〇二五 洛 中
「いつまでふてってんの? せっかくの旅行なんだからもっと楽しそうにしなよ」
隣席の六花はとても楽しそうだ。
が、私は窓際で頬杖をついて、流れる風景を見ながら小さくため息をついた。
昨晩トイレに行ったあと、ねこ妖魅たちが陣取っている自分の部屋に戻りたくなくて、無意識のうちに岳臣君の休んでいる座敷の客間に行って彼の布団に潜り込んだようだ。
恥ずかしいよりも先に自己嫌悪が勝っている。
目が覚めたときには岳臣君はもう起きて着替えていたけど、押し入れに入って息を殺していたようだ。なんだか申し訳ない。
昨日私……というか『夜叉姫』は、夕食を食べてシャワーを浴びたあとまた深酒していた。
夜叉の浄眼を展開する、しないに関わらず浄眼に宿った夜叉姫の人格は、事あるごとに浮上して私の身体を乗っ取る。
とは言え、多重人格者のように完全に記憶や意識が切り替わるわけでもない。ある程度記憶に残るしこちらの認識、判断が反映される。
いっそのこと全部乗っ取られていた方がいいと思える時も、なくはない。
浄眼による自浄、解毒作用が働いてるみたい、二日酔いとか体の不調は全くないけど、それだけに精神的に重くならざるを得ない。
いつだったかは――――夜叉姫が酔った勢いであんな格好――――ランジェリー姿にシルクのシャツという妙な姿にして(させられて?)いた。
しかもまた岳臣君に見せて――――自己嫌悪が半端ない。
何とはなしに座席の斜め後ろを見る。
今日も今日とて岳臣君も同伴、ついでに胡散臭い刑事倉持までついてきている。
もっとも岳臣君の情報収集、解析能力はお世辞抜きで役に立つ。だからといって一般人の彼を虚神との戦いに巻き込んでいいものか、というのが今のところの悩みの一つ。
もう一つは、学校の中で私と彼が付き合っている。少なくとも家族公認の仲になっているという噂が、校内でゆっくり蔓延しつつあるらしい。
いつだかの鎌鼬と契約したあと、書店にいたのを見られたみたい。
今のところ誰とも付き合うつもりも、付き合っているつもりもない。彼のことは嫌いでも興味がないわけでもないけど、正面切って好きか、とか手放しで魅力があるか、とか聞かれるとだいぶ考えてしまう。
そこでいや待てよ、と思う。そこまで彼のことを、ああでもないこうでもないと考えるのは――――
「どうした? 考え込んでるみたいだけど」
六花に声をかけられて我に返る。
「べ、別にっ」
「……男のことでも考えてた?」
図星を指されて黙り込んでしまう(確かに性別は男だけど)。
もしかしたら、覚でも使って心を読まれたの? と変な邪推までしてしまう。
「いや、あんたくらいの歳の子で、悩み事ったらそれくらいだからね」
「男って言っても……」
「いやあ、少年は――――タケオミくん? ちょっとオンナゴコロが分からないとこあるからねえ。でもわるいやつではないよ? 私の宿題手伝ってくれるし」
うん、まあと曖昧にうなずく。だからといって大手を振って付き合えるかというとそうでもない。
そもそもなんでこんなこと考えてるんだ? 首を左右に振って思考の流れを断ち切る。
「で、今日契約する妖魅だけど、えっと……」
「うん、鵼って呼ばれてる。説明は私よりも……
おーーい、しょうねーーん」
「はい、なんですか?」
「涼子に鵼の説明お願い。わかりやすく教えたって」
「わかりました。えーっと、鵼というのは出典が『平家物語』などだから意外に古いです。
顔が猿、胴体が狸、手足が虎、尻尾が鎌首を擡げた頭がある側の蛇、そして鳴き声がトラツグミっていう一種の合成獣の妖怪です。
ちなみに鳴き方は『ヒョーー、ヒョーー』っていう薄気味悪い感じですね。
もともとは鳥の一種と考えられていて、正体不明な物事を『鵼のごとし』と言うようですがここから来ているみたいです。
それからこの鵼を退治した伝説ですが平家物語や摂津の国の――――」
彼は相変わらずといえば相変わらずだ。私はあくびをかみ殺しながら聞いているけど、六花は彼の様子も含めて面白そうに聞いている。
「……で鵼ゆかりの伝説とか史跡が多いですね」
「そう、で『そうだ、京都、行こう』になるってわけ。ちょっとした修学旅行気分だよ? うーーん楽しいねえ」
屈託なく話す六花は本当に楽しそうだ。今朝も東京駅に着くなりお弁当屋さんを賑やかして三個も買っていた。
もう初夏だというのに、相変わらずの黒のロングコートに黒のレザーパンツといういでたちで、駅弁のビニール袋を提げているのはなかなかシュールだ。
その上で開けてからスマホで撮影している。私自身はあまり詳しくないけど駅弁や鉄道オタクのようでもある。
私の方は妖魅と契約しなければ、というのと交通情報に明るくないので気が気じゃない。
それに、倉持とかいう刑事も気になる。普段は飄々としてるけど、今日に限って表情が渋い。何か考え事でもしてるみたい。
一方の岳臣君は、興味や趣味の幅が広いのだろう。あれこれと下調べを欠かさずにしていた。
「まあ、こういうとこは評価できるか」
私は小さく口の中で呟く。
新幹線は今浜松を抜けた。六花と岳臣君は揃ってスマホで富士山を撮影している。のんきなものね。
***
「おーーし、京都ーーーー、キターーーー!!」
京都駅前で六花は身体をかがめたあと、大きく両手を上に伸ばして叫ぶ。
その様子に、修学旅行で来ている中学生の団体がざわめきだす。なまじ整った顔立ちに人目につくスタイルと服だから余計にたちが悪い。
「もう、遊びに来たんじゃないんだから。さっさと行きましょ」
私は六花の袖を引っ張る。私はどうにも人混みが苦手だ。
京都に着いてこっち、六花はお土産を買うのに専念して目的地の鵺塚に行こうという気配が全くない。
買うものもテナント、提灯、金閣寺の置物。それからご当地キーホルダーにストラップに抹茶バウムに八つ橋、各種ご当地スイーツと手あたり次第に買っている。
本人は予算を潤沢に持ってるけど、傍目にはあとから後悔しそうな物ばかりだ。
「少年、これも持っておいて、おじいとか、ねこ二人にもおみやげ買わないと」
「は、はい」
岳臣君は……召使いよろしく両手に荷物を持たされて、六花のあとをついて回っている。
かと思うと六花が買ったソフトクリームを一口もらったり……ほんとに子犬みたいなんだから。
「ねえ、買い物もいいんだけど、そろそろ鵼塚ってところに行かない? あんまりのんびりしてると今日中に帰れなくなるんじゃないの?」
あまりにも緊張感がない六花に私は文句を言う。
「鵼塚って、京都にはないよ?」
――――え?
「そうですよ。『平家物語』とかに記載されている鵼は、確かに京都の役人の詰め所『清涼院』で源頼政とその部下猪早太に斃されてます。
けど、その亡骸は川を下って兵庫県の芦屋に流されてそこに塚を建てられてます」
「んじゃ、なんでなんでわざわざ京都に降りて、お土産買ってるの!?」
「そこはまあ、それ。記念に? あ、少年荷物持ちありがと。これくらいの量だったら夜叉の浄眼に収納できるから」
「な……だったら最初に言ってくださいよ! なんでこんなたくさん持たせたんですか!?」
「なんてーかあ、こう、両手に紙バック一杯持ってると、旅行気分満喫してる感じになるじゃん?」
「「…………」」
六花の言葉に私だけでなく岳臣君も絶句した。




