〇三一 羅 闍
「ふむ、名前は――『岳臣遊介』、16さい。神奈川県立陽見台高校 普通進学科、2年生。
――――童貞。」
「…………」
僕は再び沈黙する。
高校2年で童貞は別に普通だろ。っていうかプロフィールで言うことじゃないじゃん……(そもそも童貞なんて書くわけないし、『奪衣さん』が書き足したのか?)
川を小舟で渡って進んだら、大きな中国風の屋敷があった。
中に入ると、誰かいた。
豪勢な設えの机と椅子。法冠をかぶって道教の衣装に、揃いの帽子と手に笏を持ってる。それに厳めしい口調。
横には浄玻璃の鏡――生前の罪を犯した現場を再現して本人に見せる大きな鏡だ。
これがあるってことは、目の前にいるのは閻魔大王なのは間違いない、はずだ。
なのに……実際にいるのはものすごい幼女だ。
ぱっと見小学2年生くらいか? 顔は結構かわいい。でも理由はわかんないけど目は常に半開き(いわゆるジト目)。
どっちかって言うと、ランドセルしょって下校途中にリコーダーでアマリリス吹いてたり、歩道橋でじゃんけんしてグミチョコ遊びとかやってそうな感じだ。
閻魔大王の服は紺色のはずなのに、この子が着てるのは派手なピンク色。
机の上には閻魔帳のつもりなのか、シールをぺたぺた貼った分厚い手帳。携帯ゲーム機に充電器(電気が来てるのか? あの世って)。
ブリキのバケツに入れた大量のチョコレート。
ペン差しにはうず巻きキャンディー。それに焼いたマシュマロとミントの葉を浮かべたアイスココア。
オレンジ色のと、アイボリー色で前掛けをつけた、二匹のクマのぬいぐるみまで置いてある。
「うーーむ、それにしても無害すぎる、つまらん。
何か悪いことしとらんのか?
例えば万引きとか食い逃げとか、本屋のエロ本読みたくてシュリンク包装のビニール破いたとか。
放課後、好きな女の子の縦笛ぺろぺろなめたりとか、好きな女の子のスカートめくりとか。
好きな女の子の家の固定電話に非通知でかけて、本人が出たら即ガチャ切りでもいい。
隠すとためにならんぞ。なんかないのか? 『がくしん あそすけ』」
「……岳臣遊介です」
漢字も読めないのか? この幼女閻魔。
もったいつけて手帳見てるし。
「まあ、そうとも言うな。むう、お前の行く先はそんなにないな。ふつうに極楽で過ごすか……転生だな」
「転生? やっぱりあるんだ!
例えば、例えばなんですけど もし転生するとしたら、どんな職業に生まれ変われるんですか?」
「バッタ」
――――は!?
「次 生まれ変わったらバッタ。それもショウリョウバッタ」
いや、そんな喰い気味に言われても! なんだ!? その微妙なポジション!
ショウリョウって漢字でどう書くんだよ! 少量!?
「まあ、厳密には人間と同じ姿とサイズで、バッタと同じ身体能力を得られる。幅跳び18m、キック力5トン。
その力を危険視した謎の組織から生命を狙われるけど、力を持つ者の恍惚と苦悩を同時に味わえる」
いや、いらないしそんなポジション。
「それと、これは補足情報だが、ネットエッセイで読んだ話だけどな? イナゴとかコオロギは素揚げするとエビみたいでおいしいけど、ショウリョウバッタの素揚げは、めちゃくちゃ苦いらしい。
ちなみにわたしは、おいしかろうがまずかろうがムシは食べたくない。食べるくらいなら死を選ぶ」
――――何をどう補足してるかわかんない情報だよ。
「それより成績はわりかしいいから、わたしの家庭教師というのはどうだ?
お昼と夕食、おやつに昼寝つきだ。
あとオプションで『血のつながらない妹とドキドキ♡添い寝コース』もある」
いや、そんなオプションいりません。というかほんとにここあの世なのか? 方向性がおかしい。
と、浄玻璃の鏡に波紋が立った。幼女閻魔が鏡に向かって話しかける。
「はい。あーー、お世話になってます。ええ、ここにいます」
鏡の中に大きな真っ黒い猫がいた。猫は何か肩を小刻みに震わせている。どことなく楽しそうだ。
「うん? どこだ? あーー、いたいた。いやーー、いいもの見せてもらった。やっぱりこういう楽しみがないとニャーー」
よく見ると黒猫の後ろに『奪衣さん』がいる。どういうことだよ?
「もう来てるだろ、涼子、六花、少年を連れてきてやってくれ」
振り向くと肩を震わせて口を手で抑えている六花さんと、脱力している涼子さんがいた。
「……ほら、帰るわよ岳臣君」
***
私はふらつく岳臣君の手を引いて、モノクロのように色味の少ない河原を歩いた。
後から六花と火車がついてくる。二人はなぜか楽しそうだ。
「なんなのあれ? 奪衣婆もそうだし閻魔様も。まるっきりコスプレ大会じゃない!」
「あーー、うん。あれコスプレ」
「「はあ!?」」
こともなげに言い放つ六花に対して、私と岳臣君は異口同音に叫んだ。
「ここってあの世じゃないの?」
「んーー、なんてかここは別枠みたいなもん。罪状がごく軽いか、全然ない仮死状態のやつがイレギュラーで来るとこだって。私も今さっき初めて知ったけど」
「あの人たちはなんなの? 変に……なんていうか……」
「ああ、少年が喜ぶように、っていうか。あの子たちは病死とか事故死の子たちで、下手に輪廻するより、色々体験したい人たち向けに創られたシミュレーションコースなんだって」
「……なんで先に教えてくれなかったの」
「いや、私も彼岸には何回か来たことあるけど、実際のはもっと寒々しい所だったね。
でも、やっぱり少年は助けに来ないとまずかったけどね」
「それって、どーいう」
それ以上は聞けなかった。河原の道にコーンという乾いた音が鳴った。
それと同時に、岳臣君の手の冷たい感覚が無くなる。振り向くと彼の姿はなく代わりに光る珠がころがっている。
「これって……」
「うむ、男の魂ニャ。神獣白澤の治癒能力で人間の姿を保ててはいたが限界だったようじゃニャ」
言いながら火車は光る珠にじゃれついている。
「この珠、オーブに似てるけど」
「そう、オーブと同じもの。虚神たちはこれで動いてる。虚神は生きた人間を原料にして作られて、人間を襲わされる。
その話は今は後だ。まずは少年を蘇生させよう」
***
「もう一時間は経過してるわね。この男子高校生は助かるかしら」
「さあな」
倉持は煙草に火をつける。が半分も吸わないうちに携帯灰皿に吸いさしをねじ込んだ。
黒塗りの車輪が振動し、浮かび上がった。真下に光が照らされると大きな猫と二人の女性がそこから現れる。
***
「ふう、やっぱり日なたの空気はうまいニャ」
私と六花、火車が此岸に戻ると同時に『門』の役目をしていた牛車の車輪は地面に降りた。
「……おい、カレシの魂は戻ったのか!?」
倉持は、それまで吸っていた煙草の火を携帯灰皿で消して私に詰め寄ってきた。
さっきまでとは違って、服や息が相当にヤニ臭い。どうやらずっと吸っていたようだ。
「ええ、なんとか。カレシじゃないけどね」
私としてはそこだけは断っておかないと。
「で、この宝珠をどうやると岳臣君は元に戻るの?」
彼の身体はベンチに寝かされたままだ。
「胸に押し込めば入るよ」
宝珠を心臓部分に押し込むと、吸い込まれるように入っていった。
でも、彼の顔色は青白いままだ。胸に手を当ててるけど心音も聞こえない。
「ふむ、宝珠に残されていた力の残量が足りんようだニャ。仕方ニャい、力を吹き込むしかないニャ」
『火車』はベンチに飛び乗り深呼吸をする。そして岳臣君の口に自分の口をつける。だけど、半透明状態の『火車』は簡単にすり抜けた。
「どうなったの?」
「ふぅむ、私ではうまく力を注入できないニャ。涼子といったか、お前やってやれ」
「……へ? 私!? ……口で!?」
「ほかに方法がないニャ。安心せい、私が憑依して実体化する。その上での口移しじゃ。……なにか問題でもあるのかニャ?」
「ほら、涼子は……女の子だから。それにキスとかまだしたことないし」
「バッ……それとこれとは話が別でしょ! 私じゃなくて岳臣君が……」
「どっちでもいいけど早くしてあげたら? 下手したら脳死状態になるわよ」
清楽という女性刑事が、しびれを切らしたように取りなしにかかる。
私は右手をかざし大きな黒猫に向けると『火車』は私の足に頭をすり寄せる。一瞬にして大きな黒猫は私に憑りついた。
『ふむ、もう時間がニャい。一気に行くニャ』
黒い猫が私の身体を覆った。半透明の黒猫の中にいるのはなんとも変な気分だ。かと思うと強制的に私の顔が岳臣君の顔に近づけられる。
――――んーーーー!!
何とも言えない感触と気分、それに匂いを味あわされた。
視界の端で、六花がおなかを抱えているのが見えたような気がしたけど、今は気にしないようにしよう。
私は涙目になりながら、そう思った。




