〇二七 轟 獣
「ふう、ここに最後に来たのはいつだったか。忘れるくらい時間が経っちまったな」
車から降りた倉持は、慣れた手つきで煙草に火をつけ紫煙をくゆらす。上を見上げて思い出すのは昔のことだ。
――――おいおい、足で稼いで愚痴に煙草か? どれだけステレオタイプなんだよ?
――――気にするな、俺は形から入るんだ。
「……煙草がきっかけになってるのか、外で煙草吸うと昔のこと思い出すな」
根元まで吸い切ってから、携帯灰皿に吸い殻を押し込む。
「感傷に浸るのは後回しだ。仕事しないとな」
倉持は古い社に入る。おそらくは神社側で寄付を募って保護しているのだろう。境内のあちこちに猫がたむろっていた。人に慣れているのかだいぶ寛いでいる
片耳の先を少し切る、いわゆる『桜耳』になっているのは、去勢や避妊治療を施した証拠、ということらしい。
本殿の前には予め連絡していた年配の宮司、それに倉持の同僚が待ち構えていた。
「お待ちしていました、倉持刑事。こちらになります」
「ご協力感謝します。キリスト教の聖遺物ってわけじゃないが、縁のある物じゃないと喚びだすことすら難しいですからね」
「そうですか……しかし妖怪……あなた方の言い方だと妖魅ですか? 本当に喚び出せるので?」
「ええ、喚ぶのは私達でなく適格者が、ですけどね。では、お預かりしますよ」
倉持は丁寧に梱包された直径1mほどの円形の物を持ち上げる。肩に担いだ後もう一度宮司に一礼した。
「では、代金は所定の手続きでお送りします。正規の支払いになります。あとあとこちらに累が及ぶので、確定申告は忘れずに行ってください」
若い女性、倉持の同僚は眼鏡のリムを上げ淡々と告げる。
「ええ、それはもちろん」
「では失礼します」
その場を離れた倉持は、預かりものを車の後部座席に詰めた。
「おい、あんなに念押さなくても、カネの処理なんかきっちりやるだろ」
シートベルトを締め、倉持は呆れたようにつぶやく。
「天網恢恢って言うでしょ? こういう所から綻びが生じるのが嫌なの」
「全く、お固いな、秋子は」
「清楽、でしょ、勤務中は。……煙草吸ったの?」
「ああ、なんとなく、な」
「あの新しい夜叉姫にくっついてる男の子。彼、なんか似てるわね。情報収集が得意なとことか」
シュボッ
倉持はそれに答えず無言で煙草に火をつける。清楽は重い空気を入れ替えるように窓を開けた。
「思い出はきれいなままでいてほしい?」
「……かもな」
倉持はバックミラー越しに梱包された丸い包みを見る。
――――六花の話じゃ、顕現させれば虚神も冥府に送れるとか。それに肉体さえあれば死者も――――。
思わずハンドルを握る手に力が入った。
***
それは、伝え聞いた、あるいは私が見知った情報とは似て非なるいでたちをしていた。
――――腕や脚は確かに虎のそれに酷似していたけど、黒く伸びたばさばさの髪は常にうしろにたなびいている。
顔は猿というより肉食獣のそれで、鼻が上向きで赤く染まっていた。歯茎や伸びた牙を剥き出しにしている。
極めつけはその体躯だ。
鋼線を束ねたような筋骨隆々の身体は、闘いそのものが存在意義だと言わんばかりの緊張を私たちに与えてくる。正体が分からないどころじゃない!
「――――グルルルルルルル……グオオオオオオッ!!」
咆哮と同時に、大気が震え相手の身体が帯電する。空気抵抗を容易く破り落雷した。
「岳臣君、もっと下がって」
鎌鼬のことを踏まえていたというのもあったけど、少し甘く見過ぎていた。この妖魅は容易く従うつもりはないらしい。
「この展開も考えるべきだったね、涼子。少年のこともあるけど、ここは妖魅の動きを止める方向で進めよう」
六花が白いサーベル雪蛇刀を構える。
私も夜叉の浄眼を展開し、瀑布刀を顕現させる。それを待ち構えていたように、目の前の妖魅鵼が吠えた。
「ゴォォォォォオオオオッ!!」
立ち上がると2mを超える凶暴な妖魅は飛びかかってきた。地面を踏みしめ大きく腕を横に振るう。
「ぐっ!」
私は刀で受けるだけで精一杯だ。
続けて鵼は綱のように太い蛇の尻尾を鞭のように振る。
バチッ!
「きゃっ!」
当たった右肩が熱く痺れた。瀑布刀で水柱を立てて振るうけど、相手は跳躍し松の幹に掴まる。頭を下にしてさらに威嚇してきた。
「グルルルルル…………!」
「涼子、こっちの木とかはよくできてるけど、偽物、フェイクだから、攻撃しても大丈夫!」
私は六花に一つうなずきを返し、瀑布刀を後ろに構え強く念じる。
「はっ!」
裂帛の気合いと共に水の斬撃を放つ。三日月形の水弾が鵼めがけて飛ぶ。が、妖魅は易々と避け松から松へと飛び移る。
ズシャッ!
松の幹が割り箸を折るかのようにあっさり斬れた。
「私が優先して攻撃すると、契約順位が優先されちゃうからね。涼子、あんたが攻撃していって」
「わかった」
私は水の斬撃を飛ばしながら裡なる声、夜叉の浄眼からの戦術指南を請う。
――どうすれば動きを止められる?
――……夜叉縛鎖を使え。『溜め』に少し時間はかかるが、数瞬なら動きを停められる。
一度かなりの打撃を与えねば奴は鎮まるまい。――方法だが――
私は瀑布刀を正眼に構えて念じる。
そこへ鵼が飛びかかってきた。大振りの横薙ぎの腕をガードするより先に、六花が雪蛇刀で鋭い爪を止めた。
強い冷気が吹き荒び、辺りに青い雷が飛び交う。
「さ、やって!」
腕を弾き返し六花は横に避けた。
彼女の合図で瀑布刀を何度も振るった。刀身から大蛇のように噴き出した水は、鞭のようにしなり鵼の身体を縛り上げる。
「グオオオオオオッ……!」
水の捕縛から逃れようと、鵼が全身に力を込めた。強い放電が水の鞭から伝わる。
「ぐっ!!」
腕だけでなく瀑布刀も感電した。
――――グルルルルルルルルル……!
御滝水虎も私の裡で苦しそうに唸りだす。
「涼子さん!」
岳臣君がこちらに駆け寄ろうとしたが、私は目で制した。私は痺れる両足を踏ん張り、瀑布刀の峰を鵼に向けた。
「夜叉戦舞、『水』!!!」
一気に駆け寄り水柱の太刀で何度も打撃を加える。
「オオオオオッ!!!」「おおおおおっ!!!」
私と鵼の声が重なる。
そして私と鵼の頭上に巨大な|水の塊が出現した。
瀑布刀を唐竹割りに振り下ろす。と同時に数百ℓ分の水塊が鵼に直撃した。大量の水が辺りに溢れるがそれも数瞬で消える。
「おおーー、すごい」
「ある程度は……手加減した……つもりだけど……」
私が呼吸を整えながら近づくと、鵼は這いつくばって低く唸りながらこちらを睨んでいる。
「大丈夫、落ち着いて」
私は夜叉の浄眼に力を込めて鵼を照らす。険しかった雷獣の表情が少しだけ和らいだ。
「よし、これくらい落ち着いたらOKでしょ」
私は小さくうなずく。
「霊恠の主にして、妖魅の姫たる夜叉姫が雷と風の妖魅鵼に命じる。
我が眷属として力を顕現させ、我が命に従いその力を我に貸し与えよ――――」
祝詞を唱えるように鵼に語りかける。
身の丈七尺、2、1mを優に超す雷獣は姿勢を正し頭を垂れた。
鵼が全身に纏っている雷気が敵意に満ちたものから次第に清澄なものに変わった。
私は瀑布刀の刀の峰で鵼の両肩、そして額に軽く触れると、様々な獣の特徴を兼ねた妖魅の身体が輝きだした。一点に集中して凝りだす。
コーーン
雷獣鵼は直径8cm程の宝珠に変わった。硬質な音を立てて地面に落ちる。
「ふう」
我知らず息が漏れた。上を見上げると蜃気楼が造ったものでない、現実の街並みや海が広がっている。
「涼子さん、大丈夫ですか?」
岳臣君が心配そうに駆け寄ってくる。けど――――
「あなた……なんで撮影なんてしてるの?」




