〇〇九 戦 舞
瀑布刀の刀身を、澄んだ水が覆って纏わりつく。
「ははっ! やっぱりお前も僕らと同じだ! その男はどうでもよくて、闘いにしか興味がないんだろ!?」
「――――斬術、 『玉 響』」
――――時間が停まったようだった。
踏み込んで、振り抜く。
たったそれだけで岳臣は無傷でその場に落ちた。
対して、巨躯の虚兵ストライダーは、紙屑のように吹き飛ばされて木の幹に叩きつけられた。
――――ズシャァアッ!
ディクスンはただそれを呆然と見ていた。
ストライダーは、苦悶の声を上げつつ立ち上がる。
「……ッ、グッ、 グォッ、…………ゴァァアアアアッ!!」
――――ゴバァァァァァァン!!!
立ち上がった虚兵の右脇腹から、真横に水中で爆薬が炸裂したかの如くに、厖大な量の水が一気に噴き出す。
鉄砲水が堅牢な堤防を容易く決壊させるように、この世の理から外れた異形を内側から爆砕、破壊したのだ。
「……ゴ、ゴァァァァァ……!」
ストライダーは中肢で空いた大きな孔を抑える。その胴体の中身は、虚の名前が示すようにがらんどうだった。
「……まさか、刀に水を鞘みたいに纏わせて居合い抜きしたのか!?
その上、水の刃をすり抜けさせて、人間だけを斬らなかったのか!? そんなことが……!
でも、まだ敗けたわけじゃない! ストライダー、奴を串刺しにしろ!!」
「シュゴォォォォォォォォッ!!」
巨大な虚兵は槍のように鋭い口吻を伸ばし、再び六本肢で夜叉姫に対峙した。
一方の夜叉姫は瀑布刀を左手に持った。
夜叉の浄眼の水晶部分が強い光を放つ。今度は浄眼から瀑布刀に光が移った。
――――ギョグン!
不意に瀑布刀の鍔部分に、浄眼と同じ大きさの『眼』が一つ出現した。
飢えた肉食獣さながらの、縦に鋭い瞳で辺りをぎょろぎょろと見回す。そしてその眼は虚兵、そして魔少年ディクスン・ドゥーガルを捉える。
渉猟する獲物、斃すべき敵を視認した『眼』は、瞳孔を夜空に浮かぶ繊月のように細めた。
ストライダーが夜叉姫に疾走するのと同時に、妖魅を駆る 猛き戦姫は瀑布刀を構え一言つぶやく。
「――――夜叉戦舞、『水』」
まずは突きが入った。そして袈裟斬り、逆胴、横薙ぎ、逆袈裟、篭手斬り、抜き胴、そして斬り上げ。
水柱の大太刀と化した瀑布刀で、次々と斬撃が加えられる。その様子はさながら舞を舞うように流麗だった。
最後に夜叉姫は高く跳躍。同時に唐竹割りに刀を振り下ろす。
その刹那、虚兵の頭上に滝が顕れた。
暴力的な質量を伴った彼岸の水は、巨躯の虚兵の悉くを、跡形もなく圧し潰す。
――――ズシャァァアアアアッ!!!
跡には大量の光る珠だけが残された。魔少年は眉をひそめる。
「……ふん、所詮は試作品か。あーあ、もうちょっと粘るかと思ったのになーー。
まあいいや、ヴェーレンが言ってた『ゴリョウ』の能力は確認できた。
せいぜい束の間の勝利に酔いしれるがいいさ」
言うだけ言うと、少年は霞が日に照らされるようにその場から掻き消えた。
あとには静寂が残される。
***
岳臣君は――――気を失ってるけど無事みたいね。
――――おじいさま、仇は討ちました。どうか安らかに……。
ぽん
ずささっ!
不意に肩を叩かれた。反射的に飛び退き太刀を構える。
「…………!」
「おいおい、儂じゃよ。よくやったな涼子。まさか夜叉姫に覚醒して御滝様と契約を交わすとは、儂も鼻が高いぞ」
「おじいさま……死んだはずじゃ……」
「勝手に殺さんでくれ。なに、古来より伝わる活殺自在の術じゃ」
おじいさまはからからと笑って、空のペットボトルを私に見せた。裂け目があって中身が飛び散っている。
「……トマトジュース……じゃあなんであの時動かなかったんですか?」
「昔から敵を欺くには、というだろう? 隙を見て逃げようと思っていたんだがな。
まずはそこの男子を介抱しよう。彼は通りすがりの人かな?」
「えーーと、同級生の岳臣君。下の名前は確か……遊介……だったかな?」
それを聞いたおじいさまはいきなり気色ばむ。
「……なっ、なんだと!? 儂は同級生だなんて許さんぞ!!」
「おじいさま、落ち着いて」
心配だ、どこか打ったんだろうか。
「それよりも、これをどうしましょう」
私は滝を見上げる。今朝まで澄んだ水が大量に溢れていたのに、今は大雨が降ったあとでもこうはならないほど、汚水や汚泥が溢れている。
これも虚神とやらの負の力なのか。私は悲しくなった。
――――涼子、我の力を使え。
私の裡から声がする。夜叉の浄眼を見ると、何かを語りかけてくるように水晶部分が明滅している。御滝水虎が浄眼を通じて、私に語りかけているのだ。
――――我はこの滝、水の力の顕現。滝を浄化するなど造作もない。涼子自身の鬼力を少し使うが、それでも構わぬか?
拒否する理由はない。私は御滝水虎の提案通り、瀑布刀を顕現させる。
素足になってそのまま滝に向かって歩を進めた。
水の上に乗ると、ちょうどごく柔らかいクッションのような、何とも言えない感触が足の裏から伝わってくる。でも、沈み込むこともなく支障なく水の上を歩けた。
夜叉の浄眼、そして御滝水虎からも哀しみが伝わってきた。私は思いの丈をぶつけるように瀑布刀を持って舞いを始めた。
日本舞踊の素養などまるでない私が、これほど自然に舞を舞えるだなんて自分でも驚いていた。
これが夜叉の浄眼に蓄積していた記憶なのか、舞いながらそんなことを考える。
「おお、素晴らしい……」
私を中心にさざ波が滝壺に拡がっていった。周りには風が吹き、辺りの木々がざわめいている。
滝の水が一旦止まった。静寂が岩山に広がる。
――――ザアアアアアアアアアアアア
次の瞬間、溢れんばかりの澄んだ水が滝壺に向かって落ちてきた。
虚神との戦いで穢された水が妖魅の力で濯がれ、また元の綺麗な滝に戻った。
庭に戻った私はだいぶ脱力する。小学生の頃朝礼で貧血になったけど、それとは段違いの眩暈がしてきた。視界が暗い灰色に染まる。
夜叉の浄眼は、日本刀ごと私の手の甲にしまわれる。服も元のブレザーに戻った。
「……うっ……」
私は立ちくらみがした。その場に蹲る。
「……あれ、三滝さん?」
ようやく岳臣君が目を覚ましたみたいね。
「よかった、おじいさんも無事だったんだね。
宮部先生も心配してたんだよ、家から連絡が来たらすぐかばんも置いて帰っちゃったから、なにか起こったのかもしれないって。
あと自転車も石段の前に置いてあったからさ、持ってきた」
そうか。おじいさまから電話が来てから、すぐに飛んできたから。
「ありがとう、せっかくだから上がっていって。傷の手当てしないと。なにもないけどお茶くらいは出すから」
「うん……ありがとう。
それにしてもさっきの子供とか、バケモノなんだったの? 三滝さんもなんか服が変わってた、っていうか変身してたみたいだし……」
私は無言で岳臣君の手を両手で握る。
「それについてはおいおい説明するから。
人に言ったりtwitterとかで拡散とかしないで。でないと、私……」
意識せずに目を伏せてしまう。
「え? ああ、はい。ワカリマシタ……」
ぐるるるるるる。 ぐるるるるるる。
なにか可愛らしい唸り声が聞こえる。
と、足元に何かの気配を感じた。
目線を下げると白地に蒼いしましまの、もふもふしたのが二匹いた。




