〇三八 猫 獣
なんで? 右腕に装着した篭手をぶんぶん振っても、ねこ妖魅はうつ伏せのまま動かない。
ひょっとして、またたびで酔ってるから夜叉の浄眼の効果がないの?
「しょうがない……」
このままだと湯冷めしちゃう。なんとか脱衣所まで二人を運ばないと。
「んーーーー、重ーーい!!」
すやすや寝てる。いい気なものね。
ありったけのタオルでふたりの身体を丹念に拭く。せめて下着を、と思ったけどぐんにゃりした身体には、ショーツを穿かせることすら難しそうだった。そもそも誰かに穿かせたことないし。
「――――しょうがない」
少し迷ったけど、二階のこの子たちの部屋まで運んでいくのは骨が折れる。一階の客間に使っている座敷まで連れていって、そこでパジャマを着せよう。
とりあえず、少し(胸が)重そうな五徳猫から横抱きで連れていく。
「むにゃむにゃ」
マンガみたいな寝言言って、幸せそうな寝顔ね。
まったく、なんで私が女の子をお姫様だっこして、運ばなきゃいけないの?
それに、もう一人猫又がいると思うと気が重いけど、やらないわけにもいかない。
意を決して脱衣所を出た。
「――――……涼子さん?」
声をかけられて意識が一気に沸騰する。
そういえば、明日に備えて岳臣君もここに泊まっていた! 彼は、こっちを見たまま固まっている!
――――はらり
運が悪いことはなぜか重なる。私の胸の上で留めていたバスタオルがはだけて落ちる! こうなったら……!
五徳猫を下ろすのと同時に廊下に一歩駆け出した。タオルはまだ私の身体を覆っている。目指すは岳臣君のすぐ前だ。
ダァンッ!
廊下を思い切り踏みしめて、彼の鳩尾に肘、頂肘を撃ちこむ!
ズ シッ!
「が はっ!」同時に裏拳を顔に叩きこんだ。
――――み しっ
湿った木が折れるような音がして、岳臣君がゆっくりと仰向けに倒れ込む。
ずしゃーーん
「……はあ、はあ、はあ……」
危ないところだった。肩で息をしながら、床に落ちたバスタオルを拾って身体に巻き直す。
岳臣君の尊い犠牲で、嫁入り前の私の裸が彼の記憶に残る、最悪の事態はなんとか避けられた。それでもバスタオル一枚の格好は見られたけど。
でもまあ鳩尾に一撃、顔に一撃くらいで私の肌を見られるなら安いもの。そう思って二人を座敷に運んだ。
私も着替えてから、なんとか二人にパジャマを着せて布団を敷いてあげる。普段のことを思えば、これくらいはなんともない。
すーー すーー すーー
「ふう」
そうこうしていると二人の身体が淡く光り出す。
それに反応するように右手の甲の小さな水晶が同じく光った。
夜叉の浄眼を展開して光を当てると、二人の身体が凝って一つの宝珠になった。視覚にデータが映し出される。
【名称】:猫妖珠
【妖具化名】:――――
【装備効果】:料理+補正・洗濯+補正・掃除+補正・買物+補正・ねこ寄せ+補正・ねこもふもふ+補正・犬、狐よけ+補正・午睡+補正・――――・――――
「……………………」
案の定というべきなのか、少しは期待していた分、なんとなくがっかりした。
というより肩透かしという感じ。彼女たちの普段を考えると当然ね。
なんにせよ、戦闘に直接関係ないスキルとかばかり補正されてるし、化け猫の妖魅だからか、印象が悪いスキルがいくつか追加されているし。
まあ使ってあげないのもかわいそうだから、虚兵相手に使って様子を見よう。
夜叉の浄眼から二人を出して寝かしつける。こうして見ると、寝顔は無邪気だなあ。
さっきのお返しじゃないけど、ほっぺをつんつんする。あ、笑った。なんだか嬉しそう。
「ふう」
一息ついて、何か抜け落ちているというか、忘れているような気がする。なんだろう?
「……岳臣君……!」
改めて考えると、かなりの打撃を与えて放置したままだった。
恐る恐る脱衣所前に戻ると……いた。倒れた状態でピクリとも動かない。慌てて胸に耳を当てる……良かった、心臓はちゃんと動いてる。
この間の今日で心停止はないだろうけど、さすがにちょっとやりすぎたかな。息はしてるから大丈夫だと思うけど。
「…………ん……六花さん……」
「……………………」
どすっ
「ごふっ……あ、涼子さん」
涼子さんじゃないわよ、なんで私が近くにいるのに六花の名前が出てくるの? 別にいいけど。
「いてててて、なんか胸と顔がじんじんする……」
「大丈夫? 妖魅で治療する?」一応治した方がよさそうね。
「ああ、大丈夫です。でもちょっとお腹すいたかな。清楽さんにもらった装備着けてると、お腹減るのが速くって」
***
「どう?」
「うん、おいしいです」
キッチンの残りごはんで、おにぎりを三つ作って食べさせた。
具材は鮭にイクラのしょうゆ漬け、それにとりささみマヨネーズ。
ねこ二人が買い出ししてる影響で、最近魚介類の乾物とか缶詰めが妙に増えた。煮干しはお徳用が5袋もストックしてある。
もう夜の10時だ。夜食には少し遅いんだろうけど、彼の場合は妖魅が関係してるから、ある程度食べてもらわないと。
それにしても、岳臣君の身体は見てて心配になるくらい細い。
「仕上がりはどう?」
「はい、なんとか」
他の妖魅ならいざ知らず、明日契約に行くのは『牛鬼』だ。
わざわざ休日に遠出して手ぶらで帰りました、では済まされない。岳臣君にはなんとしても頑張ってもらわないと。
「おかず足りてる?」
お漬け物を切って皿に盛りつける。あとは、粗びきウインナーとベーコンか。
フライパンでウインナーベーコン巻きを焼いていると、物音がした。
「おや、お邪魔だったかニャ?」
火車がキッチンに入ってきた。反射的にガスコンロの火を止める。
「べつに夜食作ってるだけだから、変なこと言わないで」
「そうか、さっきは済まんかったニャ。お詫びといってはニャンだが、一杯どうニャ」
火車が出したのはポートワインの瓶とグラスだった。火車は自分で注いでゆっくり飲む。
「飲まないわ――――よ」
やばい、頭が朦朧としてきた。
とろんとした目でそれでも岳臣君を見る。彼は私の意図を察してくれたようだ。
「はい、涼子さん!」
タンブラーに水を注いでくれた。一息に飲むと少し頭がしゃっきりする。
これで大丈夫、と思った瞬間、私の手の甲の水晶が赤紫色に染まる。
右腕の感覚がほぼなくなった。と、私の意思と関係なく右腕が伸びて岳臣君の手首を掴む。
――――え? なに?
右腕が引き寄せられて、岳臣君の身体がすぐ近くに来た………!
「…………!」
「――――!? ーーーーーー!!」
どすっ
右手の手刀が岳臣君の延髄に垂直に振り下ろされる。彼は白目を剥いて、また床に倒れた。
ず ずん
私の意思を離れた私の右手は、顔の前で勝ち誇ったようにくねくねと指を動かす。それにVサインした! もう、夜叉姫ったら――――!!
「………………」
また意識がフェードアウトする……。
***
「ふう、やはり涼子には普通にしていると抑え込まれてしまうな。
よし、火車。明日は牛鬼のところに向かう。厄払いもかねて少し飲ませてもらおう」
「わかりました、私もお供致しましょう。しかしよいのですかニャ? 若い夜叉姫、涼子に任せて」
「うん、涼子は丸投げと取るかもしれんがな、若いのに任そう。
それに、少し頼りなさそうな男だが、案外こういうのこそが化けるのかもしれん。
しかしこっちの……岳臣といったか。
ふふ、とにかく無防備な小僧だ。涼子には悪いが少し可愛がりたいな」
「おやおや、つまみ食いとは行儀が悪い。ちょうど涼子が作った肴がありますニャ、これでひとつ」
「うむ、では乾杯」




