〇五〇 潮 妖
「――――きゃーーっ!!」
夜叉の浄眼の効果で、ある程度恐怖心が軽減されてるんだろうけど、それでも思わず悲鳴を上げてしまった。
半魚人の赤ん坊、というのが一番近い感じか。
眼は閉じているけど、眼球が左右に開いて妙にせりだした青白い赤ん坊が口をパクパクさせている。その様子は可愛らしさのかけらもない。
言うなれば、深淵からきた者みたいだった。
「岳臣君、その赤ん坊から手を離して!!」
「無理です! 粘液でくっつけられてます!!」
見ると赤ん坊をくるんでいた布からも、透明の粘ついた液体が出て岳臣君の腕に絡みついている。おまけに――――
「やっぱり、というか警戒していて正解でしたね。この赤ん坊もあの女も妖魅です……!」
言いながら、岳臣君は全身に力を込めて両足を踏ん張る。
「どんどん重くなってる……!
くっ……予想してた以上だ。これ、何十キロ……いや際限なく重くなるのか?」
そう、私たちは女とその赤ん坊の正体に最初から気づいていた。
海辺の近くにいる人間に、何かと理由をつけて自分の子供を抱かせる妖魅。
まさか、身の上話にDVを混ぜ込んでくるとは思わなかったけど。
正体を知らずに抱き抱えてしまうと、赤ん坊は見た目に反してどんどん重くなって、抱いた者は圧し潰される。もちろん、そんなことはさせないけど。
「正体を顕しなさい! 妖魅『濡れ女』!!!」
夜叉の浄眼を完全に顕現させた。浄眼珠の光を照射する。
が、一瞬早く女の姿が伸び上がり、光を躱した。
その姿は、顔は美人の部類に入るけど、髪は蒼く濡れてあちこちに貼りついている。
そして腰から下、足に当たる部分が腰の太さ程もある巨大な蛇に変化していた。
服は脱げて、割りにスタイルがいい身体が露わになるけど、その肌は人間のそれじゃない。青白い鱗で覆われて、常に粘液でぬらぬら光っている。
10mほども上の位置から私たちを見て目を細める。
「ヤハリ気ヅイテイタカ……。夜叉姫。
オ前ニ私達ハ倒セヌ……」
「やってみなくちゃ分からないでしょ!!
妖魅顕現、『流獣御滝水虎』!!」
右手の甲の宝珠から蒼い宝珠が出た。そこを依代に、澄んだ滝を司る巨大な虎の妖魅、御滝水虎が此岸に顕れる。
――――グルルルルルルルルルル――――
御滝水虎は前傾姿勢を取り、濡れ女を威嚇する。一方の濡れ女は腕を組んで悠然と構えたままだ。
「ふん、書物にも絵姿がない来歴の浅い新参者が! 妖魅として古くから遍く知れ渡る我に敵うと思うたか!!」
「やってみればわかることだ」
対する御滝水虎も負けていない。前傾姿勢を取って飛びかかる。
一方の濡れ女は鎌首を擡げた蛇のように構えると、御滝水虎にぶつかる。
ドシッ!!
御滝水虎のわき腹に体当たりしてきた。
ゥオオオオオオオ!!!
「ぐっ!!」顕現している間、私と御滝水虎は痛覚を共有してるみたい。肋骨に少なくない痛みが走る。
「「涼子さま!!」」
猫又と五徳猫が悲鳴を上げた。
「私たちなら大丈夫! それより牛鬼に備えて火車を呼んで来て!」
「はい! わかりました!」
「涼子さま! お気をつけて!」
二人は海水浴場に駆け出す。と、蛇の下半身が鞭のように撓ってコンクリートを打ち鳴らした。
ビシャァァァン!!
「よそ見をするな!! 尋常に立ち合え!!」
「言われなくても、そうするわよ! 御滝水虎、いける?」
「問われるまでもない」私は夜叉の浄眼から太刀を出し文言を唱える。
「妖具化、瀑布刀!!」
太刀に清冽な水が纏わりついた。彼岸のモノを斬れる刀、瀑布刀が現出する。
刀の峰を下に向け正眼に構えた。
「ふん、手を抜こうというのか? そんなことでは我は倒せんぞ」
「うっ……! ぐうっ……!」
私は大きく息を吐く。岳臣君は前傾姿勢を取って辛うじて耐えている。この濡れ女を止めて、早く岳臣君を戒めから解放しないと。
***
涼子さまに、火車様を連れて来るように頼まれた私たちは、旅館までの道を探していた。
人間にとっては薄暗い夜道でも、私たち猫の妖魅にとっては日差しがあるのとなんら変わりがない。まして、相手はあの火車様だ、近くに行けばすぐわかるはず……。
「全く、火車様ったら、いつでもふらふらしてるんだから……!」
猫又さんが走りながら愚痴りだす。ある意味同意見だけど……。
「しょうがないですよ、あの方は確かに歴史も旧くて強いですけど、戦いには向かない性格ですから」
妖気の残り香を頼りに二人であちこち捜す。そこかしこから妖気が感じられるから、ほんとにふらふらしてたみたい。
「あっ、いた!! 何やってるんですか、火車様! 涼子さまが大変なんですよ!」
あろうことか、火車様は万事屋の前で若い男数人に囲まれていた。
駐車場の縁石に腰かけて麦酒を飲んでる。また男の人にたかってる!
まあ、らしいといえばらしいけど、今は非常時だ。早く涼子さまの所に連れて行かないと。
「うーーん? ああ、お前たち。迎えに来たということはもう牛鬼と契約は済んだのかニャ?」
「それどころか、一大事です! 火車様も来てください!」
「面倒は御免だニャーー」
埒が明かないので二人で両脇を抱える。男達から不満の声が上がった。
私には人間の男の良し悪しは分からないけど、日焼けした肌に割と精悍そうな体つき。火遊びが好きそうな感じに見える。
「あれーー? ネコ語のお姐さん、もう帰っちゃうのーー?」
「君たちもすごい可愛いじゃん。お姐さんのお友達? 高校生? ここらじゃ見ないけど遊びに来たの? LINE交換しようよーー」
「ねーー、一緒に遊ぼうよーー。ちょうど三対三だし、ちょうどいいだろ?」
「…………鬱陶しい」
猫又さんが男達に向き直った。背中を丸めて威嚇する。
フーーーーーーーーーーッ!!
猫又さん本来の姿、大きなキジトラ猫の姿が二重写しになって、赤黒い陽炎のように揺らめく。
「うっ、うわっ!!」
「バケモノ!!」
「わあああああっ!!」
逃げまどう男の背中を見て、猫又さんは鼻を鳴らして手をぱんぱんと払う。
「女の子に向かって失礼な。さ、行くわよ五徳猫」
「はい」
二人で両脇を抱えて、来た道を戻る。一方の火車様は――――
ざり ざりざりざりざりざり
「もう、なんで草履引きずってるんですか! っていうかいつの間にそんなの買ったんですか!?」
「うん? ついさっきニャ。心配しなくても六花から路銀もらってるから大丈夫ニャ」
「それで、いくらしたんですか?」
「うーーん、確か拾萬圓くらい、だったかニャ?」
「え゛っ!?」
「なんでそんな高いの買うんですか!! 私たち一か月壱萬圓でやりくりしてるのに!!」
「煩いニャ! 何買おうが私の勝手ニャ!!
だいたいお前たち最近生意気ニャ!!
特に五徳猫! お前は付喪神なのか、創作系妖魅かこの際はっきりするニャ!
そんな風にどっちつかずだから、お前は知名度が今一つ上がらんのニャ!!」
「ううっ……妖魅が気にしてることをずけずけと……! 第一、今の今言うことじゃないですか!!」
ざり ざりざりざりざり ざりざりざりざり
「それより、いつまで足引きずってるんですか!! もう私が抱えますから猫になってください!!」
「むにゃーーーーーー」
火車様が身体を震わせると、すぐさま真っ黒い子猫の姿になった。
猫又さんが火車様を前に抱えて走る。私もあとに続いた。
急がないと……!




