〇一二 蛇 手
私が夜叉の浄眼を手にしてから、丸一日が過ぎた。
夕食も明日の授業の予習も済んで、好きな本を読みながらチョコレートを食べる。
こういう時がささやかだけど一番幸せを感じる。そういえば、と朝のことを思いだした。
今朝は……目が覚めたら客間で寝ていた。
みことみとらがすぐ近くで寝てて、岳臣君がおじいさまに修練めいたことを付き合わされていた。
庭先で空手の型なんて、時代錯誤もいいとこだけど、二人ともちょっと楽しそうだった。
なんでかわからないけど、彼に対してヘンな罪悪感を覚えたのは気のせいかな。
あいさつした時は、なんか微妙な笑顔で返されたけど……。
今度の休みに鎌鼬と契約しに行くから、その時はもうちょっと愛想よくしよう。
気持ちを切り替えてチョコレートをつまんでいると、クッションでくつろいでいた、みことみとらが興味津々にチョコを見る。
「食べる?」
ネコ科の動物にチョコレートは劇物扱いだけど、幸いにこの子たちは妖魅だ。チョコレートを顔に近づけると、ふたりともすんすんと匂いを嗅いでからぱくっと食べた。おいしいのがわかるとぱくぱく食べる。
なんかこれ、すごくいい。ほっこりというか、幸せな気分になれる。
だけど、幸せな時ほど長く続かないというのも世の常だ。
さてシャワー浴びて寝る準備をしよう。そう思った矢先に、部屋の出窓から音が聞こえてきた。
コンコン コンコン コンコン
規則正しく窓ガラスを叩くのは小鳥じゃない。正確に言うなら雀の姿をした妖魅『入内雀』だ。
その謂れは藤原実方が奥州、東北地方に左遷されたとき、その未練や愚痴の念が雀と化した。
それか雀に憑りついて、内裏の椀に盛られていた白米を一羽で食べつくしたとかいう伝承の妖魅。
と、いうのが岳臣君からの情報。
今なら職場の悪口をtwitterとかに書き込むんだろうけど、陸の孤島に左遷された人の恨みっていうのは平安時代から変わらないみたい。
雀のコツコツという窓をつつく音に、みことみとらもせわしなくなって部屋の中をぐるぐると廻りだす。
私は薄手のカーディガンを一枚ひっかけた。
『おじいさま、虚が出たようなので狩りに行ってきます』
どうせ直接言うと、ひと悶着あるのは目に見えている。居間に書き置きだけして家を出た。
入内雀が飛び回っている姿は夜目にもはっきりわかる。『こちらへ来い』ということだ。
歩くこと、30分、現場につくと――――いた。
海沿いにきれいに舗装されたレンガの通り、そこに一般の人間には見えない大きな洞が蟠っているのが分かる。
虚孔と呼んでいる虚兵が彼岸から此岸へ来る邪悪な穴だ。
潮の香りに混じって鉄錆や血臭に似た臭いがする。虚独特の臭いだ。
近くには戦国時代の足軽にもにた虚兵が警邏よろしく、所在なくうろうろしている。
と、不意に一体の虚が何かに気付いた。一般人の男が虚穴のすぐ近くで、酒を飲みながらくだを巻いている。
さっさと帰ればいいのに、と思う間もなく私は夜叉の浄眼を喚んだ。
バシュゥッ!
その瞬間、カーディガンとブラウスの袖が内側からはじけ飛んだ。
最初の時は直接腕にはめ込むだけだからうっかりしてたけど、右手の甲に封入していたのを開放すると対応する部分、現世にあるものは物理的に弾かれるみたい。
「あーー、もうなんなの!?」
私は小さく舌打ちしてから、右手を伸ばして念じる。右手に太刀が現れた。
夜叉の浄眼を装着しているこの状態なら、鬼力を通しただけの日本刀でも虚蟠兵相手になら十分に戦力になる。
ギュアアアッ ギオオオッ
野鳥とも獣ともつかない吠え声を上げ、虚兵が襲いかかってきた。だが虚兵を一刀のもと斬り捨てる。
ザン ザシュッ!
それと同時に、みことみとらが身体を震わせて、細かい霧をあたりに噴出させる。
この霧は、周囲の人間や防犯カメラとかから私を視認させにくくする便利なものだ。
怪物退治をして、私の氏素性が明るみになったら本末転倒もいいところだし。
夜叉の浄眼を現出させている間、私の各能力は著しく跳ね上がる。
普通の人間なら、一対一でも与することすら難しい異界の兵士を撫で切りにしていく。
あらかた甲冑武者どもを屠ると、地面に敷かれたレンガから黒い稲妻が迸った。それと同時に墨汁を垂らしたように丸い染みが広がる。
グオオオオオオオオン!!
地中から、歌舞伎の『せりだし』のように上がってきた巨躯の虚兵は大きく叫ぶ。
その見た目は大きく丸い頭を持つ、二足歩行する虚兵だった。手には私の身長ほどもある大鉈を携えている。というより両腕が大蛇そのものだった。
両目に意識を集中させ相手の情報を引き出す。
【種族】:巨大虚兵、中級種。
【名称】:双蛇掌、アンギュイス。
【特徴】:膂力は高いが動きは鈍重。
だが、両腕の蛇は生体以上に妖魅に関わる者に強く反応する。
常に背後など死角に回って攻撃すべし。
言われるまでもない、私は噴水近くへ移動し夜叉の浄眼に命じる。
「妖魅顕現、『御滝水虎』!」
文言を唱えた瞬間、みことみとらの姿がいったん消えた。噴水の水がゆっくりと持ち上がる。
そこから、ゆっくりと首筋の部分に岩杭が生えた水の虎の妖魅、『御滝水虎』が顕現した。首の下を撫でると嬉しそうに喉を鳴らす。
「妖具化!」
御滝水虎は一瞬で夜叉の浄眼を介して、彼岸の力を持つ刀『瀑布刀』に姿を変える。
「はっ!」
先手必勝だ、私は一気に巨大虚との距離を詰め片足を攻撃、バランスを奪う。
「ゴアアアアッ!!!」
アンギュイスは、私の攻撃を嫌がって大鉈を横薙ぎに振った。
私はかがんで躱す。頭上を突風が通り抜けた。その空隙を縫って向う脛に瀑布刀を深々と突き刺す。
「ゴアアアアァァァァァーーーー!!」
異形の大音声が、夜の帳を烈しく震わせた。
苦し紛れに、アンギュイスは大蛇を私に向けて垂直に振り下ろしてきた。
だが私は動じない。粗悪な鋼線を束ねたような大蛇が私に当たるその刹那、瀑布刀の切っ先を腕の表面に当てがい、ほんの少しだけ軌道を逸らす。
ピィィィィィィィィン
瀑布刀が音叉のように軽やかに響く。
ダンッ!!
間髪入れず、左足を強く踏み込み抜き胴を見舞う。剣閃で暗い港が一瞬だけサーチライトのように煌めいた。
ザシュッ!!!
――――キィィィィィ――――ン――――!
轟音と共に舞い飛ぶレンガと粉塵。それらが晴れ、視界がクリアになった時。巨躯の虚兵の胴体をほぼ輪切りにしていた。
「オオオオオ……ォォォォォン」
アンギュイスは上体を斬られた衝撃で、大きな音を立て横に倒れた。それと同時に全身が消し炭のように砕けて風に舞った。
私は瀑布刀の汚れを払うように何度も空中で振り抜く。
「――――虚よ、空へ還りなさい」
……言ってから我に返った私は、あたりをきょろきょろと見回す。
なんだか顔が火照ってきた。顔を左右に振り宝珠を吸収する。
戦場と化したレンガ敷きの港から足早に離れた。
***
涼子と虚兵が戦っていた、噴水やレンガ敷きの広場を見下ろせる雑居ビル。
その屋上に黒い影が蟠っていた。かと思うと、影は凝って形を為した。ローブを纏って背中を丸めた男のようにも見える。
ローブの男は、噴水や砕けたレンガ、戦闘の跡を検分するように見下ろしていた。
と、くぐもった声で誰に語るでもなくつぶやく。
「フム、あれがディクスンの小僧が見えた、新たな夜叉姫か。
新たに創った造魔、虚水黽騎が討たれたのは痛手だが、小僧の話では、人間の男を傷つけた時、更なる力に目醒めたらしい。
もしそれが、我らが求める『御霊 御霊』であれば、重畳の極み。
それを考えれば虚水黽騎なぞ安い支払いだ。後でいくらでも元は取れるし、小僧は望外の手柄だ。後で褒美を取らせるかな。
まあそれはともかく、だ。水の力を持つ虚水黽騎を、同じく水の妖魅を駆って容易く粉砕するその力、早くも片鱗が顕れている。
あの夜叉姫は、特に丁重に扱わねばな」
ローブの男は、現れた時と同じように暗闇に搔き消えた。後には静寂。
暫くすると、パトカーのサイレンが夜の港町にけたたましく鳴り響いた。
***
「ふう」
瀑布刀の妖具化を解き、夜叉の浄眼を格納すると、ようやく人心地ついた。
と、思ってたら右腕の異変を思い出した。
あーあ、お気に入りのカーディガンだっただけになあ、少しへこむ。
みことみとらは、安心したように頭を足にすり寄せてくる。
私はみとらを抱き上げ辺りを見回す。
「ここ、どこ……?」
来たときは、入内雀が誘導してくれたからなんとも思わなかったけど、道順がわからない。
慌ててスカートのポケットをまさぐった……とっさのことだったから財布もスマホも忘れてきちゃった。
藁にも縋る思いでみことみとらに尋ねる。
「あなたたち、帰り道とかわかる?」
ふたりとも目を丸くして小首をかしげる。
その様子で道順などはわからないというのがはっきりわかって、私の気持ちをさらに重くさせた。
――――ずーーーーん
結局――――私は無一文のまま家までの道を夜中にさ迷い歩いた。
『服の右袖が破けている』という理由でお巡りさんに職務質問を受ける。
お巡りさんからは完全に、『高校生なのに夜中出歩いて迷子になったかわいそうな子』認定を受けた私は、恥ずかしいのと惨めなので本当に半べそをかきながら家路についた。
おじいさまも全部を察したようで、優しいのがかえって辛かった。
家を出る前の幸せな気分はどこへやら、私は汚れと疲れを洗い落とすためにシャワーを浴びた。
顔に熱くて強いお湯を浴びながらふと思ったことを口にする。
「…………夜叉姫…………やめようかな…………」
……まだ、続きます……。




