〇〇二 遭 遇
私は小さくうなずいて右手の甲を見る。
人差し指と中指の真下、手の甲の真ん中あたりに、直径7mmくらいの水滴に似た丸い透明な石が、はめこまれるようについている。
世間でいうガングリオンとは違って、皮膚から出ている(ちなみに押すとけっこう痛い)。
まだ小さかった頃は、よく触ってはお父さんとお母さんに怒られたっけ。
「そうだ、お前の手についているそれと同質のものだ」
手についている『これ』のおかげというべきか、私は小さい頃から周りの人が見えないモノを認識して生きてきた。
子供の頃は、それが原因で夜泣きとかが多かったらしいけど、今は意識して見える、見えないを切り替えられる。
「今朝核たる浄眼珠が見つかった。これも運命かもしれん。これをお前に託そう」
「その話って長くなりますか? そろそろ学校に行かないと」
「まあ待ちなさい、滝斬りの口伝えは覚えているな」
おじいさまはおもむろに立ち上がり、庭を見つめだす。
ちゅん ちゅん ちゅん ちゅん
表は日が射して雀が鳴いている。
「『滝斬りは刀で滝を斬る事には非ず、滝そのものを刃にして魔を断つことなり』。
知っての通り、我が家は表向きは民俗学の家系だ。
が、その実一族は時の政権には属さず、人ならざる魔を滅する存在と共にあった。
その字は『夜叉姫』。
呼び名のごとく、女子にしかその力が引き継がれることがない。
お前の父は、当然その力が開花することがなかった。
だがお前は幼き頃から見鬼、強化、顕現。それぞれの片鱗が色濃く出ている。
だが、その優れた才能も契機がなければ、卵から孵られぬ雛のようなもの。
だからこそ、だ。儂はお前に夜叉姫としての、自覚と誇りを持ってもらいたい。
その手始めとして御滝様と心を通わせ――――聞いているのか? 涼子。
……! 書き置き……。『その話はまた今度聞きます』……? ぐぬ……人の話は最後まで聞け……!
それに、せっかく説明した、夜叉の浄眼まで置いていきおった!」
***
今朝は森の中は少しひんやりしてるけど、自転車で坂を下りていくのはたまらなく気持ちがいい。
私の家は滝もそうだし、岩山というか高台にある。
家に直接行ける石段もあるにはあるけど、200段以上あるから毎日そこを通ったらサッカー脚になっちゃう。
だから多少遠回りになっても、家の裏手の緩いスロープ、片道一車線あるかないかの古い車道を自転車で通学してる。
帰りはつらいけど、朝は全く漕がずに県道まで出られる。ちょっとしたアトラクション気分ね。
神奈川県は横浜からは遠いけど、開発もだいぶ進んでいる海に面した陽見台市。ここが私の住んでいる街だ。
車道がまっすぐ海沿いに続いている。
青い空と海を見ながら通学するのはやっぱり気持ちがいい。海風の匂いも気持ちを上げてくれる。
県道を出てしばらく進むと――今朝もいた。車道に自転車を停めて史跡を調べてる男子がいる。
舗装道路をマウンテンバイクで通学する、髪が少し赤いひょろりとした線の細い子だ。
名前は岳臣 遊介。名前に反して真面目で比較的おとなしい印象だ。
顔は……そんなに悪くはない、くらいか、な?
「岳臣君、おはよう」
無視するのも変だから、努めてそっけなくあいさつだけした。
向こうも、会釈して「おはよう」とだけ返してくる。
聞けば、この街の史跡や寺社仏閣を訪ねては、妖怪に関わることを色々調べてネットにアップしてるんだとか。
偶然だけど、父も似たようなことをしている縁もあって、私にも色々聞いてきた。
話の中でお父さんの名前が出てきたんで、ついつい乗っかってしまった。
陽見台に限らず、県内の妖怪に関わる史跡に関して色々調べて、ネットにあげてるみたい。
『三滝さんのお父さんのことは憧れる、尊敬してる』って言われると悪い気はしないわね。
その時は御滝様のことについて聞かれたけど、私自身知っている情報は少ない。
父の話しが何か聞けるかと思って、それなりに聞かれたことについての話はしている。
バッグとかスマホには妖怪を象ったストラップ? を付けている。
本人が言うには、かいよーどー? のタケヤさん監修の根付だとか。ちんぷんかんぷんだけど、その世界では名の知れた人らしい。
彼本人もイラストを描いたり、スカルピー? 粘土かなんかで作ってるみたい。手先は器用そう。
彼は街で図書館や郷土資料館を巡ったり、様々な人に妖怪のことを聞いて回ってるみたいだけど、なにがそんなに楽しいのか。
ほどなく学校についた。指定の駐輪場に自転車を停める。
――あれ? 子供?
気づくと高校の敷地内、校舎の陰に寄り添うように少年が立っていた。
年齢は8~9歳くらいに見える。
容姿は整った顔立ちで、髪は白っぽい銀色の短髪。額が広くて、黒いシャツにジーンズとノースリーブのロングパーカーと黒づくめだ。
にこにこしてれば可愛いんだろうけど、無表情だからマネキンみたいな無機質さだ。
ポケットに手を入れたまま、大きな目で私をじっと見てくる。近くを他の生徒が通るけど、誰も気づいた様子がない。
――私だけが気付くモノ? でもこれまで見たモノたちは、どれも生き物に近いようで全然違う感じだった。
たとえば蝶に見えてでも、材質が和紙みたいだったり、ケモノやトリでも土や布みたいだったり。
でも、私にしか見えないモノが、はっきり貌を成しているなんて今まで見たことがない――――。
プルルルルルルルルル プルルルルルルルルル
不意に電子音が鳴った。反射的に身構える。
誰? ……なんだおじいさまから電話か。もう授業だし、おそらく今朝のお説教の続きね。ほっとこう。
通話を切って、マナーモードに設定し直した。
「――――あれ?」
さっきの子供がいない。ま、見なれない子だし、どっか行ったんだ。
――涼子を見ていた少年は校舎の屋上で、涼子を見下ろしていた。
不意に口の端を吊り上げ嬉しそうにつぶやく。
「あれが、覚醒者、『重なりし者』かあ。どれくらい頑丈で楽しめるオモチャか、僕が見極めさせてもらうよ」