〇四〇 渉 猟
「さっ……てと。せっかく手に入れた『鵼』の宝珠だけど、どう使おうかな、僕が自分で、っていうのも捨てがたいけど」
見かけは小学2年生ほどの少年は、ポケットから直径10cmほどの真球の宝珠を取り出した。
ジャグリングのように上にあげたり、横回転させて人差し指一本で持ち上げたりして弄ぶ。
真夜中、建築中の高層ビルの屋上。
斜め45度に傾けられたクレーンの腕部分の鉄骨に腰かけている。もちろん、こんな場所にいる少年が普通の児童のわけがない。
つい何日か前、涼子や六花を襲撃し、岳臣に致命傷を負わせた魔少年、ディクスン・ドゥーガルだ。
「やっぱり虚兵に埋め込んで、パワーアップさせるのが一番いいかな。
なにか新作ないかい? ヴェーレン」
子供がおもちゃをねだるように、屋上に佇むローブの男に尋ねる。
「フム、雷と風、二つの力を操る幾つもの獣の貌を併せ持つ獣の妖魅か。
やはりそれに相応しい虚兵をあてがうのが一番かの」
「へえ、どんなのがある? またいいのがあったらちょうだいよ」
「これだ」
懐から一幅の掛け軸を取り出し、魔少年に放り投げた。
「その虚兵はこの間のともまた違う。器を満たすにはただのヒトの魂では追いつかんじゃろうて」
「じゃあ、どうすればいいのさ」
「私の出番ね」
さらに暗がりから、真っ赤なドレスを着こんだ妖艶な女性が現れる。
「やっぱり、ただの人間の魂だけでは夜叉姫に対応できないからね。
違うのを原料にしないと。うまくいけば『同族』を殖やせるし」
真っ赤な唇を艶めかしく動かしながら女性――――虚神の那由多はスカートのスリットに指を伸ばす。太腿の外側には濁った色の丸い何かが埋め込まれていた。その周囲には入れ墨のようにラインが走っている。
「んーー? なんだよそれ」
「あなたがご執心の夜叉姫、それに対抗できる『力』よ。
ヴェーレン、あれをいくらか分けて貰えるかしら」
応、とうなずくローブ姿の虚神が取り出したのは石のような、ねじくれた木の枝のような物だった。
細い節くれだった腕が伸びて、艶やかな爪で彩られた手にその何かを渡す。
「そろそろお主にも教えておこうかの、小僧。我らがどうやって眷属を殖やすか。
那由多、現地指導も兼ねて付き添ってやれ、小僧は少し性急すぎていかん」
「僕が何を急いでるって?」
「いつだったか、繁華街で人間を何十人も殺したでしょう? あんなやり方だったら『虚神がやりました』って白状してるようなものよ」
「それが? 僕らがやったってバレるのがなんで駄目なのさ」
「人間は脆弱だが愚かではない。何らかの形で対策を必ず講じる。
邪魔者は逐一消していくという対症療法では、いずれ己の首を絞めかねん。彼奴らとは『共存共栄』で接していかねば。
それだけではない、虚兵を生み出し運用するためには、オーブ、虚霧、まだまだ足りぬ。
その元となる『人間』こそが、我らにとって必要不可欠な資源だ。ゆめ忘れるな」
金属同士をこすり合わせるような気味の悪い声が響く。
「じゃあせいぜい頑張るよ、『キョーゾンキョーエー』ってやつをさ」
ドゥーガルの背中、黒い袖なしパーカーから二条の黒い影が伸びる。那由多から伸びていた影もまた、光源とは無関係にくねくねと伸びた。
二人は音もなく建設途中の高層ビルから姿を消した。
あとにはヴェーレン一人が残される。
「儂も少し『蜘蛛』を仕込むとするかの。
――――望む者に望んだ物が与えられる、悦ばしい限りだ」
***
「…………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「ねーー、そんなにいやがらなくてもいいよーー。俺らとパーティーしようよーー」
「そーそー、せっかく出会ったんだからーー、楽しい思い出作ろうよーー、ねえーー」
「まあ、そう急かさなくてもいいんじゃない? 夜はまだこれからだからさーー」
人気の全くない山の中、若い女が一人よろめきながら走っていた。その後を、散歩でもしているような軽やかな足取りで追いかける三人の男達。
彼らはむしろもっと逃げてくれと言わんばかりの、ゆったりとした足取りで女の後を追っていた。
「どれくらいもつかな?」
「まあ、30分くらいじゃね?」
「んじゃ賭けようよ、僕は20分」
「おーー、んじゃ俺40」
「俺は30分。でも勝ったらなにが出んのさ?」
「言った分数×一万でいんじゃね? 負けたやつが分数分払うってことで」
「おっ、じゃあ急がないと」
***
「……どうして私がこんな目に?」
自分の足元を見た。走るのには全く向いていない白いピンヒール。山道はおろか、舗装された道路ですら逃げるのには不都合でしかない。
2時間ほど記憶を遡る。あの時私は残業を終えて自宅へ帰る途中だった。
来週のプレゼンを控えて、ただでさえ毎日の激務で腐っていた。その上、帰り間際の警備員のムカつく一言。
「あれーー? まだいたんすかーー? いいっすよねーー、残業代きっちり出るのってーー。
でもあれかーー、家に帰りたくなくって、ここで時間潰しててもタイムカード押せば残業代もらえるんだからーー。
俺らなんて、所詮日給月給だからーー、どんなに粘っていたって残業代つかないんすよねーー。それにウチと契約してる会社なんて――――」
点灯した懐中電灯をくるくる回しながら、聞いてもいないことをベラベラしゃべる30歳手前くらいの容姿も言動も冴えないガードマン。
ネームプレートに名前が書いてあっても、誰も名前でなんて呼ばない、ただの記号だ、お前は。
どうせ学生時代、勉強もなんにもしないで流されるまま場末の警備会社に入ってここに来たんだろう?
いつまでもそこで一円にもならない管巻いてろバカが。胸の中で黒い火が燃えるような気分だった。
退社してからも、あのへらへらした声が頭の中でこびりつくように響く。
普段は全く飲まないけど、憂さ晴らしにコンビニで缶酎ハイを買った。
マンションに帰るまで待てなかった。
店を出てすぐ、プルトップを開けて一口飲んだ。普段飲みなれてないからか、すぐに酔いが回った。顔が火照って視界がぼうっとする。
駅のロータリーに派手なスポーツカーが停まった。
中から線の細い男子が三人降りてきた。談笑しながらコンビニに入る。見た所、私より若い大学生みたいだ。親の稼ぎで買ってもらったのか?
私なんて――――
「ねえ、お姉さん。どうしたの? 怖い顔して。せっかくの美人が台無しだよ」
後ろから声がして振り向くと、車に乗っていた男子だった。近くだとすごく可愛い。なんで私に? そう思ってたら残り二人も話しかけてきた。
二駅なら送ってあげる。その誘いに私は最初断った。でも最初に声をかけた男子は上手く話をつなぐ。
最寄駅までなら、と最大限譲歩して私は助手席に乗った。
聞けば彼らは三人で起業して、車は社用車として共同で買ったらしい。名刺も渡された。金持ちのボンボンじゃないんだというある種の軽蔑の念は消え、代わりに羨ましいというか、尊敬すらしかけていた。
そこで、――――勧めてきたタブレット錠剤を私は疑いなく口にした。彼らも普通に噛んでいる。
思えばそれが、間違いだった――――
「はあっ、はあっ、痛っ!」
踵が靴擦れしていた。ストッキングはとっくに擦り切れている。皮がすりむけて血が滲んでいた。ヒールにも血がついている。
おろしたばかりなのに……! ヒールを手に持ってまた逃げだす。
でも思うように足も頭も働かない。
目が覚めた時、外は街灯も何もない真っ暗闇だった。
最寄駅どころか山奥の車道わきに車が停めている。辺りを見回すと、すでに降りていた男たちがにやにやと薄笑いを浮かべる。
手に手にナイフやロープを持って! 窓越しに話し出した。
「ここいら、連続死体遺棄事件起きてたの知ってる?」
「そーそー、世間が騒ぎ疲れて、忘れたころ思い出させるみたいに次の犠牲者が出る事件。
被害者は合計5人で、目下のところ犯人の目星どころか容疑者も不明」
「んで、君がその6人目で、僕らがその……犯人」
そこまで言うと三人はくすくす笑う。恐怖で身体がすくみあがるけど、それでもなんとか車から出て逃げ出した。後ろから世間話でもするようなトーンで声が聞こえる。
「ここってでもいいよねーー、電波圏外か、アンテナ立っても一本くらいだし。スマホを取り上げて証拠が残るなんてのもない」
「近くにキャンプ場と別荘もあるから、車とか洗えるしな。それにここいら一帯、親父の会社の土地だし」
「ほんとに、名刺って便利なエサだよねーー。説明なしでも騙されてくれる。ほんとありがたいよ。
これで、リアルな狩りを楽しめる」
後ろからする声を振り切るように逃げた。
なんとかトンネルまで来た。山の中に入ればいいんだろうけど、この足じゃそれもままならない。それも計算して私を選んだんだ。
トンネルの中の、オレンジ色に明滅するライトで恐怖がさらに募る。
「あっ!」ストッキングの底が切れてつまずいた。膝が血で滲む。
「あれーー? もう逃げないのーー?」
「時間は……23分。僕の勝ちだね」
「ちぇーー、ついてねえ。まあ、楽しみはここからか。
なるべく――――」
なぜか男たちの視線が私から離れた。私も思わず振り返る。
そこにはポケットに手を入れて立ってる子供と、真っ赤なドレスを着た女。
まさか……この二人もグルなの?




