〇〇八 覚 醒
――――ザァァァァァァアアアアアッ!!
さっきの五尺腕よりも大きな虚兵。
それが上流から汚泥と汚水に変わり果てた滝から勢いよく出てきた。
全くふざけてる、名前をその場でつけるだなんて……!
「ごふううううううっ――――」
その見た目は、アメンボをモチーフにした巨人のようだった。
全体が細長く尖っていて、口吻が槍のように鋭い。肢は合計六本。全身が汚れた黄銅色に染まっている。
――――涼子、奴の言う通り、今の我らよりあの虚兵は強い。無傷で勝つには少々骨が折れる相手。
「わかってる、最初から油断するつもりはないわ」
私は瀑布刀を握り直し正眼に構える。ストライダーは前傾姿勢で二本の前肢の鎌を交互に振り、間合いを詰めてきた。
「はあっ!」
夜叉の浄眼、そして瀑布刀に力を込め、間合いがある状態で横薙ぎに振るった。
ビシャァァッ!!
三日月状の水弾が巨体に当たる。わずかに動きが止まったところを斬りつけた。
「ごぁぁぁああっ!」
虚兵の前肢、鎌の下あたりに傷を負わせた。
「へえ、やっぱりなりたてでも夜叉姫だなあ。じゃあこれはどうだい?」
少年が指を鳴らすと、蟲の形をした巨大虚は真ん中の肢、中肢を地面につける。
昆虫さながらの伏臥体勢になった虚兵は、肩やわき腹にあるエアーインテークのような隙間から、勢いよく空気を吸い込みだした。
シュォォォオオオオオオッ!!
そして、背中から生えているバイクのマフラーのような管が、ゴギゴギと耳障りな音を立てて後ろを向く。
まさか!
――――ガオン!!
予想した通りだった。取り込んだ空気を体内で圧縮し、背中の管から一気に噴出させた!
実際のアメンボさながらに滑りながら、こちらに突進してきた。
その勢いやパワーはまるで、アクセルを全開にしたパワーボートと同じかそれ以上だった。
「くっ!!」
何とか避けられたけど、直撃したらただじゃ済まない。それに口吻が突き刺さった木の幹が、みるみるうちに枯れて腐っていく。
つい最近、現役ビオトープ管理士さんが書いたネットエッセイで見たことがある。
確かアメンボに刺されると、信じられないくらい激痛が走るって……。でも、あれはその比じゃないだろう。
おまけに――――
「うっ、こ、この臭いは……!」
錆とも血臭ともつかない臭いが辺りに広がる。私は思わず顔を押さえた。
「そう、ご明察。この虚が吐き出すのを『虚霧』って呼んでる。
僕らには心地よく感じるけど、君たちにはどうだろうね?」
確かに悪臭だけでなく、身体が痺れる感じがする。確かにこのままだったら――――
でも夜叉の力を以ってすれば……!
私が強く念じると、瀑布刀の鍔の部分から清澄な霧が吹き出した。霧は辺りを覆い、虚が穢した空気を元の澄んだ空気に戻していく。
「へえ、そんなこともできるんだ。でも無駄だよ、やれ! ストライダー!」
昆虫とも機械ともつかない異形の兵士は、また狙いを私に定めた。なるべく距離を取って、奴の狙いが家に向かないようにする。
――――グオンッ!!
あの巨体が猛スピードで通るたびに、耳だけじゃなく頭がおかしくなりそうだった。
――――長引けば不利。そう判断した私は突っ込んでいった。巨大虚の肢に、何度も斬りつける。
ガキッ! ザシュッ! ザンッ!
地面を何の障害もなく、滑るように直進させる肢、これさえ斬り落とせば。
だけど、状況はこの場にいる誰もが予想しない方に転がっていった。
「……み、三滝さん?」
視界の端には、今朝私をじっと見ていた同級生の男子がいた。
***
「へえ、新たな観客、いや演者のお出ましか。これは歓迎しないとね」
魔少年は、ポケットに手をつっこんだまま嬉しそうに言う。
「こいつ、君の彼氏とか?」
「ただの同級生よ!」
岳臣君、なんでここにいるの? なんかたじろいだような気もしたけど、たぶん気のせいね。
「へえ、じゃあ別に殺したっていいわけだ」
魔少年は直立したまま、少し浮かび上がり岳臣君に近づく。
彼が逃げる間も抵抗する間もなく、首元を掴まれた。片手で首を絞められる。
「ぐっ、ううっ」
「その手を離しなさい!」
「はあ? 僕に命令するなよ。そっちこそこいつがどうなってもいいのか?
んじゃ、こいつはこうしようか」
バシュッ!!
黒衣の少年は念動力で岳臣君を吹き飛ばす。飛んだ先には――――
「ストライダー! そいつを捕まえといてくれ!」
電柱のように細長い虚兵は、中肢で岳臣君を捕らえて自分の胴体に押し付ける。
彼は気絶したのかぐったりしていた。
「さて、どうする? 戦いは続行中だ。がんばってストライダーを斃してみてよ、できるならね」
巨大虚は直立したまま、二本の前肢を使い私に執拗に攻撃を仕掛けてくる。対する私は防戦一方だ。
ギィン、チュン、ギャァァァァン
二本の長いリーチから繰り出される斬撃は、確実に私の生命を刈り取るべく振るわれる。
対する私は、瀑布刀で攻撃をいなすので精いっぱいだった。
――――せめて、岳臣君を外せれば。
そう思っていた矢先に、虚兵の鎌みたいな鉤爪が岳臣君ののど元に喰いこんだ。皮膚が裂けて血が滲む。
――――ド クン!
それを見た私の中に、言い知れぬ怒りが湧き上がってきた。
感情の発露、なんて生易しいものじゃない、身体の芯を衝き上げてくるような激昂だ。
――――同時に私は、自分の内から響いてくる『聲』を聴いた。
――――還せ――――
――――総てを恠るべき処に還せ!!
――――人を陽に、妖を陰に、
――――虚を空に!!!
その『聲』を最後に、涼子の意識は途切れた――――
***
虚兵を操る少年、ディクスン・ドゥーガルは歓喜していた。
眼前の少女『夜叉姫』、それが目の前でさらなる変化を遂げている。
身体全体を清流が纏わりつくように流れ、虚兵の攻撃から彼女を守っていた。
着衣はブレザーから、着流しと単袴。そして胴鎧と草摺り、両手に篭手、脚絆と革の沓に変化し、武装している。
髪は胸程までから膝下くらいまで伸び、蒼く変色した。こちらも清流のように絶えず流れるようにたなびく。
それから髪の一部、蟀谷の横部分が、二か所後ろに鋭く尖って固まり、角のように凝る。
瞳の色は失くなり、眼も蒼白く染まった。目元に蒼い落涙のような筋が幾条にも走り、犬歯は牙のように鋭く伸びる。
その容貌は怒りに満ちて鼻筋に皺が入った。普段の凛とした様とは似ても似つかない。
呼吸をするたび、獣のような唸り声と共に、口から霧が吐き出された。
――――コォォォォォァァァァァ――――!
ザシッ!!
瀑布刀を逆手持ちし、地面に突き刺した。
憤怒の容貌そのままに、虚兵、そして虚神の少年に低く くぐもった声で最後通牒を告げる。
「虚ナル神々ノ末裔、ソシテソノ眷属ヨ。
我ノ眼前、否、如何ナ所以ガアロウト、無辜ノ民ヲ疵傷スルコト罷リナラン。
童ヲ解キ放ッタ後、疾ク 去ネ。
我ノ気ガ変ワラヌ内ニナ」
少年は吐き棄てるように返す。
「はっ!! そんなの見せられて、『はいそうですか』って帰れるわけないだろ!?
そのスペック確認だけだったけど、気が変わった! お前の力、とことんまで味わい尽くしてやるよ!
行け! ストライダー!!」
巨躯の虚兵は、弾かれるように夜叉姫に襲いかかった。対しての夜叉姫は泰然と構える。
「…………是非モ無シ」
腰を低く落とし瀑布刀を後ろに構えた。
――――シュゥウウウウウ――――