〇三九 睡 夢
鈍色に立ち込めた厚く昏い雲の下、少女は歩いていた。
粗末な白い貫頭衣、囚人服を着せられて。
両手首は手枷が嵌められ、縄で縛られ、重い足取りでその場所に向かう。
行きつく先には小高く積まれた薪、その中央には柱が据えられていた。
刑吏が薪の上に乗った少女を柱に結わえた。大勢の衆人環視の元、兵士が書類を持って声高に告げる。
「――――――! ――――――! ――――! ―――――――!」
何かを喚いていたが、その内容は少女の耳には届かない。
どうせ何を聞こうが、少女がこれからされることに変化があるわけじゃない。下を向いて薪を見つめていた。遠巻きに民衆が集まっている。
やがて、刑吏が火のついた松明を薪の山の端に置いた。黒煙が吹き上がりオレンジ色の炎が皆の目に映る。
少女は項垂れたまま微動だにしなかった。
炎が大きくなるにつれ民衆の心も焦がされた。悲鳴とも歓声ともつかない声があちこちから響く。
その時少女は自分の過去に思いを巡らせていた。
聖少女、私はそう呼ばれていた。戦いに赴き民を導く存在。その長い旅路、短い人生は火刑という幕引き――――
思いを馳せるのは、まだ見ぬ穢れなき無辜の民が蹂躙されて、自分以上に儚く命を散らす。
私がこの場で死んで、救われる魂がどれほどあるのか。
あの時、天空から響く『声』を聴いて草原に刺さっていた剣を執った。その末路がこれか。
もし、人ならざる者がいて、願いが叶うなら――誰も泣かずに、生命を捨てずに済むように剣を揮いたい!
煙に巻かれ吸う息まで焦がされる。
その生命が尽きる刹那の瞬間、彼女は上を向き天を仰いだ。
――――いつだったか、戦場でこんな風に空を見上げてたら、空から雪が降ってきたな……。
次の瞬間、厚く立ち込めていた雲が割れ、光が火刑場に射し込む。
炎の中にあってなおまばゆい輝きに、少女は思わず目を閉じた。
数十分後、刑吏や兵士、裁判官、そして群衆は紛れもない奇跡を目にしていた。
天を焦がすほど高く炎が燃え上がり、一人の少女の総てを焼き尽くしたはず。誰もがそう思っていた。
まだその熱を残した熾火の中央、少女が縛り付けられていた柱のところには――――
黄金色に輝く人間の心臓が、生命力に満ちたさまを示すように、規則正しく脈動していた。
火刑の熱に浮かされた民衆がどよめいている中、雲を切り裂くように一羽の鷹が舞い降りる。
――――ピィーーーーィィィィイイーーーー
鋭い眼の猛禽類は輝く心臓を、鋭い爪で傷つけないように足でつかむと、そのままどこかへ飛び去った。
――――ピィーーーーィィィィイイイイーーーー
人々は天を仰ぎ見ながら、思いを同じくする。
「……聖少女……!」「聖少女だ……!」
誰からともなく口々に呟きが漏れる。
改めて火刑に処された少女は聖少女だった。その場にいた全員がそう信じざるを得なかった。
***
「――――目を覚ませ、女」
野太い声が響き少女は目覚めた。辺りを見回しても何もない。白く靄がかかったように、数m先までしか見えなかった。
「ここは?」
思わず尋ねたが、少女はその一言で自分の中の違和感に気付く。
今まで一度も使ったことのない言葉。でも今の私はこの言葉を知っている。
起き上がってから、今度は身体に違和感を覚えた。
身体の重心が以前と違う。思わず手を見ると大きさ、指の長さがが違う。肩から伸びる腕の長さも違う。いつの間にか、はっきり伸びていた。
足元に目をやる。服は火刑に処された時と同じ粗末な貫頭衣だったが、出ていた部分はせいぜいすねあたりだったはずだ。
それが今では膝より上。明らかに身体が大きくなっていた。
「聖少女としてのお前は一度死んだ。これからは我ら一族と共に虚神と戦え」
ちょうど目の高さに、紫色の炎のような影が揺らめいている。その奥に見える人影が少女に話しかけていた。
――――虚神?
「我ら妖、そしてお前たちヒトに仇なす魔の存在だ。
放置すれば妖、人、どちらも滅ぼされよう。お前には力を授ける。人の身でも妖の力を操れる力だ」
目の前の紫の炎がまばゆく輝く。同時に溢れるような光の粒が少女の身体めがけて飛んだ。
――――痛っ!
少女は左手を見た。手自体が輝き、熱い痛みが手の甲を苛む。
光が収まると、左手は肘から先に何かが装着されていた。
甲殻類、海老にも似た生物のようなそれは、靄の中でも鈍く光っている。
――――篭手?
少女はかつて、自分が全身鎧を纏っていたころを思い出す。
女の自分向けに軽く作られたとはいえ、そこそこの重量があった。
だが今着けられたそれは羽毛のように重さを感じない。手の甲の部分には鈍く光る水晶がはめ込まれていた。
「その宝珠は『夜叉の浄眼』。此岸にいるお前と彼岸を重ね合わせ、妖魅を眷属にできる。
まずは名前だな。お前は何と名乗る? どのようになりたい?」
「――――……ゆき。」
「ほう」
――――これからはヒト以外になって、この世にすらいない化け物を狩る。
炎の中での誓い、身を焦がす烈しい炎をも鎮める雪。願いが果たせるなら私は何にだってなろう。
かつて聖少女と呼ばれていた、新しい夜叉姫はその決意を新たにした。
そして、永い間彼女は虚神と戦い続ける――――
***
「――――ふう、またこの夢か」
六花はその朝一番早くに目覚めた。
すぐ隣には涼子が眠っている。火車、それに猫又と五徳猫。期せずして自分が手に入れた自分の『家族』たちだ。
はっきり口にすれば彼女たちはどう思うのかな?
特に涼子、『妹』だと思ってるとか言ったら――――。
いつも通り軽くあしらうか、それとも嬉しがってくれるかな。
「まあ、それはないか」
大きく伸びをしてから、彼女たちを起こさないように布団をたたみ、静かに涼子の家、『流源舎』を出る。正門の石段を下りながらスマホを取り出した。
【――――ああ、私。んじゃ行こっか。待ち合わせは……ああ、あそこの石碑の前ね、んじゃよろしくーーーー】
山際から射す曙光が眩しい。六花は思わず目を細めた。




