形が変わる蒼白い焔が浴びせられる。
二体とも海に沈んだけど、蒼い焔は海に潜っても消えずに、妖魅達を責め苛んだ。
「ごあああっ! こ、これは『不知火』!?
何故だ!!こんな、我が歯牙にもかけないような妖魅に、なぜ我らが追いつめられる!!?」
『勿論、ただ顕現しただけでは、貴様は痛痒すら感じまい。
だが、その『不知火』は私が喚んで夜叉姫、涼子が妖具化したもの。鬼力の込め方が並と違う。
さあ、おとなしく夜叉姫の軍門に下れ。そうすれば不知火の戒めから解放してやろう』
「ふん、そんな申し出、誰が乗るか!!」
牛鬼は海中で大きく吼えた。海水が沸き立つような咆哮は不知火を掻き消そうと四方に響き渡る。
――――バァ……ン!
やがて、不知火は強制的に霧散された。牛鬼は再び波打ち際まで上がって来る。
「よかろう、ならば我の攻撃を喰らうがよい。『鬼術、巌礫』!!!」
牛鬼が文言を唱えた瞬間、大地が律動するのが解った。足元がビリビリと震える。
「我を喚ぶには致し方がないのだろうが……戦いの場をここに選んだのは貴様らの手落ち、いや敗因になるやも知れぬな!!」
ひょいっと。牛鬼からすれば路傍の石をこつんと蹴る程度のことなのだろう。
だが――――
ゴッ!!
軽自動車ほどもある岩が宙に舞った。そのまま私めがけて落ちてくる。
ゴガン!!!
大きな音を立てて、岩同士がぶつかり落ちてきた。岩が砕けて辺りに飛び散る。
「ぐっ!!」
たかが割れた小石が、肩を掠めただけで相当の痛みだ。
続けて、牛鬼は尖った蹄で岩を弾いていく。と、お手玉かおはじきくらいの軽さのように中空に上がり、私めがけて降り注いでくる。
もちろん、直撃すれば即死どころか原型すら留めないだろう。私は攻撃の契機も摑めずただ逃げるばかりだ。
「どうした? 先ほどのように一撃喰らわせて見せよ!!」
牛鬼の挑発に私は応じることもできない。せめて六花がいて、足止めしてくれれば。
そう思って頭を振る。再戦は無理、一回で鎮めて契約しないと。砕けて足場が悪くなった岩場を逃げつつどう反撃しようか考える。
と、岩が猫又と五徳猫の頭上に来た。
「あっ!」「きゃあっ!」
弓を両手で構えて二人に駆け寄る。
「斬術、『火取り虫』!!!」
黒い弓の端が赤黒い焔を噴き出すと、落ちてくる岩はスローモーションになった。
私に向けて軌道を変える。そこを紅く燃え上がる弓の上端で岩を両断にした。
ズシャァァァァァァッ!!
「二人とも、大丈夫!?」二人ともその場にへたり込んだ。
「は、はい、なんとか……」
「涼子さま、あ、ありがとうございます」
『牛鬼!! 貴様、己に刃を向けぬ者まで、手にかけようというのか!!』
火車の問いかけに、牛鬼は攻撃の手をいったん緩める。
と、後ろから叫び声がした。
「あっ! なにやってるんですか!?」
「あのバカ、なに勝手に出てるの!!」
砕けた岩場に躍り出る人影。そこには栄養ドリンクを飲み干しながら、駆け出す岳臣君の姿があった。
私が叫ぶ間もなく、牛鬼の腹部の毛を摑んで駆けあがった。
牛鬼は思わず自分の腹部を振り向く。腹部の頂上に上った岳臣君は、何を思ったか拳で牛鬼の腹部の頂上部分を何度も殴りつけだした。
食取りやバイローンの効果で、強化されてはいるんだろうけど、それでも牛鬼相手ではなんの効果もないみたい。
牛鬼は岩を弾くのをやめて、私に向かって言い放つ。
「五百年前は、どこの馬の骨とも知らん男を連れてきて、茶番を見せられた。それに比べればまだましだが。
よもや、この小僧を使い捨てるわけではあるまいな?」
「そんなことするわけないじゃない!! 岳臣君は……(いちおう)ともだ、ち……? なんだから!!」
『………………』




