午前五時の烈火
ただの手遊びです。
どうぞ、お手柔らかに。
暁光こそが、この穢土に降り注ぎ齎される唯一の救いなのかもしれないと、何ともなしに月夜見之宮日和はそう思った。
夙に曙を眺めるのが習慣となっていた。襟高のコートを着込んでも、朝風は身に染みるものがある。東方に聳つ峰々の間隙を縫って差し込む陽光に目を細めるのは嫌いではなかったし、朝日を浴びると体内時計がリセットされて健康に良いとテレビで言っていた。
「……早いのね」
黎明より目を離すことなく、日和はぽつりと呟いた。しかし、返事は無い。おかしいと思って振り返ると、果たして見知らぬ男性が数メートル先で驚き戸惑っていた。トレーニングウェアを着ているから、早朝のジョギングでもしていたのだろうか。日和は再び朝焼けに目を向けた。
「遅かったわね」
数十分後、言ってから振り向き、内心で胸を撫で下ろした。僅かに怒気を孕んだか、多少語勢が強くなった気もしたが、彼は他人の機微に疎い性分であるし、そもそも半ばほど見当違いな怒りであるため、徒に言い繕うのはやめておいた。やはり八つ当たりは良くない。いや、彼が早く来なかったことにも一因はあるので、四つ当たりくらいが妥当だろうか。そこまで思考を経て、面倒臭くなったので結局日和は何も言わなかった。
「いやぁ、ごめんごめん。実はさーー」
「いいわ。始めましょう」
言うや否や、腕時計の針が五時零分零秒を指したのを確認して、日和は眼光鋭く彼を睨みつけた。彼は別段慌てた風も無く、その視線から逃れるように横へ跳び退く。
そして、彼が数メートル横に着地するのとほぼ同時に、彼が元居た場所、日和が睨んだ場所が紅蓮を撒き散らして爆発した。超常現象はそれだけに留まらない。今度は彼が日和を挑発するようにくいくいと指を折る。すると日和の胸倉が見えない何者かに摑まれたかのように持ち上がり、そのまま一気に彼の方へ引っ張り寄せられ始めた。それに抗う術を持たない日和はみるみる彼との距離を詰めさせられる。拳か、蹴りか、彼は構えてこちらの到着を待っている。日和が目尻を吊り上げつつ目の前で両腕を交差させ、防御の姿勢を取った時、腕の隙間から彼の姿が消えた。その瞬間、腕と腕の交点に強い衝撃を受けた。地面に叩き伏せんばかりの威力をどうにか凌ぎ、ガードを解く。彼は数歩後退り、日和に笑みを向けていた。つくづく汗と笑顔が似合う男である。
彼の様子に気をやりつつ、日和は自らの「力」の状態を確認した。昨日よりは良くなっているが、ここ数週間を総合して鑑みればその伸び率は落ちているように感じられる。日和有する「爆発或いは物体を炎上させる力」は扱いが難しい。燐寸の火から焼夷弾くらいまで威力の幅があり火力の調節には神経を磨り減らすし、想像力に乏しいせいかあまり物が燃えるということをイメージできないのだ。
対して彼の「力」ほど扱いやすいものはないだろう。日に日に使用のバリエーションを増やしてきているし、その組み合わせは多岐に亘るので最早無限と言ってもいいかもしれない。「誰もが具体的に想像しうるちょっとした力」と言えば分かりにくいかもしれないが、彼の使用例を挙げると分かるかもしれない。例えば最初に行った挑発するような指の仕種。あれは遠くにあるものを自分の方に引き寄せる、という結果を齎す。次いで、視界から消えた瞬間訪れた強い衝撃の正体は、一旦しゃがんで前方宙返り、そして踵落としである。フィクションでしばしば散見される摩訶不思議を実現するのが彼の力なのである。日和が睨んだ時に数メートル横に跳んだのもその力の賜物である。
「とりあえずさ」
彼が口火を切る。
「力を使う時に相手を睨むと、バレちゃうよ?」
「仕方ないの。少なくとも今は、そうしないと私は一般ガールだから。見られるのは恥ずかしいから、あまりこっちを見ないでいて」
「それは難しい相談だなぁ」
ともかく、彼の助言には従ってみようと思い、睨まずにじっと彼を凝視してみる。対象を見てすぐに力を使うことができれば御の字なのだが、一定時間睨まなければ一般ガールのままというのが現状である。案の定今回も思い描いていた通りにはいかなかった。というよりは、「黙って見つめられたら分かるってば」と彼に看破されてしまった。儘ならぬものである。見ただけで使えるようになるまで一体どれだけの時間を要するのだろうか。先が思いやられる、と日和は少し肩を落とした。
「まぁ、そう落ち込まないでよ。ある程度見続けなきゃいけないんだったらさ、見続けても自然な状態を維持すればいいんじゃないかな」
「会話で場を繋ぐ」
「うん、それがいいよ」
「じゃあ……臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前……!」
眉を険しくしつつ唱え、指で空中に縦に四本、横に五本の線を描く。
「ストップ。ちょっとストップして。一回君の会話の定義を尋ねてもいいかな」
「何人かでお喋りすることよ」
「どこに僕の入り込む余地があったの。あと怖いから据わった目でこっち見ないで」
「見られるの恥ずかしい」
「……」
その後彼は、酷く疲れた様子で、会話スキルよりも純粋に力を磨いた方がいい、君の為だ、と言った。
それから数日間、色々な物を標的にして練習した。彼自身を始めとして、課題の山、秋刀魚、彼、自宅の燃えるゴミ、彼。日を追うごとに、睨んでから発火するまでの時間は短くなり、やがて睨む必要も無くなってきた。
そしてある日、
「あっつぅ!」
とうとう一瞥しただけで力を使えるようになった。
「わぁー! 火! 消火しないと! なんでこんな時に限ってバケツの水が無いの!」
彼は、水が無いので仕方なく転げ回って全身を地面に擦りつけ、鎮火を図っている。
「……ちょっと見ただけで力が使えるのは、貴方が相手の時だけだわ。きっと、貴方が私を一瞬で燃え上がらせるのね」
そう呟き、消火を終えて胸を撫で下ろしている彼に向かって微笑んでみた。
能力バトルものとラブコメを同時に書きたかった。それだけです。
次の拙作は、投稿させて頂く中でも一番の黒歴史となりましょう。その作品はルーズリーフではなく、データとして保存してありますので、細部を修正しさえすれば、すぐに投稿できるかと。
ご読了頂き、恐悦至極に存じます。